暗殺教室 零の瞳に映るもの   作:ディーエー

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【注意】
このお話ではポーカーの描写があります。簡単にルールについては描写していますが、一部専門用語が出てきますので、あらかじめご了承ください。



第12話 覚悟の時間

 

突然だが、俺の能力(ちから)の話をしよう。タコ型超生物のマッハ20のスピード、烏間さんの人間離れした戦闘力、イリーナ・イェラビッチのハニトラと潜入能力のように、俺にも他の人間に負けないと言える武器がある。それは俺の『眼』だ。

 

薄々感づいている者もいるだろう。俺は『眼』がいい。視力という意味ではない。視野が広いという意味だ。

 

俺は周りより優れた観察眼(インサイト)を持っている。周囲の状況を広い視野で把握し、他人が見落とすような細かな変化や動作にもすぐに気づくことができるのだ。

 

特に、人の動きや癖を読み取ることが得意だ。視線の向き、指先のわずかな動き、重心の移動、呼吸の変化といった小さな要素から、相手が何を考え、どのように行動しようとしているのかを推測できる。

 

これを応用し、一度観察した動作を正確に再現することも可能だ。他人の体の使い方や動きの特徴を瞬時に分析し、自分の動きとしてコピーすることができるため、さまざまな動作を短時間で習得することができる。また、その人物になりきることも可能なのだ。

 

さらに、この眼に映る多くの情報を瞬時に整理し、状況を素早く分析して最適な判断へと結びつけることもできる。そのため、数手先まで見通すような判断が俺には可能だ。

 

これが、俺の能力(ちから)だ。家族がいない中で俺が生き抜くために身につけた俺だけの武器。

 

俺はこの『眼』で様々なものを見てきた。タコの癖や動き、烏間さんの戦闘術、そしてE組の生徒の長所や短所……

 

果たして今日はこの『眼』に何が映るのだろうか……

 

 

***

 

 

気温も上がり夏の足音が近づいてきた日の午後。

 

「急げ!もし遅れればどんな嫌がらせを受けるかわからないぞ?」

 

「前は本校舎の花壇掃除だったっけ?」

 

「……あれはキツかった。花壇が広すぎるんだよ」

 

「お前はほとんどサボってただろ?」

 

E組の生徒たちは月に1度開かれる全校集会のために山の中を歩いていた。この学校ではE組の生徒たちはひどい差別を受けている。この全校集会もそのうちの1つ。

 

そして、規律を守るためどこのクラスよりも先にクラス全員が並んでないとペナルティを受ける。前回は1人の生徒が遅れたために全員で校舎全部の花壇掃除をやらされていた。

 

その前回の経験から、E組の生徒たちは今回は遅れないように本校舎へと向かっていた。

 

「そういえば、カルマと周防はどうした?」

 

そんな、E組の生徒たちが気にするのはE組の不良コンビ2人(赤羽業と周防零二)についてだ。サボりの常習犯の彼らが全校集会にまともに参加するとは思えず。その巻き添えを危惧していたのだ。

 

「それなら心配いらない。カルマは体調不良で保健室行き、周防も体調不良で早退って()()()()()()()()()()。いくらE組が差別を受けてようと体調不良の生徒に口出しはできないだろ」

 

だが、学級委員の磯貝悠馬はこれを見越して対策を打っていた。カルマと周防には「全校集会に出ろとまでは言わないから、せめて俺らを巻き込まないで欲しい」とあらかじめ伝え、彼ら2人を体調不良ということに仕立てあげたのだった。

 

本来であれば褒められたことではないが、他のE組の生徒たちが罰を受けないための苦肉の策であった。

 

《バサッ!バサッ!バサッ!》

 

その時、彼らの背後か何かの足音のようなものが高速で近づいてきた。

 

「……なあ?これ何の音だ?」

 

「さ、さあ……」

 

《ビュン!》

 

その瞬間、彼らの頭上の何者かが通過する。

 

「あ、あれ?」

 

「す、周防?」

 

その正体は早退したはずの周防零二だった。彼は木の上を飛び移りながら最短距離で移動していた。そして彼はあっという間に本校舎とは別の方向に消えた。

 

「あ、あれが体調不良か……?」

 

「は、速やすぎ……」

 

「……猿じゃん」

 

「あの体格で岡野以上に身軽なのかよ……」

 

