幸いにしてその夜は新月だった。
夜半過ぎを待って、音を立てずにこっそり部屋の扉を開くと、突然、目の前に切っ先が突き付けられた。思わず声を上げそうになって、慌てて口を押さえる。
「水臭くてよ、御子様」
ベルは小声で言いながらにやりと笑って剣を納めると、彼女と知って安堵の大きな溜息をつく俺を見てクスと笑った。やれやれ。毎度ながら素晴らしい勘働きだ事。
「レグルシアは大きな城よ。案内が必要では無くて?」
「頼もしい限りだ」
観念して苦笑交じりに肩を竦める。俺の企みなど既にお見通しって訳だ。こりゃ聖人ばりに誠実な男でないと、彼女の夫は務まらんだろうな。
連れ立って宿を出ると、煌々と街灯の点る大通りを避け、幽かな星明りを頼って、闇に沈む裏道を辿る。
「あの綺麗なお嬢さんも黒髪だったわね」
「夢屋のロナだ。香と薬酒で夢を見せるなんてェ胡散臭い商売をやっちゃいるが、正法もド正法の薬師さ。邪法なんぞ使わん」
「ジョセル陛下が黒髪の美女を召し上げているのは、やっぱりナクルタツリの姫君を求めての事なのかしら。ギルメル城陥落以来、お二方とも行方不明の筈だけど……」
「執念深い野郎だぜ。そうまでして秘伝書が欲しいかね」
「どうかしら……。秘伝書の行方だけなら、薬師を捕らえて尋問すると言う手もあると思うけど」
「仮にも王家の秘伝だ。並みの薬師じゃ知らんだろう。長老連中なら知ってるかもしれないけど、あいつらは肝も据わってる。
捕らえて拷問に掛けたところで口を割るようなタマじゃない。大方、業を煮やして姫を人質にとでも考えたんじゃねぇの?」
「強ち否定も出来ないわね。陛下も、闇雲に美女を集めていると言う訳でも無いようだし」
「確証を持ってる……?」
「かも知れないわ。親方は三年前からと仰っていたけれど、きっとその頃に、何か有力な情報を得られたに違いないわ。それまで姫の行方は生死すらも不明だったのだから」
なるほど。あいつの強気もここら辺りが原因か。
王が妹君の情報を持っていると見て、敢えて城内へ潜り込み、逆にそいつを探ってやろうってハラなんだろう。
その意気やよしと言いたい所だが、彼女が仇敵の手中にあるなんて知られでもしたら、あの気位の高いトルフィニ師の事だ。セブラン相手に宣戦布告だってやり兼ねんぞ。そうなりゃ今度こそナクルタツリは終いだ。
寝静まった市場を通り過ぎ、商店街を抜け、深閑とした邸宅街に差し掛かった時だ。俺たちと距離を置いたまま、音も無く後をつけて来る気配があることに気付いた。
彼女も感じていたようで、ふと立ち止まって振り返る俺と、険しい眼差しを見交わした。誰だろう。支部の他に、この城下で俺たちに関わり合いのある者と言えば……まさか、蓮火幇?
