ゲヘナ地区にある介護施設。その廊下をアリスはケイとともに目的の部屋まで向かっていた。
辺りには車椅子姿の年配の方がくつろいでいた。自分も生身のキヴォトス人ならその姿になっていたのだろう。そんな事を考えているうちに目的地の部屋にたどり着いた。
そこには車椅子に座った燻んだ黄金色の髪の女性がいた。その足元には金色の髪をした幼女が無邪気に一人の貴婦人の膝に抱きついた。
「おばあちゃん!」
「あら、遊びに来てくれたの、ありがとう」
車椅子に乗った貴婦人が優しく幼女の頭を撫でた。
「久しぶりですね。イブキ」
「おや、随分と懐かしい顔ですね」
薄くなった黄金色の瞳にはかつての純粋な眼差しを感じた。かつて万魔殿最年少の議員として活躍し、後に万魔殿の議長の座についたゲヘナの女傑。丹花イブキだった。
「おばあちゃん。この人は?」
かつての彼女にそっくりな少女がアリスを見て、首を傾げる。
「私のお友達だよ」
イブキが優しい手つきで孫娘を撫でた。かつてアリスよりも幼かった彼女に孫娘がいる事実にアリスは改めて、時の流れを強く感じた。
アリスとケイはイブキに導かれて、近くの公園に向かった。よく孫とこの公園に来るらしい。彼女の孫が躍動感溢れる動きで公園を駆け回っていた。
「最後にあったのはいつぶりですか?」
「先生の葬儀以来だから、三十年くらいですね」
近くで遊ぶイブキの孫を横目にアリスは話を進めた。
「イブキなんですよね。私を呼んだのは。どうして私達が来たと分かったんですか?」
「ゲヘナの情報網は万に通じますから。懐かしい顔を見たかったという事もありますが、理由はもう一つあります」
イブキがそう言いながら、ポケットの中から小さなUSBを取り出した。
「これは?」
「雷帝の遺産。列車砲シェマタ。そのデータです」
アリスとケイはイブキの言葉に驚愕した。列車砲シェマタ。かつてゲヘナに在学していた暴君。雷帝が残した数ある遺産の一つだ。
あまりの危険性から当時、険悪の仲だったゲヘナの議長と風紀委員長が手を組んで直々に解体に向かうほどのものだった。
「ですが、雷帝の遺産は情報も何もかも廃棄されたはずじゃ」
「それだけは秘密裏に確保していたの」
「どうして……」
ケイが問いかけるとイブキが頭上に広がる空に目を向けた。
「八十年前、空が赤く染まったあの日から、キヴォトス全土が別次元勢力の意識を高めていた。私自身もゲヘナの議長に就任後、それらに対する研究や対策の強化に目を向けました」
色彩の嚮導者と別世界の砂狼シロコが来た日だ。あの日の出来事はアリスも昨日の事のように覚えている。一度、大切な従者と別れた日でもあるからだ。
「それに対抗するには雷帝の遺産は重要な武器になる。確かに雷帝が遺したものはどれも恐ろしかった。でも正しい使い方をすれば、間違いなく多くの人を助けられる」
イブキがアリスの手を強く握って、託すようにUSBを握らせた。
「アリス。貴女になら託せる。先生の意志を継いだ貴女なら」
彼女が心を突き刺すような真っ直ぐな目で、アリスの目を見る。
「アリスは勇者です。仲間の想いを継ぐのもまた勇者。これは大事に頂きます」
「ありがとう」
イブキがアリスに感謝を述べると、砂場で遊ぶ孫に目を向ける。
「孫やここの皆さんのおかげで楽しく快適な日々を送っている。毎日、本当に幸せです。ただ、時々昔の夢を見るんです。先輩達や先生がいた時の事を。無い物ねだりなのは百も承知なんですが、今もあの頃を求めてる私がいるんです」
イブキの目がどこか遠くを見据えていた。かつての憧憬を今の彼女はどこかで焦がれているのだ。
「アリス。ケイ。あなた達はこれからどうされるおつもりですか?」
彼女が全てを見透かすような目を二人に向けて来た。
「やることは大して変わりません。この身がある限りキヴォトスを守りますよ。私は勇者ですから」
「同じくです」
「そうですか。どうか息災でいてください」
辺りは夕焼けに包まれ始めたので、四人は介護施設に足を進めた。
数日後、丹花イブキの訃報がキヴォトス全土に報道された。ゲヘナ地区の治安改善及びキヴォトス外の敵対勢力への対策に尽力した女傑は親族や親しい人間に見守られ、眠るように息を引き取ったという。