石使いランジャ   作:桜城静夜

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 深い森に差し込む斜陽の柔らかい光の中に、微かな祈りの声が詠々と溶けて行く。

 本来なら白い花を用意するのだけどとロナは言うが、春まだき北方の森では望むべくも無く、三人で集めた弔いの花は、色もまちまちでささやかな物だった。

 急ごしらえの墓ではあったが、幸い獣に荒らされた様子は無く、場所を特定するために立てた木切れは、そのまま墓標となった。

 彼女によると、件の薬草は悪臭を放つ花を付けるとかで、晩春から初夏に掛けての開花時期であれば、探し出すのも容易だそうだが、そうなると、すぐに樹脂を含んだ実を結ぶようになるから、その前に処分したいらしい。

 だけど今日はもう遅いし、長距離移動の後なので、少し早いけどメシ食って寝ちまう事にした。

 ベルとロナが薪と香草を集めて来る間に、俺が晩飯を仕留め、二人が水を汲んで来るのを待ちながら獲物を裁き、彼女らが戻って来ると、そいつをまとめてコッヘルに放り込む。

 火が通るのを待っている間、ベルとの他愛も無い話に興じていたロナが、ふと口を噤むと、顔を上げてキョロキョロと辺りを見回した。

「どうしたの?」

 突然立ち上がった彼女を、ベルは怪訝そうに見上げる。

「今、声が聞こえたんです」

「声?」

「はい。『助けて』って聞こえたような気がして……」

「えぇ?」

 思わず俺たちも立ち上がって耳を澄ます。すると確かに、ここからそう遠くない場所から、女か子供の甲高い悲鳴が聞こえて来た。

「あっちだ」

 各々抜剣し、特定した方角へ向かう。既にとっぷりと暮れて闇に覆われた森の中を、警戒しつつ更に奥へと分け入って行くと、程なくして、唸り声を上げてうろつく狼の群れに出くわした。

 連中が舌なめずりしながら見上げている先には、木の上で枝にしがみ付いてる小さな影が見える。

「た、助けて!」

 そいつと同時に狼どもも俺たちに気付く。声を掻き消すように飛び掛って来る獣の群れを、三人で斬り飛ばし、残党が尻尾を巻いて逃げて行くのを見送ると、樹上で硬直している人影を見上げた。

「おい、大丈夫か?」

 血糊を払って剣を納めながら声を掛けると、影は小さく頷いたようだったが、未だに震えが止まらないようだ。それでもそろそろと降りて来ようとした時、バキと音がして悲鳴と共に落ちて来た。

「痛ててて……」

 呆れながら慌てて駆け寄ると、影は尻を擦りながらのろのろと起き上がった。手を貸してやるとどうにか立ち上がったものの、捻挫でもしたのか片足を引き摺っている。

 仕方が無いので苦笑しつつ背を向けて屈み込んでやると、おずおずと負ぶさって来た。

「あ、有難う……」

「いいって事よ」

 遠慮がちに礼を言う声は、どうやら少年の物のようだ。

 二人も心配そうに歩み寄るが、ロナはふと立ち止まって足元を見下ろすと、小さな瓶を見付けて拾い上げた。蓋を開けると、薄荷や檸檬茅に似た苦い香りが仄かに立つ。

「獣避けの香だわ。これ、あなたの物?」

 少し驚いたような彼女の問いに、彼は俺の背中に頬を付けたまま、

「うん。おいらが調合したんだ」

 と頷く。

 まだ年端もいかないようだけど、こんなちびでも一丁前の薬師なんだろうか。取り敢えずは野営地に連れて帰って手当てしてやることにした。

 

 

 

「姉ちゃんも薬師なのかい?」

 体中に作った派手な擦り傷や切り傷に、甲斐甲斐しく薬を塗ってくれるロナの優しい手付きを、少年は不思議そうな顔で眺めながら訊く。引き摺っていた足首も、軽く捻っただけで骨に異状は無い様だ。

「そうよ。だから怪我人や病人を見ると、相手が誰であれ無性に治したくなっちゃうの」

 少しばかりおどけた口調で答える彼女に、彼は「ふぅん」と曖昧な相槌を打つ。

 焚き火に照らされた姿は、案の定ベニカよりも少し年かさの少年だった。精々十二歳位だろうか。金茶の瞳がやんちゃそうだ。

 泥だらけではあるものの贅沢な仕立ての服と、肩先で綺麗に切り揃えられた漆黒の直毛から、一見して裕福な家庭の御曹司のようにも見えるが、その立ち居振る舞いからは、身分相応の品性を窺う事は出来なかった。

