混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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街の子供達 その5

「いいか? どっちが速いかのしょーぶだからな! こっから、あそこまで!」

 

 そう言って指差した距離は、大体五十メートル程。

 

 六歳が走るには少し遠い距離で、年の離れた彼と走るには、平等と言える距離ではない。

 

 ただし、それは普通の六歳児にとっては、だ。

 いつも我が家の畑周りを走っているリルにとっては、短すぎる距離だった。

 

「うん、いいよっ! まっすぐはしるの?」

 

「それ以外、何があるんだよ? ボレホの兄ちゃん、しっかり見ててくれよな!」

 

 よくリルはアロガと共に、ジグザグに走ったりして、足腰を鍛えている。

 それを踏まえて言ったのだろうが、彼にとっては、そんなもの想定の範囲外だろう。

 

「あのね、……なまえ! リルっていうの! よろしくね!」

 

 走る準備の為、隣同士になったのをきっかけに、リルは礼儀正しく挨拶したのだが、返って来た答えは予想と違うものだった。

 

「へっ、今から子分の準備とは、カンシンじゃねぇか」

 

 礼儀に対して、礼儀で返すという当然の事を、相手の男の子は知らないらしい。

 

 あるいは、ガキ大将としての矜持がそうさせるのだろうか。

 どちらにしても、教育不足だと判断せねばならなかった。

 

「……ねぇ、あなたのなまえは?」

 

「オレに勝ったら、おしえてやるよ。オヤブンの名前をしらないんじゃ、子分としてもカワイソウだからな」

 

「そっか、かてばいいんだ!」

 

 男の子の悪意など全くの右から左で、リルは嬉しそうに頷く。

 

 人の嫌な所を見て育たなかったからこそ、鈍感な態度になったのだろうが、それに男の子は気分を害していた。

 

「チッ! テカゲンしないからな!」

 

 元よりそんなつもりはなかったろうに、良くも言う。

 しかし、悪ガキとしては本来、そういったものだと思い直した。

 

 自分勝手で、自分優位。

 自分が一番でないと気が済まない。……大抵は、そういうものだ。

 

「準備いいか? そいじゃあ……、構え!」

 

 ボレホの合図と共に、男の子は右肩を前にして腰を落とした。

 対してリルは、剣術を習う時に見せる、正中線の構えを取った。

 

 それで一瞬、空気が固まり、その場を沈黙が流れる。

 私もまた手を額に当てて、小さく肩を落とした。

 

 徒競走の構えなど教えてないので、リルとしては馴染みのあるものにしたのだろう。

 

 もっと言うと、普段の稽古で構えと言われたら、あの型を取るよう躾けられているので、反射的なものだったかもしれない。

 

「……おい、なんだそれ」

 

「……んぅ? なにか、へん?」

 

「走るんだから、オカシイだろ。それで負けたなんて言うなよ。こうやるんだよ、こう!」

 

 そう言いながら、片足を一歩踏み出し、腰を屈めて手本を見せる。

 リルも見様見真似で形を取り、同一でなくとも、それらしい格好にはなった。

 

「お嬢さんは良く知らないみたいだな……。改めて説明すると、構えと言った後、始めの合図で走り出す。そんで、あの柱が突き出てる所まで、より速く到達した方の勝ちだ」

 

「わかった!」

 

「よぉーし、よし……。それじゃあ、……構え!」

 

 元より格好は既に決まっていたので、互いにピクリと動いただけで、男の子は前を向く。

 

 しかしリルは、勝負というより遊びとしか思っていないようで、男の子に顔を向けてニコニコと笑っていた。

 

「――始め!」

 

 ボレホが言うと当時に手を振り下ろし、男の子が堰を切る様にして飛び出す。

 リルは余所見していたのも手伝って、一拍遅れてそれに続いた。

 

 男の子は言うだけあって、その年齡にしては速い方のようだ。

 フォームが特別良いという事もなく、単なる走り自慢と言った感じだ。

 

 手足を懸命に動かし、誰も自分の前を走らせない、と言わんばかりだったが――。

 

 リルはその横を悠々と過ぎ去り、誰にも文句を言わせない大差を付けて勝利した。

 

「ぜぇ……、ウソだろ……! ぜぇ……!」

 

「かったー!」

 

 リルは無邪気に飛び跳ね、手を振り回す。

 流石は私の子だ。

 

 ちょっとしたご近所自慢の小僧などに、走りで負けるはずがないのだ。

 

 普段リルの相手をしているのは、冒険者すら逃げ出す魔獣剣虎狼(ウルガー)だ。

 

 身体能力は言うに及ばず、そのアロガと普段から追いかけっこしているのだから、人間の子どもなど端から相手にならない。

 

「ねっ、かち! リルのかち!」

 

「いや、ちがう! 今のはホンキじゃなかった!」

 

「……おいおい、そりゃあ男らしくねぁな」

 

 ボレホからも苦言が投げ掛けられたが、少年は無視して指を一本突き付ける。

 

「もう一回だ! 今度こそホンキだ!」

 

「んぅ……、べつにいいけど……」

 

 熱くなっているのは本人だけで、子分にされている少年少女たちは白けたものだ。

 また走っても同じ結果だと、見なくても分かるのだろう。

 

