混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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新たな一年、新たな一歩 その8

 また数日が経ち、今日も朝からリルの訓練を見ていた。

 

 あの時は全くの杞憂で終わったが、我が家の領域まで侵入した者がいる、という事実は、そう簡単に捨て置けない。

 

 あれから改めて調査したものの……。

 

 しかし、全ては空振りは空振りに終わり、どう考えても、外からの侵入があったとは思えなかった。

 

 この森に侵入者がいた場合、その境界線を跨いだ時点で、警報が届く仕組みになっている。

 

 それは他人に聞こえる音ではないが、鳴子と同じ作用で、魔法陣を踏む事でマナを揺らし、その揺らぎで判別を付けられるのだ。

 

 そうして、その鳴子は森の至る所に仕掛けられている。

 

 風景と完全に同化しているし、紐で足を引っ掛ける様な原始的作りでもない上、その場所を通過しただけで作動する。

 

 これらの位置を完璧に見抜き、また回避できる者がいるとは思えない。

 実際に幾つか罠の地点を見て回ったが、無力化したものは発見出来ず……。

 

 更に幾つかある、他の警報装置すら作動していないのを見て、お手上げ状態で途方に暮れてしまった。

 

 仕方がないので、腹を据えてそういうものと割り切り、今はリルとなるべく離れないようにしている。

 

 精霊達が帰って来るまで、あと数日――。

 それまで警戒を厳にすれば良いだけだ。

 

 彼らが帰って来さえすれば、私よりも頼りになる警戒網が出来上がり、自動的に彼らが発見してくれる。

 

「よぉーしっ、やるぞぉ〜っ!」

 

 私は裏庭で、今日もやる気に満ち溢れているリルを見つめた。

 新しい学びと、新しく体得できる技術が待ち切れない、という様子だった。

 

 いま教えているのは基礎の基礎だが、それら全てリルにとって新鮮なものだ。

 伸び悩みとは無関係の時期だし、だから全てが楽しいのだろう。

 

「さて、リル。今日はマナ訓練を行う」

 

「でも……、いつもなら、けんのれんしゅうだよ?」

 

 これまでずっと午前中、朝食後の訓練は剣術と決まっていた。

 

 だから疑問に思って当然だが、これは剣にも通ずるし、その時間を潰しても体得する意味がある。

 

「これは剣術……、あるいは体術にも使える技術だからね。剣術の時間にやるのは、あながち間違いじゃない」

 

「そうなんだ」

 

「今日教えるのは、マナの使い方、その第一歩だ」

 

「うわぁ……っ!」

 

 とうとう魔法が使えそうと分かって、リルは先程よりも増して瞳を輝かせた。

 しかし残念ながら、これを教えるだけで使えるようにはならない。

 

「リルは自分の身体の中心……もっと言えば、重さの中心がどこか、考えた事はあるかい?」

 

「ないっ!」

 

 リルは大変よい笑顔で即答した。

 そして、子どもなど普通そういうものだろう、と思うので、笑みを浮かべて質問を投げ掛けた。

 

「じゃあ、どこだと思う?」

 

「んぅ……、おへそ?」

 

 実際に自分のお腹に目を向けてから、伺うように上目遣いに言う。

 

「おっと、惜しい。そこより少し下、骨盤の上辺り……って言っても分からないな」

 

 笑い掛けながら、実際に指先を二本立てて、その場所にあてがった。

 

「ここが重心だよ。身長の丁度半分、と考えたらリルのも間違いじゃないけど、重要なのは上下のバランスだ」

 

 だから男性と女性でも、微妙に重心の位置は違う。

 女性の場合、骨盤がより大きいので、より下方に位置するのだ。

 

 リルは感心したように頷き、それからこてん、と首を傾げた。

 

「そうなんだぁ……。でも、それがなんなの?」

 

「重心を意識して立ち回るのは、剣術、武術共に重要な事なんだよ。そして、マナを扱う際には、その重心に力を込めるのが重要になる。ここを自在に扱えることが、魔法を使うにはとっても大事なんだ」

 

「んぅ……。でも、よくわかんない……」

 

「その位置を普通に掴もうと思ったら、非常に難しい。とても感覚的な事だからね。指で触っても、いまいち実感沸かないだろう?」

 

 先程あてがった指先を、少し強めにお腹を撫でる。

 それでもやはり、リルは首を傾げたままだ。

 

 私が言うからにはそうなんだろう、と理解はしても、だから重心に体重を乗せたり出来るかは、全く別の問題だった。

 

「まずは重心に体重を乗せる、簡単な方法を教えよう。それが出来たら、どんどん意識できるようになる」

 

「うん、おしえておしえて!」

 

 やっといつもの感じになって来た、と言わんばかりの表情で、リルは再び期待の表情を浮かべる。

 

「まずは正座してみなさい」

 

「せーざって……、これ?」

 

 リルは記憶を掘り返す様に首を傾け、その場に膝を畳んで座る。

 私は満足気に頷いて、膝が触れる程の近くで同様に座った。

 

「今からリルを押すから、倒れないように抵抗するんだ」

 

