それからまた、幾日か過ぎた。
リルは妖精達に対抗すべく、今もやる気を継続中で、マナへの取り組みにも熱心だった。
その際にもナナが面倒見てくれているので、私が付きっ切りで教えなくて良いのは、正直助かっていた。
前回、ベントリーに新機軸の回復薬が売れなかったので、別の金策が必要となっている。
今まで通りの水薬を量産する方が、今はお金になるというのは皮肉なものだ。
あの回復薬が売れていれば、あの時だけではなく、これからもまた、水薬の錬金に掛ける時間が減ったというのに……。
それはつまり、他に使える時間が増えるという意味でもあり、生活の質を向上させる一手になるはずだった。
「いつの時代も、ままならないし、上手くいかないものだ……」
達観する事には慣れている。
しかし、そこで腐って、停滞しない事にも慣れていた。
私は今日の分のノルマを終わらせ、錬金小屋から出る。
そろそろ、水薬を作るにも素材が心許なくなってきた。
採取した素材は、そのまま使うのではなく、茹でたり乾燥させたりと、一工夫必要な物もある。
完全に尽きてしまってから揃えるのでは遅いのだ。
そういう訳で、本日は残りの時間、採取に充てる事にした。
小屋から出て鍵を閉めると、リル達が居るであろう裏庭へと足を運ぶ。
そこでは果たして、ナナが手取り足取り、リルの指導を行っていた。
近くの木陰ではアロガもおり、緩やかに尻尾を振りながら、暇そうに身体を休めている。
そこへ近付いて行くと、いち早くリルが私に気付き、走っては飛び込んで来る。
「お母さんっ!」
遠慮のない全力のぶつかりを受け止め、反動を殺してふわりと持ち上げると、そのまま一回転して地面に下ろした。
「おぉっと……! いつも元気だな、リルは」
「うんっ! でも、どうしたの? おくすりは?」
「材料が足りなくなって来たから、今から森に行ってくる。夕方前には帰って来るから、それまでナナの言うことをしっかり聞いていなさい」
「リルもいくっ!」
「だぁめ」
優しく言って、リルの頭を指先でチョン、と
「リルにはまだ早い」
「えぇ〜……っ!」
リルは盛大にガッカリして、肩を落とす。
いつもならこれで話は終わりなのだのが、それでもリルは諦めず、しがみつきながらせがんだ。
「ねぇ、いいでしょ? リル、いつもガンバってるよ!」
「そうだな、リルは頑張ってる」
「じゃあ……!」
「でも、自分の身を守れる程じゃないな。魔獣に襲われても、自分で撃退できるぐらいじゃないと」
「んぅ……! できるよ! リルにもできるもん!」
リルは腕を振り回して主張したが、その実力の程は、私がよく分かっている。
森の外――どこかの草原で遭遇するような魔獣ならともかく、ボーダナン大森林に棲まう魔獣は、その脅威の桁が違う。
私が傍にいて守れない、などという事はないが、それでも安全な場所に居て欲しいというのが親心というものだ。
「やぁだ! いきたい、いきたい!」
遂には地面に寝転んで、駄々をこね始めてしまった。
私は頬に手を当てて、溜め息をつく。
「どうしてそう……、今日に限って我儘なのかね」
「理由は大体、分かるんじゃない?」
そう言って、リルの頭をよしよし、とナナは撫でる。
宙に浮いているナナは、横に寝転んだ姿勢で、犬でも撫でる仕草でリルをあやした。
「まぁ、そうだな……」
リルは世界の広さとその一端を、僅かながらでも知ってしまった。
今まで森の中で我慢していられたのも、それ以外を知らなかったからだ。
そろそろ見聞を広めて欲しい、と最近は色々連れ回したが……。
そこで外へ行く楽しみも知ってしまった、という所だろう。
好奇心旺盛なリルが、最も身近な未知に対して、興味を抱かないはずがないのだ。
とはいえ……、森が危険なのは本当のことだ。
何もリルを除け者にしたいから、私一人で行くと言っている訳ではない。
「リル、ちゃんと分かってる? 森が危険というのはね、魔獣がいるのも勿論だけど、歩くだけでも大変だからだよ」
「……どういうふうに?」
振り回していた腕をピタリと止めて、リルはこちらに顔を向けた。
「まず、均されていない道は、とても歩きづらい」
「まちにいくとき、もりのなか、あるくよ」
「ちょっとの間だけね。あぁいうのとは違う。それに罠もあるんだ」
「ワナ? どんなの?」
森には自然が形成した、人に取っては害にしかならない物が多数ある。
それは例えば、無造作に生えた毒草であったり、樹肌に生えた棘であったりした。
そして、時には私自身が設置した、侵入者除けの罠まである。
目で見て分かる罠以外に、私が設置した分からない罠まであるので、単純に歩く事だけでも相当危険な場所となっているのだ。
特に、我が家へ向かおうとする程、そうした罠が増える傾向にある。
それらを知らない人間にとっては、剣山の上を歩くに等しかった。
「一口ではとても言えないよ。それに目で見て危険と判断できる物は、森の中ではむしろ安全な部類なんだ。それでも、リルがちょっと油断しただけで、そういう罠に引っ掛かる危険があるんだよ」