どうやら奴さんは一人らしい。次の四辻で二手に分かれて路地へ潜り込む。
撒いたと見たところで通りへ戻り、通用門に程近い城壁の傍に、彼女の姿を見つけて駆け寄った瞬間、目の前にひらりと音も無く影が降り立った。
咄嗟に抜剣した俺たちに、影は片手を挙げると押し殺した声で「待たれよ」と制する。
どうやら相手は覆面をしているらしい。しなやかでいてバネの効いた鋼の体躯。影の様に見えたのは全身黒尽くめのせいだと気付いた。
「黒羽……?!」
奴に切っ先を向けたまま、少し上擦った声でベルが問う。だが影は答えず、覆面の隙間から覗く鋭い眼光で俺たちを射竦めると、声を潜めて言った。
「女薬師殿の救出に向かうものとお見受けしたが、如何か」
「だったらどうだってんだ。邪魔立てしようってんなら……」
「助太刀致そう」
「はぁ?」
「彼女の居所を知っている」
思わず彼女と顔を見合わせるが、突拍子も無い申し出に、彼女も当惑し切った様子だ。
だが奴さんは一向に意に介さず、通用門の鍵を音も無く開錠すると、来いと仕草してするりと中へ潜り込んで行った。
何かの罠かとも思ったが、随分と手馴れた様子に、この際だから使えるものは何でも使ってやれと思い立ち、彼女と頷き合うと彼を追って裏庭へと忍び込んだ。
確かに黒羽を擁するバルナタートにとって、セブランは秘伝書を巡って対立した敵国だろう。動向を探る為に間者を放っていたとしても不思議は無い。
だけど、彼らに裏切られたナクルタツリにとっても仇敵である筈だ。ロナの正体を知っての助太刀だとすると理屈に合わない。
ごく個人的な理由で彼女の救出を思い立ったとか……? まさかね。いくらあいつが絶世の美女だとしても、諜報活動中の間者が、そんな事で危険に挑むとは思えないよな。
「あんた、一体何者なんだ?」
鬱蒼と茂る植え込みの陰に彼を見つけて合流すると、声を潜めて訊ねるが、彼は無言で唇の前に人差し指を立てて制する。
大人しく従った瞬間、目の前を警邏の兵隊が二人、甲冑の音を響かせながら横切って行った。
「カーリャとでもお呼び頂こうか」
ランタンの光の輪が見えなくなると、影は答えながら低く笑ったようだ。
ふざけた野郎だ。よりによって見殺しにした同盟国の神祖を名乗るなんて。ロナとは一体どんな関係なんだ。
釈然としない思いを抱きつつも、後について行く俺たちをよそに、カーリャと名乗った男は植え込みの影と同化したまま、黙々と城壁を辿って北端の塔を目指す。
てっきり地下牢だと思ってた。彼がいなかったら、今頃城の中で右往左往だったな。
やがて塔の足元に辿り着くと、彼は俺たちに留まるように合図するや否や、ひらりと音も無く植え込みを飛び出した。
入り口に立つ二人の警備兵に忍び寄ると、一人の頚椎を手刀で砕き、もう一人はそれと気付く前にロナよりも遥かに鋭い蹴りで斃した。
瞬間の出来事に唖然とする間も無く、彼の合図を受けて塔に潜り込む。凄ぇ。あの技が使えりゃ丸腰でも有利だな。
彼に続いて、延々と続く螺旋階段を駆け上がりつつ、キャッシュの中から、先程の視覚情報を手繰って上層に置くと、補助脳に分析とシミュレーションを任せる。
最上階に辿り着くと、実践の好機が早くも到来。部屋の前を守る四人の警備兵を、彼と共に蹴散らそうと試みたが、形はどうにかなぞれるものの、如何せん筋力が圧倒的に足りない為に、相手を怯ませるのが精々だ。
彼に「お見事」と苦笑されつつ、ベルの剣に助けられながら改めて抜剣すると、部屋の中から飛び出した二人の兵を片付ける。
どうやら敵はこれで終いらしい。彼は部屋の奥に厳重に施錠された扉を見付けると、通用門と同様に容易く開錠し、俺たちに目配せすると軽くノックしてからそっと開いた。
「ロナ!」
三人で飛び込むと、彼女は驚いた顔でベッドから立ち上がった。
石造りの簡素な部屋ではあるが、他にも一通りの家具が設えられていて、寄木細工のテーブルの上では、瀟洒な造りの精霊石ランプが柔らかな光を放っている。
貴賓室とは行かないまでも、こいつはどう見たって囚人の待遇じゃない。あの狂王が求めているのは、間違いなく聖山の美姫だ。
