邸宅街に辿り着くと、四辻の角に面した大きな邸に、翼刃章と支部の名を金文字で配した看板を見付けた。
ベルに先んじて重厚な大扉を押し開くと、修行を終えて家路に就く門下生でごった返す中、こちらに気付いて歩み寄って来たのは、栗色の艶髪を綺麗に結い上げた、十四、五歳程の石読みの少女だった。
華奢な体に纏った少々大きめなクロークと、くりくりとよく動く好奇心一杯の緑の瞳に、何だかベニカを思い出して親しみを覚えたが、
「よう、ちびちゃん。親方はいるかい?」
と軽い口調で問い掛けた途端、
「ち、ちびちゃんですってェ?!」
と顔を真っ赤にして叫んだ。
何だか今日は矢鱈と女に怒鳴られる日だ。今の俺の顔を腕利きの占い師が見たとしたら、きっと盛大に女難の相が出ているに違いない。
「何て人なの?! 名門たるエブロイス侯爵家の当主をちびちゃんだなんて!」
こちらを振り返ってくすくす笑い合う門下生の見守る真ん中で、子犬のようにきゃんきゃん喚き散らす彼女の剣幕に面食らっていると、奥から石使いの青年が二人ばかり、何事かと飛び出して来る。
「プリシラ様!」
「如何なされましたか?!」
彼らは口々に言いながら彼女を庇うと、共に剣把に手を掛けたまま俺に対峙した。
「この失礼な人を摘み出して頂戴! レディに向かってちびちゃんだなんて、実に不愉快だわ!」
だが二人の剣士は、きょとんとした顔を互いに見交わすと、彼女の言葉に揃って吹き出した。無理も無い。彼らの主はどう見たって、小柄で華奢なちびすけでしかないのだから。
だが当の本人は、家士にさえも笑われて甚く傷付いた様子。赤らめた顔にうっすら涙まで浮かべて、更なる抗議の声を上げようと大きく息を吸った時だ。
俺の背後から、「相変わらずねぇ」の言葉と共にベルが現れると、一転してぱーっと顔を輝かせるなり、
「ベル姉様!」
と呼びながら駆け寄って飛び付いた。
「久し振りね、プリシラ。暫く見ない間に綺麗になったわ。食べちゃいたいくらいよ」
「あぁ姉様。どんなにお逢いしたかった事か……。姉様になら食べられとう存じます」
自分にしがみ付く少女を胸に抱き寄せると、彼女は髪を撫でながら妖しい口調で囁き掛け、プリシラ嬢は頬を上気させて、自分を抱き締める男装の麗人を、溜息交じりに陶然と見詰める。
ベルにとってはこれは普通の挨拶であり、褒め言葉でしかないのかもしれないけど、何だかその姿はひどく背徳的な雰囲気で、見ているだけでどきどきさせられた。
「ねぇベル姉様、一体どうなさったの? 殿方と一緒に御出でになる何て……」
彼女は甘えた声でベルに抗議すると、非難がましい顔でチラと俺を振り返る。何だよ。俺が一緒じゃ悪いのかよ。
「彼はランジャ。仕事仲間よ。今回は用心棒をお願いしたの」
彼女が優しい声で答えたにも関わらず、少女はくるりを踵を返してつかつかと歩み寄って来ると、今度は不機嫌な顔で俺の胸元に人差し指を突き付けて来た。
「ちょっとあなた、用心棒とか言って二人きりなのをいい事に、姉様に言い寄ろう何て考えてるんじゃないでしょうね。いい事? 姉様に指一本でも触れて御覧なさい。このプリシラが許しませんわよ」
この高飛車な態度。丸で小さなロナだ。そいつに些かげんなりしつつ、
「彼女にはフラれたよ」
と苦笑交じりに言ってやると、今度は勝ち誇ったような高笑いだ。まったく、ころころとよく変わる表情だね。
「ほーら御覧なさい。見目良い殿方には用心せよと母上も仰っていたわ。幾ら石使いで神族で背が高くて美しい姿をしているからって、所詮あなたの様な無礼者では、姉様のお眼鏡には適わないのよ。それとも、やっぱり好からぬ事を企んで、返り討ちにでもあったのかしら」
何だかだんだんムカ付いて来たけれど、好からぬ事を考えなかったかと言うと、強くは否定できない訳で。「違ェよ」とぼそぼそ否定してみても、どうやら彼女の耳には届かないようだ。
「プリシラ、彼はいい人よ。それ位で許してあげて。親方はいらっしゃるかしら?」
くすくす笑いながら出してくれたベルの助け舟に、大きな溜息をつく俺を見上げると、彼女はフンと鼻を鳴らしてそっぽを向き、ベルの元に駆け戻ると、
「書斎にいらっしゃいますわ」
