生い茂る毒草を踏み散らかしながら中庭を横切ると、件の小屋は、手入れの行き届いた低木と、芳香を放つ春の花に囲まれた一角にあった。
今は禍々しい毒草に蹂躙されてはいるが、嘗てはこんな木々や花で埋め尽くされた、美しい庭園だったんだろう。恐らく、往時を偲ぶために、庭師が自分の裁量で植えた物に違いない。
扉に手を掛けると、施錠されていなかった。何やら苦い予感を抱きつつも、土の匂いのする道具類が整然と納められた中を、ロナが掲げるランタンの灯を頼りに、周囲を窺いつつ奥へと進む。
次の間の作業台の下に、錠の掛けられた床板を見付けると、二人で台を移動し、床に跪いた彼女が開錠するのを待つ。
背後に突然人の気配が湧く。咄嗟に抜剣しつつ振り返ると、「ひぃっ!」と甲高い悲鳴が上がった。よく見ると、戸口に立ち尽くしたまま硬直している影は、女中のお仕着せを纏った痩せた女だった。
「危ねぇなぁ、何だよ」
緊張感を削がれ、少々非難がましい口調で大きな溜息をつく俺に、女中は申し訳なさそうに頭を下げる。
「すんません。兵隊さんには部屋から出るなって言われてたんですが、薬師さんたちが心配で……」
彼女の言葉に、俺はロナと思わず顔を見合わせた。
「ここに薬師がいる事を知ってるのか?」
「はい。イスカ様には口止めされてましたが、あたしは食事を運ぶよう仰せ付かってましたので」
「なるほどね。悪かったな、驚かしちまって」
剣を納めながら詫びると、彼女はぎこちないながらも微笑を浮かべつつ首を振った。
「いいえ。あたしこそ驚かしちまって申し訳ねぇです」
彼女はそう言いながら、放り出してしまったランタンを拾い上げると、入り口付近の鈎に掛けた。
薄暗がりだった小屋の中が仄かに明るくなり、女中の顔を照らす。三十前半といったところか。
清楚に結い上げた艶やかな黒髪と、やつれてはいるものの色白の整った顔立ち。そして何よりも、そのほっそりとした少年のような肢体と、野性味のある黒い瞳には既視感があった。
どこかで会った事があるかと訊ねようとした時、ロナの「開いたわ」の声に遮られた。
床板に開けられた穴から、淀んだ空気と共に立ち昇る溶媒の刺激臭が目に染みて、思わず顔を背ける。
劣悪極まる環境だ。灯を翳しても尚暗いその中を覗き込むと、簡素な梯子が掛けられているのが見えた。
ロナは意を決したように独り頷き、ランタンをお仕着せの帯に括り付けると、そろそろと下へ降りて行った。
中はやっと背が立つほどの深さのようだ。揺らめきながら降りて行く小さな灯が下へ届き、暗い穴倉を照らしながら奥へと進むのを、女中と共に見守っていると、突然、絹を裂くような彼女の悲鳴が上がった。
「どうした!」
咄嗟に飛び降り、抜剣して辺りを見回すと、小刻みに揺れるランタンの光の輪の中には、折り重なって倒れている人影と、奥の壁に背を預けたまま、ずるずるとへたり込む彼女の姿があった。
倒れている人影は四人。いずれも既に息は無かった。枷を付けられている三人は、監禁されていた薬師だろう。残る一人は、ジェイドと同じお仕着せを纏ってるところから、小姓だと判った。
折り重なる痩せこけた亡骸は血溜りに濡れ、小姓の手には血染めの短剣が握られている。どうやら証拠隠滅の為に、薬師を殺して自害しろとの命を受けていたようだ。
作業台の上に置かれたランタンに、幽かな光を灯す小さな精霊石が残っている。死後一時間といったところか。
恐らく、騎士団突入と同時に決行されたんだろう。酷ぇ奴らだ。石読み然り、薬師然り、蓮火幇の連中は技術者を一体何だと思ってやがるんだ……!
腹の底で渦巻く怒りを宥めつつ、凄惨極まる光景に絶句していると、ロナは震える手を薬師の亡骸に伸ばし、固く胸に掻き抱くと声を上げて泣いた。
「御免なさい、助けてあげられなかった……。御免なさい、御免なさい……」
啜り泣く声を見上げると、あの女中もまた床に座り込んだまま、手巾で顔を覆いながら肩を震わせていた。
「イスカ様……何て惨い事を……。こんな事になるんなら、あの時、みんな逃げちまえば良かったのに……」
「あの時……? ひょっとして、サナンを逃がしてくれたのはあんただったのか?」
「鍵を掛けなかっただけです」
彼女は俺の問いに慌てて涙を拭うと、しゃくり上げながら言った。
「薬師さんたちが余りに哀れで……。鍵を掛け忘れた事にすれば、隙を見て逃げ出してくれるんじゃないかと思ったんです」
「何故、サナンだけが?」
「みんな、あたしを庇ってくれたんです。みんな逃げてしまったら、あたしやお小姓がお仕置きを受けるからって。優しい人たちだった。あぁ、みんな山へ帰りたがってたのに……」
彼女は涙声を震わせてそこまで言うと、再び手巾で目元を覆った。
「有難う」
ロナは穴の下へ歩み寄ると、泣き腫らした顔で彼女を見上げながら、静かな声で言う。
「あなたのお蔭で、私たちはこの邸の秘密を知る事が出来た。感謝します」
「感謝だなんてとんでもねぇ。あたしは何もしてやれなかったんです」
手巾に顔を埋めたまま、くぐもった声で言う彼女に、ロナは微かに微笑むと、そっと首を振った。