表向きは体調不良の男のとんでもない身体能力に絶句するE組の生徒たち。

 

そして、自らの状況に対しての不満が爆発する。

 

「あーもうっ!どうして私たちだけこんな目に遭わなきゃいけないの──っ!?」

 

目の前で堂々とサボっている男の姿を目撃したE組の生徒たちの心の叫びが、椚ヶ丘の裏山に木霊した。

 

 

***

 

 

零二side

 

「よし、これでいいな」

 

全校集会をサボるために学校を早退した俺は、家で身だしなみを整えていた。長く伸びた髪は後ろで結び、服装は黒のYシャツと白いスーツが身を包む。

 

ネクタイを上げ準備が終わった俺は再度家を出る。目的地は最寄駅から電車で数駅進んだところにあるカジノだ。

 

近年ようやくこの国にもカジノが上陸し、たちまちブームになった。今ではパチンコや競馬と同じ感覚で国民に広く楽しまれている。ただし、当然未成年は入場不可だ。そのため服装を正装にして年齢確認をスキップする必要がある。

 

まあ、俺は実年齢よりは上に見られることが多いから、見た目さえ整えれば年確をスキップすることなど容易い。

 

ここで1つ話をしよう。なぜ俺が賭け事に興じているのか。

 

理由は簡単、『実力さえあれば誰でも簡単に稼げるから』だ

 

俺には昔から家族がいない。以前は世話をしてくれる人がいたが、今はいない。そのため生きるための金は自分で稼ぐ必要があった。しかし、ガキで何の実績のない俺には稼ぐ手段は限られる。そこで目をつけたのがギャンブルだった。

 

幸いにも俺には武器があった。人の癖や思考を読み取る“観察眼(インサイト)”だ。

 

それを駆使して死ぬ気で学んだ。ギャンブルについて全て。基本的なルールからトッププレイヤーの細かい動きまで、全身の毛穴が開くほど見て学んだ。

 

負けはそのまま死につながるから……

 

そして俺のはじめてのギャンブル、種銭は“一人暮らしを始める際に渡された最低限の生活費”。そう、負ければ今後の生活が終わる。まさに俺にとっては()()()()()()だった。

 

そこで俺は勝った。

 

面白いように相手の()()が読めた。一挙手一投足が手に取るようにわかった。そこで実感した。これは稼げると。

 

しかし、当然周りからのイメージは良くない。俺のことをクズと揶揄する人間も多くいた。ただしやめるわけにはいかなかった。快楽のためではない、()()()()()()()()()()()()()だ。

 

まあクズなのは事実なんだがな。

 

俺のイメージの悪さで様々な噂が流れているが、実際事実なのも多い。トラブって喧嘩もしたし、警察(サツ)の世話になったこともあった。極道(鉄虎さん)との関係もある。

 

これが俺、周防零二という“人間”だ。

 

 

***

 

 

地下のカジノは、落ち着いた照明と低いざわめきに包まれていた。しかし、奥のテーブルでは、ひときわ静かな緊張感が漂っている。

 

そこはハイレートのポーカーテーブル。

 

そこのチップの額は他とは桁が違う。テーブルに積まれているそれだけで、普通の人間なら目を疑うような金額になる。

 

そして、そこの席に座っているのは、どれも一目で「普通ではない」と分かる大人たち。大企業の幹部、投資家、裕福な家の出身者。いわゆるエリートと呼ばれる人間ばかりだ。仕立てのいいスーツ、落ち着いた態度、無駄のない動き。彼らは日常的に大きな金を動かしている人種だった。

 

そこの席に俺は座る。年齢だけで見れば場違いもいいところだ。だが、今は俺もそこに“ふさわしい服装”をしているからか、周りの大人たちは俺に目もくれない。

 

テーブルの上を一度ゆっくりと見渡す。チップの量、プレイヤーの表情、姿勢、手元の動き……

 

周囲のプレイヤーは、会社や社会で成功してきた人間ばかり。経験も資金力も相当のものだろう。

 

ならなぜ、俺がハイレートのポーカーテーブルを選んだのか。それは……

 

——成功した裕福な人間っていうのは()()が読みやすいんだよ

 

 

***

 

 

ポーカー。

プレイヤーはまず、自分だけが見ることのできるカードを2枚配られる。これは“ホールカード”と呼ばれる。

 

