暗殺教室 零の瞳に映るもの   作:ディーエー

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なんとか熱も下がりました。今週はちゃんと推敲作業もできてるから大丈夫なはず……。皆さんも体調管理には気をつけてください。



第26話 Rの時間

 

カタカタとパソコンを打つ音が鳴り響く職員室。そこには異様ともいえる緊張感が漂っている。まあ当然だ。暗殺者とターゲットが同一の空間にいるのだから。

 

俺は今日一日の授業を全てサボって烏間さんの様子をずっと観察していた。ビッチとその師匠であるロヴロ・ブロフスキ。この2人の勝負を見届けるために……

 

今日はビッチとロヴロによる先に殺せた方が勝ちの暗殺対決が行われている。ターゲットは烏間さんで暗殺者はビッチとロヴロ、もしもビッチが負けたらここから消えるというルールだ。

 

(……しっかし、烏間さんがやる気になっているのは意外だな)

 

だがこんな面倒なことに巻き込まれたのであろう烏間さんも妙にやる気になっているように見える。もしかすると、烏間さんが生き残ったら烏間さんへ何か褒美のようなものがあるのかもしれないな。

 

話を戻そう。現在の状況は周りの状況を無視してパソコンを打って仕事をしている烏間さんと烏間さんの正面で機会を伺うビッチ、そして職員室の外で隙を伺うロヴロ、その様子をタコは隣で、俺は屋根の上からスマホのインカメ越しに見ているという状態だ。まさに異様な光景ともいえる。

 

だが、烏間さんはビッチが緊張の面持ちで見つめているのを意にも介さずパソコンで作業を進めている。まるで「お前なんかこのままでも相手できる」と言っているかのようだ。まあ、いくらプロと言ってもビッチは潜入や誘惑が専門だ。正面からの戦いはそこまで強くない。実際、俺が襲われた時も一瞬で無力化できたし、正直正面からなら赤羽の方が強いと思う。今ビッチが烏間さんに攻撃を仕掛けたところで何もできないまま終わるだろう。

 

しかし、烏間さんは生真面目な人だ。この暗殺対決なんかよりもあいつらの相手や仕事の方を最優先にしている。だから、今している作業に集中するあまり、一瞬だけ隙が生まれた。

 

《バコン!》

 

「「「——!!」」」

 

この隙を歴戦の殺し屋であるロヴロは見逃さない。一気に烏間さんとの距離を詰める。

 

「正面から!?」

 

ビッチの声が響いた頃にはもう烏間さんの眼前に正面から突撃したロヴロの刃が迫っていた。

 

しかし……

 

《ドンッ!》

 

烏間さんはナイフを持つ手首を掴んでそのまま机に叩きつけた。

 

「——っ!」

 

その衝撃で持っていたナイフが宙を舞う。そして、烏間さんはその手を支点に回し蹴りを放つ。その足はロヴロの眼前で止まった。

 

「……熟練とはいえ、年老いて引退した殺し屋が先日まで精鋭部隊にいた人間をずいぶん簡単に殺せると思ったもんだな」

 

この様子を見ていた2人は驚きの表情を浮かべる。

 

だが俺にとっては想定内だ。防衛省が抱える特殊部隊は文字通り日本中から選ばれた強者が集まる場所。それには表の世界の人間だけでなく、裏社会の人間も含まれる。実際、殺し屋組織のトップや裏社会を震撼させる武闘派極道、半グレのトップの中にもそこを経てきた者も多い。そんな精鋭部隊のトップだった烏間さんは日本全体で見てもトップクラスに強いはずだ。現役のそれを相手に引退した老兵(ロートル)が力比べをするのは分が悪いだろう。

 

烏間さんの強さに驚いている2人を見た烏間さんは一瞬だけ口角をあげてから職員室を出る。その姿にはあふれんばかりの余裕が感じられた。

 

一方で、暗殺を躱されたロヴロの腕は赤黒く腫れていた。おそらくさっきの衝撃で怪我をしたのだろう。

 

その腕を見たロヴロは何かを悟ったように口を開く。

 

「……フッ。これではあの男を今日中には殺れないな」

 

「諦めないで!まだチャンスはありますよ!」

 

……こいつはどっちを応援してんだ

 

ロヴロの口から出てきたのは降伏、諦めに近い言葉だった。その言葉を聞いたタコが励ますが、万全の状態でさえ相当厳しい相手なのに腕を怪我した状態では勝てるわけがない。俺から見てもロヴロはもう烏間さんを相手にするのは難しいだろう。

 

ロヴロもタコの声援も意に介すことはなく冷静に言葉を紡いだ。

 

