最近は週1投稿にしてましたが暗殺教室へのモチベが爆上がりしてるので2本目も投稿します。まあ、今回過去編なんですけどね。
では、本編行きます。
烏間side
すでに夜も更け街は完全に闇へ沈んでいる時間帯の防衛省の一室で俺は椅子へ深く腰を下ろしたまま今日学校で起こった出来事を報告書としてまとめていた。
地球を破壊すると宣言しながら現在はあの教室で教師をしている超生物。そして今日新たに転校生として現れた堀部糸成と彼に付き添うように姿を現した“シロ”と名乗る男。
どれも現在進めている暗殺計画を考えるうえで看過できない情報だが、中でも俺が気になっているのはあの少年が見せた白い触手だった。あれは超生物の触手と酷似しており、ただの武器や外付けの装置として説明できるような代物には見えなかった。
(……想定外が重なりすぎている)
超生物の存在そのものがこれまでの常識から外れている以上、何が起きても不思議ではないとは理解している。しかし、そこへ同質と思われる能力を持つ人間まで現れたとなれば話は別だ。あの触手が何なのか、シロという男はどこまで事情を把握しているのか、そして何を目的としてE組へ接触してきたのか……1つずつ整理しなければならない問題があまりにも多すぎる。
そんなことを考えながら報告書を打ち込んでいると机の上に置かれていた内線が鳴った。その音に俺は思わず顔をしかめる。
こんな時間に連絡が入ること自体は珍しくないが今は余計な案件に時間を取られたくない。俺は短く息を吐いてから受話器を取った。
「烏間だ」
「園川です。お疲れ様です」
聞こえてきたのは部下である園川の落ち着いた声だった。
「どうした?」
「実は外部から烏間さんに繋ぐよう要求されている連絡がありまして……」
その言葉にキーボードの上へ置いていた指が止まった。防衛省の人間へ外部から直接連絡を取り付けようとするだけでも普通ではないが、その上でわざわざ俺を指名してくるのは表の人間でない可能性が高い。
「外部?」
「はい。その人物は『椚ヶ丘中学校3年E組にいる超生物についてよく知っている者』だと名乗っています」
その一言を聞いた瞬間、先ほどまでとは違う緊張が身体の中を走った。
あの超生物の存在は国家機密だ。すでに賞金首として世界中の殺し屋へ情報は流れているものの、一般人が気軽に防衛省へ問い合わせていいような内容ではない。それを知ったうえで俺へ直接繋ぐよう要求してきたということは、少なくとも向こうはこちら側の事情をある程度把握しているということだろう。
(……誰だ)
殺し屋か?
あるいは独自に情報を掴んだ他国の政府関係者か?
どちらにしても相手の素性を確認する前から拒絶できる内容ではない。俺は一瞬で頭の中を切り替えると、通話の相手が何者であっても対応できるよう意識を研ぎ澄ませた。
「……わかった。繋いでくれ」
「了解しました」
園川との通話が切れ、再び室内へ静寂が戻ってくる。
机の上に置かれた時計の秒針が時を刻む音が先ほどまでより妙に大きく聞こえた。こちらの事情や超生物の情報を把握したうえで連絡してきている以上、ただの一般人ではないことだけは確かだ。やがて回線が繋がる音が聞こえたので俺は警戒心を途切らせないまま受話器を持ち直した。
「……烏間だ。まず君の用件の前になぜ超生物について知っているか聞かせてもらおうか」
最初からこちらの情報を与える必要はない。できるだけ低い声で圧を込めながら問いかけ、相手がどのような反応を示すのかを探る。
だが返ってきた声は俺の想定とはまた別のものだった。
「……もしもし、夜遅くにすみません。周防です」
一瞬だけ思考が止まった。
その声は今日まで何度も聞いてきた声。それもつい数時間前まで同じ校舎の中にいた少年のものだった。
「……周防くんか」
身構えていた意識がほんの僅かに緩む。
周防零二
現在E組に所属している生徒でありながら唯一暗殺に参加していないという独特な立ち位置を持つ生徒だ。もちろん彼についても謎は多い生徒ではあるのだが、少なくとも今この瞬間に警戒していたような未知の外部勢力ではなかった。
「なぜこちらに?」
俺が問いかけると周防くんは普段と変わらない淡々とした声で答えた。
「すみません、烏間さんの連絡先がわからなかったもので、直接ここに連絡させてもらいました」
