17-1
人の入らない原生林だけあって、獲物は豊富だ。そうなると、逆に目移りしたりもする訳で。
野宿の晩飯を調達しに来ただけだってのに、ついつい夢中になっちまって、気が付くとベルのいる岩陰からは大分離れてしまっていた。
丸で餓鬼だと自嘲しつつ、仕留めた兎をぶら下げて、彼女の元へ戻ろうかと思った時、鞘鳴りに似た音を聞いた気がした。
警戒しつつ獲物を足元にそっと置いて弓を背負い、剣把に手を掛けて周囲を見回す。再びの物音に抜剣すると、背後でどさりと何かが倒れた。
構えたまま振り返ってじりじりと歩み寄ると、夕暮れの僅かな木漏れ日に照らされたそれは、干乾びた亡骸だった。
思わず「ぅわ!」と声を上げると、それを聞いた彼女が何事かと剣を手に駆け寄って来る。
「どうしたの?」
「悪ィ。何でもない。ただの死体だ。行き倒れかな」
剣を納めながら近寄って覗き込むと、襤褸を纏い、見るも無残に痩せ細ってはいるものの、顔立ちはまだ若造のようだった。が、その枯れ枝のような手足に絡み付いた枷に気付くと、俺たちは愕然として顔を見合わせた。
どうやら鞘鳴りに聞こえたのは、鎖が立てる金属音だったようだ。こいつは一体何だ? 脱獄囚か?
「まだ息があるわ」
彼女は若造の枕元に跪いて優しく抱き起こすと、皮袋の水を含み、乾いた唇に口移しでそっと飲ませた。骨と皮ばかりの喉仏がゆっくり静かに動く。
唇が離れると、彼は抉じ開けるように瞼を開き、自分を心配そうに覗き込む彼女を見上げて、口元に微かな笑みを浮かべた。
「大丈夫か?」
身を屈めて覗き込みながら声を掛けると、彼はのろのろと俺に視線を移す。
彼女が女神様にでも見えたのか、掠れた声で
「ここは……神界?」
と問うが、
「残念ながらまだこの世だ」
と答えてやると、消え入りそうな細い溜息をついた。
「これを……」
彼は手枷を引き摺るようにして懐を探ると、掌に収まる程の小さな紙包みを取り出す。
「これを、大師に……」
俺が震える手から受け取るのを見届けると、彼は
「神祖……カーリャの、御加護を……」
と呟いて息絶えた。
彼女は亡骸をそっと横たえ、重ねた手を胸に当てて短い黙祷を捧げると、静かに立ち上がって俺を振り向いた。
「神祖カーリャ……。ナクルタツリの人だったのね」
「てことは、大師ってのはトルフィニ師の事か……」
彼から託された紙包みは、蝋引きの薬包紙だった。一体何の薬なんだろう。
ここで迂闊に開けると零してしまいそうなので、紙の上から触ってみたが、ざらざらした感触以外は何も判らない。
晩飯を食った後に、ふと思い立ってランタンの灯に透かして見たけれど、微小な顆粒状の物がぼんやり映るばかりで、結局は何だかよく判らなかった。
「トルフィニ師に渡せったって、あの御仁はおいそれと拝謁できるもんじゃねぇだろに……」
それに、俺個人としてもあの婆さんはすこぶる苦手。下手にのこのこ会いに行こうものなら、今度こそ玉座の間に監禁されそうだ。
「どこかの城下で、長老格の薬師に渡すしかないわね」
とは言うものの、最寄の薬屋は、フィンデールかサリミロまで行かないと無いらしい。さすがにセブランは仇敵とあって、正法の薬師は店を置きたがらないんだそうだ。卑怯な手口で祖国を滅ぼされたとあっちゃ、無理も無い話だよな。
取り敢えずは城下の支部に寄って、ハシュエルの城址の監視を依頼した後、サリミロに戻ってからラウルの店のレセリ師に託すことにした。
「それにしても、彼は一体何者だったのかしら。随分と酷い目に遭っていた様だけど……」
「判らん。隠し鉱山の鉱夫たちも過酷な状況ではあったけど、枷までは付いちゃいなかったし……」
「そうね。トルフィニ師を大師と呼んでいたところを見ると、薬師だったのかもしれないわ。でも、だとしたら何故こんな場所に……? 峠の向こうはセブランなのに」
「答えは薬包の中……か」
「謎解きは暫くお預けね」
毛布に包まって立ち木に凭れ掛かる俺に寄り添いながら、彼女は少しばかり残念そうに肩を竦めて見せる。
「あの彼も、辛い思いはしただろうけど、いまわの際に、女神様からの口付けを頂戴出来たんだ。今頃は神界でよろしくやってるだろ」