「例えば殺せんせー。これだけ密着していても俺ではお前を殺せない。それは経験から分かるものだ。イリーナにしても同じことだ」

 

この言葉にビッチは顔を暗くする。

 

この人の意見は正しい。ある程度戦いの経験があると決着がつく前にこいつは厳しいとわかってくるものだ。ロヴロほどの経験があればそれはより顕著なはずだ。

 

そして、ビッチをこの任務から外すというのも彼女を思っての決断なのだろう。

 

殺し屋ロヴロ・ブロフスキ

この人の凄いところは冷静に状況を判断できるところだ。自分の実力を正確に把握して引き時を間違えない。

 

確かに時には格上の相手に立ち向かわなければならない場面はある。だが、勇気と無謀は違う。自分の実力を考えず無策のまま突っ込むのは二流……いや三流のやることだ。ロヴロは実力的に難しい場面では一度引いて体制を立て直す冷静さとクソみたいなプライドに囚われず自分の実力をきちんと認めれる寛容さを持ち合わせている。

 

だからこそ、この殺し屋という稼業で引退できる年齢まで生き残ることができたのだろう。

 

殺し屋というものは危険な仕事だ。若くして死ぬのが当たり前。1つ判断を間違えれば文字通りこの世から消える。状況判断がまともにできない奴は真っ先に死ぬかそれに匹敵するような大きなものを失う。1ヶ月前殺し屋としてのプライドを失ったビッチのようにな。

 

だから時には“諦める勇気”を持つことも必要なのだ。

 

この言葉は俺にも響いた。なぜなら……

 

 

 

——俺もかつて引き際を間違えた側の人間なのだから

 

 

 

「そうですか。あなたが諦めたのはわかりました。ですがイリーナ先生を最後まで見てください」

 

だが、この教室においては諦めは悪手だ。命に危険がない以上は何度でもチャンスがある。諦めるということはそのチャンスを放棄することなのだから。

 

「経験があろうがなかろうが、結局は殺せたものが優れた殺し屋なのですから」

 

こうしてこの勝負の行方はビッチの結果に委ねられた。

 

 

***

 

 

4限の時間

 

俺はこの時間も授業をサボって校舎近くの木の上に寝転びながら、職員室の様子を伺っていた。授業のざわめきもここまでは届かず、葉の隙間から差し込んでくる昼の光だけが俺を包み込んでいる。

 

「……ねえ」

 

そんな時、下の方から女の声が聞こえてきた。視線を落とすと木の根本にビッチが立っている。見上げてくるその目には相変わらず余裕がなさそうだった。

 

「何の用だ。授業に出ろって言いたいのか?」

 

「……違うわよ」

 

ビッチは俺の言葉へすぐに言い返してくるが、その奥にある焦りを隠しきることはできていなかった。

 

「で、何の用だ?」

 

そんなビッチの様子を見た俺は身体を起こして枝に座り直してこう聞くと、ビッチは一瞬だけ言葉を探すように黙ってから少しだけ気まずそうに口を開いた。

 

「……私に烏間の殺し方を教えてくれない?」

 

(……そう来たか)

 

おそらく1人では烏間さんの攻略法が思いつかなかったのだろう。だからビッチは俺にヒントを求めてきた……か。

 

(これがこいつの答えか。くだらない)

 

「断る。お前に言うことは何もない」

 

俺はすぐにこう返すと、ビッチの表情がはっきりと歪んだ。

 

この勝負はビッチが“この教室にいるに値する殺し屋”として、そして“この教室の教師”としてここにいる価値があるかどうかを示すための試験だ。だが、ビッチはあろうことか生徒である俺の力を借りようとした。中坊のガキに助けを求めるような殺し屋などこの教室には必要ないだろう。

 

俺は視線を外して枝の上に寝っ転がる。もうこれ以上こいつと話す価値はない。

 

だが……

 

「……お願い」

 

下の方から低く押し殺したような声が響いた。寝転んだまま視線だけを戻すとビッチが俺に向かって頭を下げていた。

 

「周防が私を嫌ってるのも私が弱いのもこんなことをしてみっともないのも全部わかってる。だけど……もう、頼れるのがあんたしかいないのよ……っ」

 

ビッチの声は震えていた。震える腕に目を向けると拳を強く握りしめている。

 

「このまま終わりたくない……あんたたちに何もできてないまま……居なくなりたくない……!もっと……あんたたちと一緒にいたいのよ……っ」

 

ビッチは息を乱したまま顔を上げずにこう続ける。その足元では頬から流れ落ちた雫が地面の土を少しだけ湿らせていた。

 

