兆し その1
春になり、日を重ねる度に、天気の良い日が続くようになった。
冬にありがちな曇り空は鳴りを潜め、温かな陽光が森に降り注ぐ。
冬であろうと、お構い無しに外で遊んでいたリルだが、天気が良いと駆け回る元気にも違いが出る。
アロガとナナを引き連れたリルは、目一杯、春の木漏れ日を楽しんでいた。
私はそんなリルを尻目に、畑作業をしている。
広い範囲の畑は、一家族を養うには大き過ぎるぐらいだが、妖精達への献上品を前提とすれば、適正ではあった。
だが、土を耕すにしろ、種を植えるにしろ、それらは妖精自ら手伝いしてくれるので、そこまで重労働という訳でもない。
加えて、労働の多くは魔力頼りだ。
鍬などを使わない訳でもないが、作業効率は段違いだった。
そして、こういうやり方を、リルもそろそろ覚えていかねばならない。
私は声に魔力を乗せて、遠くで遊ぶリルを呼ぶ。
こうした使い方を出来るようになったのも、リルがマナ慣れするようになってからだ。
幼い身体には毒だったものが、今となっては逆に鍛える元となる。
何かと触れる機会を増やす方が、まず有益だった。
私の声を聞き届けたリルは、アロガと競争しながらやって来る。
本気で走る
だから、私の元には姉弟同時にゴールした。
ナナは空中を飛んで追従していて、どうやら競争には参加していない。
リルは辿り着くなり私にダイブして来て、受け止めるまま、横に回転する動きで勢いを削いで抱き留めた。
きゃっきゃと喜ぶリルは、私の胸の中で呼吸を整えながら顔を上げる。
「お母さん、よんだ?」
「うん、呼んだけど……。危ないから、勢いのままに抱き着くのは止しなさいね」
「えぇ〜……っ!」
リルは嫌そうな声を上げ、渋い顔で不満を表す。
私だっていつでもリルを抱き留めてやりたいが、それにも限界というものがある。
成長するごとに、体格と脚力を順当に伸ばして来たリルだから、そろそろ幼い頃同様には受け止め切れなくなってきたのだ。
特に最近はマナの扱いを学んでお陰で、ダイブする威力に拍車が掛かっている。
母を信頼してくれるのは嬉しいが、そろそろ力をセーブする事も覚えて貰わないと、私の身が保ちそうになかった。
――いや、と少し思い直す。
マナを使って良くなったのだから、むしろこれまでより簡単に受け止められるかも……。
そう考えて、やはりまた思い直す。
何も危険な遊びを冗長させる必要はない。
素直に、あくまで標準的な体当たりをして貰えば、それで済む話なのだ。
「あー……、それでね、リル。今日から少しずつ、畑の作業に参加しなさい」
「するの? リルも?」
ぱちくり、と目をまん丸に見開き、それから嬉しそうに頷く。
「ホントに!? なにしたらいいの!?」
畑仕事は、我が家にとっては、マナを用いて行う作業だ。
だから、幼いリルに影響を与えまいと、参加させる事を許さなかった。
それがとうとう解禁されたのだと知り、リルは私の腕の中で手を振り回して喜んだ。
「こらこら、暴れるんじゃありません。説明するから……ほら、見てなさい」
片腕でリル支えながら、もう片方の腕を見せ付けるように掲げる。
そうして、周囲に満たされているマナを収束し、手の平に集めた。
「分かるかい、リル? 普段、剣術なんかでやっている、身体強化とは違う使い方だ。取り込むのではなく、腕に絡めるイメージ。普段、口酸っぱく言っている、循環とは真逆の使い方だ」
「ムズカシそう……。でも、やってみる!」
そう言って、とりあえず見様見真似でやって見せるが、やはり最初からそう上手くはいかない。
眉間にシワを作り、身体を捻じるようにして再現しようとしたが、一向に上手くいく気配がなかった。
「んぅ……! ムリ! できないよ! どうしたらいいの?」
「以前通りのやり方に、慣れてしまっているせいだな……。慣れない内は、その切替が如何にも難しい。お母さんのやり方を、よぉく見ててごらん」
手の平に集めていたマナを、一度霧散させて、再度同じ工程をやり直す。
今度はよりゆっくりと、リルの目にも分かり易く映るよう、注意深くマナを操ってく。
一部始終を瞬きする事なく見つめていたリルは、私がやってみるよう促すと、辿々しい手付きながら、先程の動きを真似る。
「んぅ……! んん……。んんん、んんぅ……!」
身体を右へ左へと、蛇のように捻っては、何とか形にしようと奮闘した。
しかし、染み付いたマナの制御は、そう簡単に別系統の動きをさせてくれない。
「こうだよ、こうするんだ……」
私はリルの肘あたりを摘むようにして持ち、制御方法を矯正してやる。