その後、テーブルの中央に全員が共通で使うカードが順番に公開される。最初に3枚(フロップ)、次に1枚(ターン)、最後にもう1枚(リバー)が出され、合計5枚の共通カードが場に並ぶ。

 

プレイヤーは、自分のホールカード2枚と場のカード5枚の合計7枚の中から、5枚のカードを使って最も強い役を作る。その役の強さによって勝敗が決まるのだ。

 

また、カードが公開されるたびにベットの機会があり、チップを賭けたり、相手のベットに合わせたり、勝ち目がないと判断すれば、そのゲームから降りることもできる。

 

そして、最後まで残ったプレイヤー同士で手札を公開し、最も強い役を作っていたプレイヤーがポット(賭けられたチップ)を獲得する。

 

これは、テキサスホールデムという、ポーカーの中でも最も有名な形式のルールだ。

 

このカジノを含む多くのカジノでこのルールが採用されている。

 

以前、ギャンブルで勝つには “絶対に勝てる場所で勝負すればいい”という話をしたことを覚えているだろうか。

 

だが、絶対に勝てるギャンブルは存在しない。勝率100%は不可能だ。ただしその確率を100%に近づけることはできる。

 

では、ポーカーではどうするか、やることは大きく分けて2つある。

 

1つ目は、情報を集めることだ。

 

ポーカーは単純にカードの強さだけで決まるゲームではない。プレイヤーは必ずどこかで情報を漏らしている。

 

チップを置くときの手の動き、視線の向き、呼吸の変化、考える時間の長さ。そうした細かな癖を見抜くことで、相手が強い手を持っているのか、それとも迷っているのかを読み取ることができる。さらに、彼らの癖を見抜ければその後のプレイも自ずと推察できるだろう。

 

同時に、自分の立ち振る舞いも重要になる。無駄な動きや表情の変化を抑え、相手に余計な情報を与えないようにする。

 

さらに、あえて偽の情報を与えることも有効だ。わざと判断を遅らせたり、少し下手なプレイを見せたりすることで、自分の実力や手札を誤解させる。そうして相手の警戒を緩め、盤面の流れを自分に有利な形へ整えていく。

 

2つ目は、勝てる状況が来た瞬間に、相手から最大限のチップを引き出すことだ。

 

ポーカーでは、常に勝負する必要はない。むしろ多くの場面では冷静に様子を見ることが大切になる。

 

しかし、自分に有利なカードが揃い、勝てると判断した瞬間は別だ。だが、ただ強いカードを持っているだけでは十分とは言えない。重要なのは、相手が降りないようにしながら、できるだけ多くのチップを賭けさせることにある。

 

そのためには、いきなり大きく賭けるのではなく、相手が「まだ勝てるかもしれない」と思うような巧みなベットを重ねていく。少しずつチップを積み上げ、相手を自然に勝負へ引き込むのだ。

 

そして、相手が完全に乗ってきた瞬間にベットを強めていく。逃げ場を与えないように圧力をかけながら、チップをさらに引き出していく。そして最後に、一気に勝負を決める。そうして相手が気づいたときには、テーブルのチップはすでにこちら側に集まっている。

 

つまりポーカーとは、観察と演出で流れを作り、勝機が訪れたときに相手を巧みに誘導しながら、最後の一枚まで搾り取るゲームなのである。

 

 

***

 

 

俺がゲームを始めてからすでに7ゲームが終わっていた。

 

俺の前に積まれているチップは、最初に持っていた量の7割ほど。大きく負けているわけではないが、順調とも言えない。わざと下手なブラフを何度か混ぜ、あえて崩れたプレイを見せていたせいで、少しずつ削られている状態だ。

 

もちろん、これは意図的なものだ。下手なブラフを見せることで、「読みが甘い」「無理に勝負するタイプだ」という印象を相手に植え付けている。

 

そして、このテーブルを囲んでいる面子は、どれも普通ではなかった。

 

俺の左には、30代くらいの男。派手な腕時計に、高そうなスーツ。成金の匂いがする投資家だ。チップの扱い方は荒く、勝っても負けても感情が表に出やすい。

 

向かいには、40代のどこかの企業の社長らしい男。落ち着いた態度で、無駄な動きがない。ベットの額も安定していて、盤面を慎重に見ているタイプだ。

 