「……お願いします。この私に力を貸してください」

 

だが、涙を流しながらもビッチは俺から逃げることはなかった。頭を下げたままそれでも折れることはなく言葉を絞り出す。

 

「……ほう」

 

その姿に俺はわずかに目を細めた。大人である教師が中学生の生徒に向かって泣きながら頭を下げて頼み込んでいるこの姿は確かに情けなさもある。

 

しかし、ビッチが口にした言葉は1ヶ月前にこの教室にやってきた時とは大きく違っていた。1ヶ月前のビッチなら「何もできていないまま居なくなりたくない」という言葉は口が裂けても出てこなかっただろう。そして、教師としてこの教室に残るためにビビっていた俺に対してわざわざ頭まで下げるか……

 

だが……

 

「お前に言うことは何もない」

 

そんなビッチに対して俺はこう返した。

 

俺の答えは変わらない。“今のビッチ”に対して俺が言うことは何もないからだ。

 

俺の言葉が響くとビッチの肩が小さく震えた。そのまま涙が浮かぶ目の奥から光が消え全ての希望が潰えたというような顔をしてかわずかに俯く。

 

そんなビッチの姿を視界に捉えた俺は枝から飛び降り、ビッチの前に立って声をかけた。

 

「お前はここで何をしてきた?」

 

俺のの言葉に俯いていたビッチの肩がびくりと揺れる。ゆっくりと顔が上がり潤んだ瞳がまっすぐとこちらを見た。

 

「ここで何を見て、何を学んだ?」

 

ビッチの顔を見下ろし、涙が浮かぶその目に視線を合わせながら言葉を届ける。

 

「それをよく考えろ」

 

俺はこれだけ伝えてから背を向けてこの場を去った。

 

“今のビッチ”ならこれだけ伝えれば大丈夫だろう。あとは烏間さんたちがどう判断するかだな。

 

背後からはビッチの乱れている呼吸音と共に風に揺すられて葉が擦れる音が静かに響いていた。

 

 

***

 

 

昼休み

 

あれからしばらくして俺が教室に戻ると他の生徒たちの視線が窓の外に釘付けになっていた。少し離れたところにはロヴロとタコの姿も見える。

 

その視線の先には校舎近くの木に寄りかかりながら昼飯を食べている烏間さんとそれに近づくビッチの姿があった。

 

「あ、周防くんおかえり。こっちおいでよ。今面白いことになってるから」

 

すると、戻ってきた俺に気づいた赤羽が俺に向かって手招きをしてきた。その近くには潮田と茅野、岡野や矢田、倉橋の姿もある。

 

「周防くん今日どこに行ってたの?授業の時も戻ってこなかったけど……」

 

「渚くん、周防くんはビッチ先生たちの様子をずっと見てたんだよ。ね、周防くん?」

 

赤羽のところに向かうと潮田からこんなことを聞かれた。だが、その問いには赤羽が勝手に答えてから俺に視線を向けてくる。その目には「早く収穫を聞かせろ」と言ったようなメッセージが込められているようにも見えた。

 

(……はいはい)

 

その様子を見た俺はため息を吐いてから口を開いた。

 

「あの人は全く隙がないな。正面から行ったロヴロは返り討ちにあって腕を負傷。今日中の暗殺は無理らしい」

 

そのまま赤羽たちに今日見てきたことを思い出しながら説明する。正直、自分でも烏間さんはとんでもない男だと思う。比較対象があのチート超生物だから錯覚するが純粋な人類の中なら世界でもトップクラスの実力があると思う。

 

そんな男をターゲット役に設定したのは難易度設定を間違えているんじゃないかと思う部分もあるが、烏間さんに認められないようではあのタコを殺すのは億が一もないだろうから当然といえば当然なのかもしれない。

 

「なるほどね〜。それでビッチ先生、自分だけじゃ烏間先生の攻略の方法が分からないから周防くんに頭を下げて聞きに行ってたんだ」

 

「「「ええ!?」」」

 

「……見てたのか?」

 

「うん。こんな感じでバッチリ撮っておいたよ」

 

周りから驚きの声が上がる中、にやけ面を浮かべた赤羽が俺たちに見えるようにスマホの画面を向けてくる。そこには震えながら俺に向かって頭を下げているビッチの姿が写っていた。

 

どうやら固定砲台に頼んでわざわざカメラを設置していたらしい。本当にしょうもないことをするなこの男は……

 

俺が呆れていると再度赤羽の視線が俺に向けられ言葉が聞こえてきた。

 

「……それで?ビッチ先生に何って言ったの?」

 

