マルデリへの出張もそろそろ慣れた所だけど、御礼奉公も今週で最後だ。仕事を終えて本部へ戻ると、既に配属先が決まっていた。
セレネとユージンはケイディシア支部へ。アイヴァンとクレイグはサリミロ支部に留まる事になったようだ。で、俺はと言うと……。
「本部監査……っすか?」
面食らって聞き返す俺に、大親方からの通達を預かった書生の少年は、「はい、そうです」と屈託の無い笑顔で大きく頷く。
「あれだけの技をお持ちの方を、このまま支部に留め置くなんて勿体無いですからね」
彼は事も無げにさらっと言ってのけると、渋い顔でくしゃくしゃ頭を掻く俺をよそに、
「では、来週から宜しくお願いします」
と、よく通る声で言い渡し、上階へと戻って行った。
まぁ、何だか薄々と悪い予感はしてたんだけどね。俺を「雷神の御子」と知った上で、そいつを遊ばせて置く程ホルザレン会も甘くは無い訳で。
要は給料分きっちり働けという事だ。この点じゃ地上も地下も大して変わらないな。
「で、どうだったんすか?」
気を取り直して、最後の伝票を片付けちまおうと机に向かった俺を、後ろの席のクレイグが、肘で突つきながら小声で訊いて来た。
「え? どう……って、何が?」
「嫌だね、この旦那はとぼけちゃって……。あの赤毛のきりっとした美人っすよ」
じれったそうなその一言に、週末の事を思い出しちまってどきっとする。
「あ、あぁ、ベルの事?」
と、どぎまぎ訊き返す俺の様子に、彼はにやにやと意味深に笑う。
「週末はあれでやしょ? あの姐さんとしっぽり……」
どうやら他人の色恋沙汰に興味津々らしい。いひひと下卑た笑いを浮かべる彼に、大きなお世話だと思いつつ、苦笑交じりに首を振って見せた。
「いや、据え膳が豪華過ぎてね。胃に凭れそうだったから、尻尾巻いて逃げて来た」
にやりと笑って肩を竦める俺に、彼は「ぁ痛ァ!」と言いながら掌で自分の額をぴしゃりと叩く。
「なァにやってンすか、勿体無ェ……!」
彼は「まったく、あんなイイ女を」と一頻り嘆いて見せると、今度は神妙な顔で俺に向き直った。
「いいですか旦那、あっしは旦那だけじゃなくて、嬢ちゃんの為に言ってるんです。確かに嬢ちゃんは可愛くてしっかり者で、よく出来たお子でさァ。ですがね、まだまだ母親が必要な歳なんじゃねぇんですかい?」
「え?」
「それにね、旦那がああいう手合いをお好みだってのは、嬢ちゃん見りゃ判りますって。前の奥方も赤毛の美人だった。そうでやしょ?」
「えぇ?!」
「まぁ、どういう事情で寡《やもめ》ンなったのかは存じませんがね。男だったらここは一つ、腹ァ括って……」
「ちょっと待て。何でそういう話になるんだよ。俺、カミさんを持った覚えなんぞ一度たりとも無ぇぞ」
妙に説教臭い物言いでつらつらと語る所を慌てて制すると、彼は
「へ? そうなんすか?」
と、面食らった顔で小さな目を瞬かせる。
「確かに俺はあいつの親父代わりのつもりだけど、それは恩義があるからで、別に血なんぞ繋がっちゃいねぇよ」
「え? じゃぁ門下生の嬢ちゃんたちが噂してたのは……」
「おいおい、小娘どもの噂話なんか本気で信じるなよ」
「なァんだ、一杯食っちまったなぁ。いや旦那済まねぇ、この通りだ」
彼は心底申し訳なさそうに頭を下げると、
「やれやれ、油断も隙もありゃしねぇ」
と呟きながら、焦げ茶の短髪をわしわし掻いた。いや、油断も隙もねぇのはあんたらの方だから。
何でも、彼が聞いた俺の噂話はこれだけじゃなくて、他にもスランフール侯爵の腹違いの弟だとか、高位の神官の御落胤で、ここに来たのはカレル大親方の肝煎りだとか、あれこれと好き勝手な事を宣ってるらしい。
だけど、雷神の御子だという噂が立っていないのは、少々不思議ではあった。まぁ、余り不必要に怖がられるのも本意じゃないし、御子様が事務所の片隅で伝票整理やってるってのも何だか奇妙だし、尤もらしい噂話の方が隠れ蓑にもなるから気楽でいいけど。
