リルのはしゃぎようは、相当なものだった。
喜びをからだ全体で表現したぐらいでは発散できず、私の腕の中から零れ落ちてしまうかと、危ぶまれるほどだ。
私がリルを落とさないと信頼しているからか、無茶な体勢も平気で取る。
まるでベッドの上で寝転ぶ程の自由さが、そこにあった。
「こらこら、危ないから止めなさい」
「でもね! でも……!」
「嬉しいのは分かったから」
丁度、肩へ腹這いになる体勢だったリルの、小さなお尻をペンペンと叩く。
強く叩いた訳でないものの、予想以上に良い音がなって、リルは大袈裟に悲鳴を上げた。
「いたぁい! んひひ!」
「ほらほら、ちゃんとしないと、どんどん痛くなってくぞ。可愛いお尻が、真っ赤になっちゃうぞ」
「んヤ〜……っ!」
「ほら、危ないから」
尚も暴れようとするリルの腰から尻尾に掛けて、優しく撫でる。
それで一時大人しくなり、遂には腕の中へストンと収まった。
「きょうは、もうかえるの?」
「お昼を取ってからね。今日はちょっと急ぎだ」
「なんできょうなの? まえはもっと、ゆうがたまでいたのに……」
本当なら、その時間まで遊べる、と思っていたのだろう。
久しぶりの街だし、実際に私も、最初はそのつもりでいた。
だが、再三警告を受けた、私を追う影を思えば、用心し過ぎるくらいで丁度良い。
ギルドへ立ち寄り、事の真相を確認せねばならないし、その内容次第ではもっと大きな対策が必要になる。
私が背負うものを考えると、慎重過ぎて、し過ぎるという事はない。
「……ごめんな。次はもっと長く居られるように……うん、出来たらいいが……」
「つぎ? つぎって、いつ?」
私はこれに曖昧な笑みを浮かべ、顎を動かし立ち並ぶ露店を指す。
「ほら、ここでご飯を好きに選ぼう。何が食べたい?」
食事に水を向けてやれば、リルの興味はすぐに移った。
様々な商品に目移りして、顔を左右に動かしていた。
「なにがいいかなぁ〜?」
「おっと、そうだ。早速、リルのお小遣いを使う機会だぞ。ちゃんとお金が使えるかどうか、お母さんに見せておくれ」
「んぅ! がんばる!」
腰に巻き付けてあった布袋を、お腹の上で大事そうに抱える。
そうして前回も食べて美味しかった串焼きや、パンを薄く伸ばして肉と野菜を挟んだ包み焼きなど、幾つかの種類を注文した。
「おっ、嬢ちゃん凄いね! ちゃんと買い物できるのかい」
「んひひ! おっきいどーか三まいと、ちいさいどうか一まい、これでちょうど!」
「はい、確かに! まいどあり! またどうぞ!」
「ありがとー!」
お金と引き換えに商品を受け取り、リルは二つを手に取り駆け寄ってくる。
そして、リルは戦利品を掲げるように、自慢気な顔で笑った。
「ちゃんとかえた!」
「偉いぞ、リル。よく細かいところまで計算できたね。お母さんも嬉しい」
「んひひ! でもね、けっこーあまっちゃった。ほかにどうしようかなぁ〜?」
「何も全部、使う必要はないんだよ。また今度来る時、同じ金額をお小遣いにあげよう。すると、今日より沢山、お金が使えることになるね?」
「うん、なる」
「その分、何か多く買ってもいいし、ちょっと値段が張るものを買っても良い。一日で全部使う必要はないんだ」
そっかぁ、と呟いて、悩ましげに眉間にシワを寄せる。
「おかねって、ムズカシイね!」
「そうとも。どう使うかは、とっても大事なことだよ。それを分かってくれただけでも、リルは今日一日で大きな学びを得たね」
リルの頭を撫でて、露店通りに併設されたテーブルを指さした。
「……さ、あっちで食べよう。混んでくる時間だからね、座れる内に座らないと」
今はお昼のピーク時より少し早い程度で、席数の七割は既に座られていた。
露店に並ぶ人々の数は多いものの、それと同時に持ち帰ったり食べながら去って行く者もまた多い。
だから利用客の多さ程に、座っている人は少ないのだが、二人とも座れるテーブルとなると、少し難儀しそうだった。
しかし、丁度テーブル一つ丸まる空いている席を発見し、素早くそこに腰を落ち着けた。
私もリルと同じ物を購入していて、一緒に頬張って微笑み合う。
そうしている間にも、リルのお友達自慢は留まるところを知らなかった。
「それでね、ミーナちゃんが、てをにぎってね……!」
リルにとって、今日の出来事は相当に嬉しかったらしい。
やはり、同年齢で同性の友達は、リルに大きな感動を与えてくれたようだ。
情緒を育む意味でも、そして街暮らしでの常識を学ぶ為にも、リルの入学を真剣に考えて良いかもしれない。