赤羽の言葉に釣られるように俺に視線が集まる。俺はその視線は気にせずにいつもの声色で答えた。

 

「あー、『お前に言うことは何もない』だな」

 

俺の答えを聞いた矢田と倉橋は視線を下に向ける。すると、そんな2人の姿を見た岡野が俺に非難の視線を向けながら声を上げた。

 

「……ねえ、周防。流石に酷いと思うよ。ビッチ先生だって自分なりに考えて周防に助けを求めたんだから、ちょっとくらいは協力してあげてもいいじゃん!」

 

俺を諭すような岡野の反論が響く。前までのような怒鳴りながら突っかかって敵意を向けられる感じではないが、俺に向けられた視線は厳しいままだった。

 

しかし、その言葉に待ったをかけた男がいた。

 

「岡野さん。少しだけビッチ先生のこと見守っていようよ」

 

そんな岡野を諫めるように赤羽が声をかける。その言葉にまだ納得していないといった様子の岡野たちも一旦はビッチのことを見守ることにしたようだ。

 

俺も周りに釣られるように外へ視線を向ける。外では甘い声を出しながら自らの胸を見せつけるようにテーラードジャケットを脱ぐビッチとそれを厳しい表情で見る烏間さんの間で駆け引きが繰り広げられていた。

 

「ねえ、いいでしょ〜烏間ぁ〜」

 

「……いいだろう。やれよ。どこにでも当てればいい」

 

(所詮この程度か。ナイフを奪って終わりだな)

 

おそらく烏間さんはこのようなことを考えているであろう。それを他所にビッチは彼の寄りかかる木の後ろへ回り込んだ。

 

その様子を教室にいる誰もが固唾を飲んで見守っている。

 

次の瞬間

 

「「「——っ!」」」

 

烏間さんの身体が宙に浮かび上がった。

 

「——っ!ワイヤートラップッ!」

 

足をとられた烏間さんの身体がひっくり返る。その隙を逃すことなくビッチはマウントポジションに移行した。

 

「……へえ」

 

その様子を赤羽以外の全員が驚いたような顔で見ている。その赤羽も感心したかのような表情をしていた。

 

「……ねえ」

 

すると、唐突に俺の腕が引かれた。視線を向けると岡野が俺の袖口を摘みながら俺のことを見上げていた。

 

「もしかしてこうなることも分かってたの?」

 

岡野の言葉が響くと今度は周りの視線が俺の元に集まった。

 

俺は別にこの“事象”が読めていた訳ではない。ただあいつはこの前の授業でこう言っていた。

 

『相性が悪いものは逃げずに克服する』と。

 

おそらくあいつは外国語を覚える際にそうやって挑戦して克服していったのだろう。その結果10か国語をマスターして未経験であった教師の仕事すら克服した。そんな人間があの日のように無様に這いつくばったまま終わるとは思えない。

 

それにかつてビッチはこうも言っていた。

 

『当然、私も弱いところは改善する努力をする』

 

ビッチはあの日から苦手な近接戦闘も克服するために努力したのだろう。しかし、体格や筋力で劣るビッチは正面からの戦いでは俺や烏間さん、赤羽などが相手では分が悪い。さらにハニートラップが得意な彼女のスタイルと純粋な戦闘能力を身に付けるための筋力強化ははっきり言って相性が悪かった。下手に筋力や戦闘力をつけてしまうとハニートラップの動きに影響が出るからな。そこを逆転するために彼女なりに見出した活路がワイヤートラップだった。

 

「——あいつはタコを殺すのに必要な技術を自分で考え挑戦と克服を続けていた。俺が知ってるのはそれだけだ」

 

俺が岡野たちにこの内容の話をすると周りにいた連中は目を輝かせた。後ろをチラッと見るとロヴロも目を細めている。タコから同じような話を聞いたのだろう。

 

だが……

 

「……マウントポジションに入ってからの追撃がちょっと遅いな」

 

《パン!》

 

「……危なかった」

 

ビッチが振り下ろした刃は烏間さんに当たることはなかった。烏間さんがビッチの腕を止めたのだ。

 

ビッチはマウントポジションに入ったことで安心してしまった。だが、一流の戦闘者相手ではこれは命取りだ。あの人ならトドメを刺さない限りここからでもひっくり返す力を持っている。

 

そしてここからは力勝負だ。この状態ではもうビッチに勝ち筋はないだろう。

 

「……そんな。ビッチ先生」

 

岡野が残念そうに呟く。その様子を見た他の生徒たちも残念そうな表情をしていた。

 

これが普通の暗殺なら詰みだ。

 

 

