混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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新たな一年、新たな一歩 その7

「さて、本日はお勉強を集中的にやっていこう」

 

「えぇ〜……。マナは?」

 

「そっちは一段落したから。少し間を置くのもね、身体に取っても良いんだよ」

 

 早く体得したくて、リルがうずうずしているのは分かる。

 しかし、あれから七日が経ち、私の目から見ても合格点が取れる程には成長した。

 

 万全には遠いのは確かだし、まだまだ伸ばすべき点と、その伸びしろは多い。

 しかし、六歳という幼い年齢で、既に破格の練度を得ているのも確かだった。

 

 これは私にとっても予想外なことだ。

 

 マナの扱いについて人種的優劣はない、というのが持論だし――エルフは異論を挟みそうだが――個人的な長い年月の知見として、そう見ている。

 

 それでも獣人が一段低く見られ、逆にエルフが高く見られるのは、(ひとえ)に教育の差が根底にある。

 

 高い識字率と、保管している書物の多さ、そして文化の高さと教育体制が整っているからこそ、秀でているように見えるのだ。

 

 反して獣人は、教育に対してあまりに疎かだ。

 

 昔ながらの伝統的な生活を営んでいるから、学校などもないし、子どもは労働力として扱われる。

 

 そして、幼少期の扱いの差と、学べる時間が多い長命種としての差が、如実に表れた結果だとして、その違いに繋がっているのだ。

 

 しかし、そう考えると、リルの成長は実に目覚ましいものがあった。

 

 いつもの家、いつもの部屋、いつものテーブルに座るリルに、真っ直ぐ視線を向ける。

 

 ただの才能、というだけでは片付かない飲み込みの速さ……。

 そこに理由はあるのだろうか。

 

「んぅ……?」

 

 余りに長く見つめたせいで、リルがまん丸な瞳で、不思議そうに見返して来る。

 それに曖昧な笑みで応えつつ、粘土板の用意など、勉強の準備を始めた。

 

 ――何か理由があるとすれば、それはマナ溜まりにこそ、あるのかもしれない。

 

 生後一年してこの地にやって来たが、その時から私はリルの周囲に、マナからの影響を阻害する膜を形成していた。

 

 十割を防げるものではないが、限りなくそれに近い形で防げる。

 だから、通常の大気成分同様の影響しか受けない、と思い込んでいたが……。

 

 しかし、それが間違いだったのかもしれない。

 実はそれより遥かに濃い濃度で、マナの影響を受けていたのかも……。

 

 ――全ては予想でしかないが。

 マナに対する適応が異常に高い理由は、そう考えると納得が行く。

 

「まぁ、こじつけの類いか……」

 

 検証も実験も出来ない以上、全ては空想でしかない。

 自分が納得したいから、無理に捏造した答えとも言えた。

 

 実際がどうであるにしろ、今のリルに健康上の問題はなく、元気に過ごしている。

 それが何より重要だった。

 

 そうして教材の準備が終わると、今日の予定をリルに言い渡す。

 

「今日のお勉強は……」

 

「もじなら、もうリルちゃんとかけるよ! ぜんぶ、よめるもん!」

 

「あぁ、そうだな。上から下まで、全四十六文字。順番に書ける。でも、書けるだけ、読めるだけじゃ駄目なんだよ。ちゃんと単語も読めないと」

 

「タンゴ? リル、おだんごたべたい!」

 

 子どもらしい連想は微笑ましいが、そういう話ではない。

 

 私はリルの両頬に手を添えて、団子よりも柔らかいモチモチとした、その感触を楽しみながら言った。

 

「それじゃ、お勉強を頑張ったら、今日のおやつはリルの望み通り、お団子にしよう」

 

「やった!」

 

「……でも、真面目にお勉強できたらだ。いいね?」

 

「はいっ!」

 

 リルは元気よく手を上げて、粘土板と木筆を引き寄せた。

 私はそっと手を添えて、リルの動きを止める。

 

「今日はそっちじゃない。……いや、使って貰うけど、今日のメインはそれじゃないんだ」

 

「そうなの? じゃあ、なぁに?」

 

「今日は読み取り。……つまり、ご本を読みます」

 

「ごほん!? よんで、よんで!」

 

 跳ねる様に喜ぶリルに、私は苦笑を返した。

 

 本を読むと言えば、これまで決まって私の読み聞かせだったから、その勘違いも已むを得ない。

 

 しかし、お勉強の時間と言っているのだから、私が読むのではないのだ。

 取り出してテーブルの上に置いたのは、街で見つけた教育本だった。

 

 この前リルを連れて行った街にも、当然学校というものがある。

 

 特別優れた教育を施す所ではないし、日曜学校に毛を生やした様な場所だが、あの街の領主は、教育を全くの蔑ろにしている訳でもなかった。

 

 簡単な読み書き、計算などが学べ、生活に困らないだけの勉学が学べる。

 

 腕っぷしだけが自慢の冒険者は、自分の名前しか書けない、というのは珍しくない。

 

 そして、それを不便と思っても改善しないのは、幼少期に学びの機会を得られなかったからだ。

 