と言いながら笑顔で手を取る。やれやれ。すっかり嫌われちまったらしい。
笑いさざめきながら階段を上がって行く二人を見上げて、くしゃくしゃと頭を掻いていると、残された石使い剣士の二人が、苦笑交じりに案内を買って出てくれた。
彼らはそれぞれセルヒオ、ビクトルと名乗った。共に神聖騎士団に出仕の経験もある騎士で、小姓の頃からエブロイス侯爵家に仕えているらしい。
幼くして家督を譲られた彼女の身を案じた先代の計らいで、目付け役として共に入門するよう仰せ付かったそうだ。
身近に家士がいるためか、門下にあってもお姫様ッ気の抜けない主には、少々手を焼いているようで、ああやってきゃんきゃん喚き立てるのも既に日常茶飯事らしい。ご苦労なこった。
「十七歳になられたとは言え、プリシラ様はまだ幼くていらっしゃる」
「恐らく、当主の重責に負けまいと、気を張っておられるのでしょう。どうかお許し頂きたい」
そう言って申し訳なさそうに頭を下げる二人の様子は、丸でお転婆な妹を庇う兄ちゃんだ。きっとあの女主人が可愛くて仕方ないんだろう。
それにしてもあの未発達な体で十七とはね。ロナと一つ違いとは到底思えない。やっぱりどう見たってちびすけだ。
セルヒオが書斎の扉をノックすると、プリシラ嬢の明るい声が答えた。
だが、二人の後ろから俺が姿を現すと、途端に面白くなさそうな顔でそっぽを向き、そそくさとベルの元へ駆け戻る。
そんな彼女の様子に困惑顔のベルと、互いに苦笑を見交わした時、続き部屋の扉が開いて、若い石使いが現れた。
途端にプリシラは顔を輝かせると、母上の教えもどこへやら、頬を染めて彼の姿をうっとりと目で追う。
俺と同い年くらいだろうか。引き締まった長身に、仕立ての良い洒落た服を粋に着こなした伊達男だ。
短く刈ったダークブロンドの巻き毛と、銀縁の眼鏡の向こうで鋭い眼光を放つ黒い瞳が、知的で高潔な雰囲気を醸していた。
「遠いところをようこそ。お待たせしてしまって申し訳ない」
折り目正しく会釈する姿も清々しい。
彼はベルが「お久し振りです」と差し出す握手の手を、
「ご無沙汰しております。レディ・レイヴァル」
の言葉と共に押し戴くと、フリッツも顔負けのソツの無さで口付ける。
「おからかいにならないで、親方」
と彼女は笑うけど、満更でもなさそうな様子に少しばかり妬けたりして。まぁ、俺のようなガサツな野郎には、到底真似できない芸当ではあるけれど。
「コンラートです。若輩者ではありますが、こちらの支部を預かっております」
彼は爽やかな笑顔を浮かべると、俺にも手を差し伸べて来る。
「ランジャです。初めまして」
握手に応じる俺の手を、彼は、
「お噂は兼ね兼ね……」
と言いながら力強く握り返すと、ソファを勧めてくれた。
「ビクトル、こちらへ」
彼の言葉を受けて、「はい」と歯切れの良い返事と共に、ビクトルが隣のソファへ腰掛けると、プリシラは怪訝そうな顔でセルヒオを見上げていたが、優しく促されると名残惜しげに親方を振り返りつつ、不承不承と言った様子で部屋を出て行った。
「早速ですが親方、カラバル高原にある隠し鉱山の件はお聞き及びでしょうか?」
扉が閉まり、彼らの気配が消える頃にベルが話を切り出すと、親方は「勿論」と答えて身を乗り出す。
「先だっても二人調査に出しましたが、三月経った現在でも未帰還。正直、少々手を焼いているところです」
端正な眉根を寄せつつ嘆息する彼の様子に、彼女は俺と小さく頷き合うと、声を潜めながら慎重に切り出した。
「実は、鉱山から運び出された積荷の行方を、彼と共に追って来たのですが……」
「突き止められましたか」
「えぇ。ペルドーの城址に」
「ほう。北方三国とは考えましたね」
彼の銀縁の眼鏡が、キラと無機質な光を放つ。
「相当な量でした。この城下であれば一、二年は篭城も可能かと。恐らく、辺境各国に点在する隠し鉱山が産出する石を、全てあの場所に集約しているのでしょう。関わりのある山師を捕らえて訊きました所、イルシュ陛下の狙いは、石の相場を混乱させる事にあるようです」
「なるほど。そう言う事ですか……」
彼は、彼女の言葉を受けて深く頷くと、思案顔で組んでいた腕を解き、指先で顎に触れた。
