仕事を終えた翌日、城下の本部へ戻ると、修行を終えて家路に付く門下生でごった返す中、玄関ホールでベルと出くわした。
「叙任おめでとう。仕事はどう?」
「馬車馬にでも転職しようかと思ってたとこ。今、ちょっといいかな?」
彼女が訝しみながらも頷くと、クレイグは俺の顔を見て意味深ににやりと笑い、伝票と売上金の入った鞄を、「いいからいいから」と言いながら取り上げると、にやにやしながら二階の事務所へと上がって行った。どうやら何か誤解が生じたらしい。
彼を見送りながら、苦笑しつつくしゃくしゃ頭を掻く俺に、彼女は銀色の涼やかな瞳で、「何?」と問う。
「あぁ、隠し鉱山の件なんだけど、あれから調査は進んでる?」
「正直、あまり進んでるとは言い難いわね。例の鉱山は落盤で閉鎖。関わってた山師たちは皆失踪中よ。他の鉱山も調査中だけど、石の行方はまだ掴めてないわ」
「それなんだけど、ひょっとしたら有用な情報が手に入るかもしれない」
「え? 本当?」
「昨日、神殿に来た鉱夫がクレイグの知り合いでさ、仲間の一人が口入屋から荷運びの仕事を請けたらしいんだが、こいつがどうも胡散臭い。で、来週そいつに逢うって言ってたから、情報提供を依頼して来た」
「なるほど、口入屋か……。手配師や名簿に載ってない山師も当たった方がよさそうね。有難う。そっちの情報はお願い」
「了解」
短く返事した俺を見上げると、彼女は何を思ったのか、いたずらっぽい微笑を浮かべた。
「仕事熱心な新人さんだこと」
「まぁね。やり掛けの仕事ってのは、気持ち悪ィもんだから」
そう言って肩を竦めた時だ。何やら言い争う声に階段を見上げると、クレイグが石読みの少女に食い下がられて困っていた。相手は美少女人形のシャロン嬢だ。
「ねぇクレイグさん、お願い! 一度だけでいいの」
「そりゃいけませんてお嬢さん。決まり事は守らにゃ」
逃げるように階段を駆け下りるクレイグを、シャロンは慌てて追い掛けるが、一階まで下りて来たところをベルに呼び止められた。
「どうしたの? シャロン」
「あ、ベル姉様」
クレイグはそれを見て安堵の表情を浮かべると、「煙草買って来ますヮ」と苦笑しながら外へ出て行った。
「当番を代わって欲しかっただけなのに……」
彼女は不服そうに呟きながら彼を見送ると、拗ねた顔でベルを見上げる。
「当番……って、あなたは修行中でしょう? まだまだ神殿には行けないわよ」
少しばかり窘める様な口調で言われると、彼女は「でも……」と口篭りながら、チラと俺の顔を盗み見た。
「私、ランジャ様のお手伝いがしたいんです」
それを聞いたベルが思わず吹き出すと、今度は顔を赤らめてぷっと膨れる。
「笑うなんて酷いわ姉様」
「あぁごめんなさい。この前まで私の手伝いをしたがってたのに、もうランジャに鞍替えなのかと思ったら可笑しくて……」
「姉様のお手伝いだってしたいです」
ムキになって言い返し、そのまま階段を駆け上がって行った彼女を見送ると、事情がよく飲み込めなくてぽかんとしている俺に、ベルは呆れた様子で肩を竦めて見せた。
「いつもあの調子なのよ」
「いつも……って、何がしたいんだ? 彼女……」
「ああやって、お気に入りを見付けては追い掛け回してるのよ。二枚目の旅芸人について行きそうになって、大騒ぎになったこともあったわ。どうやら今度のお気に入りはあなたのようね」
「はぁ……」
「まぁ、富豪の令嬢で我侭放題に育ったせいかもしれないけど、門下生の間じゃ、ちょっとした問題児扱いなの」
彼女によると、シャロンの家は貿易をやっていて、利益の一部で高利貸しも手掛ける程の豪商らしい。
ホルザレン会と誼を通じるために娘を入門させたはいいが、こっちとしては、お嬢様のご活躍に少々手を焼いているってのが実情だとか。
さすがに本部ともなると、随分面倒臭いのがいるんだな。
支部での事務仕事を終え、くたびれ果てた体を鞍に委ねつつ、暗くなった家路を辿っていると、邸の門をくぐった辺りで馬車と擦れ違った。
俺に気付いて会釈したのは、夫人お抱えの御者だ。何事だろうと思いながら、馬丁に馬を預けて玄関に入ると、家令氏と共に、眉を顰めておろおろと話し合う夫人の姿があった。
「何かあったんすか?」
夫人は俺の声に振り返ると、小走りに駆け寄って縋るような眼差しで見上げた。
「あぁランジャ殿、お待ちしてたのよ。実はベニカさんが熱を……」
「え、何だって?!」
話を聞くのもそこそこに慌てて二階へ駆け上がり、ベニカの部屋へ飛び込む。
「ベニカ!」