仕事を終えて一階へ下りると、玄関ホールのベンチでベニカが待っていて、俺の姿を見付けると満面の笑顔で飛び付いて来た。
いつもなら、友達と一緒に辻馬車で先に帰ってる筈なんだけど、今日は俺の配属先が気になったとかで、この時間まで待っていたらしい。
「ランジャ様、どちらに配属なんですか?」
瞳を輝かせてわくわくしながら問う彼女に、
「本部監査だとさ」
と苦笑してやると、ふと顔を曇らせる。
「やっぱり、そうなんですか……」
「仕方ないさ。ホルザレン会には色々助けて貰った恩義もあるしね。逆に考えりゃ、それだけ俺を買ってくれてるって事だ」
「でも、本部監査は危険なお仕事が多いって……」
その言葉に軽く溜息をついて、彼女の目の高さに屈むと、今にも泣きそうな顔を覗き込んだ。
「今迄だって結構危ない目に遭って来たけど、無事にここまで辿り着いたじゃねぇか。あんまり心配し過ぎると、また寝込むぞ。あの苦い薬を飲みたいか?」
少々茶化すような口調で言ってやると、泣きそうな顔のままぶんぶん首を振る。
「週明けにはちょっと遠出しなきゃならないから、明日は一日、お前に付き合ってやるよ」
「え? 本当に?」
「あぁ。だからそんな顔するな。な?」
「はい」
たちまち顔を輝かせて元気に返事をする彼女に、立ち上がりながら手を差し伸べると、全身で嬉しそうにしがみ付いて来た。
暮れ時の家路を辿る途中、馬上で明日やりたい事をあれこれと夢中で話していた彼女が、何を思ったのか、ふと振り返って俺を見上げた。
「そう言えば、遠出って仰ってましたけど、どちらへ行かれるんですか?」
「まだ判らん」
「ランジャ様お一人なんですか?」
「いや、ベルと一緒だ」
すると途端に拗ねた顔になる。「何だよ」と訊くと、「別に。何でもありません」と言いながらも、ぷっと膨れてそっぽを向く。
「ランジャ様が美人と一緒でも、お仕事なら仕方ないもの」
「泰然自若ってか?」
「そうです。タイゼンジジャクです」
「よしよし。よく出来たカミさんだ」
そう言って笑いながらくしゃくしゃと頭を撫でてやると、再び振り返って照れ臭そうにえへへと笑った。
翌日は約束通り一緒に過ごしはしたが、彼女が選んだやりたい事ってのは、夫人が丹精している薔薇園で、日がな一日余分な新芽を積む作業の手伝いだった。
もっとも、家令氏が東屋に用意してくれた昼飯を食った後は、シャンパンが思いのほか効いちまったようで、早春の日差しと芽吹き始めた森の香りに誘われて、庭園の芝生に寝転んだが最後、陽が傾くまで前後不覚といった有様で、彼女ばかりか夫人にまで呆れられる始末だったけど。
セブランの入国審査は、相変わらず石屋に厳しいらしい。
ベルの描いた筋書き通り、お忍び旅行中の神官とその許婚を装うために、最寄の廃駅でめかし込むと、クロークと翼刃章を荷物の中へ隠してから国境へ向かった。
検問の兵士たちは、最初のうちこそ、俺たちの身なりを胡散臭そうな顔で睨め回していたが、俺の指に彼女が嵌めてくれたテオの指輪を見付けると、一転して下にも置かない諂った態度に変わった。
いつだったか、ディエシーの野郎が、神官てのは本来王族よりもデカい面してやがる連中だとか言ってたけど、なるほど、その御威光は絶大だ。
随分前に、ロナの用心棒として通った時とは段違いのその待遇に、俺はにやけちまいそうな口元を何とか引き締めて、「大儀」なんぞと尊大に労ってやると、拝礼する兵士たちの間を縫って、彼女と共に悠々と越境した。
宿場町の手前で、二股に分かれる街道を逸れると、森の中を一路隠し鉱山を目指す。
鬱蒼と茂る常緑樹の森は、エスネの森とほぼ同じ植生だ。地図によると、あの森は高原の最南端で、北方三国を源として高原を横断し、ノランサリエ海へと注ぐテネレ川が国境線になっている。
件の鉱山は、その支流が穿つ急峻な渓谷の上流に位置していた。
俺たちは、谷を見下ろせる場所に程近い廃駅に陣取ると、そこで荷車を待つことにした。