その理由を聞いて張っていた肩から少しだけ力が抜けた。確かに頻繁に顔を合わせてはいるものの、周防くんだけはE組の誰とも連絡先を交換しておらず、俺個人の連絡先も教えた覚えはない。急用ならばここを経由するしかなかったのだろう。
「……そうか」
俺は小さく息を吐いてから、気持ちを切り替えるように言葉を続けた。彼がわざわざここに連絡をしてきたということはそれだけ重要な要件があるともいえる。俺は先ほどとはまた別の意味で気持ちを入れ直した。
「それで、用件は?」
しかし、その直後に返ってきた言葉は先ほどとは別の意味で予想外のものだった。
「実は体調を崩して入院することになったので、しばらく学校に行けなくなりそうで……」
「……何?」
思わず聞き返してしまう。
今日の周防くんは確かに学校にいた。少なくとも俺が確認している範囲では体調を崩しているような様子はなかったし、通常通り授業にも参加していた。多少の異変なら隠していた可能性はあるが、数時間後には入院しなければならないほど急変するとなれば話が違う。
(……急すぎる)
「何があった?」
自然と声が鋭くなる。
単純な体調不良なら事情を隠す理由などない。だが、周防くんから返ってきた答えは明確に一線を引くものだった。
「すみません。これ以上は言えないです。それと詮索もしないでもらえると助かります」
言葉遣いそのものは普段と変わらず丁寧だ。しかし、その奥に込められた拒絶の意思がはっきりしている。
これ以上踏み込むな。
そう言外に告げられているように感じた。
「………」
俺はすぐには返事をしなかった。
するとその沈黙の間に周防くんがさらに言葉を続けた。
「ここに電話したのはあのお節介タコが詮索するのを止めてもらうためです。あいつらからのお見舞いもいらないです。もしタコや赤羽あたりが俺のところに行こうとしてたら止めて欲しいです。お願いします」
その声音には妙な硬さがあった。
普段の周防くんも決して感情豊かな少年ではない。むしろ余計な感情を表へ出さず、必要な情報だけを淡々と口にすることの方が多い。しかし今の声はそれとは少し違い、何かを悟られないために意識して余分なものを削ぎ落としているように聞こえた。
(……何かあったな)
それだけは間違いない。
教師として生徒に何かが起きているのであれば事情を確認するべきだという考えは当然ある。ただ、それと同時に別の直感もあった。
ここで強引に踏み込めばこの少年はさらに距離を取る。
周防くんは自分から助けを求めるタイプではない。むしろ自分のことは自分だけで処理し、周りへ知らせる必要がないと判断すればたとえ自分が誤解されようとも何も言わないような人間だ。今の段階で無理に聞き出そうとしても本当に必要な情報すらこちらへ渡さなくなる可能性がある。
俺は僅かに視線を落として短い時間の中でどう答えるべきかを考えた。
「……君に何かあったのはわかった。一応、体調不良として処理しておく」
俺が出した答えは今は彼を信じてこれ以上踏み込まないことだった。完全に放置するわけにもいかないが、今の俺にはできることがない。下手に俺が動いて彼の迷惑になる方が危険だろう。
「……くれぐれも無理はするなよ」
今の周防くんへ伝えられるのはそれが精一杯だった。
受話器の向こうからはしばらく返事がなく、僅かな呼吸の音だけが聞こえる。やがて短い言葉が返ってきた。
「……ありがとうございます。お願いします」
その言葉を最後に通話は切れた。
俺は受話器を置いてからもしばらくその場を動かなかった。室内へ再び静寂が戻り、さっきまで打ち込んでいた報告書の文字だけが端末の画面に浮かんでいる。
(……周防くん)
元々、得体の知れない部分を持つ少年ではあった。
まだ底を見せていないが普通の中学生とは思えない戦闘能力を持ち、武器の扱いや裏社会の常識を当たり前のように知っている。俺自身、まだ彼について把握できていないことは多い。
だが今回感じた違和感はそういうものとは違っていた。何が起こったのかは分からない。ただ、学校を出てから今の電話までの短い時間の中で何か明確な異常が起こっていることは確かだった。
俺は深く息を吐いてから途中まで作成していた報告書へ再び視線を戻す。
どうやら今夜は長い夜になりそうだ。
***
零二side
烏間さんとの電話が切れ、受話器を置いた俺はゆっくりと息を吐いた。