——“普通”の暗殺ならな

 

 

「まあ黙って見ていろ」

 

「……え?」

 

俺が岡野にこう返したとほぼ同時にビッチは次の行動に移った。そんなビッチがとった行動、それは……

 

「……烏間、殺りたいの?……ダメ?」

 

甘い顔での懇願だった。

 

「殺らせろと縋り付く暗殺者がいるか!諦めが悪い!!」

 

はっきり言ってガキ以下の手段だ。烏間さんのツッコミもごもっともだと思う。だが、これはビッチの「諦めたくない」という考えから来るものなのだろう。

 

『このまま終わりたくない……あんたたちに何もできてないまま……居なくなりたくない……!もっと……あんたたちと一緒にいたいのよ……っ』

 

さっきあいつは苦手な俺から逃げずに頭を下げてこう言った。正直、ビッチが俺たちのことをどう思ってるかまではわからないが、ここまでするほどこの教室に残りたいと思っているようだ。

 

(そんなビッチの思いを烏間さんが認めれば……)

 

 

——その刃は烏間さんに届く

 

 

その時、烏間さんは呆れた顔でため息を吐いた。そのまま抑えていた腕を外す。

 

「……諦めが悪い奴に、今日一日付き合えるか」

 

巻き込まれた烏間さんの疲れた顔から放たれた言葉と同時に支えを失ったビッチの腕は烏間さんの胸にゆっくりと落ちた。ビッチが握る刃とともに。

 

一応、これでビッチの刃は烏間さんに当たった。つまり、この勝負はビッチの勝ちだ。

 

「当たった!」

 

「ビッチ先生残留決定じゃん!」

 

「「「やった!!」」」

 

その直後、クラスの連中からは大きな歓声が上がった。矢田と倉橋は目を潤ませながら拍手をしている。他の連中も女子や潮田を中心に笑顔を浮かべていた。

 

「……これも計算のうち?」

 

すると、さっきと同じように岡野にチョンチョンと袖を引かれて、岡野は俺に顔を向けてこう聞いてきた。

 

「……さあな。だが、烏間さんはここでは相手のレベルに合わせて手加減している。そしてこの勝負はビッチの“存在価値”を示すための試験のようなもの。あの人がビッチのことを認めたのなら当たってくれるとは思っていたよ」

 

「じゃあ、『言うことは何もない』っていうのは……」

 

「言っただろ。“存在価値”を示すための試験って。この場所で一番“存在価値”を認めさせるべき相手は烏間さんでも師匠の人でもない。ここの“生徒”であるお前たちだ。あいつは“この教室の教師”としてお前たちに“存在価値”を認めさせることが必要だったんだ。そして、お前たちの答えは『あいつが“大切”』だった。その時点であいつはそれを示せていたんだよ」

 

あいつは教師としてこいつらと向き合ってきた。最初とは打って変わって教師として生徒に本気で向き合い、苦手なことを克服しようとする姿や変わろうとする姿をこの1ヶ月間ずっと見せ続けてきた。

 

『その努力はまさに“プロ”のものだ。それは、俺たちが学ばないといけないところだと思います』

 

ビッチは1ヶ月前に俺が感じた“価値”をこの1ヶ月間ちゃんとこいつらにも見せ続けていた。その姿をこいつらが認めたならそれだけでここにいる“価値”がある。

 

少なくとも俺はそう判断しているし、烏間さんもそう認めたのだろう。

 

「それに、さっきあいつは俺にこう言った。『俺たちにまだ何もできていない。もっと一緒にいたい』って。だからそれ以上俺から言う必要はなかった。それだけだ」

 

そして、ビッチ自身も教師としてここにいることを諦めたくないと泣きながら俺に訴えてきた。“生徒”が認めて、“教師”(本人)もここまでできるのならその時点で俺からしたら何も言わなくても十分だったのだ。

 

「そっか」

 

俺の言葉が終わると岡野の表情はこれまで俺に見せたことのないような明るい笑顔になった。近くにいた潮田や茅野、そして矢田や倉橋も明るい顔をしている。外からはロヴロと話していたビッチの高笑いが聞こえてきた。どうやらあの人にも認められたのだろう。

 

この教室でのイリーナ・イェラビッチの“存在価値”。それはこの教室に広がる笑顔と教室中に響いている笑い声がそれを証明していた。

 

 

***

 

 

「ご心配なく。君たちに負担がかからないようゆっくり加速しますから」

 

《ビュン!》

 

「「うわああああああ!!」」

 

