19-1
翌日俺たちは、城下にあるエブロイス侯爵邸にいた。
アポイントを取ってくれたのは親方だったが、彼は邪法薬師の取締りを進言するとかで、騎士団将軍を訪ねて城へ出向いていた。どうやら毒草畑を擁しているのは、侯爵別邸だけではないと踏んだようだ。
ベルによると件の侯爵閣下は、セブラン国軍と神聖騎士団の両軍で将軍の任を全うし、現役を退いた後も、軍務尚書を勤めたと言う筋金入りだそうで、健康上の理由で後進に席を譲った後も、ご意見番として城の内外に睨みを効かせている、軍政の重鎮らしい。
強面な壮年の家令に迎えられて応接間へ通されると、暫く待たされた後、侯爵は小姓の押す車椅子に乗って現れた。
贅沢なローブに包まれた、厚い胸板を聳やかす堂々たる風体。白髪がちな栗色の髭を蓄えた気難しげな面差しに、鼻梁を跨いで両頬を横切る古い刀傷が凄味を添えている。敢えて問わずとも、それら全てが放つ圧倒的な存在感が、彼の経歴を物語っていた。
彼は部屋に入るなり、皺深い瞼の奥から鋭い眼光で俺たちを睨め付けていたが、ロナに視線を転じた瞬間、はっと息を呑むと、嗄れた声で小さく「エネラ殿」と呟いた。
「そなたはもしや……」
狼狽を含んだ彼の言葉に、彼女は硬い表情で慇懃に頭を下げる。
「夢屋のロナに御座います。私は流浪の薬師、卑しい端女に過ぎませんわ。高貴な方のお名前を頂戴するは、些か勿体のう御座います」
そう言いながら、殊更妖艶に微笑んで見せる彼女に、彼は「左様であったか……」と、少しばかり恥じ入る様子を見せながらも、俺たちに王のような仕草で鷹揚に着席を促した。
「久しいな、ベルナデット殿。プリシラが、支部にそなたが来ておると言って大層はしゃいでおった」
「お久しゅう御座います閣下。ご挨拶が遅れまして申し訳ございません」
柔らかな微笑を浮かべつつ頭を下げる彼女に、彼もまた厳つい顔を柔和に綻ばせると、ふと切なげな溜息をついた。
「美しくなられた。エルンスト卿が存命であれば、さぞ喜んだであろうに……」
昔日を懐かしむ彼の言葉に、彼女は目を伏せると静かに首を振る。
彼女の親父さんとは、神聖騎士団を通じての誼があったと聞いた。嘗ての部下の令嬢に、その面影を追うあたり、きっと厳格ながらも面倒見のいい上官だったんだろう。
彼は彼女の様子に満足げに頷くと、今度は俺に向き直って丁寧に頭を下げた。少々面食らいながら、慌ててこっちも頭を下げる。
「神官でありながら石使いに転身なされたは、許婚の身を案じられてか。何とも睦まじい事だ」
「え?」
「彼女は心優しく聡明な女性だ。神界にあるエルンスト卿のためにも、どうか幸せにしてやって欲しい」
「えぇ?!」
「頼みましたぞ、テオドール殿」
思わずベルを振り向くと、彼女は明らかな困惑顔で俺を見上げ、苦笑しながら肩を竦めて見せた。その向こうではロナの奴が、面白そうな顔でにやにや笑ってやがる。
「俺、そんなに似てる?」
「えぇ、かなり。生き写しとまでは行かないけれど」
そう言えば、彼女の婆やにも間違われた事があったっけ。既に故人とはいえ、恋敵と間違えられるのは何やら複雑な心境。
そんな俺たちの会話を聞いてか聞かずか、侯爵は暖かい眼差しで微笑ましげに眺めている。耳が遠い訳じゃなさそうなんだけどな。
「あの、閣下……」
「ん? 如何した」
「彼は……その、別人です」
何とも言い難そうに告げる彼女の言葉に、彼は「んん?」と身を乗り出すと、思わず反射的に身を引いちまった俺の顔を、プリシラと同じ緑の瞳を見開いて、まじまじと覗き込んだ。
「あ、どうも。ランジャと言います。ベル……ナデット嬢とは仕事仲間でして……」
苦笑交じりの自己紹介に、彼ははっとして豊かな口髭に手をやると、「これはしたり」と呟いた。