例のボーアとか言う男は、フィンデールのマグノリエ城下にある安宿を塒にしているとかで、そこから検問所経由で向かうなら、ここを通るのが一番の近道になるんだそうだ。
遠目では生い茂る木々に隠れてはいるけれど、注意して見ると谷の向こうの森の中に、そこだけぽっかりと穴が開いたように見える場所がある。
恐らくその奥に穿たれた坑道の中では、今この瞬間にも攫われた石読みが殺され、鉱夫たちが薬を盛られて酷使されているに違いない。
ここ一箇所だけなら、あの時のように爆破でもしてやれば済むんだろうけど、全てを終わらせる為には、たとえ遠回りでもどかしくても、あの暗君の密計を白日の下に晒し、玉座から引き摺り下ろす必要がある。
理屈では判っちゃいるけれど、じりじりしながら待ち構えてなきゃならない状況ってのは、些か堪える。おまけに、鉱山の連中に気付かれないようにする為とはいえ、火を使えないのもキツかった。
ウルガン城下は、海流の影響とかで温暖な気候だったから、すっかり勘違いしてたけど、まだ冬は終わっていなかったんだ。
その上、セブランは国土の殆どが高地な上に、北方には、夏でも凍て付くルラトイ山が聳えてるせいもあって、春はまだ遥かに遠いようだった。
隙間風を避けて駅舎の隅に蹲る彼女の姿に、俺はふと思い立って荷物を漁ると、ランタン用に砕いた精霊石を幾つか取り出し、レベル6を触発モードで入力してハンカチに包むと、怪訝そうな顔で俺の作業を見守っていた彼女に手渡した。
「こいつを抱えて眠るといい」
彼女は手の中の小さな温もりに、ほっとしたような微笑を浮かべると、「有難う」と礼を言って懐に抱いた。肩に掛けた毛布から仄かに透けて見える光が、目にも暖かい。
「あんたンとこの婆やが、この仕事にイイ顔しないのもよく判るよ」
呆れた口調で言いながら隣に腰掛ける俺に、彼女は肩を竦めて見せる。
「レイヴァル子爵の令嬢が、山奥の廃駅で埃塗れで凍えてるなんて?」
にやっと笑って「如何にも」と答えてやると、可笑しそうに声を潜めてくすくす笑った。
「あの日、あなたが帰った後、『あの神使様はどこのどなたなのですか?』って、婆やから質問攻めにされたわ。だから言ってやったの。さる司祭の御落胤で、カレル大親方がお預かりしている方なのよって」
「何だよ。噂の出所はあんただったのか」
くしゃくしゃ頭を掻きながら苦笑する俺をよそに、今度はいたずらっぽく微笑む。
「嫌ねぇ。逆よ。私が噂話を拝借したの。事ある毎に縁談を持ち掛けて来る叔父も、これで暫くは静かになるでしょう。あなたには悪いけど、ちょっと利用させてもらうわ」
「御家再興が掛かってるんだ。いずれ劣らぬ名家ばかりなんだろ? 勿体無ぇ。その中から適当な奴に決めて、さっさと嫁いじまえばいいものを……。
こっちとしたって、実体の無い恋敵より、正体の見える野郎に攫われちまった方が、諦めも付くってもんだ」
冗談めかした俺の物言いに、彼女はふと寂しそうに溜息をつくと、静かに首を振った。
「名家だとか名門だとか……。みんな地位や名誉のために汲々としてるけど、私には意味のある事とは思えない。私が女だから理解出来ないのかしら?」
「さぁね。俺にも貴族様の価値観は判らん」
「私の父は、その名誉の為に命を落としたのよ。一人娘の私が、然るべき家柄の養子を迎えない限り、我が子爵家は断絶ね」
「戦死?」
「いいえ、決闘よ」
「決闘……」
「父が神聖騎士団の大隊長に抜擢された時、それを不服とした伯爵に挑まれたそうよ。剣闘の筈だったのに、父は矢傷を受けて死んだわ」
「矢傷? 何で?」
「謀殺よ。最初から殺すつもりだったんだわ。不利になった時に矢を放つようにと、手の者に命じてあったらしいの。何でも、自分よりも下位の父を、上官と仰ぐ事に耐えられなかったとか。
伯爵家は代々枢機卿を輩出している名門で、宮中での権謀術数には長けていたけれど、実力を重んじる騎士団の流儀には馴染めなかったようね。