 そう言って重心近く、鼠径部の辺りに手を添えて、後ろへ力を加える。

 子どもと大人では当然力が違うし、体重差もある。

 

 私もそれを理解して、無理なく抵抗可能な力で押したのだが、リルはあっさりと後ろに転がった。

 

「倒れたな」

 

「あたりまえだよっ! お母さんに、かてるわけないもん!」

 

「ところが、そうじゃないんだな。……これから、同じ動きで真似してみなさい」

 

 リルが起き上がるのを待ってから、私は少し後ろに下がる。

 そして、背筋を伸ばすと手を地面について、そのまま頭を下げた。

 

 ゆっくり三秒、同じ態勢を維持してから、やはり背筋を意識して顔を上げる。

 

 その先では、リルが不思議そうな顔をして待ち構えていたが、私が催促すると見様見真似に始めた。

 

「もう少し背筋を立てて、顎を下げる。背中から腰まで、一本の棒が入っていると思いなさい。……そう、その体勢のまま。……うん、いいぞ」

 

 最初はぎこちなかった動きも、一つの動作を見せる度矯正してやれば、すぐに良くなった。

 

 やはりリルは、色々な部分で筋が良い。

 一度言ってやれば、大抵のことはすぐに飲み込んで、それを自分の糧に出来る。

 

 ――うちの子、天才かもしれん!

 

「正しい礼式の方法は分かったね。じゃあ、次にそれを、三回続けてやってご覧」

 

「さんかい? どうして?」

 

「やってみると分かる」

 

 釈然としないまでも、私が嘘をつくとは思っていないので、言われたままに三回、同じ動きをなぞる。

 

 地面に付いた手の間に、頭を置くようにして下げて、しっかり三秒維持。

 そして、背筋を伸ばしたまま、元の体勢に戻る。

 

 それを三回繰り返し終わったわけだが、リルの顔には困惑した表情が浮かんでいる。

 

「やってみたけど……、よくわかんない」

 

「どれ……」

 

 私は先程同様、リルの鼠径部に手を添えて、やはり先程と同じ力加減で後ろに押した。

 

 しかし今度は転がらず、正座したままビクリともしない。

 リルは驚いて顔を上げる。

 

「どうして!?」

 

「重心がしっかり、下に降りているからさ。言っておくけど、お母さんは力加減を全く変えてないからね」

 

「うん……。でも、へん! ふしぎ……!」

 

「リル、それが――その状態が、重心が下がった状態、とよく覚えておくんだ。忘れたら、同じ様に礼式を繰り返しなさい。三度繰り返せば、自然とそうした位置に直る」

 

 リルはまるで魔法を見ているかのように、自分の身に起こった事を、他人事のように見ていた。

 

 私は立ち上がるように指示して、その手に訓練用の木剣を持たせる。

 そして、私もまた木剣を持って、剣先を軽く合わせた。

 

「いいかい、リル。今から強めに打ち付ける。剣を水平に持って、これを防ぐんだ。正面から叩くから、一歩もその場から動かないように」

 

「……は、はいっ!」

 

 返事をするなり、指示通り木剣を構える。

 私がそれに打ち付けると、リルは受け止めきれずに、後ろに一歩よろめいた。

 

「下がっちゃ駄目だ」

 

「でも、お母さんの……おもいもん」

 

「さっきと同じようにするんだよ。いつもみたいじゃなく、重心を降ろして受け止めるんだ。――さ、もう一度」

 

 リルは元の位置に戻って、同じ様に剣を構える。

 

 しかし先程と違うのは、背筋を伸ばし、足を踏み変え、重心をしっかり意識した立ち方になっている所だ。

 

 準備が出来た所へ私が打ち付けると、今度はしごく簡単に受け止めた。

 当然、力の入れ方は変えていない。

 

 先程と同じだけ力を込め、同じ角度で打ち付けたのだ。

 リルはその状況を理解できず、興奮気味に口を開く。

 

「すごい、どうやったの!?」

 

「やったのはリルだよ。攻撃を受ける時、そして攻撃を仕掛ける時、重心の位置を変えるのは大事なことだ。避ける時は重心を上に、しかし受け止める時は下に……。そうした使い方が出来るようになると、リルはとっても強くなれる」

 

「まほーつかってないのに、まほーみたい!」

 

「実際、その初歩の段階だ。マナを扱うには、その重心に意識を向けることから始まる。……そう言ったろう? リルはその最初の一歩を踏んで、二歩目に行こうとしているんだ」

 

「じゃあ、もうつかえる? ひょいって、ものをうごかせる!?」

 

「それはもう少し、先のことかな」

 

 私が視線を外に向けながら答えると、リルは唇を突き出して、不満そうに表情を変えた。

 その頬を両手で包む様に触れると、むにむにと動かして笑う。

 

「最初の一歩が、いつだって難しいんだ。リルはその一歩を終えたから、もうすぐ使えるようになるよ」

 

「うんっ!」

 

「そろそろ、精霊達も帰って来る頃だ。盛大に迎えてやろう」

 

 これにもリルは元気よく応え、その後も重心を覚え込もうと訓練は続いた。

 今日の日差しは高く、風も温かい。

 

 春はもう目前へと迫っていた。

 

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