「まぁ、妬いてくれるの? 嬉しいわ」
「そりゃね、出来ればご相伴に与りたいよ」
冗談めかして笑う俺の頬に、彼女は優美な仕草で指先を触れると、そっと振り向かせるなり、不意に唇を重ねて来た。
久し振りに味わう瑞々しく柔らかな感触。もっと深く酔いたかったのに、彼女はあっさり離れてクスと笑うと、
「お休みなさい」
と言ったきり俺に背を預けて瞼を閉じてしまった。
まさか奇襲を受けるとは思わなんだ。敵は聖女か魔女か……。潔く手を引こうってのに、こりゃ撤退戦は中々厳しいものになりそうだな。
峠を越え、荒地を抜けると、見渡す限りの薬草畑を貫く街道を、今度は王都へ向けて延々と辿る。
早春とは言え、肌を刺す寒風の吹く晴天の下、地平線までうねりながら広がる若草色の絨毯は、清々しい風景ではあるけれど、これが夏ともなると一斉に開花して、あの頭痛がする程の濃厚な香りを放つようになるのかと思うと、何だかちょっとげんなりする。
そう言えば、あの隻眼の山賊少女ニーナの両親も、こんな薬草畑で働いてるんだろうか。
出稼ぎに行ったきり帰って来ないとか言ってたけど、ひょっとすると、広大な畑の中に時折見かける農夫たちがそれなのかもしれない。
行けども続く単調な景色に、些かうんざりし始めた頃、漸く目指すレグルシア城に辿り着いた。
狂王と渾名される男が住まう場所とは、一体どんな所かと思いつつ城下に入ると、意外にもそこは洗練された街並みで、どこかロアルデのタルセンド城下を思わせるような清潔な雰囲気だった。
表通りには大きな商家が軒を連ね、その間からは立派な造作の寄宿学校や施療院も見えて、神都の規模には及ばないものの、こじんまりとした劇場まである。
攻め滅ぼしたナクルタツリに代わって、薬草栽培と薬師輩出の一大拠点となったんだ。さぞかし国庫も潤った事だろうよ。
賑わう市場を通り抜け、壮麗な城を望む広場の一角に宿を取ると、彼女と共に邸宅街のセブラン支部へ向かう。
混雑する人波を縫って、広場を横切ろうとした時だ。どこからか聞き覚えのある楽の音と、よく通る澄んだ女の歌声が流れて来た。
足を止めて辺りを見回すと、広場の真ん中に人だかりが出来ている。
音を辿りながら、ひしめく野次馬の中へ入って行く俺を、ベルは怪訝そうな顔で追うが、輪の中まで辿り着くと、「まぁ」と声を上げて顔を綻ばせた。
そこにあったのは、相も変わらずド派手な赤いドレスを身に纏い、はちきれそうな白い胸元や、肉感的な太腿を惜しげもなく晒しながら、噴水の縁に腰掛けてシタールを爪弾くロナの姿だった。
春の日に輝く水飛沫にも似た、煌びやかな音で聴衆を酔わせながら、あの呪文のような唄を朗々と唄う。
「綺麗なお嬢さんね。素敵だわ」
「『食べちゃいたい』ってか?」
苦笑交じりで返す俺に、彼女はにやっと意味深に微笑む。
やがて曲が終わり、沸き起こる歓声と指笛と万雷の拍手に包まれると、ロナは艶然たる微笑を浮かべて立ち上がり、丁寧に頭を下げた。
「お集まりの皆様……」
と艶のある声でいつもの口上を述べようとした矢先、俄かに湧いた甲冑の音を何事かと振り返ると、騒然となった野次馬たちを押し退けて兵士の一団が現れ、たちまち彼女を取り囲んだ。
「夢屋のロナ、邪法薬術使用の廉で召し取る。神妙に縛に就け」
何だって?! 彼女は正法も正法、大薬師長トルフィニの直弟子だぞ。邪法の廉で逮捕だなんて無茶苦茶だ。
なのに彼女はまったく動じる気配も見せず、あの余裕綽々な堕天使の微笑すら浮かべて
「上等よ。お連れなさいな」
と挑発的な態度だ。
当然、彼女に魅了された聴衆たちも黙っちゃいない。兵士たちが彼女の両腕を捕らえると、周囲からは一斉に抗議の声が上がった。
「横暴だぞ!」
「そうだ! 彼女が何をしたってんだ!」
「偽薬師は野放しの癖に!」
「側女に欲しいならそう言えよー!」
これにはさすがにどっと笑い声が沸いた。彼女もつられて吹き出すが、兵士たちは憮然としたまま引っ立てて行く。
だけど、何だって無抵抗のままなんだ。得意の体術はどうした。下っ端兵士なんぞ、あの流麗な蹴り技で蹴散らしゃいいものを……!