「あなたも薬師でしょう? 師匠に教わらなかった? 『病む者に貴賎無し』って」

 何だか妙に説教臭い物言いながら、彼女は小さな後輩に出会えた事が嬉しいようだ。困ったような顔で「えーと……」と答えあぐねている彼をよそに、最後の包帯を巻き終えると、

「はい、出来上がり」

 と明るい声で言った。

 満面の笑顔で自分を覗き込む彼女に、彼ははにかんだ微笑を浮かべつつ、「有難う、姉ちゃん」と恥ずかしそうにもぞもぞ礼を言う。

「坊や、お名前は?」

 ベルに毛布を掛けてもらうと、彼は包まりながら、

「おいら、ジェイドってんだ」

 と答えて嬉しそうにえへへと笑った。美女二人に世話を焼かれてご満悦って所か。こんなちびでも野郎は野郎だな。

「姉ちゃんは?」

「私はベル。彼女はロナ、彼はランジャよ」

 彼女の紹介を受けてジェイド少年は俺を見上げると、目が合った途端にあっと声を上げた。

「おじさん、神族なのかい?!」

 その一言に、ベルとロナが同時に吹き出す。

「誰がおじさんだ誰が。俺はまだ二十代だぞ、辛うじて」

 思わずカチンと来て頬っぺたを捻り上げてやると、大きな目に涙を溜めてふにゃふにゃ謝る。

 その顔に免じて放してやると、少しばかり恨みがましい目で睨みながら、掌で赤くなった頬を擦った。

「何だよ。神族なのに剣士だなんて格好いいって言おうと思ったのに……」

「おじさんは余計だ」

 苦笑しながら湯気の立つスープを取り分けてやると、腹が減っていたのか、拗ねた顔をたちまち輝かせる。

 瞬く間にがつがつと平らげ、袖口で口を拭うと、「ごっそさん」と満足そうに空の食器を突き返して来た。生意気だけど、何だか小猿みたいで憎めない奴だ。

「あんな所で何やってたんだ?」

 仕掛けた悪戯を見破ったかのように、少々意地悪く訊いてやると、彼はかじかんだ手を火に翳して擦り合わせながら、俺の顔をチラと盗み見る。

「人を探してたんだ。姐御……じゃないや師匠に頼まれてさ」

「ほぉ」

「でも中々見付かンなくて……。寒いし暗くなってきちゃったし、今日はもう帰ろうと思ってたら派手に転んじまって、そン時に落とした獣避けを探してたら、あいつらに囲まれちまったんだ。

 おいら食われて死ぬんだって思ったよ。おじ……旦那がいてくれて助かったぜ。恩に着るよ。石使いにもいい奴はいるんだな」

 一丁前の口を利く彼の言葉を、にこにこ微笑ましげに聞いていたベルと、思わず顔を見合わせて肩を竦める。

「ねぇ旦那、若い男を見なかった?」

「若い男?」

「うん。薄茶の髪で、ひょろっと背が高くて、頬っぺたに小さい痣があるんだけど……」

 ロナの顔がさっと強張る。何かを言い掛けたところを、ベルは宥めるようにそっと制すると、彼の隣に場所を移し、小さな肩を優しく抱きかかえながら、女神のような微笑を浮かべて見せた。

 途端に怪訝そうだった彼の頬が緩み、ぽーっと上気した顔で妖しい光を放つ銀の瞳を見上げる。

 日頃は硬質な空気を纏って隙一つ見せない彼女だけに、あの笑顔の魔力はいっそ凶悪とも言えるよな。

「残念ながら見掛けなかったわ。その人はあなたのお友達? それとも兄弟子さんなのかしら」

 柔らかでハスキーな尋問に、彼は女神の眼差しに魅入られたまま軽く首を振る。

「師匠の手下なんだ。あいつも薬師だったんだけど、十日ぐらい前に仕事を放り出して逃げ出したのさ。おまけに薬草の種まで盗んで行きやがって、太ェ野郎だよ。

 手足に枷が付いてるから、そう遠くは逃げられない筈なのに、どこへ行っちまったのやら……。これから夏に掛けて忙しくなるってのにさ」

 ロナは眉根を寄せて唇を噛み、膝に載せた手を拳に固めながらじっと耐えている。そんな彼女の様子には気付かずか、彼は「世話が焼けるぜ」と大袈裟な溜息をついた。

 何てこった。このこまっしゃくれた小猿が蓮火幇の一員だと……?