夕焼けの光が葉の隙間から差し込んでくる放課後。俺は4限の時と同じ木の上からタコに連れ去られる潮田と赤羽の様子を見ていた。本当にあいつは規格外だなと内心ではため息を吐く。あいつのことを調べれば調べるほど、殺せる未来が見えてこないな……

 

「……ねえ」

 

そんなことを考えていると、下の方から女の声が聞こえてきた。声の方向に視線を落とすと木の根元にビッチが立っていた。

 

これ、さっきも同じ感じだった気がするな……

 

だが、俺を見上げてきたビッチの目は昼とは違い、力強くまっすぐと俺を見据えていた。

 

「何の用だ。午後は授業に出たぞ?」

 

「……そうじゃないわよ」

 

これも昼と同じようなやりとりだ。だが、これもさっきまでと違ってビッチに焦りの様子は見えない。昼の時とは雰囲気がまるで違っていた。

 

昼と同じように身体を起こして枝に座り直してビッチに声をかける。

 

「で、何の用だ?」

 

すると、ビッチは一瞬だけ言葉を探すように黙ってから意を決したような感じで口を開いた。

 

「……その、ありがとう」

 

「……お礼なら矢田とか倉橋に言ってやれ。あいつら俺が『結果を残せないなら出て行ったほうがいい』って言ったら、あいつら泣きながら突っかかってきたんだから」

 

「……そう」

 

気恥ずかしそうにビッチのお礼の言葉が響く。

 

だが、俺はビッチに対しては何もしていない。俺が何もせずともビッチははじめから“存在価値”を示せていた。これは自分の力で掴んだ結果だ。

 

むしろ、この人のことを“大切”と言っていた矢田や倉橋、岡野とかにお礼をするべきだろう。

 

ビッチの礼に俺がこう返したらビッチは目を細めた。

 

「ああ、それと……」

 

その姿を視界に入れた俺は枝から飛び降りてビッチの前に立つ。そして、静かにこう声をかけた。

 

「イ(・)リ(・)ー(・)ナ(・)さ(・)ん(・)」

 

「——っ!!」

 

初夏の夕暮れの中、俺の言葉が裏山に響くと目の前から息を呑むような音が聞こえてきた。俺はいつものように声をつなげる。

 

「Жао ми је. Отишао сам предалеко тада.《悪かったよ。あの時はやりすぎた》」

 

俺がイリーナさんにこう伝えると、イリーナさんの目が見開かれた。俺の発した言語が想定外だったのか。それとも発言の内容に驚いたのか。それは分からない。

 

だが、この人はちゃんと結果を残して教師として“存在価値”を示した。それを教室の誰もが認めている。だったら、俺もこの人のことを“ここの教師”として認めてやりたいと思う。

 

するとイリーナさんも昼のように勢いよく頭を下げ始めた。

 

「私もごめんなさい!あの時、先に手を出そうとしたのは私。あの時は本当にごめんなさい!」

 

イリーナさんの口から謝罪の言葉が飛び出す。しかし、その姿は昼とは違って震えていなかった。

 

そして、顔を上げたイリーナさんは潤ませた目を俺に向けながらこう言った。

 

「それと、こんな私のこともしっかり見てくれてありがとう!」

 

1ヶ月越しの謝罪と感謝。これでようやくイリーナさんは俺と和解してここの教師として認められることなった。

 

「別にあのことは気にしてねえよ。それよりあいつらのところに行ってやれ」

 

そんなイリーナさんに俺は別の方向へ指をさしながらこう返す。俺が指をむけた方向では矢田と岡野と倉橋が笑顔で手を振ってイリーナさんのことを呼んでいた。

 

「……分かったわ」

 

その様子を見たイリーナさんは岡野たちの方へ歩を進め始める。しかし、一度立ち止まって再度こちらに振り返った。

 

「あと一応、私もあんたの教師なんだから。困ったことがあったらいつでも頼ってほしいわ。頼りないかもしれないけどね……」

 

「……フッ。頼れそうなことがあったらな」

 

少し気まずそうな顔でこう話したイリーナさんに俺がそう返すとその顔はもう一度明るくなった。そして軽い足取りでこの場を離れた。

 

こうしてイリーナ・イェラビッチはE組の教師として残ることになった。これにて一件落着。イリーナさんに残って欲しいと言っていた岡野たちにとってはめでたしめでたしなのだろう。

 

これでこの一件は終わるはずだった。

 

しかし……

 

さっきから俺の近くにイリーナさん以外の気配がもう1つあった。さっきまでは潜められた気配はイリーナさんがこの場から消えた途端に少しだけ強くなる。どうやらその気配の持ち主も今さら隠す気もないらしい。

 

