混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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精霊迎えの儀 その6

「いい、リル? 今から言う言葉を、間違わずに繰り返して」

 

「う、うん……っ」

 

 精霊の雰囲気にあてられて、リルは緊張を滲ませた声で応える。

 リルと風精霊の身長差は、精霊の方が頭一つ分は大きい。

 

 だから自然と見上げる形になり、それが緊張度合いが高く見える原因ともなっていた。

 

 この時にあって、私がやれることは何も無い。

 不安そうな視線を向けたリルに、大丈夫、と励ますように頷き返してやるだけだ。

 

 リルはそれだけで不安げな表情は直らなかったが、勇気付けられはしたようだ。

 前へ向き直り、唇を引き絞って精霊の言葉を待つ。

 

 そうして、ややしばらく待つと、精霊とリルを中心に、マナが集約していくのが感じられた。

 

 お互いに接触した部分から、血管にも似た文様が発生し、それが肘まで伸びていく。

 

 いよいよ契約の儀が始まるのだ。

 そうして、風精霊が呟くように、謳うように、軽やかな言葉を落とした。

 

「我、精霊に願い奉る……」

 

「われ、せーれーに、ねがいた……て、まつる」

 

 慣れない言葉に、リルの口調は随分たどたどしい。

 

 本来ならこの時点で、契約の要項を満たさないとされる所だが、構わずそのまま続けられた。

 

 二人を中心として渦巻くマナが、魔法陣を形成し始める。

 

 どの精霊に対し、どういう魔法陣を敷くか、その為には最低でも三年の勉強と、実行できるだけの技術が必要だ。

 

 魔法陣の部分は丸暗記だかから、そう難しいことはない。

 問題は、それをマナだけで形成する技術の方だ。

 

 マナを利用し、活用して何かを為すのは基礎的技術とはいえ、魔法陣の形成はセンスが要る。

 

 特に陣は真円を描く必要がある為、出来ない人はその習熟に相当苦労する部類だ。

 それを全部、精霊が主導して行ってくれるのだから、羨ましい限りだった。

 

 もしもこれを見る魔術士がいたら、卑怯だ、ズルだ、と非難する者がいてもおかしくない。

 

「我が目は御身の目……、我が耳は御身の耳……」

 

「わがめは、おんみのめ……」

 

 契約の儀式は続く。

 本来はこの祝詞を唱えながら、互いのマナを同調させる工程をせねばならない。

 

 この時、精霊は術者の力量を試す。

 無理にマナを乱し、簡単に補足させない様にする。

 

 これを御し、自らと精霊と征する力があると示すのだ。

 魔法陣の作成で疲れていれば、それに抗うことが出来ず、当然この時点で脱落だ。

 

 精霊と契約する力量なし、と見做されて、そっぽを向かれる。

 

 その上、昨今の精霊はマナ溜まりを奪われている蛮行に腹を立て、素直に契約を結ぼうとしない部分があった。

 

 敵意を剥き出しにする精霊を抑え込むのは、並大抵の苦労ではなく、かといって複数人に協力して貰ことなど出来ない。

 

 モラルの問題などもあるが、本当の理由は余計に苦労してしまう部分にある。

 

 マナの同調は一人でやる方がずっと楽で、複数人で行うのは、右へ左へ引っ張り回されるのと変わらないからだ。

 

 今のリルは、ただ身体を預け、精霊が合わせてくれるのを待つだけで良い。

 これもまた、精霊と契約をしたい者からすると、歯噛みして嫉妬する場面だろう。

 

 つらつらと私が考えている間にも、儀式は進行していく。

 そして今、その契約が完了しようとしていた。

 

 リルが最後の祝詞を復唱する。

 

「わがみと、なんじに、さかえあり……」

 

「――契約は完了せり。盟約に基づき、風精霊は力の譲渡、契約者の保護を違えることなく遵守するものなり」

 

 風精霊がそう言って結ぶと、一陣の風が足元から吹き抜けて行った。

 特別強い風でもなかったので、リルも前髪が少し揺れた程度だ。

 

 頭の帽子は脱げ落ちてもいない。

 契約が終わったリルは、どっと疲れた表情で息を吐き、その場に崩れそうになった。

 

 私は咄嗟にリルを抱き留め、胸の内に抱える。

 

「お疲れ様、リル。頑張ったな、偉かったぞ」

 

「ほんと? リル、えらい?」

 

 その全てを精霊主導で行ってくれたとはいえ、未だマナ運用について、素人同然のリルだ。

 

 自身に内在するマナを引っ掻き回された様なもので、疲れるのは当然な上、下手をすると昏倒していてもおかしくなかった。

 

 私はリルの乱れた前髪を直してやりながら、笑みを深めて頷く。

 

「あぁ、偉いとも。それにしても、目と耳を捧げるとはね……」

 

「おめめ……?」

 

 自分が口にした祝詞とはいえ、それがどういう意味か理解していないのは、ある意味で当然だ。

 

 リルにとっては、暗号も同然の内容だったろう。

 

 そして、それは言葉通りに捧げて喪った、という意味ではなく、精霊と繋がった(リンク)した、と言うべきだった。

 

「リルが見たり、聞いたりしたことは、風精霊にも伝わる、という事さ。そして、それは逆のことも言える。お互いに見るもの、聞いたものが分かる。ここまで精霊側が差し出して来るのは、凄いことなんだぞ」

