石使いランジャ   作:桜城静夜

82 / 85
その16.追跡行について
16-1


 店を出て支部の厩へ戻ると、彼女は馬の手綱を解きながら、先に騎乗していた俺を見上げて微笑んだ。

「少し飲み過ぎちゃったみたい。送って下さる?」

 早速用心棒の仕事か。意外と人使いが荒いんだなと苦笑しつつ首肯すると、先を行く彼女に続いて馬の首を廻らせた。

 賑わう繁華街から豪邸の立ち並ぶ一角へ出ると、時折贅沢な仕立ての馬車と擦れ違う以外は、殆ど人通りの無い深閑とした通りへ出る。

 間も無く到着かと思いきや、彼女は邸宅街を通り抜けて、エスネの森へと向かう九十九折の坂道を登り始めた。

 アレーネ女伯邸の門前を通り過ぎ、彼女は岬へ通じる石畳の道をひたすら進むと、程なくして到着した門の前で馬を停め、俺を振り向いた。

「ここなの」

 その声を受けて現れた門番が、錬鉄細工の大きな門扉を開けると、彼女を恭しく迎える。ここでお役御免かと手綱を取ると、「どうぞ」と中へ促された。

 彼女のあとについて、月明かりが仄かに射す森の中を進んで行くと、窓毎に明かりを灯した大邸宅が見えて来た。

 堂々たる風格の立派な邸だ。没落した子爵の令嬢と言ってたけど、この森に居を構えている辺り、嘗ては栄華を極めていた名門だったのだろう。

 玄関ポーチに掲げられた、大きな精霊石に照らされながら下馬すると、厩から現れた初老の馬丁が手綱を取ってくれた。

 彼女は彼を優しく労うと大扉を開け、少々戸惑いながら所在無く突っ立ってる俺を手招きする。

 内部もまた素晴らしく贅沢な造りではあったが、入ってすぐ違和感を覚えた。

 そこはかとなく焦げ臭い……? 何気なく見上げたホールの高い天井と、張り替えられたと思しき壁紙との間を飾る装飾が、やけに煤けてる。

 天井から吊るされた、豪華なシャンデリアの光源は全て精霊石だ。とすると、この煤は蝋燭や油が原因じゃない。

 ひょっとして、ここは彼女の実家ではなく、火付けに遭ったと言う許婚の家なんじゃないだろうか。神官の邸なら、エスネの森にあったって不思議じゃない。

「お帰りなさいませ。お嬢様」

 俺たちを迎えたのは、上品な老女だった。他に使用人は見当たらず、しんと静まり返った邸には、彼女の嗄れた声だけが響いた。

「ただいま、婆や。来週から遠出するわ。留守をお願いね」

「またお仕事で御座いますか?」

 彼女が外した剣帯とクロークを受け取りながら、老女は少しばかり非難がましい口調で問う。

「そうよ。今度は少し長引くかもしれない。それよりお客様をお連れしたの。お茶をお願いね」

 こちらを振り返るベルの言葉で漸く気付いたか、彼女は扉の前で突っ立ってる俺へ、丁寧に頭を下げる。が、顔を上げた瞬間、弾かれたように驚愕の声を上げた。

「テ、テオドール様……!」

 取り落とした剣が毛足の長い絨毯の上に跳ねて、鈍い音を立てる。

「嫌だわ婆や。テオは死んだのよ。そんな哀しい間違いはしないで頂戴」