薄暗い部屋の中でベッドに駆け寄り、枕元に縋り付くと、小さな影がのろのろと起き上がり、弱々しい声で「ランジャ様」と呼びながら、覗き込む俺にしがみ付いて来た。
そう言えば、マルデリへ出張する前日あたりから、少しばかり元気が無かった。慣れない都会暮らしで疲れたのかと思ってたけど、まさか寝込んでるなんて……。
「どうした。修行で疲れたか? ん?」
そのまま抱き締めて髪を撫でてやると、俺の胸に顔を埋めたまま首を振る。
不意に明るくなった室内に、顔を上げて振り返ると、夫人と家令氏が心配そうな顔で立っていた。
「ついさっき、お薬を飲んだ所なの。レセリ師のお見立てでは、心労だそうよ」
レセリ師は城下の薬師で、薬屋のラウルとミケル船長の祖父だ。どうやらさっき擦れ違った馬車は、老師を城下まで送って行くところだった様だ。
夫人は静かに歩み寄り、彼女の肩にそっと手を触れると、「少し寝た方がいいわ」と優しく声を掛ける。
彼女はこくりと頷くと、大人しく横たわったが、何だか顔色も悪くてやつれて見える。
毛布を掛け、切なそうな眼差しで見上げる小さな額に、そっと優しく口付けてやると、口元に微かな微笑を浮かべて瞼を閉じた。
「心労……って、一体何があったってんだ」
静かな寝息を立て始めた彼女から、足音を忍ばせつつ離れた俺に、夫人は深い溜息をつきながら首を振って見せた。
「あなたが出掛けてから、食事も満足に摂っていないのよ。どうしたのか訊ねても、『何でもありません』としか答えてくれないの。なのに、『ご心配お掛けして申し訳ありません』などと気遣いを……。力になれない私の方が申し訳なく思ってるのに……」
「そうだったんすか」
俺はてっきり、念願が叶って毎日充実してるもんだとばかり思ってたのに。
あんなちびすけがメシも喉に通らないほどの心労を抱えるなんて、やっぱり神都での修行ってのは、それだけ厳しい物なんだろうか。
田舎育ちで体は丈夫な方だとは思うけど、彼女の性格で、周囲に心配かけまいと無理をすることが多々ある。
それで風邪を拗らせたこともあって、てんやわんやの看病の末に、たっぷり小言を聞かせて反省させた筈だったんだけど……。
翌朝、いつもなら昼まで寝てるところだけど、ベニカが気になって早くに目が覚めちまった。
用意された朝食を彼女の寝室へ運んでもらうと、ベッドに歩み寄ってそっと起す。
「朝飯だ。食えるか?」
彼女はのろのろと起き上がると、テーブルの上で湯気を立てている皿を、しばらく思案顔で見詰めていたが、俺の顔を見上げると小さく頷いた。
ベッドを降りようとするのを制し、彼女の好きなトマトがたっぷり入ったスープの皿に、千切った白パンを浸して即席の粥を作ると、そいつを手に枕元へ腰掛け、スプーンで掬って差し出す。
彼女は少しばかり戸惑った様子だったが、目顔で勧める俺に微かに微笑んで見せると、嬉しそうに口を付けた。
「そう言えば、タラサノ村で俺を助けてくれた時、お前が最初に作ってくれた奴、あれ旨かったな」
「鴨の燻製のポトフです」
「そうか。修行が終わって向こうに帰ったら、また作ってくれよ」
「はい」
いつもの元気一杯とまでは行かないものの、幾分明るい返事が返って来たので、ほっと安堵の溜息をつく。
粥をどうにか平らげると、体が温まったのか、心なしか顔色も良くなったようだ。
食後の煎じ薬を飲む苦そうな顔につられて、思わず顔を顰める俺に、彼女は、
「ランジャ様までそんなお顔なさらなくても」
と笑った。一体何があったのかは気になるところだけど、何はさておき、今は治療が優先だ。
昼過ぎ頃、階下から聞こえて来る賑やかな声に目を覚まされると、ベニカのベッドに突っ伏したまま眠っていた事に気が付いた。
彼女が寝付くまで見守っていようと思いながら、溜まった疲れに負けて、いつの間にか潰れていたらしい。俺が動いたので、ぴったりくっついて眠っていた彼女も目を覚ます。
ノックの音に目を擦りながら答えると、夫人が笑顔で覗き込んだ。
「お友達がお見舞いに来て下さったわよ」
開いた扉から漏れ聞こえる声は、お嬢どもとユージンの声だ。
ベニカは俺を見上げると嬉しそうに微笑んだが、ベッドから降りようとする足元は、まだ幾分覚束無い。なので、夜着の上にガウンを着せると、そのまま抱き上げて階下へ降りた。
「よう、悪ィなお前ら」
応接間に入ると、お嬢たちが心配そうに駆け寄って来る。
口々に「大丈夫?」と問う彼女らに、ベニカは俺に抱かれたまま、「ご心配お掛けして申し訳ありません」と、少し恥ずかしそうに答えた。