その隣には、20代の女性。かなり若いが、会社では高い地位にいるらしい。かなりの名家で育ったのだろう、立ち振る舞いが洗練されている。表情はほとんど変わらず、チップを置く動きも静かだった。

 

そして、最後に俺の右隣に座る30代の男。大企業の幹部らしく、周囲を観察する目をしている。無駄口は叩かず、判断も早い。

 

そんなテーブルには静かな緊張が流れていた。カードを配る音。チップが触れ合う乾いた音。そんな音だけが静かに響く。

 

7ゲーム終えた時点で、まだ誰も大きく崩れてはいない。だが、彼らの癖や性格、プレイスタイルは見え始めている。

 

盤面が整いつつあった。

 

そして、第8ゲームが始まった。配られたホールカードを指でめくる。

 

ハートのQ、ダイヤのQ

 

悪くない。むしろ、この卓では十分すぎる手だ。だが表情は変えない。これまでと同じように、どこか頼りないプレイヤーを演じる。

 

フロップが開かれるとテーブルの中央に視線が集まる。

 

スペードの2、スペードの6、クローバーの2

 

場に2がペアで並んだ。この時点で俺の手は、Qと2のツーペアだ。

 

すると、幹部の男が最初に強めのベットを入れる。迷いのない動きだった。それに、投資家の男もすぐにコールする。チップの置き方が少し雑だ。自信があるときの癖だろう。

 

俺も少し迷うふりをしてコールする。社長の男と若い女もついてきた。まだ全員がテーブルに残っている。

 

続いて、ターンがめくられる。

 

スペードのQ

 

この瞬間、俺の手はフルハウスになった。3枚のQに、場の2のペア。

 

そしてこの時点で、俺の手札がこの卓で一番強いことはほぼ確定した。

 

幹部の男が再びベットする。その手は最初よりも強い。投資家の男も間を置かずレイズしてきた。こいつの目にも明らかな自信があった。いや、この動きは強い役が揃ったやつの動きだ。

 

なるほど。奴はスペードを2枚持っている。

 

この時点で、奴の手はフラッシュ。あるいは、場の2と合わせて2のフルハウスの可能性もあるか。だから強気に出ている。

 

俺がQを2枚持っているため、この時点で強気で出れる役の可能性があるのはスペードのフラッシュかホールカードが2と6かQの場合にできる2のフルハウス以外考えられない。

 

 

——盤面が整った

 

 

社長の男は少し考えたあと、静かにカードを伏せた。ここで降りる。若い女も盤面を見て、同じようにホールドした。彼らは社会で高い地位にいるだけあってか、引く判断が早い。

 

幹部の男はまだ降りない。おそらく2を1枚持っているのだろうな。この時点では、スリーカードで十分戦えると踏んでいるのだろう。

 

俺はわざと少し迷ってからコールした。

 

リバーが開かれる。

 

ダイヤの10

 

幹部の男が先にベットする。だがターンまでの勢いに比べると、わずかに迷いが見えた。そして、投資家の男はすぐにレイズ。強気な姿勢は変わらない。

 

俺はそこでさらにレイズを返す。幹部の男はしばらく盤面を見つめ、そして静かにカードを伏せた。

 

降りた。これで残ったのは俺と投資家の男の2人。

 

投資家の男はさらにレイズで返してきた。テーブル中央には、すでに大量のチップが積み上がっている。この時点でも、十分すぎるほどの儲けになるだろう。

 

投資家の男は余裕の表情でこちらを見る。自らの手札への自信が、そのまま態度に出ている。

 

俺はゆっくりとチップの山に手をかける。

 

そして……

 

 

——すべてを前へ押し出した

 

 

「オールイン」

 

その瞬間、テーブルがざわめいた。

 

ここからは、限界まで絞り取らせてもらう。

 

俺がオールインしたことを確認した投資家の男の表情が、初めて変わった。さっきまでの余裕が消え、視線が盤面と俺の顔を往復する。一瞬、迷いが生まれたのがはっきり分かった。

 

テーブルの中央には、すでに膨大なチップ。それのほとんどが、俺と()()()()()がここまで積み上げてきたものだ。

 

当然、ここで降りれば、これまで積み上げた多くのチップを失う。だが同時に、ここで勝てばこのすべてを守ることができる。

 