「近頃、僅かではありますが、この城下で、横流しと思われる精霊石を、度々見掛けるようになりましてね。
ビクトルに調査を依頼しましたところ、つい先日、胡散臭い若者が、商家に持ち込んで売り捌いている事を突き止めたんです。
恐らく、その城址の管理を任されている者が、密かに持ち出して金に換えていたんでしょう」
「何て人かしら! 荷主の商品に手をつけるなんて……」
「あの連中のやる事だ。横流しなんざ屁とも思わんだろうよ」
呆れた口調で声を上げる彼女と、苦笑を見交わして肩を竦める俺に、親方は口の端に不敵な笑みをにやっと浮かべて見せると、「面白い」と呟いた。
「石使いの入国を快く思われない陛下が、同じ検問所で怪しい荷車を黙認している、と。余程我々に知られたくない事がおありのようだ」
「もしかして……フィンデールの豚暗君は、ここンちの王と連んでる?」
「だとすれば、いよいよ以って面白いですね。イルシュ陛下の隠し鉱山開発は、三年程前からと見られています。ジョセル陛下と言えば、その頃から黒髪の美女ばかりを召し上げるようになりましたね」
「何かある?」
「かも知れません。いずれ探る機会も訪れましょう。糸口は無数にありますから」
彼はそう言いながら、俺たちの遣り取りを黙って聞いていたビクトルを振り向くと、一転して表情を引き締めた。
「ペルドー城址の監視をお願いします。ディエゴを連れて行くといいでしょう。くれぐれも気取られぬように」
「畏まりました」
「今、現地には山師が三人います。一人片付けましたので警戒しているでしょう。お気を付けて」
ベルの言葉に「有難う御座います」と笑顔で答えると、ビクトルは早速席を立ち、俺たちに会釈をすると部屋を後にした。どうやら彼もまた監査の人間だったらしい。
それにしても若い親方だ。ケイディシアのオリガ親方も年若い美女だったけど、彼はさらに若い。これじゃ青二才と見縊られやしないだろうか。確かに切れ者と言った雰囲気だし、俺如きの心配には及ばないのかも知れないけど。
そう言えば、コンラートという名前は何処かで聞いた事があるぞ。
生身の記憶ではすぐに思い浮かばなかったので、補助脳のキャッシュを手繰ろうとした時、俺の不躾な視線に気付いた彼が、
「どうしました?」
と怪訝そうな顔で訊いて来た。
「あぁ、失礼。親方の名前、何処かで伺った事があるような気がして……」
「アレーネ女伯ではなくて?」
彼女の即答で、凝り固まってた記憶が一気に解ける。親方もまた彼女の言葉に、
「これは懐かしい名前を聞きました」
と相好を崩した。
そうか。フリッツと一緒に夫人の邸に寄宿していたと聞いたっけ。確か、俺が今使ってる部屋が、彼の部屋だった筈だ。
「エスネの森を出た後も度々お邪魔していたのですが、こちらへ赴任してからは、手紙も出さない程にご無沙汰してしまって……。確か、フリッツは今ケイディシアでしたね。彼は元気でしょうか」
「相変わらずやんちゃですわ」
苦笑交じりで答える彼女に、彼は軽やかに笑う。
「そうですか。いや懐かしい。会長の書生だった私が、目付け役を仰せ付かった時は面食らいましたよ。御養子の華麗な私生活は、本部でも有名でしたからね。まぁ、当時は随分と振り回されましたけど、今となってはいい思い出です」
言いながら彼は何を思い出したのか、ふと優しい笑顔を浮かべた。
なるほどね。あいつのいちいちソツの無い所作や伊達男振りは、お目付け役の薫陶を存分に受けて培われたものだった、と。
したり顔で生意気を言いながらも、子犬のように懐いて来る、あの屈託の無い天使の笑顔を思い出す。今頃はオーラート城下で美女を口説きまくっている事だろう。
「支部の書斎の居心地は如何?」
いたずらっぽい彼女の微笑に、彼は、
「まずまず、ですかね」
と含んだ物言いで答える。
「表向きには、ベルジュ親方の大親方昇進に伴う人事、と言う事にはなっていますがね。さしもの狂王も、私のような若輩者が会長直轄とは思いませんでしょう。陛下が私を侮っておられるのであれば、それはむしろ好都合ですね」
恐らくその人事は、ジョセル王の動きを怪しいと見た本部の采配だったのだろう。
表の世界は一見のほほんと平和に見えるけど、その実、裏では情報戦の真っ最中ってとこだな。