ジェイドは朝から元気一杯だ。どうやら俺たちのやること成すこと全てが興味津々らしい。
さっきまで、髪を梳くベルとロナをうっとり眺めていたかと思ったら、今度は俺にくっついて沢まで降りて来ると、俺の真似をして顔を洗い、更にはナイフで髭を剃り始めると、その手元を好奇心一杯の眼差しでじーっと見上げている。
「神族も髭生えるんだ」
「そりゃ人間だからな」
「髭も白いんだ」
「まぁね」
「下も白い?」
思わず手が滑った。頬のちくりとした痛みに触れると、指先に僅かに血が付く。「お前なぁ」と呆れつつ振り向くと、いたずらっぽい苦笑と目が合うが、たちまち薄くなって消えて行く傷に気が付くと、彼は金茶の瞳を真ん丸く見開いた。
「え? 何? 今の……。何で傷が消えるんだ? 魔法?」
「いや」
「凄ぇ! 神族ってのは、みんなそうなの?」
取り敢えずは「さぁな」と答えておく。
アルコロジーを出る時、ソロ系の連絡員は俺が初めてだと聞いてたから、恐らくこの世界でリカバリセルを持ってる神族は俺だけだろう。
だけど、デュオ系はどうなのかな。ひょっとすると、ディエシーやソーセン以外にも、市井の民に紛れ、何食わぬ顔で暮らしてる元連絡員も、この世界のどこかにいるのかも知れない。
「神族がみんなそんななら、宮廷薬師ってのは何の為にいるんだ?」
「宮中にいるのは、何も神族ばかりじゃねぇだろよ」
そう言って笑ってやると、彼は「そうか、そうだよな」と言いながら、照れ臭そうに手の甲でごしごしと鼻の下を擦った。
「ねぇ旦那、旦那は何で神族なのに石使いなんかやってんの?」
「まぁ、色々と訳ありでね」
「王様たちや神都のお偉いさんは魔道師を嫌ってるのに? 石使いは魔道師なんだろ? 姐御が言ってたぜ」
どうやら彼にとって姐御は唯一絶対の存在らしい。
強権的な大人ってのは頼もしく見える反面、根が素直な子供からは、いとも容易く思考力を奪う。教育は洗脳と紙一重とはよく言ったもんだ。師は選んで然るべきだな。
「お前はどう思ってるんだ?」
敢えて聞き返してやると、予想外の反応だったようで、少しばかり面食らったような顔で「えーと」と考え込む。
「判んねぇや。判んねぇけど、旦那やベル姉ちゃんは魔道師じゃないと思う。……魔道師じゃないよね?」
何だか随分と自信が無さそうな答えだな。思わず苦笑する俺の顔を、彼は窺うように恐々と盗み見る。
「何でそう思う?」
残りの髭を剃りながら更に聞いてやると、再び唸って考え込んでいたが、小さな声で「あ、そうだ」と呟くと、今度はやけに晴れ晴れとした笑顔で俺を見上げた。
「石使いはいい事に技を使うからだ! 精霊石が無いとみんな困るもんな。石だけ持ってても、石使いに精霊を喚んで貰わなきゃ使えないし。
でも魔道師はそうじゃない。悪いことに技を使う。だから王様たちが捕まえて首を刎ねるんだ。だから石使いは魔道師じゃない」
どうやら納得のいく答えが得られたらしい。ナイフを納めながら、「よく出来ました」と茶化す口調で言ってやると、何やら得意そうな顔でえへへと笑った。
野営地に戻り、朝飯代わりの干し肉とビスケットを分けてやると、彼は小動物みたいにかりかりと旨そうに頬張りながら、珈琲を淹れる俺を物珍しそうに眺めている。
カップに注いでロナとベルに手渡すと、興味津々と言った彼の視線に気付いた。
「いい匂いがする。それ何? 旨いの?」
「珈琲豆のお茶よ。子供の飲み物じゃないわ」
御典薬師だけあって、ロナには御馴染みの品らしい。
ベルも最初のうちこそ恐る恐るといった表情で口を付けていたが、すっかりお気に召したようで、俺から抽出方法と扱ってる店を聞き出すと、向こうへ帰ったら早速行ってみるわと微笑んだ。
「ぅわ苦ぇ! 何だこれ……」