病室の中は怖いくらいの静寂に包まれており、鼻につく消毒液の匂いとどこかに設置されている医療機器の微かな駆動音だけが残っている。静かな場所だからこそ自分の呼吸が必要以上に大きく聞こえた。
(……これでひとまずはいいだろう)
烏間さんには学校へ行けないことを伝えた。
あの人なら必要以上に騒ぎ立てることはないし、事情を説明したくないという意思も理解してくれるだろう。あのタコが変なところで勘を働かせて詮索を始めても烏間さんから止めてもらえるはずだ。
そこまで確認できたことで緊張を保っていた身体から一気に力が抜けた。
俺はゆっくりとベッドへ身体を沈める。
「……っ」
僅かに姿勢を変えただけでも胸の奥から鈍い痛みが広がった。
呼吸をするたびに身体の内側が軋むような感覚があり、処置を終えたばかりの傷口には熱が籠もっている。麻酔や鎮痛剤が効いているからこれでもマシな方なのだろうがそれでも普段通りに動くことなど到底できそうにはなかった。
ここへ辿り着いた時の俺は自分で思っていた以上に酷い状態だったらしい。
制服は全身から流れた血で赤く染まり、昔負った傷まで含めて身体の至るところから出血していた。それこそ、よく自分の足でここまで辿り着いたものだと言われたくらいだ。
「ようやく落ち着いたか」
すると、扉の方から声が聞こえた。
そちらへ視線を向けると、白衣姿をした闇医者の日川さんが腕を組んだまま立っていた。この人には以前から何度か身体を診てもらっているが、今回ほど面倒をかけたことはなかっただろう。
「……どうにか」
今はそれだけ話すだけでも僅かに体力を削られているような感覚がある。日川さんはそんな俺を見ながら呆れたようにため息を吐きながらベッドの横まで歩いてきた。
「で、何があった?」
これは当然聞かれるだろうと思っていた質問だった。いきなり全身のありとあらゆる箇所から血を流してやってきたら誰だって気になる。
「……俺にもよくわからないです」
だが、俺自身がその答えを持っていなかった。これは誤魔化しでも何でもなく本当に分からない。
覚えているのはあの光を浴びた瞬間に全身へ走った尋常ではない痛みだ。あれは身体の表面が傷ついたというより内側から何かに壊されていくような感覚だった。そして、気がつけば本来すでに塞がっていたはずの古傷まで次々と開き、全身から血が流れていた。
なぜこんなことになったのか。
どうして過去の傷まで開いたのか。
何かの発作か?いや、発作が原因で今までの傷まで全部開くか?
それともあの光が原因なのか……?
考えても出てくるのは疑問ばかりで今の情報だけでは1つの答えに繋げることができなかった。
「……2年前の“あの件”が関係してるんじゃないのか?」
「……それも含めて調査中です」
俺がそう答えると日川さんは何か言いたそうな顔をした後、深く息を吐いた。
「とりあえず、しばらくは絶対安静だ。抜け出すようなこともするなよ」
「……はい」
普段なら多少無理をしてでも動くところだが、今の身体ではさすがにどうしようもない。俺が素直に返事をすると、日川さんはしばらくこちらを疑うように見ていたものの、それ以上は何も言わず病室を出ていった。
扉が閉まり再び静けさが戻る。
俺はゆっくりと上体を起こして壁際にある鏡へ視線を向けた。
そこに映っている自分の姿は自分で見ても随分酷いものだった。右目からこめかみにかけては包帯で覆われ、身体のほとんどの部位にも何重にも包帯が巻かれている。胸元の一部にはまだ僅かに赤い染みが浮かんでいた。
今日の傷の中には今まで俺が受けた傷も多くある。例えば普段は長袖の服で隠しているが腕には数多くの切り傷が刻まれている。普段はあまり気にしていないが、こうして改めて思い返すと今までどれだけ傷つけられてきたのだろうか……
そのまま俺の思考は今日の出来事へと移っていた。改めて今日の出来事を思い返すと妙に気になることが多かった。触手を持っていた組織の人間に妙に超生物に詳しかったあの白装束の男。
そして……
『何か嫌なことでも思い出したかい?』
「……っ」
その言葉を思い出すと、胸の奥が僅かにざわついた。そのまま普段は頭の奥へ押し込めていた記憶が少しずつ浮かび上がってきた。
***
僕には記憶がなかった。