「……君がイリーナを倒したと言う少年か」

 

そして、イリーナさんを見送った俺に再度声がかけられた。その声はイリーナさんの師匠ロヴロのものだ。

 

「どうも。俺のことも随分と熱心に観察してくれてたみたいだな」

 

「……気づいていたか。さすがだな、少年」

 

「朝から妙な気配が俺の近くにずっとあったからな。正直、もう少し早く声をかけてくると思ったんだが」

 

「……それはお互い様だろう。君だって授業に出ずに我々のことを探っていたではないか」

 

「……」

 

(やはり気づかれていたか……)

 

ロヴロから放たれた言葉に俺は一瞬だけ目を細める。

 

「……流石、歴戦の殺し屋と言われるだけあるな」

 

気配は上手く殺していたはずだったんだがな。この暗殺対決では敗れたが、ロヴロも相当優秀な殺し屋であることは間違いない。純粋な暗殺者としての実力ならイリーナさんは足元にも及んでいないだろう。

 

「それで?俺に何の用だ?」

 

「いや、私の弟子を倒したという中学生に興味があっただけだ」

 

俺の問いに対するロヴロの返事は至って普通のものだった。しかし、次に続いた言葉は俺にとって見逃せないものだった。

 

「しかし驚いた。尾行技術に木の上での野営技術。まさか『カツラギ』の所のガキがここにいたとはな」

 

「——っ!」

 

《バシッ!》

 

その言葉を聞いた瞬間、地面を蹴って一瞬でロヴロの背後に回り込む。

 

「っ……」

 

そのままロヴロの怪我をしていない方の肘を極めると骨の軋む音がわずかに鳴った。

 

「……それをどこで知った?」

 

「……っ!……なるほど、これではイリーナが勝てないのは納得がいく。『カツラギ』のやつ、いい弟子を育てたな」

 

腕に力を込めながら低く押し殺した声で目の前の男に問うとロヴロは苦しげに息を吐きながらもどこか楽しげな声を返してきた。

 

「……質問に答えろ。それをどこで知った?」

 

だが今の俺にとってはこのロヴロの言葉はどうでもいい情報だ。俺はさらに力を込めながらあ(・)の(・)時(・)と同じような鋭い視線でこの男の背中を見据える。

 

ここまで知られているのならもう殺気を隠すつもりはない。背中で腕を極められたままわずかに背後に振り向き、俺に目をやったロヴロは短く息を吐いてからこう答えた。

 

「安心しろ。私は殺し屋の斡旋をやっている。同(・)業(・)者(・)の情報には多少詳しい」

 

確かにこの男は引退後は殺し屋の斡旋をやって金を稼いでいる。それなら“あの人”との繋がりがあってもおかしくなはい。

 

「それに『カツラギ』とは昔からの仲でな」

 

「……」

 

それにこの男は殺し屋の世界では顔が広い。“あの人”なら昔から親交があった可能性は大いにあるだろう。

 

(嘘ではない……か)

 

少なくともこの場で嘘を吐く理由もないし、嘘を吐いているようにも見えない。そう判断した俺は警戒と腕の力をわずかに緩めてそのまま手を離した。

 

ロヴロは軽く腕を回しながら向き直りこちらに目を向ける。そんなロヴロに俺はもう一度問いかけた。

 

「それで、俺に何の用だ?」

 

「いや、特に何もする気はない。君(・)の(・)不(・)利(・)益(・)に(・)な(・)る(・)こ(・)と(・)もな」

 

そう言ってロヴロは一呼吸置いた。この様子を見る限り俺(・)の(・)事(・)情(・)を少なからず察しているようだ。

 

するとロヴロは小さくため息を吐いてからこう続けた。

 

「……しかし、君も大変だな。組織はゴタゴタ、それに『カツラギ』は——」

 

「俺は組織から“追放”された身だ。もう『カツラギさん』とも縁を切ってる。あの人やあそこの連中とはもう二度と関わるつもりもない。だから今更そんな情報はいらん」

 

俺はロヴロの言葉を遮って視線を逸らしながらこう言った。

 

俺はもう“あの組織”とは関係のない人間だ。あそこで何が起ころうとも今の俺には何の関係もない。

 

「……そうか」

 

少し目を細めたロヴロはさっき話そうとしていた言葉をもう一度繰り返すようなことはせずにそのまま短く頷いた。

 

「だが、これだけは伝えておこう」

 

しかし、ロヴロはこれで話を終わらせなかった。さっき、イリーナさんと話していた時の空気は完全に消え、夏も近いはずなのに冷たい空気がこの場を包む。

 