結局、騎士に有るまじき卑劣漢との謗りを受けて自害。両家とも当主を失って没落に至ったわ」
「下らねぇ」
思わず口走っちまった俺の言葉に、彼女はふっと自嘲を漏らした。
「そうね。こんな事で死ぬなんて下らない。でも、今やこの矛盾が神都の日常なんだわ。神聖であるべき宮廷が策謀に穢れ、血に塗れている筈の騎士団が高潔な理想を求め続けてる。
ねぇ、ランジャ、あなたたち御子の住まう神界では、こちらの世界はどんな風に見えていたのかしら?」
「『萌芽期の封建社会』……」
記憶の底から湧いた言葉を何気なく呟くと、彼女は弾かれたように俺を見上げる。
「なーんつってな。もっとも、俺は司祭猊下の御落胤で、ディエシーの異母弟だそうだから、神界なんぞ知らねぇ筈だけど」
とぼけて言い放ったその一言で、畏怖にも似た色で揺れていた彼女の眼差しが、途端に呆れたような苦笑に変わった。
「その物言い、『兄君』によく似ておいでだ事」
「勘弁してくれよ。俺は女一人まともに口説けないほど不器用だってのに、あんな太平楽な女ッ誑しになんか似てる訳ねぇだろよ」
「まぁ、ご冗談を……」
言いながら俺の顔を覗き込む銀色の瞳と、意味深な微笑を湛える紅い唇は、仄かな石の光に照らされると一層蠱惑的だ。
あの夜、変な格好付けなんぞせずに、素直に喰っちまえば良かったかななどと、今更ながら思ってみたり何かして。
「色恋沙汰は苦手でね」
何だかまた魅入られちまいそうな気がして、慌てて目を逸らす。そんな俺を見て彼女はクスと笑った。
「その美しさなら、望めば応えない女など無いでしょうに……。門下生だけでなく、街でも噂よ。可愛らしい赤毛の少女を連れた、石使いの神使様。あの方はどなたかしらって。
神族なのに粗野で不器用で喧嘩早くて、なのに気さくで優しくて……。あの技を目にしなければ、きっと誰もあなたの事を、『雷神の御子』だなんて思わないわ」
「そりゃ褒め過ぎだ。まぁ、御蔭さんで隠れ蓑にはなってるようだけど」
「会長や大親方もそのつもりみたいね」
「そのつもりって?」
「ホルザレン会であなたを匿う事にしたのよ」
「利用価値有りってか?」
少しばかり皮肉めいた口調で混ぜっ返すと、「否定はしないわ」と苦笑交じりの答えが返って来る。
「それに、あなたの力は、誰の手に渡っても世界の均衡を揺るがし、災いを招く物でしょうから。
ロアルデにあなたが現れて以来、本部には『雷神の御子』と思しき謎の石読みについて、辺境諸侯だけでなく、あらゆる階層から照会があったそうよ。
もっとも、当の御子様は、トーラン陛下の戴冠式に乗じて、行方を眩ましてしまわれたから、当方としてはお答え致しかねる状態ではありますけど」
茶目っ気たっぷりに片目を瞑って見せる彼女に、俺は大きな溜息をついた。
「何だ。あの時、ディエシーの野郎にえらく急かされて村を出たけど、そう言う事だったのか……」
「ケルデン親方は、スランフール候にお骨折り頂くに当たっては、二つ返事で快諾されたと仰っていたそうだけど、あの方が何の思惑も無しに行動するとは思えない。何か別の理由がおありなんでしょう?
そう言えば、あなた以前に言ってたわね。フィノンを養女にしたのは、セブランの詮議の証人として、ヴィスロ枢機卿から匿う為だと……」
「さぁね。奴の事だ。奴に聞いてくれ。もっとも、神都に来てからは何かと忙しくて、碌に顔も合わせちゃいないけど」
「あの方なら近頃、神聖騎士団のテリシエ伯と頻繁にお会いになってるわ」
「何だ、野郎かよ。俺はまた、お気に入りの美女でも見付けて入り浸ってるのかと思ってた」
「テリシエ伯ナーダルと言えば、神都では一連隊長に過ぎない方だけど、フィンデール騎士団にあっては将軍よ。これは水面下で何か画策しておいでだわ」
「さすが本部監査。鼻が利くな」
「あなただってそうでしょ? 新人さん」
彼女は呆れたような口調で言うと、肩を竦める俺と苦笑を交わす。綺麗な顔してるのに、中々に手厳しい先輩なようで。丸でどこぞの室長みたいだ。