気がついた時にはすでにそれまでの人生を覚えておらず、自分について聞かされていたのは“周防零二”という名前と歳は10だということだけだった。僕が誰の子供なのか、どこで生まれたのか、どうしてここへ来たのかも僕にはわからない。
暗殺組織『エリクシール』
記憶のない僕にとってそこが世界の全てだった。
「おい、“ゼロ”。前に出ろ」
教官の無機質な声が訓練場へ響く。
呼ばれた僕が指示通り前へ出ると周りにいる同年代の子供たちから無数の視線が突き刺さった。そこに尊敬や期待のようなものは一切なく、向けられているのは嘲りと軽蔑だけだ。
“ゼロ”
それが当時の僕に与えられていたコードネームだった。
だけど『世界を敵に回す反逆者』や『日本を守る公安警察』、『究極のサッカーチーム』のようなそんな大層な意味が込められていたわけではない。
——“才能ゼロ”
何をやらせても他の子供より劣り、暗殺者として使える才能が何一つない。そんな意味を込めて周りが揶揄うようにつけた僕にとっては忌み名のようなものだった。
そして、その呼び名を否定できるだけのチカラを当時の僕は何一つ持っていなかった。身体は同年代の子供と比べても小さく、筋力もない。反射神経や体力に優れているわけでもなければ武器を持たせても特別上手いわけではない。他の訓練生と並べば一目見ただけで自分だけが見劣りしていることが分かるくらいだった。
僕の正面には同年代の女の子が立っている。
細い身体ながらも構えには隙がなく、こちらを見ている表情にはすでに勝負が決まったと思っているような余裕があった。
「……始め」
教官の合図とほぼ同時だった。
「っ——!」
相手の姿が一瞬で視界から消えたように感じた。
次の瞬間には腹部へ強い衝撃が入り、肺に溜まっていた空気が一気に押し出される。
「ぐっ……!」
身体が前へ折れて視界が大きく揺れた。
(……速いっ)
そう思った時にはすでに次の動きへ入られている。反応しようとして足へ力を入れた瞬間には足を払われ、身体の軸そのものを崩されていた。
「……弱いね」
頭上から冷たい声が落ちてくる。
何かを返す余裕もないまま身体を地面へ叩きつけられ、背中へ強い衝撃が走った。
「っ……!」
起き上がろうとしても身体に力が入らない。相手はそんな僕を見下ろした後、それ以上追撃する必要すらないと判断したように離れていった。
「はい、終わり」
訓練は呆気なく終了した。
すると周囲から待っていたように笑い声が聞こえてくる。
「女子にすら勝てねぇのかよ」
「ほんと、“才能ゼロ”だな」
何も言い返すことができなかった。
実際に負けた。しかも、何一つできないまま……
相手の攻撃も見えず一度もまともに反撃できないまま地面へ転がされた以上、何を言っても負け惜しみにしかならない。
胸の奥に悔しさと惨めさと情けなさが入り混じった感情が広がっていった。
(……なんで)
強く歯を食いしばる。それでも涙は出なかった。ただ、1つの事実だけが自分の中ではっきりしていく。
——僕はどうしようもないくらいの
それでもそこにいた全ての人が僕のことを蔑んでいたわけではなかった。
「ゼロのお兄ちゃん!」
その日の訓練が終わって配給の食事を済ませた後、背後から聞こえた声に振り向くとそこには僕よりさらに幼い小さな子供たちが立っていた。
「今日も一緒にいてくれる?」
「……うん」
訓練生の中では誰からも役立たず扱いされていた僕だったけど、なぜか年下の子供たちはよく僕のところへ集まってきた。
僕自身も他の訓練生と争っているよりもこの子たちの相手をしている方が気が楽だったから時間があれば一緒に過ごすことも多かった。そのせいか、いつの間にかこの子たちからは『ゼロのお兄ちゃん』と呼ばれるようになっていた。
「ありがとう!ゼロのお兄ちゃん!」
弱くても何もできなくてもこの子たちはそんなことを気にしない。暗殺者として何一つ価値がないと馬鹿にされている僕に向かってそれでも嬉しそうに笑ってくれる。
その笑顔を見るたびに胸の奥に訓練で負けた時とは違う感覚が生まれた。
(……そんな彼らを僕は守りたい)
誰かに言われたわけではない。ただ、自分を慕ってくれるこの子たちが傷つくところは見たくないと思った。
そのためには弱いままではいけない。僕が強くなりたいと思った理由は最初はそれだった。