 そして、実際――。

 

「ぜはぁ、ぜひゅー……」

 

 地面に突っ伏して息を乱れさせる少年に、リルは余裕の勝利を見せていた。

 体力と筋力も、リルには全く追い付いていない。

 

「かった! かった!」

 

 少年はもしかすると、初めての敗北だったかもしれないが、そんな挫折を知りもせず、リルは無邪気なものだ。

 

 しかし、少年は未だに諦めが悪かった。

 

「まだだ! 三本しょーぶ!」

 

「へ?」

 

「なぁ……、流石にそれは見苦し過ぎやしねぇか……」

 

 勝敗の結果は明らかだ。

 ボレホは所謂、はぐれ者には違いないが、だからこそ、ある種の男気がある。

 

 真剣勝負をしたのに、負けを認めないのはみっともない。

 それを諭そうとしたのだが、少年も負けっぱなしでいられないようだ。

 

「オヤブンと、子分を決める戦いだからな! そんなの一回や二回のショーブで決めらんないんだよ! オレが一番、得意なショーブで負けたら、子分にでも何でもなってやる!」

 

「それは良いがよぉ……」

 

 ボレホは呆れた顔で頭を掻いていたが、一つ息を吐くと屈み込んで少年の肩を掴んだ。

 

「これで負けたら、ちゃあんと負けを認めないといけねぇよ? お前が持ち掛けた勝負だ。勝負事で自分の負けは認めないなんて、そんなの誰も認めねぇかんな?」

 

「わ……、わかってら!」

 

「なら、いい。すまねぇな、お嬢さん。これで最後だから、あと一回、付き合ってくださいや」

 

「ううん、いいよ! なんかいでも、あそぼっ!」

 

「へへっ……、こっちの方が大物だな」

 

 ボレホは揶揄する様な視線を少年に向け、それで、と水を向ける。

 

「何の勝負するんだ?」

 

「オレが得意なのは隠れん坊だ! ゼッタイ見つからない自信あるね!」

 

「そりゃ……、ちょっとズルくねぇか。お前に有利すぎるだろ」

 

「ショーブするよな!?」

 

 少年がリルに指を突き付けると、リルはあっさりと頷く。

 

「いいよ! リル、いっつもアロガに見つかっちゃうんだぁ。でもね、リルもさがすのとくいなんだから!」

 

「へっ、よくも知らないで、とんだオメデタちゃんだぜ!」

 

「お前もあんま、調子こいたこと言うな。負けたとき恥ずかしいぞ?」

 

「負けないね! ヒッショー法があるかんね!」

 

「言っとくが、馬車道より先に行くのはナシだ! この区画だけ、決められた範囲でのみ隠れるんだぞ!」

 

 少年が当然、と言わんばかりに頷くと、自信満々の小憎たらしい笑みを浮かべた。

 

「分かってるって! ぜってぇー勝てる方法あるんだ!」

 

「卑怯なことしようってんじゃねぇだろうなぁ〜……。どうなってんだ、今時のガキは……」

 

「いいか、リル! オレが隠れてるから、その間に百を数えるんだぞ! 数えられなかったら、お前の負けだかんな!」

 

「うん、いいよ〜っ!」

 

 リルはあっさり頷いたが、これに驚いたのは少年の方だ。

 

「えっ!? おまえ、百まで数えられんの!?」

 

「できるよ、お母さんにならったもん」

 

「うそだろ……」

 

 まさか、百を数えられずに泣き出すとか、それで不戦敗を狙うとか、そんな事を考えてたのではないだろうか……。

 

 そんな浅ましい勝利を得て自慢出来るのか、と思ったが、どうやら彼は本当にそれが狙いだったようだ。

 

 ボレホからも、疑わしい視線が向けられる。

 

「おい、まさか……」

 

「いや、そんなのちょっとした小手調べさ! だったらさ……だったら、ヒッショーの隠れ場所があるもんね! ――ちゃんと数えろよ!」

 

 そう言って、少年は一目散に駆け出した。

 後にはやはり冷えた空気が漂ったが、リルはそれを全く読まずに数を数え始める。

 

「い〜ち、にぃ〜、さぁ〜ん……」

 

 子どもらしい、少し間延びした数え方だ。

 そうして危なげなく最後まで数え切ると、それを見守っていた子たちから拍手が上がった。

 

「ひゃ~く!」

 

「おぉ〜……!」

 

 ボレホまで感心した顔付きで手を叩き、ちゃんと言えたリルに、他の子ども惜しみない拍手が送っている。

 私も母として鼻が高い。

 

「じゃ、さがすよ〜っ!」

 

 一声掛けて、リルは一直線に走り始めた。

 そして、私には見ずとも、勝負の行方は既に分かっていた。

 

 ナナからの助けがあるかどうか分からないが、どちらにしてもリルに捜し出せないということはないだろう。

 

 嗅覚は人間より高い獣人だが、とはいえ獣よりは遥かに低い。

 

 匂いを頼りに捜し切る、というのは非常に難しいが、代わりにリルには獣にも負けない勘の鋭さがある。

 

 少し待っていれば、子ども特有の甲高い叫び声が聞こえ――。

 リルに手を引っ張られながら、意気消沈して歩く少年の姿が見えてきた。

 

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