彼女をソファへ降ろすと、お嬢たちも彼女を囲む様に腰掛ける。テーブルの上に山積みにされた花束や菓子箱は、どうやら見舞いの品らしい。
ベニカは目をぱちくりさせながら見渡すと、「兄様、姉様、有難う御座います」と笑顔で礼を言った。
やがて茶を携えた侍女と共に夫人が現れると、彼らは一斉に立ち上がって、「お邪魔します」と折り目正しく拝礼する。そろそろケイディシアへ帰らなきゃならないそうで、見舞いはその挨拶も兼ねてとの事らしい。
「ベニカも早く良くなって、修行頑張ってね」
「はい。姉様方も道中お気を付けて」
精一杯元気に答えるものの、やっぱり彼女らが帰ってしまうのは少々寂しそうだ。
「ところで、本部での修行ってのは、こいつがこんなに消耗するほど厳しいのか?」
俺の質問に、一同はきょとんとして顔を見合わせると、怪訝そうな顔で「いいえ」と首を振る。
「祭壇を使わせて貰えるという以外は、支部での修行と変わらないんですけど……」
言葉尻を濁すセレネに、みんなの視線が集まる。「けど?」と聞き返すと、彼女は顔を曇らせて大きな溜息をついた。
「門下生の友達から聞いたんですが……ベニカに意地悪する子がいるらしいんです」
彼女の言葉を受けて、一斉に「酷い」と非難の声が上がると、ベニカは俺にぎゅっとしがみ付いて体を小さく震わせた。
「誰だそいつは! 野郎か?」
「何でも、商家の娘らしいです。根も葉もない噂でベニカを貶めてるとか……」
それを聞いてピンと来た。犯人はシャロンに違いない。あの小娘、俺を追い掛け回すのにベニカを邪魔と思ったか。相手を腐した所で、手前ェの評価が上がる訳じゃないってのに、浅薄な餓鬼だ。
「どんな噂だ? 事と次第によっちゃ張っ倒す!」
拳を固める俺の剣幕に押されてか、セレネは自分が叱られてるような顔で、みんなとおどおど顔を見合わせた。
「あの……怒らないで下さいね」
恐る恐る窺う彼女に、極力怒りを抑えつつ「判った。言ってくれ」と答える。
「『あんな子供の癖に、毎晩ランジャ様と寝てるだなんてふしだらな娘だ』って。『あんなはしたない子はランジャ様の許婚に相応しくない』とも言ってるそうです……」
「あンの糞餓鬼……!」
聞いた瞬間にカッとなって思わず立ち上がると、お嬢たちばかりか夫人までが「まあまあ」と宥める。
憮然としながら大人しく腰を下ろすも、煮えくり返った腹の底がどうにも治まらない。苛々と茶を飲み干す俺を心配そうに見上げるベニカの目に、涙が滲んでいるのに気付くと、震えている小さな肩を抱き寄せた。
あの糞餓鬼、手前ェの言ってる事の意味が判ってンだろうか。これじゃベニカを貶めるばかりか、この俺を小児性愛の変態野郎だと言い触らしてるようなもんじゃないか。胸糞悪ィにも程がある。
「私、ランジャ様に相応しくないんでしょうか……?」
涙声で問う彼女の言葉に、みんな口々に「そんな事無い」と答える。
「でも酷いわね。わざと曲解して広めてるのよ」
正義感の強いウルスラが、怒り心頭といった様子で言い、セレネが「きっとそうだわ」と強く同調すると、みんなも一様に頷き合う。
「でも、ベニカは添い寝して貰ってるだけなんでしょう? ランジャ様は親代わりだと仰っていたし……」
お嬢どもの中で一番年下のアガサが覗き込むようにして訊ねると、ベニカは俺にしがみ付いたままこくこくと頷く。
「それがどうしてふしだらなの?」
心底理解出来ないといった物言いで訊く彼女に、ユージンは途端に耳まで真っ赤になった。
「ぼ、僕に訊かないでくれよ。そんな事……!」
アガサはうろたえる彼を見て不思議そうに首を傾げると、答えを求めてウルスラたちを振り返るが、今度は彼女らが頬を染めてあたふたと視線を逸らす。
最後に困った顔でアレーネ夫人を振り返ると、夫人は柔らかな声を上げて笑った。
「嫌ねぇ。私は巫女よ。あなたたちよりも遥かに世間知らずだわ」
少々おどけた口調で返す夫人に、みんなはほっとした様子で笑顔を浮かべるが、アガサとベニカだけは、狐に抓まれた様な顔を見合わせる。
「きっとからかわれたのよ。いつまでも添い寝して貰ってるなんて、赤ちゃんのようだと。ランジャ殿はお優しいから、あなたが求めれば応えて下さるでしょうけれど、お疲れの日もおありでしょうし、あなたもそろそろ大人になる準備をしたほうが良いのではなくて?」
優しく諭す夫人の言葉に、ベニカははっとして俺を振り向く。そいつに苦笑しながら肩を竦めてやると、顔を赤らめて俯き、「アレーネ様の仰る通りです」と恥ずかしそうに答えた。