「リルは、また皆んなと遊びたいだろうけど、学校に行くことについてはどう思う?」
「がっこ〜?」
「あそこにいた子ども達と、一緒にお勉強する場所があるんだ。そういう所に通いたいかどうか、って話だな」
「いっしょに、おべんきょう!」
リルは想像しただけで、目を輝かせて頷いた。
「いきたいっ! いつ、いくの!?」
「まだ決まってないよ」
顔を近付けながらも、口に食べ物を運ぶのは止めておらず、口の端にソースがたっぷりと付いていた。
私はハンカチを取り出して、リルの口元を拭ってやりながら続ける。
「週に一度ね、午前中だけ通うのが、ここの小児勉学の基本みたいだ。教育を放棄しないだけマシだけど、実態としてはまだまだ問題が多いな」
「よく、わかんない。じゃあ、おんべんきょうは、それだけでいいの?」
「この街で暮らす人にとってはね。簡単な読み書きと計算、それだけ出来れば良いって考えだから。子どもは基本的に、労働力だしね。それ以上を学びたかったら、沢山のお金を出して、ちゃんとした学校に行くんだよ」
勿論それは子どもが自分で稼いで、という意味ではなく、親の稼ぎで入れてやる、という意味だ。
しかし、日曜学校以外に学べる場所は、この街にはないはずで、本格的にとなればこの街から出て寮生活するしかない。
勉学は多くの者にとって、贅沢なものなのだ。
「リルもおべんきょう、しゅうにいちどだけ? だけでいい?」
「だぁ〜め。ちゃんと毎日やるの」
実際はちゃんと、週に一度、休みの日はある。
しかし、リルは唇をブルルル、と鳴らして不機嫌さを全開にした。
私はその頭を撫でて、何とか宥めようとした時、横合いから遠慮がちに話し掛けて来る声がある。
「こちら、座らせていただいても?」
露店で買った商品を手に持った、旅人風の男だった。
周囲に空いている席はあるし、わざわざここでなくとも、とは思えども拒む程ではない。
しかし、どうぞと声を掛ける前に、男の風体が気になって動きを止める。
その男は、肩に掛からない程度まで伸ばした金髪の持ち主で、しかも目が糸の様に細かった。
その特徴に合致している人物が、私を探っているのだと、ベントリーとバルローニから聞いたばかりだ。
ただし、ボレホからはとうに姿を見せなくなった、とも聞いていた。
断るべきか、判断に迷う。
しかし、そうして返答しないままでいると、男は勝手に座り込んでしまった。
そして、こちらから意図的に視線を切り、身体を横に向けた形で食べ始める。
気にし過ぎても仕方ない……。
こちらも、リルのお友達談義を聞きながら食べ直したのだが、幾らもせずに、また男から声が掛かった。
「すみません、ちょっとお訊きしても?」
「今は家族の団らん中だ。……見て分からないか?」
「お時間は取らせませんよ」
「そう言った奴が、長話にならなかった例を知らない」
「おや、これは一本取られた」
男は悪びれなく笑ったが、私の機嫌は急転直下に悪くなった。
「つまりお前は、自分は嘘つきだけど話に付き合え、って言ってるんだな。尚更、お前に付き合ってやる理由がなくなったな」
「話に聞く通りの手厳しさだ」
この台詞で、実は想像とは別人だった、という線はなくなった。
つい最近まで、こちらを嗅ぎ回っていた相手だと、確信した瞬間だった。
私が向ける視線も、自然厳しくなる。
すると男は慌てて手を挙げ、降参とでも言いたげな顔で言葉を続けた。
「いえ、怪しい者ではありません。ナンパでもありませんよ、念の為に言うと」
「子連れを狙うほど、女に飢えていないだろう。不思議なことに、こういう輩は何故かモテる傾向がある」
「そうなの?」
リルから純然たる疑問が投げ掛けられ、うん、と頷きながらリルに顔を戻した。
「でも、勘違いしてはいけないよ。モテる事と、愛し愛されることは別ものだ。リルも誰かに多く好かれるより、お互いに好き合える相手を探しなさい」
「お母さんみたいな?」
「ふふっ、そうだね。お母さんみたいな」
そう言って、リルを抱き寄せて頬ずりする。
子ども特有の温かな体温を感じていると、再び男から声が掛かった。
「ひどい物言いですし、ひどい誤解です。それよりも、こちらを無視しないで貰えますか」
「何だ、また居たのか。こっちはお前に用はない。消えろ」
「いえ、そういう訳にはいかないんですよ」
男はそう言って、食いかけた串肉を一気に頬張り、嚥下する。
「私は冒険者ギルド、内部監査の者です。こちらのギルド支部を任される、ラーシュについて二、三お話を訊かせていただきたい。よろしいですね?」