荷車が丘を登り、沢の一部と化した外堀を渡って、崩れた城郭をくぐるのを見届けると、俺たちは少し離れた瓦礫の陰に馬を隠して城下へと入った。
城下と言っても、外よりも少々瓦礫の山と廃屋の数が多いだけで、既に森に飲み込まれて久しい様相だったが、目抜き通りだけは、荷車が通れる程の幅で切り払われていた。
いつ頃から使われていたのかは判らないが、切り株は結構古いようだ。下草を踏む轍を追って城壁まで辿り着くと、荒地と化した城の前庭に止まっている荷車を見つけた。
城門の影から窺っていると、御者台を降りた男は、城へ向かって指笛を吹いた。音に驚いた鳥たちが、かしましい羽音と共に一斉に飛び立って行く。
「よう、久し振り」
「あれ、キンバーじゃねぇか」
合図を聞いて現れたのは、あの隠し鉱山にいた山師の頭目だった。男とは旧知の仲なのか、挨拶を交わすと親しげに肩を叩き合っていた。
しぶとい野郎だ。生きてやがったのか。ベルの簪に貫かれた右目を覆う眼帯のせいで、ただでさえ悪相なのが更に凶悪になってやがる。
「その目はどうしたよ」
男に顔を指差されると、奴は大袈裟な溜息と共に肩を竦めて見せる。
「どうしたもこうしたもねぇよ。預かってた鉱山が石使いに見付かっちまってよ、潜り込んだ連中にやられたんだ。いや酷ぇ目に遭ったよ」
「そりゃ災難だったな」
「聞いてくれよ。面子の中に、何と『雷神の御子』がいたんだ。そいつに山を吹っ飛ばされてよ、こちとら生き埋めになるところだったんだぜ」
「えぇっ?! 『雷神の御子』って、あちこちで噂になってるアレかい?」
「そうそう。神族の石読みでさ、怪しいとは思ったんだけど俺も迂闊だったよ。噂通りのお綺麗な御面相だったが、ありゃ魔物だね」
奴の一言に、吹き出しそうなのを慌てて押さえた彼女と苦笑を交わす。
「山を吹っ飛ばすとは恐ろしい奴だな。その目もそいつにやられたのかい?」
「いや、女だ」
「女?」
「簪でやられたのさ。こいつも連中の一人だったんだが、これがまた震い付きたい程の上玉でよ」
「そんなにイイ女だったのか?」
「おうよ。今度会ったら素っ裸にひん剥いて、一晩中可愛がってやるさ」
「そりゃいい。そん時ゃ俺も呼んでくれよ」
下卑た笑い声を立てる奴らの言葉に、彼女の肌がぞわりと粟立ったのを目にした瞬間、体中の血が逆流した。
あの下衆野郎! と、カッとなって飛び出そうとした俺の腕を、彼女は渾身の力で引き止めると、柳眉を哀しげに顰めて強く首を振る。
「誰だ?!」
奴の怒声を受けて咄嗟に跳ね橋の下へ飛び込むと、枯れ草に埋め尽くされた空堀に身を潜めた。駆けて来た奴の足音が頭上の橋の上で止まる。やれやれ、己の短気がつくづく嫌になるな。
「何かいたのか?」
前庭から声を張り上げて訊ねる男に、奴は「気のせいか……」なんぞと呟きながらゆっくりと戻って行く。
「いたような気がしたんだ」
「これだけ森が深いんだ。獣じゃねぇの?」
「お前、まさかつけられちゃいないだろうな? セブラン騎士団なら兎も角、石使いなんぞに見付かったら事だぞ」
「大丈夫だよ。抜かりは無ぇって。ところで、報酬は? 俺が一番長い距離を運んだんだ。たっぷり弾んでもらわにゃ割が合わねぇよ」
「相変わらずがめつい野郎だね。金が欲しけりゃこんな勝負なんぞに賭けねぇで、地道に働くが一番だぜ」
「お前に言われたかァねぇよ」
そう言ってげらげらと笑う男の声が、「ひっ」という悲鳴と共に唐突に途切れた。何事かと橋の下からそっと覗くと、山師が山刀を手に薄笑いを浮かべながら男に迫っていた。
「悪ィな。お前の報酬はこいつなんだ」
「お、おい、何の冗談だよ」
「ここを知られたからには、生かして帰す訳にゃいかないんでね」
「やめてくれよ! お、俺とお前の仲じゃねぇか……!」
「知らねぇなァ。安い儲け話にほいほい乗っかるような間抜けは、俺の知り合いにゃいない筈だ」
「だだ、誰か! 助けてくれ!」
必死の命乞いも無駄と見て、逃げ出そうと背を向けた瞬間、奴の山刀が容赦無く振り下ろされ、男は絶叫と共に、頚動脈から鮮血を吹き上げながらくずおれた。