彼女は一瞬、迷惑だとでも言いたげにツンとした顔をしたが、俺たちの背後にカーリャの姿を見付けた途端、黒い瞳を丸く見開いたかと思うと、何故か泣きそうな顔で駆け寄った。
「レラカン! レラカンなの……?」
だが彼は答えず、彼女が駆け寄るよりも先に跪くと、恭しく頭を垂れた。ふと立ち竦んだ彼女の顔に、微かな狼狽が滲む。
「ご無事で何よりに御座います。お迎えに上がりました」
「生きていたのね。お願いレラカン、顔を見せて」
彼女はおずおずと歩み寄ると、彼の覆面に手を伸ばして触れようとする。だが彼は、
「いけません」
と、表情の無い声で言いながら彼女を制すると、立ち上がり様にその手を取り、外へと促した。
「すぐに追っ手が参ります。お急ぎ下さい」
「でも、ジョセル王はあの子の事を……!」
「妹御はご健在であらせられます。さあ、早く!」
彼は急き立てるように早口で促すが、彼女は戸惑った顔で立ち尽くしたままだ。
いい加減焦れた俺は
「何やってんだよ!」
と怒鳴り付けると、彼女の腕を掴んで引き摺るように部屋を飛び出した。
カーリャを先頭に、俺とベルで抱え込むようにして階段を駆け下りる。
「何するのよ、離してよ! この御節介!」
と喚き散らす彼女の声が反響する中、城壁に繋がる踊り場で、異状を察して馳せ参じた警備兵どもと鉢合わせた。
「薬師殿を早く!」
咄嗟に躍り出たカーリャの怒声を背に、先を急ぐ。
「嫌よ離して! レラカン、レラカン!」
尚も暴れる彼女に手を焼く俺たちの背中に、
「レラカン殿は神都に……!」
と彼の声が降って来る。彼女はそれを、やけに切なげな顔で振り返ると、以降は大人しく俺たちに従った。
「さっきの顔、ディエシーが見たら妬くぞ」
漸く下まで辿り着いた時、からかい半分に言いながらにやりと笑ってやると、ロナは、
「あいつが妬く訳ないじゃないの」
と咄嗟に食って掛かるが、
「そりゃ妬いてくれるなら……嬉しいけど」
などと小声で呟く。薄闇で見えないけど、きっと耳まで赤くなってるに違いない。
「ちょっと、いつまで握ってるのよ!」
照れ隠しのつもりなのか、自分の手首を俺が掴んだままでいる事に気付くと、邪険に振り解く。
「あんたがもたもたしてるからだろ?」
「余計な事しないでって言ったじゃない。何よ。あの子の情報が手に入る好機だったのに!」
「うるせぇよ。こんな事がトルフィニ師にでも知られたら……」
つい大声になっちまった俺たちをベルが咄嗟に「しっ!」と制するが、遅かった。
「いたぞ!」
の声と共に飛び出して来た警備兵に舌打ちをすると、二人を背に庇いつつ剣把を握り直し、「頼む!」と叫ぶと、「任せて」の声と共に、背後から二人の気配が遠ざかるのを感じた。さて、精々派手に暴れてやるか。
植え込みを飛び出すと、奴らを引き付けながら通用門とは逆に走る。視界の端に現れた扉を蹴破って飛び込むと、お誂え向きに倉庫だった。
咄嗟に掴んだ精霊石に、レベル125を入力しながら、殺到して来た兵どもに手榴弾よろしく投げ付ける。
強烈な閃光と熱量に先鋒が吹っ飛ばされると、後続は悲鳴を上げて逃げ出した。何だ。意外とチョロいもんだなと油断した瞬間、
「おのれ魔道師め!」
の怒声と共に、背後から殺気を孕んだ切っ先が迫る。辛うじて剣で受けたものの、不意打ちな上に狭い倉庫の中じゃ不利な体制だ。
反撃を試みるもあっさり懐に入り込まれ、鳩尾に柄頭を喰らって無様にくずおれた。畜生、ぬかった。
俺はそのまま取り押さえられると、地下牢へ放り込まれた。
兵どもは俺の技を目の当たりにしてか、すっかり魔道師と決め付けてるらしい。牢の鍵を掛けながら、王の詮議の後は打ち首だと憎々しげに吐き棄てると、哄笑と共に意気揚々と引き揚げて行った。
冗談じゃない。こんな所で死んでたまるかよ。俺は手足に付けられた枷を引き摺りながら、黴臭い石壁に背を預けて座り込むと、静かに目を閉じた。
補助脳のキャッシュを手繰り、上階からここまでの経路を見つけ出すと、上層に置く。次いで目にしたカーリャの体術を全て引っ張り出すと、改めて分析とシミュレーションに掛けた。