「そう、それは大変ね」

 極力感情を押し殺し、変わらぬ笑顔で同調を装うベルに、彼は大人びた仕草で呆れたように「まったくだよ」と肩を竦めて見せた。

「あなたの御師匠様って、どんな方なの?」

「美人だよ。ベル姉ちゃんやロナ姉ちゃん程じゃないけどね。侯爵様の別邸で、女だてらに家令をやってるんだ。

 おいら、その伝で小姓に取り立てて貰ったんだよ。そうじゃなきゃ、おいらみたいな浮浪児が、あんなでっかい御邸になんか住めないさ。

 お蔭で綺麗な服も着せてもらえるし、旨いメシにもありつけるし、姐御にゃ頭が上がらないね」

 彼は彼女に「良かったわね」と微笑まれると、嬉しそうに頷く。なるほど。その趣味のいい衣装はお仕着せだったのか。

 だが、従者や下男ではなく小姓ってのはどう言う事だ? あれは貴族が子息を騎士の修行として主家に遣わせる、言ってみれば男児版の行儀見習いだと聞いたぞ。

 中にはたとえ従者の身分でも、腕を買われて取り立てられる者も無くは無いだろうけど、身元は言うまでも無く、その資質も厳しく問われて然るべきだ。手引きがあったとはいえ、浮浪児が潜り込めるなんて、杜撰にも程があるぞ。

「その家令ってのは、お抱え薬師じゃないのか?」

「前はそうだったらしいよ。旦那様が薬の研究をなさってるとかで、最初はその手伝いをする為に召し抱えられたんだって。出世したのさ。姐御は凄腕だからね」

 俺の問いに、得意満面といった口調で答えたかと思うと、大きなあくびをして瞼を瞬かせた。メシを食って体が温まった為に眠くなったんだろう。

 ベルは優しく微笑んでそのまま膝枕をしてやると、毛布の上から眠気を誘うリズムでゆっくりと肩を叩いた。

 そんな羨ましい待遇では子供なんぞ即、撃沈だ。程なくして静かな寝息を立て始めると、ベルは一転して表情を引き締め、一つ大きな溜息をついた。

「エブロイス侯爵家だわ」

「え?」

 呟くような彼女の一言に顔を上げ、ロナと共に振り向くと、銀の瞳には既に鋼の色が戻っていた。

「エブロイス……って、あの、門下生のちびちゃん家《ち》か?」

「そうよ。あの子の父親は、随分前から薬術研究に耽溺していて、財産の蕩尽を恐れた先代によって廃嫡されているわ。

 家督は二年前、プリシラが成人を迎えたのを期に彼女に譲ってはいるけれど、実質的な当主は、未だに先代のイグナシオ卿と見做されてるの」

「なるほど。お家騒動のごたごたに紛れて潜り込まれたってとこか」

「でしょうね。イグナシオ卿は、彼女の後見人として城下の邸に篭り切りだから、領地まで目が行き届いていないんだわ。きっと、そこを狙われたのね」

「御子息は、そこで薬術の研究を?」

 ロナが身を乗り出して訊くと、彼女は大きく頷いた。

「恐らくは……。いつだったか、プリシラが嘆いていたわ。美しかった別邸の庭園を、全て父上の薬草園にされてしまったと」

 それを聞いて、矢も盾も堪らず立ち上がろうとした彼女を、ベルは優しい仕草で制する。

「明日にしましょう。この子が目覚めたら、邸まで送ってあげるのよ」

 その意図を汲み取ったか、ロナは頷いて腰を下ろすと、揺らぐ熾き火に照らされながら、肩に掛けた毛布を胸元で掻き合わせた。

「この子、何も知らないのね。正法の薬術も、薬師の心得も……」

 震える声でぽつりと呟くと、彼女は青褪めた顔に苦悶と憐れみを浮かべて、彼の無垢な寝顔に目を遣った。

「師匠が言ってた。嘗て存在した蓮火幇は、聖山の頂と謳われる宮廷薬師をも凌駕する技量と、生命の理を知り尽くして尚、守るべきものの為に己が手を血に染める者たちだと……。

 この子を利用している連中に、そんな高潔な理念なんて無いのよ。この子は邪法しか知らない。邪法を正法と信じてるんだわ」

 彼女は抱えた膝に顔を埋めると、細い肩を小さく震わせながら、くぐもった声で「許せない」と何度も呟いていた。

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