混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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精霊迎えの儀 その9

 手を向けた先で合図を送ると、それは姿を現した。

 長い茶髪を括ることなく後ろに流した髪型で、儚げな印象のある女性だった。

 

 歳の頃は二十代半ば、衣装はメイド風のエプロンドレスで、汚れや乱れもなく清潔な印象を受ける。

 

 その彼女が、今は不安そうな表情で、リルと目を合わせるなり一礼した。

 髪が肩から流れ、サラサラと音を立てる。

 

 しかし、そこに言葉はない。

 

 手を重ねて腹の上に置き、深く一礼してから顔を上げた。

 リルは不思議そうな顔のまま、しかし、しっかりと頭を下げてお礼を言う。

 

「お母さんがいつもちゃんとおれい、いいなさいって、いってたの……。このひとに、なんだ。いつも、ありがとう!」

 

 これには、彼女もニッコリと微笑んで返礼する。

 しかし、そこに言葉はなく、リルは明らかに困った顔付きで首を傾げた。

 

「えっと……、あの……。おなまえは、なんていうの?」

 

 しかし、彼女は困った様に笑うばかりで、自己紹介をしなかった。

 リルの困った顔付きは更に深くなったところで、私が二人の間に割り込む。

 

「リル、この者の名前はシルケという。初めに言わないでごめんな、この子は喋れないんだ」

 

「……そうなの?」

 

「そもそもシルケは家に憑く特殊なもので、その名の通り『家精』に分類される妖精の一種だ。家事全般が得意で、家の守り神なんて言われるな」

 

 私の紹介で合点がいったのか、リルは顔を綻ばせる。

 

「ようせーなんだ! だからなの? ほかのようせーとおなじで、だからきょう、リルも会えるようになったんだ」

 

「そうだよ。でも、家精というのは本来、あまり位の高い妖精じゃないんだ。喋れないのもその一つだし、よく見てみると、身体が透けているだろう?」

 

 実際に私が手を差し伸べて見せれば、シルケの身体に触れることなく手が貫通する。

 すると、それまで見えていた像が乱れ、姿が更に半透明になった。

 

「ホントだ……! でも、なんで?」

 

「何で、というより……本来は、姿がハッキリ見られるほど、位の高い妖精は珍しいんだ。今日の光景を見ると勘違いしてしまうが、シルケぐらいハッキリ見えるのも、本当なら凄いことなんだぞ」

 

「……そうなの?」

 

 リルが私だけでなく、ナナにも顔を向けた。

 

 嘘をつかれたと疑いからからの質問ではないだろうが、精霊ならもっと詳しいと思ったからだろう。

 

 そして彼女は、あっさり同意して頷いた。

 

「今日、精霊界からやって来た妖精は、しっかりと自己を確立した個体ばかりだから。つまり、何十年……下手すると百年ぐらい長生きしている妖精って意味だけど、そういうのはこちらの世界でも珍しいはずだわ」

 

「つまり、妖精として位が高いって意味でもある。だからシルケはまだ話せないし、干渉できる範囲も限定的だ」

 

「んぅ……。えっと、どういうこと?」

 

「シルケは家精だからね。家の中から出られないし、出られても精々庭先程度なものさ。家事や洗濯といった物事にかかわる事なら、物にも触れられるけど、それ以外は何も出来ない」

 

「なにも? ほんとうに、なにも……?」

 

 リルは不思議……というより、驚いた素振りで問い返した。

 

「本当に何も。身を守ることだって最低限しか出来ないし、家人の身に危険が迫っていても、何もしてやれない」

 

「それって……、なんか……ヤ。うまくいえないけど、ヘン!」

 

「位の低い妖精では、別に珍しくないんだよ。料理を作ったりだとか、そういう事に長けているだけでも、恵まれている方だ。ただ何をするでもなく、何が出来るでもなく、漫然と漂うだけの妖精も普通にいる」

 

 妖精もまた、精霊と同じく超自然的な存在だ。

 

 精霊がより原始的な火や水に関係するとしたら、妖精はより人に身近な精霊と言えるかもしれない。

 

 花や草木に宿る妖精は、ただ花の近くに漂うだけだし、時として受粉の手伝いなどもするが、出来る事と言えばそれくらいだ。

 

 本当にか弱い存在で、その姿を見せたいと思っても叶わない事が多い。

 

 力ある術士が存在を知覚し、ようやくぼんやりと察せられるくらいだから、彼らの意を汲んでやることも難しい。

 

「今日、初めて精霊や妖精を目にしたのだから、それが普通と感じるのは当然だ。でも、世の中はリルが思う当たり前だけじゃないことも多いって、そろそろ知っておかないといけないな」

 

「んぅ……、シルケは……イヤじゃないの?」

 

 問われて彼女は首を横に振る。

 

 声には出せないから、満足だと分からせる為に、スカートの裾を摘んでふわりと腰を落とした。

 

