不意に響いたノックの音に夫人が答えると、入って来た家令氏が新たな来客を告げた。
誰だろうと訝しむ俺たちの前に現れたのは、二人の大人しそうな石読みの少女だった。素朴ながら清潔な身なりから察するに、どうやら平民の門下生らしい。
「あなたたち? ベニカをいじめているって言うのは……」
つかつかと歩み寄るなり仁王立ちで詰問するウルスラに、彼女らは震え上がって身を寄せ合いながら慌てて首を振る。
「いいえ、違います」
「ベニカがずっとお休みなので、お見舞いに……」
言いながらおずおずと差し出す可愛らしい花束に、彼女は途端に表情を和らげると、「あら、御免なさい」と照れ臭そうに詫びながら、二人をベニカの元へと連れて来た。
一人は下級役人の娘でシーラ、もう一人は本屋の娘でラケルと名乗った。共にベニカとは年の近い修行仲間だそうで、エスネの森へ入る方法を相談していたら、本部お抱えの御者が聞き付けて、内緒で門まで乗せてくれたらしい。
「大丈夫? ベニカ……」
「有難う。お薬を頂いたから、もう大分いいの。心配掛けて御免なさい」
ベニカは二人が差し出す花束を笑顔で受け取り、ぺこりと頭を下げる。
「私たちはベニカの味方よ。シャロン姉様は意地悪だもの」
「今回ばかりはやり過ぎだって、他の姉様たちも怒ってるわ」
味方と聞いて、お嬢どもは早速二人を取り囲むと、面食らってる様子もお構い無しに、茶だの菓子だのを勧める。
「それにしても、そのシャロンて子は、どうしてそんな事したのかしら」
マセた口調で言うのは、ウルスラと同い年のブリギットだ。
「姉様、ランジャ様と結婚するんだって息巻いてました。神使様の石使いがいるってお父さんに話したら、『絶対モノにしろ』って言われたんですって」
シーラが呆れ顔で言いながら肩を竦めると、隣で聞いていたラケルも大きく頷いて言葉を継ぐ。
「シャロン姉様のお父さんて、いつも言ってるものね。『金は余ってる。あとは地位と名誉だけだ』って」
「そうそう。きっと、ランジャ様と
それを聞いたウルスラが、「下品だこと」と忌々しげに吐き捨てる。まったくだ。いい加減にして欲しい。
そもそも何だって俺の周りには、こんな年端も行かない小娘ばかりが寄って来るんだ。たまには妙齢の美女の一人や二人くらい、寄越してくれたって良さそうなものを。
「でも、何でみんなその子を諌めないんだい? 一緒に修行してる仲間じゃないか」
穏やかそうな丸顔を曇らせて、少々非難がましい口調で問うユージンに、二人は居心地悪そうに顔を見合わせる。
「その……私の家は、姉様のお父さんからお金を借りているから……」
口篭りながら言い難そうに答えるラケルに、シーラも「うちもそうです」と俯く。
「姉様のお父さんの……ディレス氏のご機嫌を損ねる訳にはいかないんです」
「まったく、男子門下生は一体何をしているのかしら。こんな小さな子たちがいじめられているっていうのに……!」
憤懣やるかたないといったウルスラに、セレネが肩を竦めて見せる。
「件の娘は、大層な美少女だそうよ。きっと男性陣は骨抜きにされてるに違いないわ」
「え、美少女……? ひょっとしてその子、金髪で色白の、お人形さんみたいな子かい?」
ユージンは、自分の問い掛けに二人が揃って頷くと、義憤も一転、頬を上気させて「そうかぁ」と夢見るように呟く。
「あの子、シャロンて名前なのか。確かに凄い美人だよねぇ……!」
それを聞いたお嬢どもは、一人残らず「処置なし」とでも言いたそうな呆れ顔で首を振り、揃って大きな溜息をつくが、当の本人は「え? 何? みんなどうしたの?」とうろたえるばかりだ。
アレーネ夫人はそんな彼を見ると、微笑ましげにうふふと笑った。
「女同士の諍いと言うのは、宮中も城下も変わらないものなのね」
夫人がふと零した一言を、アガサが興味津々といった様子で振り返る。