だけどここでは力が全てだった。どれだけ優しい人間でもどれだけ正しいことを言っていても力がなければ何もできない。弱ければ自分の身すら守れず守りたい人間が目の前で傷つけられても見ていることしかできない。
だから、僕は僕なりにその現実へ抗おうとした。
——力がないのなら、力を持っている人間から学べばいい
そんな僕が最初に選んだ方法は『強い人間の動きを徹底的に真似する』ことだった。
暇を見つけては訓練場の陰へ潜り込んで、当時組織最強と呼ばれていた下条龍馬さんが率いる河田班の訓練や若手の中で最も将来を期待されていた白石亮さんの訓練を何度も観察した。
武器と拳を途切れることなく繋ぎ、圧倒的な手数で相手へ反撃する暇すら与えない下条さん。
圧倒的な体術の才能を持ち、12歳の時にはすでに教官すら倒していたという白石さん。
この2人は当時の僕にとって自分とは全く違う世界にいる人間だった。同じ組織に所属しているとは思えないほど強く、いつかあんな風になれればと思っていた憧れの存在でもあった。
下条さんの無駄のない動きや白石さんのしなやかな体術をじっくりと見て覚える。
攻撃を始める時の足運び、重心の移動、相手との距離の測り方……その一つ一つを逃さないよう目で追い続けた。
(……全部、覚えろ)
見つかれば当然怒られるから気配を消して隠れながら何度も観察した。
動きだけでは足りないと思えばその攻撃を選んだ理由まで考えた。どの距離で何をするのか、相手がこう動いた時にどう反応するのか、何を嫌がっているのか。その思考や癖まで理解できるようになるまで何度も見続けた。
力がない僕にできるのはそれくらいしかなかった。
だけどだからこそそれを徹底的にやった。
しかし、当然ながら強い人間の動きを目で見ているだけですぐに自分まで強くなれるわけではない。
頭の中では理解できても身体が追いつかない。真似をしようとしても筋力や速度が足りず、結局訓練では負ける。それまでより少し動きが良くなった程度では組織の評価が変わることもなかった。
そして弱い人間には“存在価値がない”。あの場所ではそれが当たり前だった。
「……やめて、ください……っ」
でも暗殺者として使えない人間にも別の使い道がある。
組織が行っている研究のモルモット。それが当時の僕に与えられていたもう1つの役割だった。
「動くな」
冷たい声と共に腕へ針が突き刺さる。薬が身体の中へ流し込まれた瞬間、血管の中を直接焼かれているような感覚が全身へ広がった。
「っ……!」
身体を動かしたくても拘束されているから逃げられない。
今度は謎の光を当てられそれと同時に視界が歪むほどの苦痛が身体を襲った。何の実験をしているのか説明されることはなく、聞いたところで教えてもらえる立場でもない。ただ、検査が終わるたびに身体へ新しい傷跡が増えていった。
「騒いでいるが気にするな。データ取得を続行しろ」
研究者たちは僕が苦しんでいても特に反応しない。
必要なのは僕がどう感じているかではなく、その時にどんな数値が出たのかというデータだけだったのだろう。
女の子にすら勝てず、周囲から才能ゼロだと馬鹿にされ、そのうえ使い道がないからと人体実験で苦痛を味わう日々。
僕はそんな毎日を心の底から嫌っていた。
それでも心のどこかでは分かっていた。
(……僕が弱いからだ)
強かったらこうはなっていない。使える人間だと判断されていれば研究室へ連れて行かれることもない。僕に力がないから全てこうなっている。
なら……
(もっと強くならないと)
誰にも何も言われないくらい。二度と弱い人間として扱われないくらい。自分の力だけで何でもできるくらい。
その時の僕はそれこそがこの状況から抜け出す唯一の方法なのだと本気で思っていた。
***
組織で力のなかった僕はほとんどの人間から蔑まれていた。
同年代の訓練生からは馬鹿にされ、大人からは使えない人間として扱われる。自分から誰かへ話しかけることもほとんどなかったから、普段僕へ声をかけてくれるのは慕ってくれている小さな子供たちくらいだった。
ただ1人を除いては。
「なあ、ゼロ」
僕より1つ年上で、面倒見のいい性格の男の子だった。裕太くんも小さな子供たちに好かれていて、僕が子供たちの相手をしている時にはよく一緒にいてくれた。周りから馬鹿にされていた僕に対しても態度を変えることもなくて僕にとっても数少ないお兄ちゃんのような存在だった。