「いや、失礼仕った。神族というだけで、てっきりテオドール殿と思い込んでおった。どうか許されたい」
「いえ、美女のお相手と思われるなら、満更悪い気もしませんので」
本音としちゃ不本意ながらも、そう言ってにやりと笑う俺に、彼は深々と下げていた頭をきょとんとして上げると、巨躯を揺すって豪快に笑った。
厳格な老騎士かと思いきや、中々すっとぼけた爺さんだ。思い込みの激しいところなんぞはプリシラにそっくりだな。
やがて茶器を携えた小姓が入って来ると、淹れたての加密列茶を振舞ってくれた。柔らかく爽快な香りが広い応接間に満ちる。
支部でも何度か御馳走になったけど、薬としては兎も角として、この地の薬草は茶にすると思いのほか上質だ。
薬種に精製する技術となると、ナクルタツリの典薬寮には遠く及ばないのだろうけど、これだけでも十分稼ぎになりそうだ。
一口味わってふと顔を上げると、茶器を持つ侯爵の手元が酷く危うげだった。見れば、両手指とも関節が無残に歪んでいて、ちょっとした動作ですら儘成らない様子。
恐らくあれはリウマチの症状だろう。脚が利かないのもきっとその為だ。若かりし頃は存分に暴れまわった口だろうから、その苦痛ともどかしさは想像に難くない。
「さて、コンラート殿の使いによれば、我が別邸に変事有りとの話だったが……」
「左様に御座います。まことに申し上げ難いのですが、リオネル卿が中庭で栽培なさっている薬草、あれは正法では禁じられている毒草なのです」
言葉を選ぶように告げる彼女だが、彼に「そんな馬鹿な」と一笑に付されると、哀しげに柳眉を顰めた。
「いいえ。まことに御座います。蓮火幇の邪法薬師が、家令に成り済まして潜入しておりました」
「何? イスカが邪法薬師だと? あれは薬術の指南役として、リオネルが召し抱えた薬師だ。私が日頃用いている痛み止めも、あれの手に成るもの。別段毒など入ってはおらぬぞ」
「恐らく、怪しまれぬよう、閣下のお薬は正法で処方していたものと思われます」
彼女の言葉に、彼は渋面を作って「むう……」と唸る。
「閣下、これを……」
ロナは懐から掌に治まるほどの小さな青い瓶を取り出すと、テーブルの上に置いた。栓の真ん中から覗く針の頭を軽く押すと、毒針が飛び出て来る。
彼女はそれを摘み上げると彼に示した。先端に塗られた毒が青黒く滑光る。
「それは?」
「蓮火幇が暗殺に用いる毒針です。あぁ! お手を触れませぬよう。先に致死毒が塗って御座います」
「致死毒……」
嗄れた声で繰り返した彼の喉仏が、生唾を飲み込んで静かに動く。
「件の家令の手引きで小姓に扮していた弟子が、懐に忍ばせておりました。正法の薬師であれば、このようなものは使いません」
優美な仕草で瓶に針を戻す彼女の手元を凝視したまま、彼は額に汗を滲ませつつ「何と……」と呟いた。
「その弟子の証言によれば、中庭の毒草もその家令が栽培していたようです。リオネル卿は毒草の正体をご存知なのでしょうか?」
「我らがイスカに謀られたと?」
搾り出すような声で聞き返す彼に、ロナは深く静かに頷いて見せる。
「そも、その薬草とは如何なる毒を持つ草なのだ?」
「紫花天蠍晶と申しまして、人心を蝕む猛毒に御座います。閣下はケイディシアの騒動をご存知でいらっしゃいますでしょうか?」
「うむ。人伝ではあるが聞いている。国軍の兵たちに毒が齎され、トゥラシオン由来の病と偽る者に煽動された賊が、オリガ妃を盾に大公と王に挑んだとか」
「如何にも。その毒こそが紫花天蠍晶に御座います」
「左様であったか……。他国に災いを齎した薬草が、我がセブランのものとあっては由々しき事だな」
「閣下には是非、薬草の処分と邪法薬師の捕縛に御協力を頂きとう存じます」
彼女は幾分強い調子で言うと、瞼を閉じたまま低く唸って沈思黙考する彼の返答をじっと待つ。