「そんなの、どうしたらいいの……?」
「リルが今、学んでいるマナの制御はね、分かる程に応用が利かせられるんだ。ちゃあんと好きに扱える様になったら、お母さんが見分けるコツを教えてあげよう」
これは単に、索敵の魔法が扱えれば見抜ける、というものではない。
罠となるものの中には、その魔術を暗号化することで、その全容を隠すことさえ出来る。
特に陣を使った魔術は暗号化と非常に相性が良く、発動するまで見抜けない。
しかし、それも解明キーを知っていれば、むしろ目立つ存在になる。
リルがそれらを習得できるようになれば、私も安心して連れ出せるというものなのだが……。
今のリルには、まだ早い内容だ。
普通なら基礎だけでなく、応用課程まで修了してから、学ぶべき段階だ。
「だからリル、今はまだ、お家でお留守番してなさい」
「んやぁだぁ……っ! いっしょに、いてぇ〜……!」
それが本音か、と分かって、唇を硬く結ぶ。
寂しい思いをさせてしまっているのは、私自身よく分かっている。
しかし、リルとばかり一緒に居ても、生活は成り立たないのだ。
それをリルも、よく理解してくれている、と思っていたが……。
「お願いだから、我儘言わないでおくれ。すぐに帰って来るから。それにナナもいるから、寂しくないだろう?」
「だからだもん!」
「……うん?」
「さいきん、ナナばっかりで……。お母さん、リルとゼンゼンいない!」
「あぁ……」
マナの教練などは、特にナナ任せの状況が続いていた。
何しろ精霊以上に詳しい存在などいないし、リルとの契約も非常に特殊だ。
互いのマナを同調させる仕組み上、私が教えるよりも的確なのは間違いなかった。
だから、これまで以上にナナ任せとなり、リルとの時間が減ってて、これ幸いと、その時間を利用して、工房に籠もっていたのも事実だ。
「お母さん、リルのことキライになっちゃったんだぁぁ〜……っ! あぁ〜んっ……!」
遂には大声を出して泣きいてしまい、私は困って息を吐く。
ナナからは刺すような視線が向けられ、アロガはリルの傍にやって来ては、その顔をベロベロと舐め始めた。
そんなアロガの気遣いも突っぱねて、リルはぎゃんぎゃんと泣く。
私はリルに近付いて、手首を返して触れることなく持ち上げると、胸の中に抱いた。
「リルを嫌うなんて、ある訳ないだろう? リルが大切だからナナに任せるんだし、リルに苦労させたくないから、水薬を作っているんだよ」
「でも……、でもぉ〜……!」
「連れってあげたら?」
ナナはふわりと宙を滑って、肘を付いた腹這いの格好でリルを見下ろし、それから私へ顔を向けた。
「森の様子は知ってるけど、注意してれば大丈夫だと思うの」
「リルの好奇心を甘く見るなよ。そうでなくとも、小さな子は、知らない物についつい手を伸ばしてしまいがちだ。見た目だけで、危険と分からない花も多い」
「そういうのは、私がちゃんと見てるってば。この森の中なら、行動が制限される事もないし」
「そうだが……」
仮に手を繋いだままだとしても、採取の段階になれば両手を使わねばならない。
どうしても、リルが一人になる場面は出来るし、その時ふらふらと傍を離れられたら止めようがない。
「それにほら、アロガに役立って貰えばいいしさ」
「それを選択肢に入れると、今度から味をしめて、リルが毎回付いてきてしまうじゃないか」
「なぁんだ、やっぱり……」
不機嫌そうな顔から一転、ナナはしてやったり、とでも言いたげな表情で話を続けた。
「おかしいと思ったのよね。アロガを最初から度外視するなんて、ゼッタイあり得ないもの。それなら危険性も大分、減ると思うしさ」
「なぁに、アロガ?」
リルが顔を上げて、アロガもまた、不思議そうに私とリルを交互に見つめた。
安全な所に居て欲しいというのは、私の我儘だ。
本当なら、今の状態でも危険を最小限に抑えられると、最初から分かっていた事だった。
狩りにも慣れてきたアロガならば、それも尚更の事だ。
私は敗北を認め、ナナの言に従うことに決めた。
「……ハァ、分かった。リルも連れて行くよ」
「やった!」
リルは私の腕の中ではしゃごうと腕を持ち上げ、しかしそのタイミングで、私は強く念を押す。
「――ただし! いいかい、リル。アロガの上に乗って、そこから下りてはいけないよ。綺麗に見える花や、美味しく見える何かの実も、決して触れちゃいけない。この約束を守れる?」
「うん、まもれる!」
「ナナの言う事もよく聞いて、煩いと無視することがないように。それを出来ると約束したら、一緒に森に連れて行こう」
「うん、まもる! いっしょに、もりにいく!」
リルが笑顔と共に手を振り上げ、それから真剣な表情で頷く。
しばらくその顔を見つめて、その意志の固さを確認すると、私が折れる形で認めた。
「……仕方のない子だ。それじゃ、森に行く前に着替えておこうか。それじゃ、ちょっと薄手だから」
「うんっ! お母さん、だいすき!」
「お母さんも」
私は返答に加えてリルの額にキスをして、腕に小さな身体を抱えたまま、母屋の中へと入って行った。