手札はフラッシュか2のフルハウス。十分に強い。

 

それに、これまで俺が見せてきた下手なブラフ、読みの甘さ、無理な勝負……。それらが、この男の判断を鈍らせる。

 

『ここは大きく勝てる』

 

そう踏んだのだろう。投資家の男は長く考え込んだが、最後まで男の決断は変わらなかった。

 

結局、この男には……

 

——自分がここまでつぎ込んできたものを、みすみす失う“覚悟”がなかった

 

「……コールだ」

 

ショーダウン。

 

投資家の男は自信を取り戻すようにカードを開く。そのカードはスペードの2枚。完成したのはフラッシュだった。

 

周囲から小さなどよめきが起きる。普通なら強い手だ。この卓でも十分勝てる。

 

だが……

 

俺は静かにカードを表にした。

 

ハートのQ、ダイヤのQ

 

その瞬間、テーブルの空気が変わった。

 

「……フルハウス?」

 

誰かが小さく声を漏らす。

 

驚きが一斉に広がった。社長の男が目を細め、若い女はわずかに眉を上げる。幹部の男も、初めてはっきりとした表情の変化を見せた。そして、投資家の男の顔から、血の気が引いていく。

 

テーブル中央のチップが、すべてこちらへ流れてきた。俺はその様子を静かに眺めていた。

 

(……すべて、計算通りだ)

 

この投資家の男にははっきりとした癖があった。

 

それは、『強気の勝負に乗ってくる』こと。

 

特に、自分の手札が強いときほどそれは顕著になる。チップを守るよりも、さらに増やすことを選ぶタイプだった。それは、ここまでのゲームで何度も確認してきた。だからこそ、わざと下手なプレイも見せてきた。

 

「この相手なら押せば降りる」そう思わせるために。

 

そしてもう1つ。強い手札を握ったとき、この男は絶対に降りない。それは自信だけからくるものではなかった。

 

この男には、自分がここまで注ぎ込んできたものをみすみす失う“覚悟”がない。

 

故に、一度深く勝負に踏み込めば、途中で引くことができなくなる。だから、俺の手札が、男のそれを上回った瞬間、一気に仕掛ければいい。すると、こいつは上手く勝負に乗ってくる。むしろ、自分から深く踏み込んでくる。そして、最後には、自ら退く選択肢を失う。

 

だからこそ俺は、最後にすべてのチップを押し出した。

 

あの瞬間、この卓で一番大きなチップの山は、すでに俺のものになると決まっていたのだ。

 

投資家の男は、しばらく動かなかった。テーブルの中央からチップが消え、すべてこちらへ集まっていく様子をただ見ている。

 

やがて、ゆっくりと椅子を引き、何も言わず席を立った。そのまま振り返ることなく、テーブルから離れていく。静かな足音が遠ざかり、場に残ったのは4人だけだった。俺、社長の男、幹部の男、そしてあの若い女。

 

テーブルの上には、先ほどまでとは比べものにならないほどのチップが積まれている。これでも十分すぎる利益だった。大量の万札が手に入るくらいの。

 

もちろんこの時点で席を立ってもいい。むしろ普通なら、そうするだろう。ここまでで、ゲームを終わらせても誰も不思議には思わない。

 

だが、俺はまだ終わらせるつもりはなかった。“まだ搾り取れる”。そう踏んでいた。チップを軽く指で整えながら、俺はゆっくりと視線を上げる。

 

そして……

 

 

——テーブルの向かい側にいる若い女を、じっと見つめた

 

 

 

***

 

 

投資家の男が去ったあとは、この卓は静かだった。当然だろう、一番強気だった男が退場したのだから。当然、その後のゲームでも、大きな波乱は起きなかった。誰もが慎重になり、無理な勝負は避けている。

 

ただ1人、向かいに座る若い女だけは違った。彼女は堅実だった。無駄な勝負はしない。しかし取れると判断した場面では確実に取りに来る。その結果、彼女の前のチップは少しずつだが確実に積み上がっていた。

 

そうしてしばらく時間が過ぎた頃。あるゲームで、この若い女がわずかに強気になった瞬間があった。

 

テーブルにはカードが4枚並んでいる。

 

ハートの6、スペードの3、スペードのJ、そしてダイヤの4。

 