「近々、“君の組織出身の人間”がここに来る」

 

「……」

 

「そいつは何か手(・)術(・)の(・)よ(・)う(・)な(・)も(・)の(・)を受けているらしい」

 

「……」

 

「気をつけたほうがいい……」

 

それだけ言うと今度こそロヴロは俺に背を向けた。そのまま何も言わずにその姿が小さくなる。

 

(……手術か)

 

俺だけがこの場に残される中、その言葉が妙に頭の中で反響していた。

 

俺にはその言葉に心当たりがあった。それも嫌になるほどはっきりとしたものだ。

 

『人間の細胞を強化し、身体能力を爆発的に引き上げる。戦争用の兵士を作る計画だ』

 

「……」

 

俺の頭の中に流れたのは数日前に聞いたあの言葉だ。うちの教室にいる超生物と妙な近さを感じるあの実験。その実験の話を聞いたタイミングで現れる“手術を受けた人間”。これは偶然なのだろうか……

 

そして、“あの組織の手術”といえばもう1つ……

 

「……まさかな」

 

こう呟きながら見上げた空の色はさっきまでと同じ空のはずなのに少しだけ暗く、そして重たく見えた。

 

 





あとがき

ここまで読んでいただきありがとうございます。

ようやくビッチ先生はE組の教師として認められましたね。以前まで『ビッチ』と呼んでいた零二くんも呼び方を改めて『イリーナさん』と呼ぶようになりました。一番最初の設定でも書きましたが、零二くんは自分が認めた相手には丁寧な態度をとります。つまり、この呼び方には零二くんがビッチ先生を教師として認めたという意味合いが込められてます。1ヶ月前のこともお互いに謝って和解もできたのでこれにて一件落着です。(他のみんなともこうやって仲直りできればいいのに……)

ただ呼び方は改まったとはいえビッチ先生には相変わらずタメ口なので、人として敬っているわけではないんですけどね……

ちなみに色々調べてロヴロさんはロシア人という設定にしてます。同様にビッチ先生も色々調べてセルビア人がしっくりくるかなということで今作ではセルビア人ということにしてます。零二くんが最後セルビア語で謝ったのもこういう理由です。(私はロヴロさんとビッチ先生の国籍は違うのかなと思っています。原作に答えがなかったので色々と難しいですが……)

そして、最後のロヴロさんとの会話で察しがついた方もいると思うんですけど、零二くんは殺し屋組織出身の殺し屋です。正確には“元”ですけど。まあ、いくら不良で喧嘩慣れしてるとはいえど、ここまで武器や現場のことを知り尽くしていて、裏社会の人間との繋がりも多い人間がた(・)だ(・)の(・)一(・)般(・)人(・)な訳ありませんよね。

これは後付設定でも何でもなく、最初からこのつもりで零二くんのことは書いていました。前回のあとがきで『E組にいる全(・)員(・)との共通点を持ちながら対比している人物』をテーマとしていると書きましたが、その全(・)員(・)はビッチ先生のような“教師”も含まれます。その共通点の1つが『ビッチ先生と同じ本物の殺し屋だった』ということです。この視点でこれまでの内容を最初から見返してもらえるとその見え方が変わってくると思います。(変わって欲しい)

そんな元殺し屋の零二くんは一体どうして殺せんせーの暗殺を彼は拒否したんでしょうかね……。以前ビッチ先生が言っていた通り、彼が参加すればE組にとって絶大な戦力になるのですが……

また、零二くんの強さや観察眼は全て零二くんが昔いた殺し屋組織で磨かれた物なのですが、これについてはまたの機会に触れさせてください。

そして次回転校予定の“彼”ですが今作では零二くんと同じ殺し屋組織出身の人間という設定を追加しようと思っています。まあ、肩書き以外に大きな変更は入れない予定です。ちょっと本体が原作より強いかな〜くらいに思っていただければ。

では、次回もよろしくお願いします。


【次回予告】

「もう1つは私の性能では彼のサポートに力不足……私は彼より暗殺者として圧倒的に劣っていたから」

その言葉が落ちた瞬間、教室が完全に静まり返った。息が詰まるのを感じる。

(律が……劣っている?)

信じられなかった。だってあの律だ。世界最新のAIで殺せんせーの指を吹き飛ばした律がこの扱い……?

喉が乾くのを感じる。今日やってくるのは一体どんな怪物なんだろう……

すると、その重苦しい空気を破る声があった。

「なあ」

低く、静かな声が響く。その声はこの教室で未だに暗殺に深く関わっていない生徒、周防くんのものだった。



次回 『転校生の時間 2時間目』


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