少し指向性を与えただけで、先程よりもずっとマナの流れが良くなり、手の平近くへ周囲のマナが近寄った。
「なんか、ちょっとわかったみたい……! そっか、ハチミツなんだ! べっとり、くっつくみたいな……、なんかそんなかんじ!」
「その表現は面白いな。お母さんの感覚とは違うけど、自分のやり易いイメージが一番だ。同じようにやってみなさい」
促してやれば、まるで瓶の中からハチミツを掬い取る様な動きをして、周囲のマナをごっそりと奪っていく。
本来、空気の様に霧散して、掴む事の出来ないマナが、それでリルの手の平に集まった。
「できたっ! できたよ、お母さん!」
「上手いぞ、リル。よく出来ました」
随分と力業でのやり方だが、成功は成功だ。
素直に褒めて、リルをより強く抱き締めて頬ずりする。
近くで見守っていたアロガまで嬉しそうに吠え、どこかハラハラして見ていたナナも、素直に褒め言葉を送ってきた。
「何か、トンデモない方法、見せられた気がするけど……。でも、何はともあれ、一歩前進かしらね。偉い、偉い」
「んひひ! すごいでしょ〜!」
リルも自慢気に笑い、それからふと首を傾げて、集めたマナを見る。
「それで……、お母さん? これ、どうしたらいいの?」
「こうするんだよ」
私自身で集めていたマナを、耕された地面へ、ふわりとヴェールを敷くように放った。
薄く均等に撒かれたマナは、土壌と堆肥に結び付いて、土中の栄養を活発化させる。
この森はマナに溢れているから、何をせずとも、外の大地より作物の実りは豊かだ。
しかし、こうしてやる事で作物の実りが良くなるだけでなく、採取した作物自体がより良い栄養価を持つ様になるのだ。
それに、野菜はえぐみや苦みが消え、甘味を感じるようにもなる。
ただし、そうした特徴は元々の野菜に大きく左様され、特にリルの好きな人参などは甘味が強くなる傾向が強い。
美味しい野菜を食べたいなら、こうした地味な土作りが大事なのだった。
「ほら、リルもやってごらん。お野菜が、これでぐっと美味しくなるよ」
「ほんとっ!?」
リルは期待に目を輝かせて、手の平に集ったマナを落とそうとする。
しかし、私の真似をして軽く振ってもマナはそのままで、ぴくりとも動こうとしない。
リルは不思議そうに首を傾けてから、再度手を振る。
今度はボールを投げる様な仕草でやってみるのだが、やはりマナはリルの手の平にくっ付いたまま、離れようとしなかった。
「もうっ、なんで!? んぅ! んん、んぅ!」
業を煮やして、ぶんぶんと上下に振るのだが、それでも一向に離れる気配がない。
バタバタと手を降る音ばかりが聞こえ、離れていかない様は、まるで糊でくっ付いているかのようだ。
「あー……、これって……」
様子を見ていたナナが、思わずと言った仕草で言葉を漏らす。
「ハチミツをイメージしてたから? だから、くっ付いてしまっているのかしらね?」
「……そうなの?」
リルの問いにナナが頷き、そして私も頷いた。
「元々、べったりとくっ付くイメージで、マナを収束させたからだろうな。性質が粘着性に傾いてしまっているんだ。今度は逆に、するりと離れるイメージをしてごらん」
そう言って促してやると、変化は劇的だった。
振り回していた手の平からマナが外れ、放物線を描いては、べしゃりと畑の上に落ちる。
丁度その場で作業していた妖精が、そのマナ塊に直撃し、目を白黒させていた。
「何だ、何だ!?」
「あっちから飛んできたぞ!」
「リルだ、リルがやった!」
「リルが!? それ、やり返せー!」
攻撃された、というほど物騒なものではない。
彼らからすれば、マナを頭から被った程度、水遊びみたいなものだ。
しかし、だからこそ、リルと遊ぶ機会を得られたと思って、畑作業の手を止めて飛び掛かった。
「わ、わぁ〜っ……!」
リルは悲鳴を上げて私から飛び降り、一目散に駆けていく。
しかし、その程度で妖精が諦めるはずもない。
むしろ良い遊びだと目を輝かせ、熾烈な追いかけっこが始まった。
私はそれを微笑んで見送る。
「た、たすけて〜っ!」
「程々にして、帰ってきなさい」
「あぁ〜ん……っ!」
妖精達としても、リルを本気で害そうとはしていない。
何しろ、リルが好きで堪らなく、単に遊びたいだけの者たちだ。
指先から豆にも似た魔力弾を飛ばしているが、当たってもチクリとするぐらいだし、これで問題など起きようはずもなかった。
アロガもその遊びに参加して、リルを攻撃から守ったり、逆に反撃に回ろうとしたら翻弄されたりと忙しい。
そうして……。
最終的に妖精たちが満足するまで追いかけっこが続き、優に一時間の長丁場の末、ようやく終息したのだった。