「宮中でも、こんな諍いがあるんですか? 私、殿上人は神使様ばかりなので、いつも穏やかなのかと思ってました」
心外だと言わんばかりの彼女の口調に、夫人は優しく笑って静かに首を振った。
「そんな事は無いわ。色んな方が御出でだもの、些細なことで争うこともあってよ」
「でも、お美しい神使様が大勢御出でだなんて、やっぱり憧れます」
ブリギットはそう言うと、頬を染めてうっとりと溜息をつく。
「そうね。確かに神官は美しい方ばかりだったけど、女官や巫女は、神聖騎士団や宮廷薬師の貴公子に想いを寄せる方が多かったわ」
丸で少女のように声を弾ませる夫人の言葉に、お嬢どもは好奇心に瞳を輝かせて聞き入っている。
「中でも、ナクルタツリの王太子殿下は、『黒髪の神族』と称される程の美丈夫で、私たちみんな憧れていたのよ」
「ハルトランガ陛下ですか?」
「私が参内していた頃は、王太子の砌のリシルロカン陛下だったわ。優雅で神秘的で、知性に溢れたお方だったの。ハルトランガ陛下は、きっと御父君の血筋を受け継がれたのでしょう」
だが、並み居る巫女たちの中から、王が后にと望んだのはトルフィニ師だった。夫人が巫女のまま宮廷生活を終えたのは、心の中に届かぬ思いを抱き続けていたからなんだろうか。
過ぎ去りし日を見晴かす様な遠い眼差しで、ふと寂しげな溜息をつく彼女の姿に、俺は、マルデリの神殿で亡き許婚を想って泣いていた、丸で少女のようなベルの姿を思い出していた。
彼女もまた巫女だったと言うが、神官だった許婚は、彼女に触れる事無くこの世を去ったのだろうか。
あの切なくもぎこちない口付けはその証だったのかもしれない。そう思うと、そこはかとない罪悪感から微かに胸が痛んだ。
いい雰囲気だったとは言え、少々軽率だったかな。今更後悔したところで、後の祭りではあるけれど。
「そのシャロンさんと言う門下生は、神族との結婚を望んでいるのね。ならば、それに相応しい教育が必要でしょう」
賑やかに邸を辞したお嬢どもを見送った後、夫人はそう呟くように言うと、不思議そうに見上げるベニカに、何故か意味深に片目を瞑って見せた。
お嬢どもの見舞いで元気付けられたか、ベニカは週明けと共に再び修行に通い始めた。
俺がマルデリに出張する週の後半には、すっかり元通りの彼女に戻って、仲良しのシーラやラケルと、修行の帰りに寄り道して来る程に回復していた。
何でも、いつもの広場の屋台で、俺の為の珈琲豆と、お気に入りのドライフルーツを仕入れた後、港へ行って鴎と遊んで来たそうで。
夕食の席で、今日の小さな冒険譚を、夢中で語って聞かせてくれる彼女の様子に、夫人も安心したようで、にこにこと優しい笑顔を浮かべながら相槌を打っていた。
最近では、毎朝みんなで珈琲を飲むのが習慣になっている。
最初の頃は、俺が屋台で買って来た物を、店の親父の言うとおりに煎じて振舞ったところ、苦味が強すぎたのか不評だった。
あとで聞いたら、その方法では、砂糖を入れて上澄みを飲むのが本式らしい事が判ったが、俺の淹れ方が下手なのか、どうにも旨くならない。
そこで、水差しに使う濾紙を畳んで漏斗の中に敷くという、ペーパードリップを真似た方法で淹れて見ると、一転して好評を博すに至った。
ベニカにやり方を教えると、すぐに覚えて近頃では俺より旨く淹れる。もっとも彼女は、砂糖とミルクをたっぷり入れた、カフェオレにしないと飲めないようではあったけど。
こんな風に、不器用で面倒臭がりを自認する俺が、躍起になってアルコロジーでの習慣を再現しようとしてるなんて、何だか滑稽な話だ。
この世界に馴染みつつあると自負していたけれど、心の底では、地底の缶詰生活に未練たらたらという事の表れなんだろうか。
三度目の出張を終えて本部に戻ると、玄関ホールでベルが俺を待っていた。