「彼らの遺灰は聖山に持ち帰ります。あなたの名前を教えて頂ける? 大薬師長に是非お伝えしたいの」
彼女の申し出に、女中ははっと顔を上げると、「とんでもねぇ」「畏れ多い」と繰り返しながら、両手を振って尻込みしていたが、是非にと食い下がられると、恥ずかしそうな小声で「アリーチェと申します」と答えた。
穴倉の遺体は、三人掛かりで引き上げると、小屋の床に並べて横たえた。
俺が隊長に報告に向かっている間に、追悼の祈りを捧げていたのか、戻って来ると、四体の亡骸には、それぞれ小屋の庭から摘んで来たと思われる、ささやかな花束が供えられていた。
隊長の検分によれば、下手人と思われる小姓も、ジェイドと同様に身元不明の少年らしい。彼もまたイスカに拾われて、邪法の手解きを受けていたに違いない。
「貴族の邸は、一度全部洗った方がいいんじゃねぇの? 多分、他にも潜り込んでるぜ」
俺の提案に、隊長は並んだ亡骸を見下ろしたまま、険しい顔で深く頷く。
「ありえるな。城下に戻ったら、早速上申しよう」
力強く答えた彼を、小屋の外で部下が呼んだ。どうやら毒草の伐採が終わったらしい。
外へ出てみると、綺麗さっぱり切り払われた中庭は、だだっ広い敷地の真ん中に瀟洒な東屋だけがぽつんと佇む、荒涼とした景色に変わっていた。
一箇所に纏められた毒草の上に遺体を並べ、下男や庭師たちと共に、その周りに薪と精霊石を積み上げていると、遠巻きに見守っていた他の女中や召使たちも、いつの間にか集まって来て俺たちを手伝ってくれた。
積み上げた薪に火を付ける彼らに紛れて、最後に篭手を外した指先でこっそり石に触れる。触発モードで0秒レベル125を入力すると、毒草と亡骸は一瞬で大きな炎に包まれて中庭を照らした。
取り囲んだ連中は「おお」と声を上げ、曇天の夜空を焦がす炎を見上げると、皆一様に胸に手を当てて黙祷する。
気付けば上階の回廊でも、ベルとリオネル卿親子が肩を寄せ合って祈りを捧げていた。
「お嬢さんは、きっと高貴な御生まれなんでしょうね」
アリーチェがふと漏らした言葉に、燃え盛る炎を真っ直ぐ見詰めていたロナが、「えっ」と戸惑いも露に振り向いた。
「そんな女中の格好なさっていても、とてもお綺麗でいらっしゃるし、気高くて、お優しくて、まるで姫様みてぇです」
「嫌だ、からかわないで。私は放浪の薬師、根無し草よ。そんなご大層な身分じゃないわ」
苦笑交じりに言いながら肩を竦めて見せるロナに、彼女はふと寂しげな微笑を浮かべた。
「あたしにも娘がいましてね。お嬢さんほど美人じゃないけど、あたしと同じ黒髪だったんです。お嬢さんを見てたら思い出しちまいました」
「娘さんは?」
「さぁ、生きてりゃ今年で十五になるんですが、村を出る時預けた兄が、娼館に売っ払っちまったなんて噂を聞いたもんで……生きてるやら死んじまったやら……」
自嘲めいた微笑で首を振る彼女の肩を、ロナはそっと抱き寄せると、宥めるように優しく撫でる。
切ない溜息をつく横顔を目にした時、俺の脳裏に浮かんだのは、蓮っ葉だけど無邪気な隻眼の少女の、いたずらっぽい笑顔だった。
「あんたの娘、名前はニーナだろ」
俺の言葉に、彼女は弾かれたように顔を上げると、ニーナと同じ山猫の目を真ん丸く見開いて見詰める。
「故郷《くに》はフィンデールのソムル村で、あんたら夫婦はそこで百姓をしてた。違うか?」
「兵隊さん、娘を……ニーナをご存知なんですか?」
「あぁ。サリミロとの国境近くで会った。彼女なら元気だよ」
「ほ、本当ですか?」
「あぁ、やんちゃな亭主と一緒に、ホルザレン会の手助けをしてるんだ」
「亭主? 亭主がいるんですか?」
「あぁ、マグノリエ城下での馴染みだそうだ」
「嫁なんですか? 妾じゃなく……」
「あぁ、そうだ」
「そうですか。あの子、嫁に行ったんですか。おまけにホルザレン会の手伝いだ何て、御亭主はきっと御大尽なんでしょうね。良かった……幸せなんだ」
彼女は「良かった、良かった」と繰り返しながら、何度も目元を拭った。
「故郷にゃ帰らねぇのかい?」
手に持った手巾をくしゃくしゃと弄びながら、彼女は「帰れねぇんです」と啜り上げながらぽつりと言う。
「何で? 寂しがってたぜ、ニーナの奴。誰も帰って来やしねぇって」
「高利貸しにね、騙されちまったんですよ。あの年は不作でね、村の者はみんな税金が払えなかったんです。
で、困ってたところに金貸しが来て、村中に金を貸して回ったんですよ。そしたら、借りた金よりも利子がべらぼうで……。
返せないとなったら今度は人買いを連れて来て、みんなてんでばらばらに買われて行ったんです。
あたしは運が良かった方だ。人足にと売られたのが旦那様の薬草畑でしたから」
「あんたの旦那は?」
「亭主は、他の男衆と纏めて鉱山だって言ってました。今頃、どこの山で働いてるやら……」
それを聞いても、俺は「そうか……」としか答えられなかった。
人買いに安く買い叩かれたんじゃ、行き先は恐らく隠し鉱山だ。きっと今頃はこき使われて死んじまったか、生きてても薬漬けで廃人だろう。
みんな、フィンデール王イルシュの齎す悪政の犠牲者か……。