 表情には笑みが浮かび、そこに嘘は感じられない。

 リルもそれは敏感に感じ取り、一つ頷くと席から飛び降りた。

 

 シルケのすぐ傍まで歩いて、そうして手を広げる。

 

「いつも、ありがとう」

 

 そう言って抱き締めようとしたのだが、シルケに触れることなく突き抜けて、リルは思わずつんのめた。

 

 シルケは抱き留めようとした姿のまま固まり、暗い表情になっている。

 

 リルは聞いた話だけでなく、自分自身で確かめようとしたのだろうが、それがシルケにとっては残酷な結果となってしまった。

 

 リル自身も、ショックを感じて動きがぎこちない。

 

「ほら、リル……、おいで」

 

 身体の向きを変えて手を広げると、リルはすかさずその中に飛び込んで来た。

 精霊であるナナと普通に触れられていたから、嘘か真か判断つかなかったのだろう。

 

 だから、リルの行動は咎められない。

 

 ただ、シルケもまた赤子の頃からリルを世話してきた、この家にとって大事な家族だ。

 

 暗い顔をさせてしまうのは、私としても心苦しかった。

 だから精一杯のフォローを、と口を開く。

 

「シルケには触れられないけど、リルの事を大事にして来た気持ちは本物だ。布団を綺麗に整えたり、シーツを洗ったり……食事だって、色々面倒見てくれただろう? それら全て、リルを愛しているからだよ」

 

「ほんと? お母さんのためじゃなくて?」

 

「それも勿論ある。でも、この家に住んでるんだから、同じくらいリルの為を思ってやってくれてるんだよ。食事だって、リルの為だと言って、私から取り上げることがあるくらいだしな」

 

「そう、いったの? お母さん、こえきける?」

 

 今の発言はリルを混乱させた、と苦い笑みを浮かべた。

 太ももの上に乗せたリルを揺すりながら、私は首を横に振った。

 

「今のはモノの喩え。お母さんにも声は聞こえないよ。でも、何を言っているのか――言いたいのかは、雰囲気から分かる」

 

「そうなの?」

 

 私に向けていた顔を、次にシルケへと向ける。

 シルケは既に先ほどの悲しげな表情を隠し、今はリルの傍で佇んでいた。

 

 そのシルケがリルの頭を、触れられないと分かりつつ、優しげに撫でた。

 指先がリルの髪を掬い、手の平が耳の間を行き来する。

 

 その瞬間、リルの両耳がピクリと動いた。

 驚いた顔でシルケを見て、それから私に振り向いてくる。

 

「リル、コレしってる! なんかふわって……! たべてるとき、なんかたまにあった!」

 

「あぁ……、美味しそうに食べてる所を、シルケも近くで見ていた事があるから。そういう時、決まってリルの頭を撫でていたよ」

 

「そうなんだぁ……!」

 

「普通なら、何の感触も感じないはずだけど……。やっぱり、リルは感覚に優れているんだろうなぁ」

 

 私はリルのお腹周りに腕を回しつつ、横から顔を覗き込む。

 

 シルケは自分を感じ取ってくれていると分かり、笑顔のまま、撫でる動きをいつまでも止めなかった。

 

 リルもまた、それを嬉しそうに受け止め、無邪気な笑顔で告げる。

 

「いつもなんでかなって、おもってたけど、シルケがいたから、ありがとうなんだ!」

 

「お母さんも、ようやく紹介できてホッとしてるよ」

 

「うんっ! いつも、おいしいしょくじ、ありがとう」

 

 屈託のない発言に、シルケの動きがピクリと止まる。

 

 感極まった様子でリルを抱き締めようとしたが、無常にもその手はすりぬけ、空を切った。

 

 シルケは悲しげな表情を浮かべたが、しかしこれは、彼女にとってはいつもの事で、そうした場面を私は幾度も目撃している。

 

 ただ、リルに認知された上で、その様子を悲しげに見つめられるのは、シルケにとっても堪えたらしい。

 

 固まる動きはいつもより長かった。

 

「ねぇ、お母さん……。お母さんがどうにかして、シルケにさわれたりできないの?」

 

「シルケが半実体化できているだけでも、実は凄いことなんだ。ここの濃いマナ溜まりがあるからこそ実現できていることで、他の家精なら音はすれども姿は見えない、というのが普通なんだよ」

 

「さびしいね……」

 

 あぁ、と呟く様に言って、リルを包み込む様に抱き締める。

 

「お母さんにも出来ない事はある。そして世の中というのは、自分の思い通りにならない事の方が多いものなんだよ」

 

「うん……」

 

 シルケの表情は、もう元に戻っていた。

 彼女にとっても慣れた出来事だからだ。

 

 そう長く引き摺ったりしないし、そうある自分を受け入れている。

 

 ただリルだけが、それを不条理と感じていて、いつまでもその表情は晴れることがなかった。

 

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