「このままでいいのか?」
だけどこの日はいつもより厳しい声が向けられた。
最初は僕も怒られるのだと思った。僕が弱いのは事実だ。周りの人と同じように、この人もとうとう愛想を尽かしたのかもしれない。
でも、裕太くんの目に浮かんでいたものは僕が何度も見てきた嘲りではなかった。見放すのではなく、どうにかして僕を前へ進ませようとしているような目を向けていた。
「……」
「これじゃ誰も守れねぇだろ」
その言葉が胸へ刺さる。
実際、その通りだった。守りたいと思うだけでは何も守れない。今の僕では小さな子供たちに何かが起こった時にただ見ていることしかできない。
「だからさ、一緒にやろうぜ。強くなろう」
裕太くんはそこで声を少し和らげ、僕に向かって笑った。そして落ちこぼれだった僕へ躊躇うことなく手を差し出した。
「強くなってみんな守れるようになろう」
「……うん」
僕はその手を取った。何もなかった暗い場所の中へはじめて僅かな光が差し込んできたような気がした。
みんなを守りたい。そのためには力をつけなければならない。今まで1人で繰り返していたその考えを、初めて誰かと共有できた瞬間だった。
こうしてその日から裕太くんと一緒に強くなるための研究を始めた。
僕が下条さんや白石さんの動きを観察して覚えてきたものを2人で分析する。映像があるわけでも詳細な資料があるわけでもないから頼れるのは僕が頭の中へ残してきた記憶だけだった。
下条さんの動き、技、戦い方……
白石さんの体術、思考、癖……
それを思い出しながら1つずつ形へ変えていった。
裕太くんを相手に実際に動いて、上手くいかなければ原因を考える。姿勢が違うのか、踏み込みが浅いのか、それとも単純に必要な筋力が足りないのか……
「違う。今のは重心が流れてる」
「……こう?」
「そう、それだ」
これを何度も繰り返した。
見た動きを思い出して実践して、できなければもう一度考える。次に訓練を見る機会があれば自分たちの動きとの違いを探してそれをまた実践へ持ち帰る。
ただ形だけを真似するのではなくて自分たちの身体で同じ結果を出すにはどうすればいいのかを2人で考えた。
「……この動きをやるなら、もう少し筋力が欲しいな」
「どんなトレーニングがいいかな?」
できない理由が身体能力ならその身体能力を手に入れる方法を考えた。
筋力が足りなければ鍛える。柔軟性が足りなければ毎日身体を伸ばす。反応が遅ければ何度も同じ動きを繰り返して考えなくても身体が動くまで覚え込ませる。
僕たちはそれを何度も何度も積み重ねた。
やがて、ただ動きを真似するという段階を越えてその人ならこの状況でどう動くのかまで想像できるようになっていった。下条さんならこうする。白石さんならこの角度から入る。その人間になりきるくらいに相手を観察してそれを自分たちの中へ取り込んでいった。
***
自分が変わったことを初めてはっきり実感したのはそれから数ヶ月ほど経った頃だった。
「……ゼロ、相手しな」
教官に呼ばれ、僕はいつものように訓練場の中央へ出る。
向かいに立ったのは
「へぇ……あんたが最近噂の?」
各務さんは僕の姿を見て軽く笑った。でも当然だ。組織最弱で “才能ゼロ”と呼ばれていた僕だ。簡単に終わると思われても無理はない。
「ま、いいよ。すぐ終わらせてあげる」
各務さんの反応もこれまで僕が相手してきた人と同じだった。もちろん周りの人間も似たような反応をしている。誰も僕が勝つとは考えていない。
でも、この戦いの結末はその場にいた人間の予想とは違うものになった。
開始と同時に各務さんが踏み込んで素早く拳を放つ。以前の僕なら何をされたのか理解する前にその攻撃を受けていただろう。
だが……
(……見える)
僕の目はその動きをはっきりと捉えていた。
各務さんの踏み込む足、僅かに沈んだ肩、拳が伸びてくる軌道……その全てがしっかりと見えた。
今考えればそれはある意味当然だったのかもしれない。僕はこの数ヶ月間、下条さんや白石さんのような各務さんより遥かに強い人間の動きを何度も見続けていた。速さも技術もそれよりさらに上のものを目で追い覚えようとし続けていた。
だから各務さんの動きは以前とは比べものにならないほどゆっくりと感じた。
頭の中に白石さんの無駄を極限まで削ったしなやかな体術が浮かぶ。僕はそのイメージに身体を重ねるように踏み込んだ。