この状況から考えると、ダイヤの4で強めの役ができた可能性が高い。考えられるのは2つ。ストレートか、4のスリーカード。

 

この段階では誰も降りず、そのままリバーへ進んだ。最後のカードがめくられる。

 

スペードの9。

 

 

——盤面が整った。

 

 

ここでも誰も降りない。だが、全員ベットは控えめだった。若い女以外の2人は、どうやらそれほど強くはなさそうだ。

 

その時、この若い女がレイズした。テーブルの空気がわずかに動く。俺もチップを前へ押し出して、さらにレイズをする。

 

すると、残りの2人はあっさりと降りた。卓に残ったのは、俺とこの若い女だけ。

 

若い女は少し考え、さらにレイズしてきた。ここまでのゲームでチップがかなり溜まっていて、その余裕もあってか、結構強気だった。

 

この状況は、さっきの第8ゲームとよく似ていた。

 

ただ一つだけ、決定的に違う点がある。

 

俺の手札は()()()()()()()()

 

それでも俺は、迷わずチップを押し出した。

 

この若い女の()()()()()()全てだ。

 

この時点でこの若い女はオールインするか、降りるかのどちらかしか選択肢がない。彼女の手札は、この盤面ならかなり強いはずだ。だがもし、俺がスペードを2枚持っていたら。

 

その瞬間、彼女は負ける。

 

そう、俺は最後のスペードの9でフラッシュが揃ったという()()で動いている。

 

俺がチップを押し出すと若い女の視線がわずかに揺れた。その脳裏には、きっと浮かんでいるだろう。さっきこの卓を去った、あの投資家の男。ある程度強い手札を握りながら、強気に踏み込み、そして破滅した男の末路。

 

これまでのゲームで、俺は1つ確信したことがある。

 

この女は失うことを恐れているのだ。

 

彼女がこれまで積み上げてきたもの。生まれ持った身分、地位、富……。これらが自らの手元から離れることを恐れている。

 

そして、それはこの女のプレイにも表れていた。リスクを嫌い、すぐに降りる癖があったのだ。

 

そんな彼女は静かに自らの手元のチップの山を見つめている。これは、これまでのゲームで彼女が堅実に積み上げてきたものだ。

 

おそらくこの女は普段は真面目で優秀なのだろう。名家の生まれながら、その身分にあぐらをかくことなく堅実に努力し、今の地位を手に入れた。そして、その真面目さが、ポーカーのプレイにも出ている。

 

だからこそ、この女は深く踏み込めない。若い女の指先が、チップの縁に触れたまま止まる。今まで堅実に積み上げてきたチップが一瞬で手元から消える可能性がこの女の頭の中を駆け巡る。

 

これは俺にとっても勝負だった。まだ俺の勝ちは確定していない。この勝負は、技術でも運でもなかった。

 

ただ一つ。この女が……

 

 

——ここですべてを失う“覚悟”を持てるかどうか。

 

 

(もしここで、その“覚悟”を持って勝負してくるなら。このチップはくれてやるよ……)

 

俺はこの若い女を見定めるように見つめる。長い沈黙のあと、彼女はゆっくりとカードを伏せた。

 

そして小さく息を吐く。

 

「……降りるわ」

 

静寂に包まれるテーブルに、その言葉だけが重く響いた。

 

 

***

 

 

「ありがとうございました!」

 

大量の札束を鞄に押し込んだ俺は、カジノを後にする。そして最後のゲームを思い返した。

 

結局あの時、あの若い女は、“覚悟”を持てなかった。

 

勝負が決まった後、俺は指先でカードをつまみ彼女に見せるように軽くテーブルへ投げる。その瞬間、周囲がざわめいた。

 

「……役、できてないのか?」

 

誰かが低く呟く。そう、俺の手は完成していない。ただの張っただけのハンドだ。

 

「……っ!」

 

すると、あの若いの視線が、ゆっくりとこちらへ向いた。その目に浮かぶのは、わずかな驚きと、遅れてくる理解だ。

 

あの若い女の敗因は2つ。

 

1つはチップを大量に持った俺に、“生殺与奪の権利”を握られたこと。

 

この状況では、俺はいつでもすべてを賭けられる。事実、あの場面で俺が負けても俺にはチップが残る。なんなら最初の時よりも多い。すなわち、あの時点で俺のトータルの勝ちは確定していたのだ。

 