 剣を拾い上げながら少し寂しげに苦笑する彼女に、婆やは恐縮して詫びるが、何だか逆に俺の方が申し訳ない気持ちになる。

「ランジャです。初めまして。御令嬢とは……えーと、仕事仲間っすよ」

「左様で御座いましたか……。失礼致しました。こちらへお客様がお越しになるのは珍しゅう御座いますもので……」

 況してや神族の野郎など……か。何やら遣り切れない思いを引き摺りつつ、彼女に促されるまま絨毯の敷き詰められた緩やかな螺旋階段を辿る。

 鏡の様な白大理石の床。手の込んだ綾織のカーテン。重厚な扉には全て意匠を凝らした真鍮の把手が飾られている。

 もしも事件が起こらなかったら、彼女は男装することも、剣を佩くことも無く、この邸で美しく優しい神官の奥方として、何不自由無く暮らしていたのかもしれない。

「ごめんなさいね。婆やが変な事を言って……」

「あ、いや別に……」

 二階へ上がると、彼女は一番奥の扉を開け、ここで待つように言い残すと、続き部屋へ入って行った。

 

 

 

 バルコニーから差し込む月明かりと、精霊石ランプの仄かな灯に照らし出されたのは、広い部屋に設えられた王族のようなベッドと、瀟洒な造りの文机だ。が、使われている気配は丸で無かった。

 綺麗に整理された机の上で、何かが小さく光る。そっと歩み寄って見ると、天鵞絨張りの小箱に男物の指輪が納められていた。

 精緻な金細工の台に、七宝でサリミロの国章が描かれている。これは神官の指輪って奴なんだろうか。

 何気なく触れた椅子の背凭れに、無造作に掛けられているのは錦の法衣。神官の正装と言われるローブだ。

 それに気付いた時、その二つの遺品が放つ生々しい存在感に、俺は何故かぞわっと鳥肌が立つのを感じた。

「テオの法衣よ」

 ふと顔を上げると、扉の前に立つベルに目を奪われた。

 引き締まった四肢を清楚なドレスに包み、凛として佇むその姿は、女神に傅く気高く清らかな巫女のそのものだ。それなのに、大胆に肌を見せた街の女の衣装よりも、遥かに色香が匂うのは何故だろう。

 静かに歩み寄る細い肩先で、下ろした髪が柔らかく波打つ。じっと見上げる銀の瞳が、いつに無く切なげに見えて、何だか意味も無くどぎまぎしてしまった。

「石使いになった時、廃墟になっていたここを買い取ったの。完全に修復することは叶わなかったけど、独りで暮らすには十分だったわ。それなのに、叔父上ったらあの婆やを寄越したのよ。『不便だろうから』なんて言ってたけど、多分監視の為だわ」

 そう言うと、彼女は自嘲めいた微笑を浮かべて肩を竦めた。

「監視? 何でまた……」

「『悪い虫が付かないように』かしらね」

「なるほど。そりゃ心配だな。俺がその叔父上だったら同じ事をするね」

 少しばかり茶化して言う俺に、彼女はクスと寂しげに笑う。

「他の家はとうに縁を切ったのに、彼はまだ一族再興の為に利用価値有りと思ってるのよ。世間知らずの巫女ならまだしも、血に塗れた石使いなんて、良家の御曹司ならば相手にする訳無いのに……」