「そう言えば、事件の解決には、玉座を退いたロアルデの金狼王と共に、美貌の薬師と神族の石読みの活躍があったとも聞いたが、もしやそなたらは……」
ふと顔を上げた彼が、覚束無い指で差しながら、幾分戸惑うような眼差しで俺たちの顔を交互に見ると、ロナは俺と苦笑を見交わして肩を竦めた。
「やはりそうか。やはりそなたはナクルタツリの……。」
膝の上に置いたカップから立ち昇る、仄かな湯気に視線を置いたまま、うわ言のように呟く彼の意を測りかねてか、ベルもまた不安げな眼差しで俺を見上げた。
「実は、私にはリオネルの下にもう一人息子がおってな」
震える指で支えたカップを、もどかしげに口へ運ぶと、彼は大きな溜息と共に切り出した。
「内気で学問を好むリオネルと違って、オルランドは私に似たのか、幼い頃から武芸を愛する無骨者であった。
その甲斐あって、陛下の騎士団では、将来を嘱望される者の一人と目されておったのだが、先の戦では、何を思ったか功を焦りおってな……」
「神都の乱……ですか?」
「いや、ナクルタツリ侵攻だ」
その瞬間、ロナは表情を凍りつかせたが、彼の、怨嗟よりもむしろ哀惜の色濃い眼差しを向けられると、硬く眉根を寄せて視線を逸らした。
「当時の城下は凱旋に沸きはしたが、帰還した騎士たちの多くは既に人では無くなっていた。
オルランドもまた、陽光を、人を恐れる魔物と化し、獣のように吠え立てては、見境無く斬り付ける様になってしまったのでな。私が始末した。この手で……」
「閣下……」
「まこと、ナクルタツリの秘薬とは恐ろしい物だな。王の香炉一つで、我らがセブラン騎士団は壊滅の憂き目に遭った」
「聖山の門を武力を持って破らなければ、オルランド卿が毒香に触れることも御座いませんでしたわ」
言葉を選び、極力穏やかな口調で言ったつもりなんだろうけど、果敢にも真っ直ぐ顔を上げるロナの、燃える様に挑戦的な黒い瞳には、隠し遂せない程の怒気が滲んでいる。
だが、彼はそれに臆することも無く、ふっと鼻で嗤うと、自嘲めいた眼差しで窺うように彼女を見た。
「陛下への忠節によって爵位を賜り、その膝下にて碌を食むこの私に、あの戦を糾弾せよと?
確かに、あの勅書の真贋を問う者も多く、詮議に掛けられた屈辱もありはしたが、陛下の御心に沿うが我ら騎士団の務め。御下命とあらば駒として戦うまでだ」
「ジョセル陛下に野心無くば、両国に悲劇は起こり得ませんでした」
はらはらしながら聞いてる俺たちをよそに、尚も挑む彼女の言葉を聞いて、彼は何を思ったか、
「ほぅ、野心とな」
と揶揄めいた口調で呟き返す。
「ならば、己が身命を、他国の秘術に委ねざるを得ん恐怖を何と見る?」
その一言にはっと口を噤み、何事かを言いあぐねた彼女に、彼は口髭の端に少しばかり意地の悪い笑みを浮かべて見せると、静かに片手を挙げて制した。
「もっとも、私個人としては元より貴国に恨みなど無い。それに、この手足はもう長患いでな。御典薬師のレネケ師ですら匙を投げた。
初めのうちは故国に侵攻した我らへの意趣返しかと、筋違いな恨みを抱きもしたが、老師は『病む者に貴賎なし。ならば敵も味方もなかろう』と呵呵大笑された。
薬師の長たる亡きハルトランガ王の高潔を思い知らされて、思わず感服したものだ。
が、リオネルは違った。あれが薬術の研究にのめり込んだのは、かの毒香と相克する薬を作らんとしての事だ。
オルランドの命を奪った貴国の秘術を恨みに思いながらも、その優れた薬術に頼らざるを得ない事を屈辱と思うのだろう。あれの気持ちも判らぬでもない」
彼は、「あの香は……」と言い掛けた彼女を再び制すると、静かに首を振った。