 

 そして、それ故に、リルは想定以上に疲労困憊している、とも言える。

 私がリルの頭を撫でていると、風精霊が割って入ってリルの手を取った。

 

「これでリルは、私の契約者よ。私の初めての! 私の唯一の!」

 

「まぁ……、中位精霊になったばかりなら、別に普通のことだと思うけどな……」

 

「余計な水を差さないでちょうだい!」

 

 キッと睨み付けて眉間にシワを寄せ、それから打って変わった表情でリルへ顔を向ける。

 

「私の名前、グラシキナナって言うの。呼んでみて」

 

「ぐらしゅ、き……なな?」

 

「グラシ、ね。……シ。シュ、じゃなくて」

 

「ぐらっしー、きーなな」

 

「惜しいっ! もっとコンパクトに」

 

「長いんだから、ナナでいいだろ」

 

 私がにべもなく言うと、風精霊ことグラシキナナは固まった。

 次いで、親の仇でも見る様な表情で睨み付けてくる。

 

 だが私は、それを涼しい表情で受け流した。

 精霊に限った話ではないが、その超常的存在というのは、己の名に拘る。

 

 誇りと尊厳を持つ、と言い換えても良かった。

 

 だが、二人で名前の言い合いするのは、微笑ましい光景ではあるものの、日常的に呼ぶには不便な長さだ。

 

 リルもつっかえてばかりで上手く言えず、だから私の案にすぐ乗ってきた。

 

「いい、ナナ! ナナね、ナナ!」

 

「いや、駄目よリル。私にはれっきとした……」

 

「ねぇ、ナナ! いいでしょ、ナナがいいよ!」

 

「いや、いいとか悪いとかじゃないのよ、リル。精霊にはね……」

 

「まぁ、いいじゃないか」

 

 グラシキナナは尚も改めようと努力したが、それは少し難しい。

 何しろ、リルだけでなく人間にとっても、その名前は耳慣れない音だ。

 

 覚えづらく、何より言いづらい。

 だから単純な方がリルには言い易いし、何より利点もある。

 

「精霊は基本的に、契約者以外にその名を知られるの、嫌がるものだろう? そしてリルは正直……ポロッ、と口にするのは避けられないと思う」

 

 賢明な契約者なら、そもそも名を日常的に呼ばない。

 単に精霊名を口にするだけだ。

 

 しかし、新しい友達だと思っているリルに、そうした機微は不可能だし、グラシキナナも端から求めてはいまい。

 

 それならば、最初から仇名めいたものを使って、呼び合いしている方がずっと楽だ。

 そしてその方が、よほど間違いも起こらない。

 

「まぁ、そうかもしれないけど……」

 

「ねぇ、ナナ! いいでしょ、かわいいよ!」

 

「かわいいけど……。でも、ちゃんと真名も覚えておいてよ! 知らないなんてイヤだからね!」

 

「うんっ! だいじょぶ、ちゃんとおぼえる! ぐらす〜……、えぇと?」

 

「さっそく間違ってるじゃないの! いいこと? グラシ……」

 

 二人の遣り取りは、最早仲睦まじい姉妹のようにも見える。

 

 外見が全く似ていないから、間違われる事こそないだろうが、声だけ聞いているとふとした際に勘違いしてしまいそうだ。

 

 口調も今のものが素なのか、最初に感じた実直さは鳴りを潜め、多少居丈高に見える。

 

 ただし、外見年齢が幼いのも相まって、背伸びしているようにしか見えないから微笑ましいばかりだった。

 

「それはともかく……、リルはもう自分の足で立てる?」

 

「んぅ……、だいじょぶそう」

 

 私の腕の中で身体を捻り、足を動かす。

 そうすると、止める間もなく自分から落ちて、上手に着地した。

 

「だいじょぶだった!」

 

「そういうのは、落ちてから確かめるものじゃありません」

 

 お説教を始めようとすると、リルはナナの手を取って、逃げ出すように走り去る。

 

「ほら、いこっ!」

 

「あ、ちょっと……!」

 

 口では非難めいた事を口にしつつ、その顔は笑みで溢れている。

 私はその後ろ姿を苦笑して見送り、それから精霊王へと振り返った。

 

「慌ただしくして申し訳ない。リルにも、後でしっかりと礼をさせるよ」

 

「いや、そなたから受ける分で十分だ。……それに、そろそろ辞去するつもりだ」

 

「おや……、もう少しゆっくりしても……。簡単だが、もてなしもするぞ」

 

「申し出は有り難いが、くれぐれも長居しようないよう、后に言い含められているのでな……」

 

 精霊王は、どうやら妻に頭が上がらないらしい。

 

 そして、この地は潤沢なマナに溢れているとしても、精霊王を維持するとなれば、そのリソースを多く使用してしまう。

 

 それを案じての内容に違いなかった。

 

「では、またの機会に改めよう。奥方様によろしくお伝えしてくれ」

 

「うむ、そなたの菓子はどれも絶品だと、あれも喜んでいた。礼を言ってくれ、と頼まれいたのを忘れていた」

 

「光栄の至り。また近い内に持たせるよ」

 

 演技掛かった仕草で礼をすると、精霊王も顎を下げる程度の返礼をして、踵を返した。

 

 そうして背後の揺らぎへ足を踏み入れ、姿を消す。

 後には妖精たちの、賑やかな動きと笑い声だけが残っていた。

 

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