それを見たクレイグは、先週に引き続いてすっかり誤解しているようで、鞄を引き受けると俺の肩をぽんと叩き、にやっと笑いながら親指を立てて見せると、口笛を吹きつつ二階の事務所へ上がって行った。
敢えて誤解を解こうとすれば、余計に疑われそうで面倒だし、反論は控えておくとするか。彼女ほどの美女が相手とあれば、満更悪い気もしないしね。
彼女とは銀鱗亭で待ち合わせる事にした。さっさと仕事を終わらせて、暮れ時の邸宅街に出ると、表通りの店へと急ぐ。
週末の繁華街は、どこも喧騒で溢れていて賑やかだ。
街灯の精霊石が煌々と照らす中を、人波に紛れて石畳の道を辿っていると、もしもここで生まれていたとしたら、俺は今頃何をやっていただろうとの思いが浮かんだ。
他のソロ系と同様に、養父母から教育を受け、許婚として宛がわれた貴族の娘と十代で結婚し、神官となって宮仕えでもしていたか。
自由を知ってしまった今となっては、俺には無理だな。それしか知らない人生なら、そんなものだとして受け入れていたかも知れないけど。
店の扉を開けると、彼女は窓際のテーブルに頬杖を付き、物憂げな面差しで窓外の夕景を眺めていた。
相も変わらず満席の賑わう店内で、凛とした美女が独りきりで居るというのは、さすがに周囲の気を引かぬ訳にはいかないようで、彼女の端正な横顔を、そわそわと盗み見る若造も少なくない。
入って来た俺に気付くと、彼女は笑顔で軽く手を振る。それに答えつつ歩み寄り、差し向かいに腰掛ける俺の背後で、舌打ちや溜息が聞こえたような気がしたけど、空耳ということにしておこう。彼らが想像するような、色気のある話をしに来た訳じゃなし。
早速やって来た給仕に、自慢の料理と上物の葡萄酒を注文する。酒が注がれると、彼女は杯を掲げながら、ハスキーな声で「お疲れ様」と微笑んだ。
「ベニカはどう? 元気になったかしら」
「何だか前よりも元気だよ。友達も出来て、毎日充実してるみたいだ。こっちとしちゃ、仕事に集中できるのは嬉しいけど、反面、置いてけ堀を食らったみたいで、ちょっと寂しいかな」
少々おどけた口調で肩を竦めて見せる俺を、彼女は「正直な人ねぇ」とくすくす笑う。
「そう言えば、シャロンが退会したそうよ」
「え? 何でまた……」
「宮中へ行儀見習いに行く事になったんですって。門下生たちが噂してたわ。『かのアレーネ女伯からご推薦を賜ったのよ』って、鼻高々だったとか。夫人から聞いてない?」
「いや、別に何も……」
ひょっとして、あの時彼女が呟いていた意味深な一言は、ベニカからあの娘を遠ざけようと思い立っての事だったのか。
たった一筆で平民の小娘を参内させるなんて、さすが宮中の古株だけはある。
「あの自由奔放な我侭娘が、お目付け役の躾にどこまで耐えられるやら……」
彼女は呟くように言うと、ふっと溜息をついた。
「行儀見習いって、そんなに厳しいのか?」
俺の問いに、彼女はいたずらっぽくにやりと笑うと、「厳しかったわよぉ」と答える。
「神界から授かり、エスネの森でご成長あそばされた神使様と、森の草木にすら触れた事の無い平民の少女が、煩雑な宮中の仕来りの中で、同様の立ち居振る舞いを強いられるのよ。辺境諸侯のお姫様ですら音を上げるわ」
「なるほどね」
要は、この世界で最上とされるステイタスを手に入れんと欲するならば、それ相応の労苦も覚悟せねばならないと言う訳だ。
そう言えば、トゥラシオン大公の息女であらせられるスーラニー姫も、行儀見習いから逃げ出して来た口だったっけ。もっとも、彼女の場合は、剣豪の滾る血に突き動かされてと言うのが建前なようではあったけど。
「でも、お目付け役も行儀見習いにはまだお優しい方だわ。言ってみれば『お客様扱い』ってとこかしら。巫女や女官はそういう訳にはいかないから、そりゃもう厳しかった事」
そう言って肩を竦めながらも、その口調は丸で、クラブ活動の思い出でも語ってるかのように楽しそうだ。