「案ずるには及ばぬ。正式な修行すら経てはおらぬあれに、貴国の秘術に対抗出来得る程の技量などありはせん事ぐらい、この私にも判る。
あれ独りが別邸に篭って薬草と戯れるのみであれば捨て置けばよい。……とは申せ、しかし、それが世を騒擾せしめた毒草となれば話は別だ」
「では閣下……」
俺たちと顔を見合わせ、向き直ったベルに、彼は深く頷いて見せる。
「別邸への立ち入りを許可しよう。そなたらの手で毒草を根絶やしにし、邪法薬師の甘言からあれの目を覚ましてもらいたい」
その言葉に安堵しつつ丁重に謝意を示し、席を立って退室しようとした時だ。
「ロナ殿、と申したな」
彼は、俺たちの背中に声を掛けると、「はい」と答えながらも怪訝そうに振り返る彼女の元へ、小姓に命じて車椅子を近付けた。
「その美貌で緑の黒髪とあらば、そなたにも城への御召しがあったと思うが……?」
「はい、御座いました」
「陛下への御目通りは?」
「いいえ。御召しには与れましたが、謁見を賜る前に、忌々しくもこの御節介な石使いに連れ戻されてしまいましたので」
それを聞いて、思わず苦笑交じりに肩を竦めた俺を、彼女はチラと睨み付けてからツンとそっぽを向く。
その様子に、彼は何故か安堵した様子を見せると、再び彼女を見据え、強い口調で言った。
「そなたには、陛下に目見える事罷りならぬ」
「え……?」
当惑も露にベルと顔を見合わせる彼女に、彼は更に言い渡す。
「再びの御召しがある前に、この城下を立ち去られよ」
「何故に御座いますか? 私がこの城下へ罷り越しましたのは、陛下が我らが王女殿下の行方をご存知との噂を耳にして……」
「ならぬ!」
唐突な怒声が雷鳴のように俺たちを竦ませる。彼女もまた一瞬身を縮めはしたが、尚も食い下がろうと大きく息を吸ったその瞬間、部屋の外から女中たちの悲鳴が聞こえた。
何事かと咄嗟に入り口を振り返ると、荒々しく開け放たれた扉の向こうに、「大旦那様!」と野太い声で呼ぶ家令の姿が現れた。
見れば、彼の腕には刀傷を負ったセルヒオが、肩で荒い息をつきながら抱きかかえられている。二の腕から指先へと伝う鮮血が、磨き抜かれた床にたちまち血溜りを作った。
「セルヒオ! 一体何があった?!」
侯爵の怒声が響く中、ロナは、ソファに横たえられた彼へ反射的に駆け寄ると手早く止血し、荷物の中から取り出した数本の薬瓶を手に、手際よく治療を始める。
俺たちもまた、苦しげな息の下で尚、震える手を主へと伸ばそうとする彼を囲んだ。
「プリシラ様が……イスカ殿に」
「何?!」
「支部を、出た所でイスカ殿が……。別邸の旦那様が、お呼びだと……」
「何故御主が傷を……!」
「不穏を感じて……プリシラ様を、お引止め……しようと、したところ……イスカ殿に」
「何と……!」
「申し訳……御座いません。ビクトルが……お役目で、留守とは言え……」
青白い顔で息も絶え絶えに詫びる家臣に、侯爵は車椅子越しに覚束無い指を伸ばすと、その手を力強く握った。
「プリシラを人質に取ったか。狙いはジェイドの身柄ってとこかな」
「だとすれば彼女、別邸に立て篭もる気ね」
俺の呟きに答えるベルと顔を見合わせて頷き合うと、ロナもまた治療を続けながら俺たちを振り向き、「私も後から行くわ」と慌しく言った。
険しい眼差しで見上げる侯爵の、「プリシラを頼む」との言葉に、「お任せを」と拝礼で答えると、二人で邸を飛び出し、支部へと急ぐ。
ジェイドは今朝早くにロナが施療院に預けていた。本人の強い希望とかで、修行薬師たちの手伝いをさせる為だったのだが、どうやらそっちは正解だったようだ。が、プリシラが狙われるとは想定外だった。
恐らくイスカは、彼が支部にいるものと思い込んで奪還を図ったが、警備が厳重だった為に、彼女を人質に取る作戦に出たんだろう。とうとう尻尾を出しやがったか。