奴は忌々しげに唾を吐くと、大きな溜息をつきながら血糊を払って納める。何て野郎だ。碌でもない奴だとは思ってたが、手前ェの悪事を完遂する為なら、見知った相手を殺すことも厭わないとは……。
山師もピンキリとは聞くが、タラサノ村の連中が働いていた鉱山では、山師と言えば鉱夫を纏める世話役で、村人からも一目置かれる人格者だったから、こんな下種野郎が名乗ってるなんて、甚だしく違和感を覚える。おこがましいにも程があるってもんだ。
「毎度毎度、血も涙もありゃしねぇな」
男の断末魔を聞き付けてか、蔦に覆われた城から、手下と思われる奴らが出て来た。キンバーは皮肉交じりの言葉を振り返ると、フンと鼻を鳴らして荷車に顎をしゃくって見せる。
「下らねぇ事言ってねぇでとっとと運びな。さっきから妙な胸騒ぎがしてならねぇんだ」
「へぇへぇ、用心深いこって」
三人の手下は、互いに苦笑を見交わして肩を竦めると、荷車から降ろした麻袋を背負って城へ向かった。
「おいジェンツ、お前ちょっと城壁の外を一回り見て来い」
「えぇ? 俺かよ」
「念には念をだ。誰かいたら殺せ。いいな?」
一番若い手下は、降ろし掛けた袋から手を離すと、頭目の命令に舌打ちで答え、あからさまに面倒臭そうな顔で山刀を手にすると、怠い足取りでこちらへ向かって来た。
再び橋の下へ隠れると、頭上を通り過ぎるのを息を殺して待つ。
「彼を追いましょう」
奴の気配が遠ざかると、彼女は俺の耳元へそっと顔を近付けて耳打ちする。軽く頷き、共に橋の下を出ると、暫く空堀を辿ってから外へ出た。
ジェンツという名は例の名簿にあった。あの隠し鉱山で鉱夫たちをこき使ってた奴らの一人だ。とすると、残りの連中も行方不明とされてる面子に違いない。
まさか北方三国の樹海に篭ってるとは、さすがのホルザレン会も想定外だっただろう。
木々の陰に身を隠しつつ、距離を置いて追うが、奴はやる気が無いと見えて、山刀で徒に下草を薙ぎ払いながら、堀の縁を気怠そうにぶらぶら歩いている。
やがて城の裏手まで辿り着くと、得物を足元に突き立てて懐から煙草入れを出し、咥えた紙巻に点火すると、のんびり燻らし始めた。呆れた奴だ。ここでサボりを決め込むつもりらしい。
ベルはそっと抜いたダガーを手に目配せすると、軽やかな素早さで音も無く若造の背後に寄り、捉えた利き腕を背中へ捻じ曲げると、声を出す隙も与えずに首筋へ刃を当てた。
「静かに!」
叫ぼうとしたところを彼女の鋭い声に制されると、開いたままの男の唇から煙草が転げ落ちる。俺がそいつを踏み躙りながら、目の前に立ちはだかると、奴は明らかな狼狽を含んだ目を真ん丸く見開いた。
「ぃよう、色男。美女に抱き付かれた感想はどうだ?」
軽い口調で言いながら、傍らの山刀を抜き取り、研ぎ澄まされた刃の感触を指の腹で確かめつつ、にやりと笑ってやると、奴は俺の手元を凝視したまま生唾を飲み込んだ。
「お前ら、誰だ……?」
漸く絞り出した声は、酷く乾いていた。こめかみに浮いた冷や汗が、無精髭の頬を伝う。
「なァに、通りすがりの石使いだよ。何でも、ここでウチの商品の在庫管理をしてもらってるそうで……。勿体無くもイルシュ陛下には随分と御贔屓に与ってるようだけど、使用目的までは伺ってないんでね」
「ししし神族の石使い……ま、まさか……!」
「俺の正体なんざどうでもいいだろ? それより早く教えろよ。仕事が遅いって上司に叱られた事ないか? ん?」
「雷神の……御子」
「悪ィけど、こう見えて短気なんだ俺。こいつの切れ味を試していいか?」
言いながら手にした山刀を剣の構えで突き付けると、奴は、
「判った! 言う言う! 言いますって!」
と裏返った声でうろたえた。
「おおお俺も判らなかったから、キ、キンバーの旦那に訊いたんだ。こんな山ほどの石、どうするんだって」
「ほぉ。それで?」
「そしたら旦那は、あの石で石使いどもを干上がらせてやるって言ったんだ」
「はぁ? 何だそりゃ」
「何でも、奴らの石に値が付かなくなるからだって。だけど、俺は下っ端で難しい事は判んねぇから、それを聞いたって何の事やらさっぱりで……」
「なるほど。判ったわ」