 彼女もまた他の貴族の令嬢と同様、一族の栄耀栄華の為の人身御供と見做されているのか。丸で雁字搦めだな。翼刃章という翼を得ても尚、その枷は重そうだ。

 部屋の隅に設えられた大きなクローゼットに歩み寄ると、彼女は男物の服を一着取り出して俺に見せた。

「積荷の追跡をするのに、変装した方がいいと思うの。石使いの格好じゃまずいでしょうから」

「テオに化けろと?」

「いいえ。『神官に』化けるのよ」

 彼女は言いながら選んだ数着を手に戻って来ると、その中の一枚を広げて俺の胸に当てる。

 生地も仕立てもこの上なく贅沢な品だ。長旅になりそうだってのにこんなのを選んで来る辺り、これでも簡素な平服の部類なんだろうか。

 「どう?」と窺うように見上げる彼女に、苦笑交じりに首を振って見せると、怪訝そうな表情で首を傾げた。

「気に入らなかった?」

「いや、動き辛そうだから」

 そう言ってにやっと笑ってやると、彼女もまた「それもそうね」と呟くように言い、手にした服を見て軽い溜息をつく。

「それに、そいつは許婚の大事な形見なんだろう? 俺なんかに着せたら容赦なく汚すぜ。今迄だって親父さんの形見を台無しにして、ベニカに何度怒られたやら」

 すっかり着古した自分の服を示しながら、おどけて肩を竦める俺に、彼女は「まぁ」と呆れたような苦笑を浮かべてクローゼットに戻った。

「俺で良かったのか?」

 取り出した服を一着ずつ丁寧に戻すその背中に問い掛けると、彼女は手を止め、少し驚いたような顔で振り返る。

「用心棒の話さ。俺を見てると、許婚を思い出しちまうんだろう? 辛いんじゃないかと思って」

「有難う。優しいのね。でも仕事は仕事。ご心配には及ばないわ」

「強いな」

 俺の言葉に彼女は微笑んで首を振ると、扉を閉めて静かに歩み寄った。

「強くなんか無いわ。剣技もまだまだ未熟だし。頼りにしてるわよ、ランジャ」

「そんなに簡単に御信用頂いちまっていいのかね。旨そうな仔鹿を目の前にして、用心棒が狼に化けないとも限らんぜ?」

 からかい半分に言ってやると、俺の顔を覗き込む彼女の瞳がふと熱を帯び、仄暗いランプの光を受けて揺らめいた。

「お腹が空いているの? 狼さん」

 潤んだように艶やかな紅い唇が、切なげに喘ぐ様な言葉を紡ぐ。

「かなり腹ペコ。仔鹿が旨そうで……」

 その一言を受けて静かに閉じた瞼と、微かに開いた形のいい唇に誘われるまま重ねると、初めての時の戸惑う様なぎこちなさは既に無かった。

 不器用ながらも応えようとする舌の、甘く柔らかな感触。この行為は俺が教えたものだと改めて思い返せば、愛おしさは更に募る。

 なのに、この言いようの無い遣る瀬無さは何なんだ。彼女の想い人は既にこの世にいないってのに。

「いいのか?」

「御子様のご所望とあらば……」

「二度と巫女には戻れなくなるぞ」

「もとより血に穢れた身。再びの参内など叶わないわ」

 再び口付けながら掌で頬に触れ、細い髪の絹の手触りを感じながら、耳元から指で梳くようにして抱き寄せる。

 くらくらする程の甘い香り。唇が離れた後は既に交わす言葉も無く、遠く微かな森のさざめきと、狂おしく交錯する二つの吐息以外、何も聞こえなかった。

 鋼の瞳も、気丈な言葉も封じた。残るは絹の鎧のみ。細い顎からしなやかな首筋へと唇を這わせながら、カシュクール風の胸元からそっと手を滑り込ませて割り開くと、肩先から難なく滑り落ちた。

 意外と簡単な構造なんだな。あとは帯を解きさえすれば武装解除か。露になった美しい半身を、両腕でそっと覆い隠そうとする仕草が、却って情欲をそそる。

 透き通るような白い肌は、きめが細かくて瑞々しい舌触りだ。たまんねぇ……。掌の中で撓む乳房は弾むように艶やかな張りで、とろけそうな程柔らかかったオリガ妃のものとは、また違った感触だった。ぞくぞくするようなハスキーな喘ぎが耳をくすぐる。

 少しずつ後退っていた彼女の脚がカウチに触れると、優しく支えながらそっと組み敷く。ダマスク織のクッションに広がる乱れ髪が甘く香る。

 柔らかく揺れるふくらみを掌で確かめながら、蕾にも似た淡い色の乳首を舌で掬い上げて口に含むと、彼女は未知の官能に息を呑むような声を上げ、細い腰を小さく跳ね上げる。乱れた裾から覗く、慄くように擦り合わされる太腿が、夜目にも白く眩しい。