 大人になってから、新たに学ぼうとする気概を持てる大人は、非常に少ない。

 不便に不満を言っても、そこで燻るのが自然な成り行きだった。

 

 でも、リルにはそうなって欲しくない。

 

 私が勉学以外に色々教えているのは、将来何かを目指したいと思った時、その選択を狭めたくないからだった。

 

 森で暮らすだけなら、それら一切必要ないが、もし外に出たいと思った時、何も出来ないでは生きていけない。

 

 技能、技術の多くを持つことは、誰にも奪えない財産と同じだ。

 リルには多くの財産を持たせてやりたい。

 

「ご本はリルが自分で読むんだよ。お母さんじゃなく」

 

「えぇ〜……、むりだよぉ」

 

「まず、挑戦してみなくちゃ。文字は覚えたんだから、読むだけは読める」

 

「でも……」

 

 渋るリルに、私は椅子を隣に持って来て座り、本を広げる。

 中に乗っているのは、ごく簡単な文章ばかりだ。

 

 小さい子どもが初めて触れる本を想定しているから、リルに難し過ぎるという事もない。

 

「ほら、読んでごらん」

 

「んと……。きょう、の、てんきー……」

 

「てんきー、じゃなくて、てんき。伸ばさない」

 

「……んぅ。てんき、は……、はれ」

 

「ほら、読めた。偉いぞ、リル。偉い、偉い」

 

 私が大袈裟に褒めて頭を撫でると、リルは鼻息をぷすぷすと鳴らして、得意気に見つめてきた。

 

「よめた! けっこー、カンタンに!」

 

「今日も、天気も、晴れも、知っている言葉だろう? だから読める。意味も分かる」

 

「うん! リル、よめる!」

 

 実際、言葉を音として出すだけなら、そう難しい事はないのだ。

 文字をしっかり学んだリルなら、苦手意識さえ克服すればスラスラ、読めて当然だ。

 

 日常に出て来る単語なら、まず問題なく読めるだろう。

 

「でも、もし読んでも分からない言葉があったら、粘土板に書き出してごらん。そうして、知らない単語も分かる様になれば、読める文章はどんどん増えるよ」

 

「んぅ……、でも……」

 

 読めたからどうした、とでも言いたげな表情だった。

 森の中には、お店の看板や、商品の名前や値段など書いていない。

 

 注意書きの類いすら、この森の中にはないので、読めても宝の持ち腐れ、と思ってしまうのは止められなかった。

 

 しかし、それより遥かに意味のなる餌が、私にはある。

 

「今すぐには無理だけど、そうやって沢山文章を読めるようになれば、良い物が読めるようになるよ」

 

「どんなの? おいしい?」

 

 私はくすりと笑って、リルの頭を撫でる。

 

「そういう物もあるかもね。料理のレシピなんかどうだ? 美味しい物を、自分で作れたりするぞ」

 

「んぅ……、じぶんでかぁ……」

 

「他にも、魔導書なんか読めるようにもなる。こっちは非常に難しいから、もっと勉強しないといけないけどね」

 

「まどーしょ……って、なに?」

 

「魔法の使い方が載ってる本だよ」

 

「まほーっ!」

 

 その瞬間、リルの大きな瞳がまん丸に輝く。

 その瞳には期待と喜びが、半々に溢れていた。

 

「リル、まほー、つかいたい!」

 

「その下地は出来つつあるよ。リルはマナの扱いが、とっても上手だからね。魔導書を読めるようになれば、理解が更に深まるだろう」

 

「そういうごほん、あるの? お母さんの?」

 

「そう、お母さんが書いたのもあるし、お母さんの師匠が書いたものだってある。他にもそういう本を書いた人は、沢山いるんだ。本当に、沢山ね」

 

「でも、だったら……、お母さんがおしえて!」

 

 リルとしては、剣術みたいに、手取り足取り教えてくれれば良い話、とでも思ったのだろう。

 

 実際、本だけ読ませて他は何も教えない、なんて事は有り得ない。

 しかし、本の利点は一度きりの教えではなく、後から何度となく読み返せるところにある。

 

 一度の教えでは忘れてしまう事があっても、文字から思い出せる事もあるだろう。

 ただ見せて教えるだけでは、十分ではないのだ。

 

 それに、剣術ほど直感的なものでもない。

 幾度もの思考の反復が必要だし、読み返す事で新たな気付きを得られたりもする。

 

 魔法と魔術の違いもある。

 それらを理解するには、口頭では到底足りないのだ。

 

「お母さんも勿論、教えるとも。でも、だからってご本を読めなくていい、って理由にはならないんだよ。絶対、リルの為になるから、頑張ってみような」

 

 リルは非常に渋い顔を見せたが、私が意志を翻さないと分かり、最後には頷いた。

 

「んぅ……、わかった。がんばる」

 

「偉いぞ、リル」

 

 私は頭を優しく撫でて、読本の続きを勧める。

 そうして、その日は本の半分まで読み進め……。

 

 その内で分からない単語は五つだけという、大変有意義な時間を過ごす事になった。

 

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