相手の拳を真正面から受けるのではなく僅かに身体を逸らしながら軌道を外す。そのまま懐へ潜り込んで各務さんの重心が戻るより早く身体を崩した。
「なっ——」
ここで最初は余裕そうだった各務さんの表情が変わった。
そのまま肘を入れ、相手がそれを防げば次は膝へ繋げる。1つの攻撃が終わってから次を出すのではなく、無駄がないように最初から全てが一本に繋がっているように動いた。
自分が何度も見てきた白石さんと同じように……
「あれは白石の……?」
すると、審判をしていた教官の顔つきが変わった。周りで見ていた訓練生たちも先ほどまでの余裕を失っている。
一方で予想外に押され始めた各務さんの表情には明確な焦りが浮かんでいた。
「くっ……!」
これ以上近距離で付き合えばまずいと判断したのか各務さんは後ろへ下がって距離を作ろうとした。
でも今の僕にはそれも見えていた。僕は逃げる動きに合わせて踏み込んで距離が開くより早く再び間合いを潰す。
そして頭の中のイメージを切り替えた。今度は下条さんの武器と拳を織り交ぜて相手へ考える時間さえ与えない圧倒的な手数の攻撃だ。
僕にはまだ下条さんほどの筋力も速度もないし、今は素手での訓練だから手元に武器もない。それでもその動きを何度も見て裕太くんと何度も練習したことで動きの順番は身体へ染み込んでいた。
僕の攻撃は止まらなかった。防がれればその手を使って次へ繋げる。相手が逃げようとすれば、その方向を読んで先に塞ぐ。各務さんが防御へ回れば回るほど、こちらの攻撃はさらに続いていく。
そしてついに一撃が身体を捉えた。
「がっ……!」
各務さんの身体が僅かに浮く。その崩れた身体へ僕は最後の拳を叩き込んだ。その衝撃で各務さんは地面へ倒れ、そのまま動かなくなった。
訓練場に沈黙が流れる。
「う、嘘でしょ……?」
やがてその沈黙へ遅れてざわめきが広がっていった。
“才能ゼロ”の組織最弱。
そう呼ばれていた落ちこぼれが同年代でも強いと言われていた人間を倒した。誰も予想していなかった結果だったからこそ、その場にいた全員が信じられないものを見るように僕を見ていた。
「……っ、う……」
地面へ倒れた各務さんの身体は僅かに震えていた。その目からは涙が流れている。僕はそれを上から見下ろしていた。
痛みなのか、負けたことへの悔しさなのか、それとも今まで格下だと思っていた僕に倒されたことへの屈辱なのか。その時の僕には分からなかったし知ろうとも思わなかった。
(……這い上がった)
自分の中に浮かんでいたのは別の感情だった。
ずっと落ちこぼれだった。何をしても馬鹿にされ、弱いからという理由で実験台にされていた。
そんな僕がようやくここまで来た。あの時はそれだけで頭がいっぱいだった。
それから僕の評価が変わるまでそれほど時間はかからなかった。以前なら勝負にすらならなかった上の年代の女暗殺者とも互角に戦えるようになり、さらに訓練を続けるうちに女なら大人が相手でも勝てるようになった。男相手でも同年代なら十分に戦えるようになっていて、しばらくすると当時同年代最強と言われていた
それは裕太くんも同じだった。僕と一緒に下条さんや白石さんの動きを研究して同じように試行錯誤を繰り返してきたのだから当然だったのかもしれない。
そして僕たちが結果を残してくにつれて僕たちを見る大人たちの目も少しずつ変わっていった。
「……あの2人、使えるな」
以前まで落ちこぼれとして扱われていた“ゼロ”と藤野。いつしかその2人のコンビは訓練生だけではなく組織の大人たちからも注目されるようになっていた。
だけど本来ならそこで十分だったはずだ。
少なくとももう以前のように誰からも使えない人間だと馬鹿にされることはない。訓練で一方的に叩きのめされることも減り、実験台として扱われる回数も以前より少なくなっていた。
それでも僕は満足できなかった。
(……まだ足りない。僕はもっと力をつけなければ)
一度力を持つことを覚えてしまうと今度は失うことが怖くなった。
今の自分より強い人間はいくらでもいる。自分が勝てない相手が現れた時、守りたいものが目の前にあったらどうするのか。誰かの力を借りなければ何もできない状況になったらそれは結局昔の自分と何が違うのか。
(力をつけるんだ。裕太くんの力を借りなくても、僕1人で……!)