いつもなら一分の隙も無い彼女が、時折覗かせるこんな少女の顔は、やけに可愛らしく見える。
「貴族や神官の子女ならいざ知らず、神章を持っているというだけで召し上げられた平民の子供は、尚の事大変だったでしょうね。一族の期待も大きいだけに、馴染めずに心を病んだり、貴人の目に留まって側女にされる子も少なくなかったわ」
彼女は事も無げに語ってはいるが、俺は神官の側女と聞いて、何やら苦いものが胸の奥に広がるのを感じた。
いつだったか、毒蛇枢機卿が言ってた宮廷生活ってのはこの事か。中にはあの変態爺ィばりに、汚い遣り口で手に入れようとする連中も居るって事なんだろう。
たとえそこに悪意の存在が無かったとしても、フリッツの父親のように、平民を人とも思わないような冷血漢も居るかもしれない。
宮中ってのは中々どうして胸糞悪い場所なようだ。何も知らないお嬢どもには、憧れではあるようだけど。
「そもそも巫女や神官ってのは何なんだ? 宮殿に篭って何をやってる?」
「神の声を聞くのよ。中央神殿の賢者の間で」
「神の声……神託?」
「そう。七賢者から授かった神託は、司祭を通して聖下に奏上されるの。でも、神官なら誰でも聞こえると言う訳じゃないから、聞ける者を常に探し続けてる状態ね」
「あぁ、それで平民からも躍起になって召し上げてるのか」
合点がいって一人頷く俺に、彼女は少々呆れたような苦笑を浮かべて見せる。
「あなたって本当に不思議な人ね。本来なら、錦の法衣を纏って賢者の間に居てもおかしくないのに、宮廷の事情すら知らないなんて……。やっぱり、この世ならぬ世界から遣わされた存在なのかしら。ね? 御子様」
そう言って意味深に微笑む彼女の、葡萄酒に濡れて艶めく形のいい唇に、重ねた時の感触を思い出してどきっとさせられる。
初めて逢った時から綺麗な女だとは思ってたけど、近頃は、逢うたびに妖艶な美しさが増すように見えて、何やら空恐ろしい程だ。
確か、彼女の許婚はテオとか言う名だったっけ。これすら知らないまま死んじまったとは勿体無い。
それなのに、切なくも哀しい記憶として、未だに彼女を縛り続けてるだなんて、つくづくも酷な話だ。いつの日か、解き放たれる時は来るんだろうか。
「どうしたの?」
怪訝そうに覗きこむ彼女に、俺は口を半開きにしたまま見詰めていた事に気付いた。
「目の前の美女に見惚れてた」
取り繕うように苦笑しながら杯をあおる俺を、彼女はクスと笑う。
「そろそろ仕事の話をしましょうか」
容赦なく現実に引き戻すその言葉に、少々鼻白みつつ、「そうだな」と答えて昨日の記憶を手繰り寄せた。
「例の鉱夫の話、どうだった?」
「あぁ、十日後また同じ場所へ荷受に向かうらしい。内容は口止めされてるとかで、相変わらず訊いても終始ダンマリだそうだけど」
「石の行方を追う好機ね。突き止めれば、あの暗君の密計が明らかになるかもしれない」
俺が頷くと、彼女は優美な指先を白い頬に当てて、暫しの間考え込んでいたが、ふと視線だけをくるりとこちらに向けると、呟くように言った。
「出来れば用心棒が欲しいわね」
「え? まさか俺?」
少々うろたえ気味に自分を指差す俺に、彼女は輝くような笑顔で頷く。
「あなたは事情を知ってる。他の人に依頼するよりも話が早いわ」
「でも俺、本部監査の用心棒何て……」
彼女は慌てて拒む俺の言葉を、くすくす笑いながら「ご謙遜を」と遮る。
「それとも、勲爵の称号まで賜ったケイディシアの英雄が、巫女上がりの女の護衛何て、物足りないかしら?」
そう言って窺うように微笑む顔は妙に蠱惑的で、街の女に扮した隠し鉱山の一件が思い出された。身も心も清らかな巫女でありながら、こんな表情も難なく出来るなんて、女ってのはつくづく判らない。
「子爵令嬢のお望みとあらば」
観念して肩を竦める俺に、彼女は「よろしくね」と言いながら片目を瞑って見せた。