「ロナ!」
焦れて叫んだ声を、彼女は驚愕も露に振り返ると、丸で悪戯を見咎められた餓鬼の様な顔で、気まずそうに首を竦めた。
「な、何であなたがここにいるのよ!」
思わず駆け寄った俺に、彼女は開口一番に噛み付いて来る。
「何でって、仕事だよ! ってか、そんな事言ってる場合じゃねぇだろ! 一体どういう事だよ」
予想外の反応に思わずカッとして詰め寄ると、古参らしい兵士に押し止められた。
「陛下の御召しだ。神族とて石使いとあらば平民も同然。邪魔立てするならば引っ捕らえるぞ」
「彼女は正法の薬師だ。そっちこそ言い掛かりはやめろよ」
「何だと?!」
食って掛かる俺に兵士が気色ばむと、周囲の野次馬から、「いいぞー神使様ー!」だの「やっちまえー!」だのと声が飛ぶ。だが、睨み合う俺たちの間に割って入ったのは、あろう事かロナ本人だった。
「何やってるのよ! あなたには関係ないでしょう?」
「はぁ? 何やってるって、そりゃこっちの台詞だ。俺はあんたを助けようと……」
「私がいつ助けてなんて頼んだのよ。余計な事しないで頂戴」
彼女は人差し指で俺の胸を突つきながら言い捨てると、ツンとした顔で踵を返すなり、唖然としてる俺をよそに、自分を捕らえた兵士たちを「さ、行きましょ」なんぞと言って促す。
兵士たちも何だか調子が狂った様子で、互いに顔を見合わせながら肩を竦めるが、彼女は丸でお構い無しに彼らを従者のように従えると、人込みの中へ消えて行った。
「何だよあれ……」
取り残された俺はいい面の皮だ。野次馬どもも俺と同じ台詞を口々に言い合うと、散り散りに広場を去って行った。
「まったく、喧嘩早い神使様だ事」
呆れたような口調で笑いながら歩み寄るベルを、何だか極まり悪くてくしゃくしゃ頭を掻きながら振り返る。
「知り合いだったの」
「あぁ、ちょっとね。ディエシーのお気に入りって奴だ」
肩を竦めて答えると、彼女は「なるほど」と妙な得心顔で頷いた。
「彼女、何か考えがあって、わざと捕まったんじゃないかしら」
「えぇ? 何だよそれ……」
「判らない。でも、そんな気がするの」
そう言えば、いつだったか山賊のエンツォが言ってたな。セブラン王ジョセルは、聖山の姫と思われる黒髪の美女を、片っ端から召し上げてるって。
まさか、それを知って単身敵陣に乗り込み、父王の敵討ちに奴さんの首でも取ろうってんじゃないだろうな。幾らあいつが跳ねッ返りだからって無茶が過ぎる。
「まったく何を考えてるんだか……。折角あの薬包を預けようと思ってたのに」
「え? 彼女、そんなに高位の薬師なの?」
思わず漏らした呟きを、ふと振り向いて聞き返す彼女に、何だかまずいことを口走っちまった気がして
「え? あぁ、まぁね」
と慌てて濁す。だけど彼女には通用しなかったようで、
「そう言う事か……」
と呟いた。どうやら何かに気付いたらしい。勘が鋭いのは、監査の連中に共通の要素なんだろうか。
拝命したはいいが俺にも勤まるのかな。ロナには散々鈍いと言われたけど……。