そんな考えが頭から離れなくなっていた。だから僕は裕太くんの支えがなくとも自分の力をつけることを妥協はしなかった。
僕は使えるものを見つけるたびにそれを観察して覚えて自分の中へ取り込んでいった。
誰の力も借りなくてもいいように、自分1人で何もかも守れるように僕1人で力をつけていく。あの時の僕はそれが正しいことだと疑っていなかった。
今思えば、この時から俺はおかしくなっていたのかもしれない……
あとがき
ここまで読んでいただきありがとうございます。
今回は零二くんの過去回でした。零二くんは元々『力がなければ文字通り存在価値がない』という椚ヶ丘よりも厳しい世界で落ちこぼれや『才能ゼロ』と呼ばれて最底辺のような扱いを受けながら生きてきました。そこは『エンドのE組』と言われて冷遇されていたE組のみんなと同じです。
ですが、零二くんはその環境から這い上がりました。最初は藤野裕太という支えはありましたが後々1人でも力をつけるようになり、最終的にはそんな厳しい世界でほぼ1人で力をつけることができてしまいました。『落ちこぼれから自分の力で這い上がることができた』というのが他のE組の生徒と大きく違うところです。『力がなければ、結果を残せなければ存在価値がない』という零二くんの考え方はこの経験から来ています。
この厳しい暗殺組織の世界を知っている零二くんからしたら最初の頃のE組のみんなのことは『落ちこぼれの現実から逃げるために暗殺の世界の厳しさも知らずに軽々しく語っているガキ』にしか見えなかったんだと思います。もちろん岡野さんたちは自分たちの努力が報われずに打ちひしがれていたから暗殺に縋っていたのですが、これも『だったら逃げるんじゃなくて次に成功するためにどうするのか考えて力をつけろよ』と過去の自分の経験をもとに厳しくあたってしまい今現在まで引きずるほどの言い合いになってしまいました。
あの喧嘩は『這い上がることができた落ちこぼれ』と『這いあがれなかった落ちこぼれ』のすれ違いによるものだったのです。
ちなみに理事長が零二くんのことを気に入っている理由もこういうところです。劣悪な環境でも力をつけて這い上がれる強者。零二くんは理事長が理想とする生徒に近いのです。ですので理事長も何かと零二くんにある程度の自由を許している部分もあります。
次回はそんな這い上がった零二くんのその後について描いていきます。初期から言及されていた零二くんの抱える十字架もここで明かされます。
では、次回もよろしくお願いします。
【次回予告】
任務先へ向かう途中、裕太が周囲へ聞こえない程度の小さな声で俺へ話しかけてきた。
「今回の任務、覚えてるよな」
「……ああ」
頭に入っている任務内容をもう一度確認するように俺は短く返した。
当たり前だ。俺が忘れるはずがない。
今回の任務はある名家の夫婦とその娘の護衛だ。
葛城さんにもらった資料や情報屋の風間さんによると1ヶ月ほど前からこの家や当主の旦那が経営する会社に嫌がらせが行われていた。それだけならただの悪戯で済んだのだが数日ほど前に依頼人の夫婦に襲撃があってSPの1人が負傷したとのことだった。そこで警備をさらに強めようということになり代々その家の護衛を担っているうちの組織に今回も白羽の矢が経ったらしい。
それでも内容はその嫌がらせの対策と万が一もう一度襲撃者が来た場合の対応だ。だが、所詮こんなしょーもないやり口をしてるやつなど大した連中ではないだろう。この任務は何事もなく終わらせることができるはずだと俺は考えていた。
次回 『追憶の時間 〜零の十字架〜』