どうやらロナのカップから味見をさせてもらったらしい。いつぞやのベニカよろしく顔を顰めて頭を振る彼に、彼女たちは可笑しそうに声を上げて笑った。
「だから言ったでしょ? あなたにはまだ早いわよ」
少しばかり意地悪な口調でからかう彼女に、彼は、
「何だよ、子供扱いしやがって」
と頬を膨らませると、
「旦那、おいらにも分けてくれよ」
とせがむ。「大丈夫かァ?」と苦笑しながらも、カップに半分だけ注いでやると、大きく深呼吸して覚悟を決め、ぎゅっと目を瞑るなり一気に飲み干した。あーぁ、意地になっちまって……。
袖で口を拭ってぷはっと息をついた後、やっぱり苦そうに顔を顰める彼を見て、俺たちは呆れ顔を見交わすと、思わず吹き出した。
朝飯が済んだら出発だ。馬に鞍を置き、彼を前に乗せて跨ると、少しばかり申し訳なさそうな顔が振り向いた。
「御免よ。手間掛けさせちまって……。旦那も姉ちゃんたちも、何か仕事があったんだろ?」
「いいのよ、気にしないで」
隣に馬を並べたロナが、彼の顔を覗きこんで微笑む。
「あなたと話が出来て楽しかったわ」
その隣のベルにも笑顔で言われると、
「おいらも楽しかったよ」
と、照れ臭そうに手の甲で鼻の下を擦るが、ふと沈んだ顔になると、小さな溜息を一つついた。
「だけどおいら、姉ちゃんたちと出会って、何だか色んな事が判らなくなっちまった」
「まぁ、どうした事かしら?」
「おいら、薬術を教えて貰ってた筈なのに、ロナ姉ちゃんみたいに誰かを癒したことなんてないし、石使いは魔道師と同じだって聞いてたのに、旦那やベル姉ちゃんには良くして貰った。
おいらが今まで教えられて来たものとか、見て来たものって一体何だったんだろ」
「そりゃ全部がお前さんのものじゃなく、姐御の視点や姐御の考えだったからだろ」
何やら一丁前な思案顔に、苦笑交じりに答えてやると、彼は少しばかり驚いた顔で俺を振り返る。
「姐御の? おいらのじゃなくて?」
「じゃねぇの? だけど、お前さんは自分で考えて答を出せる頭を持ってる。その疑問にだって、そのうち姐御抜きでも答を出せる日が来るさ。
世の中には、与えられた答に何の疑問も抱かないまま一生を終える連中も多い。その中にあって、考える機会を得られたってのは、寧ろ幸運だと思うがね」
だけど彼は、よく判らないといった顔で「そうなのか」と曖昧に返事をしたきりだ。
ちょっと難しかったかな。まぁいいか、そのうち判る時も来るだろう。今朝の問答を思い返せば、そうそう頭の出来も悪くないようだし。
気を取り直して、
「さぁ、帰ろう。邸まで案内してくれ」
と促すと、さっきとは打って変わった明るい声で「うん」と頷いた。
街道に出て森を抜け、荒地の先に茫漠と広がる薬草畑に差し掛かると、彼は、この辺りからずっと先まで全部侯爵様の御領地だと、何やら得意そうな顔で説明してくれた。
途中、道を逸れて畑の中を貫く石畳の馬車道に入ると、程なくして、視界の果てに緑に囲まれた大きな邸が見えて来た。あそこかと訊くと、大きく頷く。
やがて邸を囲んで延々と続く石壁に辿り着くと、彼は俺たちを裏口へと促した。
錬鉄細工の大きな門扉を構えた正門を通り過ぎる時、中を覗き込んで見たが、芽吹き始めた木々の向こうには、綺麗に刈り込まれた広大な芝生の庭しか見えなかった。
「薬の研究をしてるって言ってたけど、ここンちの旦那様ってのは、自分の薬草は育ててないのか?」
俺の質問に、彼は「やってるよ」と元気一杯に答える。
「さっき見えた大きな御邸の中庭に、旦那様の薬草園があるんだ。中庭ったって凄く広いんだぜ。姐御が庭師を沢山使って世話してるんだよ」
「なるほどね」
中庭なら、何を栽培していようが外からは見えない。姐御とやらは秘密にしておきたかったんだろうけど、弟子がこうも口が軽いとは想定外だったろうな。乗せれば乗せただけ喋っちまいそうだ。