答えたのは彼女だった。奴はその言葉に一瞬ほっとしたような表情を浮かべたが、
「神祖メラディの加護あらん事を」
と唱えるハスキーな声と共に、彼女が優美な仕草で手首を引いた瞬間、奴の喉に真紅の筋が滲み、開放と同時にくずおれた。
俺が思わず口笛を吹くと、彼女は血糊を払って得物を納めながら、女神のように涼やかな微笑を浮かべて見せる。そう言えば彼女は、見掛けによらず塩漬けの生首にも動じない剛の者だったっけ。
「城内も見たいわね」
蔦に覆い尽くされた尖塔を見上げながらの呟きに、「そうだな」と答えつつ手にした山刀を堀へ捨てる。城の裏には、食料や精霊石を搬入する為の通用口がある筈だ。
堀の縁を暫く辿って行くと、錆付いて蔓草に覆われた門扉が現れた。
軽く引いてみたが動かない。手元を見ると、巻き付けられた鎖に錠が掛けられていたが、いずれも錆びて朽ち果てている。
物は試しとばかりに、渾身の力を込めて思いっ切り蹴り飛ばすと、蝶番ごと外れて、雑草の生い茂る裏庭へと倒壊した。
腰の高さまで伸びた枯れ草を掻き分けながら、通用口まで辿り着くと、片方の蝶番を失ってぶら下がってる扉を静かに開いた。
真っ暗闇の通路の向こうで、突然の来訪者に驚いた小動物たちが、慌てふためきながら逃げ去る気配がする。
ランタンを取り出して先を照らすと、蜘蛛の巣だらけではあるものの、石積みが崩れている様子は無いようだった。
倉庫を抜けて回廊へ出ると、唐突に差し込んだ日の光に思わず手を翳す。眩しさに慣れた目に映るのは、中央に噴水を備えた広い中庭だ。
今でこそ泉も枯れ果て、雑草と低木の生い茂る荒地となってはいるが、嘗ては手入れの行き届いた美しい庭園だったに違いない。
思えば国境の峠から見下ろした風景は、見渡す限りの原生林だった。神の怒りに触れた北方三国。「雷神の御子」はそれをたった一人で滅ぼしたと言う。
彼は一体どんな魔法を使って、これだけの規模を焼き払ったんだろう。そもそも、神の子に国土ごと焼き払われる程の罪とは、一体何だったんだ……?
回廊に連なる部屋の殆どは、破れた窓やひび割れた壁から侵入して来た、枝や雑草に占拠されてはいたが、幾つかは奴らの塒に使われているようで、広い室内は散らかり放題の野郎の巣と化していた。こんな廃墟の城址で王族気取りとは笑わせるね。
更に奥へと進むと、謁見の間と思しき最奥部から、奴らの声が反響して来た。彼女と顔を見合わせて頷き合うと、控の間に潜り込んだが、部屋を埋め尽くすものに俺たちは言葉を失った。
「呆れた……」
彼女は小声で呟くと、部屋の真ん中でぐるりと天井を見回す。
視界を占めるものは、高い天井に届く程に積み上げられた麻袋の山だ。廊下を挟んだ向こう側に対の部屋を見つけたので、気配を断ちつつ潜り込んでみると、こちらもまた向こうと同様に、石を詰めた袋で埋め尽くされていた。
どうやらこっちが一杯になった為に、壁の向こうの謁見の間が新たな倉庫として使われているようだ。
「この量、一箇所だけじゃないわね」
「七箇所全ての石がここに?」
「恐らく」
「掘るも掘ったりだが、よくもまぁ運んだものだな」
あの手口でこれ全てを運んだのだとしたら、数年越しの計画だな。これだけの量があれば、石の相場を崩壊させるにゃ十分だろう。
「命の代償ね」
彼女は袋の山に歩み寄ると、そっと手を触れながら見上げた。
「薬で魔物に変えられた鉱夫たちと、攫われて殺された石読み。それから、調査に入って帰らなかった石使いたちの……」
あの坑道に打ち捨てられていた、泥だらけの翼刃章が脳裏に浮かぶ。彼らの犠牲に報いる為に、ホルザレン会はあの暗君とどう対峙するつもりなんだろうか。
「こいつをどうする? 吹っ飛ばしちまうには些か量が多すぎるけど」
「そうね。ここは取り敢えず、セブラン支部の親方に一任しましょう。本部がそれをどう料理するかは判らないけれど、採掘した分は、もう暫く働き蜂に頑張って貰いましょうか。収穫する蜜は多い方がいいでしょう?」
そう言っていたずらっぽく微笑む彼女に、
「それもそうだな」
と答えると、俺たちは密かに城を出て帰路に着いた。