だがあの若い女は違う。ここで失えば全て終わる。その非対称が、判断を歪ませた。

 

そしてもう1つ。さっきのゲームで、彼女はわずかに冷静さを失った。目の前で投資家の男の敗北を目の当たりにし、その記憶に引きずられた。本来なら信じるべき自分の手札を、最後まで信じきることができなかった。その一瞬の迷いが、すべてを決めた。

 

カジノを後にした俺は家に向かって歩いていた。

 

すると、

 

「いや〜、渚が『殺そうとしたことなんてないくせに』って啖呵切ったときはスカッとしたぜ!」

 

全校集会と6限の授業を終えたE組の生徒たちが歩いてきた。見た目が普段と違うためか、俺の存在には気づいていない。

 

この1ヶ月でE組の生徒たちはものすごい明るくなった。これはひとえに烏間さんやビッチ、そしてあのタコのおかげだろう。特にあのタコとE組の生徒たちは相当親しい間柄になった。

 

しかしこいつらにはあるのだろうか……

 

——殺せんせー(タコ)との関係を失う“覚悟”が

 

これまで積み上げてきた関係性を全て捨ててまで殺す“覚悟”が果たしてあるのだろうか?

 

それだけじゃない。こいつらがやろうとしていることは、生き物の命を、未来を奪う行為だ。

 

本当にその意味がわかっているのだろうか?

 

その十字架を背負う“覚悟”があるのだろうか?

 

人生において“絶対に勝てる場所で勝負していく”ことは重要だ、もちろんその確率を上げるための努力も大事だ。

 

しかし、“絶対に勝てると言い切れない場面”で勝負しないといけないこともある。“痛みを伴う選択”をしないといけないこともある。

 

その場面で痛みを伴う“覚悟”を持てるかどうか。

 

その“覚悟”を持てなかった者の行き着く先は……

 

——『破滅』なのだから

 

楽しそうなE組の生徒たちの背中を見ながら、こんなことを考えていた。

 

 




あとがき

ここまで読んでいただきありがとうございます。

箸休めのギャンブル回でした。なかなかルールが複雑なので、今回は割と文章に難儀しましたね。そして、今回は暗殺教室のキャラがほとんど出ませんでしたが、零二くんがまともに全校集会に参加するイメージができなかったのでこういう形にさせてもらいました。

そして、今回は零二くんの観察眼にはじめて深くフォーカスしました。前回のあとがきで零二くんがビッチ先生やE組の生徒たちの長所と短所を全て見ていると書いたと思うのですが、これは全てこの観察眼によるものです。

零二くんの『眼』はその視野の広さもさるものながら、本当に細かい変化をよく捉えます。そして、その『眼』から得られた膨大な情報を処理できる情報処理能力もバカみたいに高いです。

そして、それは相手の癖や弱点を見抜くだけでなく、他人を参考にして、自らの学びにすることができるなど、結構応用が効くチカラなのです。

今後、零二くんの能力が何個か出す予定ですが、それら全ての根幹に関わってくる、いわば零二くんのチカラの、そして、今の零二くんの生き方のベースになっているのがこの観察眼になります。

ちなみに、話は変わりますが、ギャンブルの払い戻しには税金がかかるので、一定額以上の払い戻しがあった場合は確定申告をしないといけません。零二くんはそれはちゃんとしています。これは細かいことを詰めるとおかしなところが出てくるのですが、そこはフィクションの世界ということで目を瞑ってください。

では、次回もよろしくお願いします。


【次回予告】

「先生方、私が今日ここに来たのはご挨拶もありますが、あるE組の生徒が起こした問題についてお話しするためです」

そう言って理事長は俺の方に目を向けた。

「そういえば昨日、私の学生時代の後輩から面白い話を聞いたよ」

空気が変わる。

は?これ、もしかして説教か?

嫌な予感がプンプンする中、理事長は笑顔で口を開いた。

「全校集会があった日にね、ここから3駅先の地下カジノのハイレートポーカーの卓で白髪の長身で若い男が大活躍していたらしい。なんとその男は、有名な投資家の男からチップを1枚残らず搾り取り、さらには名家出身で、若くして超大手企業の幹部候補筆頭という優秀な女性をブラフを駆使して駆け引きだけで引き摺り下ろしたそうだ」

「……」



次回 『支配者の時間』


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