「ねぇジェイド、お願いがあるの」
唐突なロナの問い掛けに、彼は「何?」と怪訝そうに振り返ると、蠱惑的な微笑と出会ってだらしなく頬を緩める。
「あなたの話で思い出したんだけど、私、薬草を切らして困っていたの。少し分けて貰えると嬉しいわ」
こんなとろけそうな程甘い声で懇願されたら、二つ返事以外に返す言葉は無いだろう。「お安い御用さ」の元気な答えを得ると、彼女は「頼もしい事」と微笑んだ。
「初夏に薄紫の大きな花を付ける草なんだけど、旦那様の薬草園には無いかしら? 出来れば新鮮なものが欲しいわ」
「あるよ。姐御が育ててるのがそれだ。花は大きくて綺麗なのに、酷ぇ臭いなんだよな」
そう言って顔を顰める彼に、彼女は「そうそう」と笑いながら相槌を打つ。
「姐御には内緒だから、夜にまた来るといいよ。そうだな……月が沈む頃、裏門へおいでよ。おいら、こっそり入れてあげるから」
「有難う、助かるわ。お礼は……そうねぇ、何がいいかしら」
少し困ったような顔で振り向くロナに、ベルは意味深に片目を瞑って見せる。
「私たち二人で、両の頬に口付けしてあげると言うのはどう?」
自分の提案に、たちまち顔を輝かせて「それ、本当かい?」と喰い付いた彼に、ベルは肩を竦めてロナと苦笑を交わすと、「もちろんよ」と笑顔で首肯した。
「お礼は要らないよと言いたいところだけど、姉ちゃんたちの口付けとあっちゃ話は別だ。本当にしてくれるんなら、おいら、姐御の薬草全部引っこ抜いてやったっていいぜ」
調子に乗って得意げに嘯く彼に、思わず苦笑しつつ「マセ餓鬼」と言ってやると、
「何だよ、こんな美人を二人も侍らせて、旦那こそとんでもねぇ女ッ誑しじゃねぇか」
と、頬を染めながらの反撃を喰らわされた。女誑しと呼ばれたのは人生初だ。何やら妙に感慨深い。
石壁の角を曲がり、暫く行った先に裏門が見えて来ると、彼はその手前で俺を振り向いた。
「有難う旦那。ここでいいよ。本当なら、客間でお茶の一杯でも御馳走したいけど、姐御は石使いを嫌ってるんだ。怒らせると面倒だからさ……ごめんよ」
申し訳なさそうに言う彼の頭を、「いいさ、気にすんな」と言いながらわしわし撫でてやると、ほっとしたような微笑を浮かべて、ひょいと身軽に馬を下りた。
「じゃぁ、また今夜」
丸でいたずらの打ち合わせでもするかのように声を潜める彼に、ロナは「月が沈む頃ね」と念を押す。
それに親指を立てて答えると、彼は裏門へと駆けて行き、門扉の手前で名残惜しげに振り返ると、大きく手を振ってから中へと消えた。
俺たちは一旦近場の停車場に宿を取ると、夜半を待って再び侯爵邸へ向った。
邸から程近い場所に見付けた林の中に馬を隠すと、西の空に掛かる上弦の月が照らす中、裏門を目指す。
石壁の落とす濃い闇に紛れて門扉に近付くと、外を窺っていた小さな影が飛び出して来て両腕を振った。
「今晩は」
目の高さに身を屈めてそっと囁くロナに、ジェイドは「待ってたよ」と潜めた声を弾ませると、そそくさと門扉に駆け寄り、音を立てないようにそっと開いて俺たちを手招きした。
中へ入ると、灯りの点いたままの門番小屋から、高いびきが聞こえて来た。
禁制の薬草園を抱えてるってのに暢気なもんだと思っていると、彼は小屋をチラと振り向いて、
「我ながら良く効く薬だぜ」
と呟きながら、したり顔でにやりと笑った。
俺たちを引き入れる為に一服盛ったのか。呆れたと言うか何と言うか……末恐ろしい餓鬼だ。
裏庭と言えど敷地は前庭同様に広大で、綺麗に刈り込まれた芝生の上に、立ち木や花壇が趣味よく配された美しい庭園に整備されている。
その向こうに見える邸は、城館といってもいい程の重厚な佇まいだ。領内の薬草畑も随分大規模なものだったし、侯爵様ともなると羽振りの良さも段違いだな。