 もどかしげに反らせた背中に手を滑り込ませ、滑らかな感触を堪能しつつ腰骨に蟠るドレスに手を遣ると、帯の結び目に触れた。

 攻城戦もここで王手。こいつを解いたあとは、硬く閉ざされた城門を抉じ開けて、その奥に秘められた熱い蜜にありつくまでだ。

 このままここで食らい付くか、それとも抱き上げてベッドへ運び、そこでじっくりと味わうか……。そんな算段をしつつ、花の刺繍を施した繻子の帯に指を絡めた時だ。

「テオ……」

 か細い声で呟くように放った彼女の一言が、俺の手を射竦める。

 情欲が押し込めていた筈の苦い物が、胸の中にじわりと広がると、呆気なく戦意を削がれちまった俺は、気まずい思いを大きな溜息にして吐き出した。

 自分なら亡霊に囚われた姫様を救い出せるとでも思ったか? 彼女が求めていたのは救いなんかじゃなくて、亡霊の依り代だったってのに。英雄気取りで空回りしてたなんて無様だ。

 そっと瞼を開いて怪訝そうに見上げる瞳に、自嘲めいた苦笑を浮かべて見せると、彼女は肌蹴たドレスをおずおずと胸元へたくし上げながら、静かに起き上った。

 その細い肩に、少しばかり投げ遣りな仕草で軽くぽんと手を置く。

「……どうしたの?」

「いや……」

 微かに乱れた息を整えながら、やっと言葉にしたような彼女の問いに、俺は手を放すと、軽く首を振ってカウチを降りた。

「心が一番旨そうだったのに、亡霊ががっつり食らい付いてた。これじゃ幾ら食っても空腹のままだ。それに、死人の代役はベニカの親父さんだけで手一杯でね。悪いけど、あんたのご希望には応えられそうに無い」

 彼女は小さく溜息をつくと、乱れた服を優美な仕草で直しながら、寂しげな眼差しで俺を見上げた。

「もしもテオの仇を討てたら、その後はどうするつもりなんだ?」

「どうする……って?」

 俺の質問の意図が判らないのか、じっと見詰める銀色の瞳が不安げに揺らぐ。

「仇を討ち果たしても、この幽霊屋敷に住み続けるつもりなのかって事さ」

「判らない……考えた事も無いわ」

 俯いて呟くように答えた後、それを打ち消すように静かに首を振った。

「違うわね……。考えたくなかった。あの人をこれ以上失いたくない一心で……。仇を討つと言いながら仕事に逃げていたのも、きっと全てが終わった後に、あの人を忘れてしまうのが怖かったからなんだわ」

「今のあんたを、テオはどう思うかな」

「え?」

「俺が奴なら、今すぐ忘れてさっさと幸せになれと言うね。あんたがどんなに焦がれようとも、奴があんたのものになる日は、もう永遠に来ないんだ。俺があんたの心を欲しがっても、ありつけないのと同様にね」

 俺を見上げていた瞳が俄かに潤み、溢れた涙が玉を結んで頬を伝った。カウチに腰掛けて抱き締めると、細い髪が頬を撫でる。

「仇討ちなんざ、俺たちに任せて忘れちまえばいい。みんな忘れて知らない誰かと幸せになれ。それが死んだテオへの手向けだ」

「ランジャ……」

「それに、あんたの仇はディエシーの獲物だ。事が片付くまでは誰にも狩らせる訳には行かない」

 静かに体を離すと、彼女の濡れた頬を包んだ指の腹で拭う。

「帰るわ俺。来週、あんたに逢う時までに、頭を冷やしとかなきゃ」

 少々おどけた物言いで片眉を上げて見せると、彼女は漸く微かながら微笑を浮かべてくれた。

「次に現れる男が、神族でないことを祈るよ」

 扉の前で俺を追う気配を振り返り、見送りに出ようとする彼女を制すると、ベニカにしてやるように額へ軽く口付け、「お休み」とだけ言って邸を後にした。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。