絶妙なバランスと的確な回避。神速の蹴撃と拳撃。やっつけで身に付くもんじゃない事は百も承知だけど、生きて帰る為には生兵法でもやるしかない。
確かあいつら、詮議に掛けるとか言ってたな。その時にはきっと牢から出されるだろう。機は僅かだが、これを逃す手は無い。
「何とも豪胆ですね」
少しばかり呆れ気味の明るい声に、俺は目を覚まされると、鉄格子を振り向きながらのろのろ起き上がった。
見れば、通路を照らす薄暗い灯の中で、こちらを覗き込んでにやりと笑う親方の姿があった。どうやらまたいつもの悪い癖で、考え事をしてるうちに眠り込んじまったらしい。
「親方……」
「これから詮議だと言うのに、眠っていられるとは大したものです」
彼は心底感心したように言うと、軽やかな声で笑う。その爽やかな笑顔から言って、どうやら皮肉ではないらしい。
「面目無ェ。迷惑掛けちまって申し訳ない」
「いえいえ、寧ろ感謝してますよ。こちらの支部に赴任して、初めて陛下からの御召しに与れましたから」
「随分と嫌われたもんすね」
「まったく以って」
銀縁眼鏡の向こうで茶目っ気たっぷりに片目を瞑って見せる彼と、思わず苦笑を見交わす。
「あなたがクロークを着ていてくれて良かった。ホルザレン会とは無関係と見られていたら、きっと今回の御召しは無かったでしょう。大丈夫、無事にここから出して差し上げますよ」
余裕綽々といった口調で言い切ると、彼は好奇心に満ちた眼差しで通路の向こうを振り返る。
「大きな城ですね。詮議までにはまだ少し時間がありますから、もう暫く探検を楽しむことにします」
「お気をつけて」
「有難う御座います。では後程、謁見の間でお会いしましょう」
丸で街角で偶然出会った友人との別れのように、彼は軽く手を挙げながら言うと、足取りも軽やかに去って行った。
兵どもがやって来たのは、それから暫く経ってからだった。揃いも揃って重装備なのが六人も。
こう来るとは思わなかった。精々帯剣したのが二人と踏んでただけに、当てが外れたな。これじゃ暴れようが無い。
こちとら手枷足枷で歩くのもやっとだってのに、何をビビッてんだか知らないが、奴らは俺を牢から出すと、両脇と前後に二人ずつと言った、素晴らしいVIP待遇で上へと向かった。
地下から上階の廊下に出ると、一瞬、目が眩んだ。見上げれば、豪華なシャンデリアが広い窓から溢れる陽光に輝き、足元を見れば、毛足の長い絨毯が延々と敷き詰められている。
絢爛豪華極まりない城だ。だけど、どれもこれも聖山から搾り取った血肉で出来ていると思うと、胸糞悪くて反吐が出るね。
そんな中を、枷の鎖を引き摺りながら引っ立てられて行くと、途中で親方を見掛けた。
侍女と思しき妙齢の美女を、壁際に追い詰めて尋問中、と思いきや、当の彼女は頬を染めてうっとりと彼の美貌を見上げ、時折、耳元で何事かを囁かれては、恥らうような忍び笑いを漏らしてる。
やがて彼は、自分を見詰める名残惜しげな切ない眼差しに、「では、また後程」と頬への軽い口付けで答えると、廊下の果てに聳える大扉へ向かった。なるほど。これが彼流の情報収集と言う訳ね。
どうやら城内では、この手の人脈は既に形成済みのようで、すれ違う他の侍女や召使が、片っ端から彼に声を掛けて行く。
俺が控の間に追い立てられて入る頃には、また別の女性を呼び止めて壁際へと連行し、甘い言葉を囁いている様だった。
室内では、四人の兵と二人の小姓が控えていた。これで俺の為に費やした人手は都合十二人か。ご苦労なこった。
半ば呆れた溜息をつく俺を部屋の真ん中に引き出すと、兵士たちが抜剣して取り囲む中、進み出た小姓が枷を外し、やにわに服を脱がせ始めた。
一瞬戸惑ったが、魔道師と見られる男を謁見の間に入れるには、これ位警戒して然るべきだよなと妙な事に納得する。
だけど、衆人環視の中、素っ裸に剥かれた上に、野郎の手で体中撫で回されるのは正直勘弁してもらいたかった。
せめて、さっき親方が口説いていた侍女あたりにお願いしてくれたって良さそうなものを。