彼は通用口と思われる扉に駆け寄ると、細く静かに開けた隙間から中を覗き、人影が無いことを確認すると、俺たちを振り向いて中へと促す。
彼と共に、しんと寝静まった邸の内部へ息を殺して侵入すると、通路の遥か先に回廊が廻らされているのが見えた。どうやらその向こうに見える中庭が、例の薬草畑のようだ。
通路を辿って回廊へ出ると、彼はテラスから身を乗り出し、再び周囲に警戒の目を走らせると、俺たちを振り向いて声を潜めた。
「旦那様がまだ起きておいでだ。気付かれないようにね」
その言葉に辺りを見回すと、中庭を見下ろす上階の角に、そこだけぽつんと灯りの点る部屋があることに気付いた。
廃嫡されても尚、夜を徹して薬術の研究か。いい気なもんだ。ご自分の成果がどんな使われ方をしてるのかご存知なのかね。
そろそろと忍び足で外に出る彼に続いて中庭へ出ると、広大な敷地は全て薬草で埋め尽くされていた。
鬱蒼たる茂みの中に佇む瀟洒な東屋だけが、嘗てここが庭園だったことを偲ばせるのみだ。
件の薬草は丈が俺の腰まで届く程の大きな植物だった。腕くらいの長さの幅広な葉に抱かれた茎の先では、小鳥の卵大の膨らみかけた蕾が項垂れている。
中には割れた萼の間から薄紫の花弁を覗かせ、微かながら青臭い異臭を放っているものもあった。
ロナを振り返ると、彼女は星明りに照らされた畑を険しい顔で見回していたが、俺の視線に気が付くと強く頷いて見せた。ビンゴらしい。さて、これだけの規模を焼き払うにはどうしたらいいものか……。
「そこで何をしている!」
凛とした声が闇を裂く。咄嗟に身構えた俺たちの前に姿を現したのは、男装の女だった。どうやら姐御の御出座しのようだ。
剣を佩いた華奢な柳腰。夜風に靡く巻き毛は何色だろう。美女と聞いたが、闇夜でははっきり拝めないのが残念だな。
「ジェイド、お前か! よりにもよって石使いなんぞを引き入れるとは……!」
鞘鳴りと共に白刃が薄闇に閃くと、彼は悲鳴を上げ、抜剣して対峙する俺たちの影に逃げ込んだ。
「あ、姐御……! 旦那も姉ちゃんもいい人だよ! おいらを助けてくれたんだ。だから……」
「問答無用!」
躍り掛かる彼女の剣を受けながらも、「逃げろ!」と背後へ叫んだが、声を聞き付けた警備の私兵どもが、邸のあちこちから湧いて出て来やがった。
「イスカ殿! 如何なされた?!」
「賊だ。斬り捨てよ!」
俺と鍔迫り合いをしつつ叫ぶ彼女に、連中は「承知!」と答えてたちまち包囲した。背後からはロナとベルが応戦する音が聞こえて来る。
細腕ながら驚くほど力強い剣技で挑んで来る彼女には、正直梃子摺った。中々の使い手と見たが、この膠着を解くにはどうするか。
それも束の間、背後から「ぎゃっ」と兵どもの悲鳴が上がった。「何?!」と顔を上げた彼女の隙を突いて剣身を強かに打ち据えると、取り落とした剣をすかさず蹴り飛ばした。
「姉ちゃん早く!」
振り向くと、ロナたちの手を取って逃げるジェイドの周囲で、兵どもが次々にくずおれて行く。
「逃がすか!」
痺れた手首を押さえて蹲っていた姐御が懐に手を入れた瞬間、彼の手元で何かが光る。一体何が起きたのか判らずに面食らってる俺の目の前で、彼女は微かに呻きながらその場に膝を突き、倒れ伏した。
「姐御!」
悲痛に叫んで彼女に駆け寄ろうとした彼を、咄嗟に抱え上げると二人と共に通用口へ飛び込み、夜陰に紛れて邸を脱出すると、馬を隠した林まで駆け戻った。そのまま息を整える間も無く城下へ向けて拍車を当てる。
ロナは心残りといった顔で邸を振り返っていたが、取り敢えず薬草畑の場所は特定できたし、今ここで強攻策を取るよりは、情報を支部に持ち帰った上で、正式なチャネルからエブロイス侯爵家と交渉した方がいいだろう。