混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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兆し その4

 昼を過ぎた二時頃とは言え、春の森はまだ肌寒かった。

 青々と茂る葉が陽光を遮り、十分な日光が届かない為だ。

 

 だから森の中は、鬱蒼とした繁みで満たされ、どうしても薄暗かった。

 

 その上、注意するという意味で見るべき点は数多あっても、見て楽しい場所ではない。

 

「うわぁ〜っ! ここが、もりなんだぁ……!」

 

 しかし、リルの反応は感動や感激と言ったもので満たされていて、キョロキョロと見渡して忙しなかった。

 

 アロガの背の上に跨がりながら、まるで跳ねる様に弾んで喜んでいる。

 それも無理はない。

 

 リルにとって、ボーダナンの森とは最も身近で、しかし最も遠ざけられた未知だった。

 

 とうとうその森に踏み入る事が出来て、嬉しさを噛み締めている。

 

「ねぇ、お母さんっ! もりって、くらいんだね!」

 

「そうだよ。だから、よくよく注意しないといけない。今はアロガが勝手に除けてくれるけど、木の根で転ぶこともあるからね」

 

「おぉ〜……!」

 

 リルはひょい、と顔を横に出し、下生えを掻き分けて進む地面を見る。

 森の中に、道らしき道は存在しない。

 

 あるとすれば獣道程度のものだが、それとて足元が顕になるほど、はっきりと開けた道にはなっていなかった。

 

 だから、そこに木の根が張り出していても、上から見た程度では分からない。

 足を取られずに歩くのは、実は結構ホネなのだ。

 

「それに、下生えを只の草だと思っていると、痛い目にも遭う」

 

「そうなの?」

 

「全てがそうじゃないけど、刃物の様に切れる、危ない草もあるからね。アロガは匂いで判別するから、そういった場所には踏み込まないけど、知らずに歩くとズタズタだ」

 

「やぁ〜……!」

 

 リルはアロガの背中でうつ伏せになって、耳元に口を近付け、足元もチラチラと伺いながら言う。

 

「ホント? アロガは、だいじょうぶ? ケガしてない?」

 

「ウォウ!」

 

 大丈夫、と返事するように顔を上げ、リルは安心して頷く。

 それから首元をワシャワシャと撫で、満足してから身体を上げた。

 

「ホントに、キケンがいっぱいなんだ」

 

「そうとも。知らずに歩けば怪我をするのは、何処の森でも大体一緒だけど……ここは一層、危険って感じだな」

 

 勿論、気を付けなければならないのは、天然の障害だけではない。

 最も注意しなければならないのは、この森に棲む魔獣たちだ。

 

 今も森の中は鳥の囀り、魔鳥の威嚇音などが頭上で鳴り響いているが、それに紛れる事なく、獣の雄叫びも聞こえてくる。

 

「なんか……、おこってるみたい。おうちで、たまにきこえてくるのと、ちょっとちがう……」

 

「そうだね。でも、怒ってるのとは、ちょっと違うな。不安で、恐ろしいから、遠くから威嚇してるんだよ」

 

「いかく……?」

 

「そう。これ以上近づくと容赦しない、何かしたら噛み付くぞ、っていう脅しだ」

 

「えぇ……っ!?」

 

 リルは事更に怯えて、すぐ隣を歩く私の袖を握った。

 私はそれに微笑んで、安心させようと、耳の裏側から畳む様に頭を撫でる。

 

「大丈夫、お母さんと一緒なら近付いたりして来ないよ。獣というのは、弱肉強食を良く理解しているから」

 

「そうなんだ……」

 

「でも逆を言うと、チャンスがあれば、喰らい付こうとするものだ。だからね、アロガから決して下りてはいけないよ」

 

「わかった……!」

 

 リルは緊張した顔付きで頷き、次にアロガの頭から首筋に掛けて、強めに撫でながら話し掛ける。

 

「かってにお母さんから、はなれちゃダメよ。ちゃあんと、きをつけるのよ、アロガ」

 

「ウォウ!」

 

 アロガは尻尾を振りながら、ちらりと横を向いて応えた。

 

 言われるまでもなくアロガは理解しているのだが、リルを背中に乗せている今、強い使命感に燃えている。

 

 いつもより集中しているのを感じられるが、その時私たち一行の傍へ、複数の妖精が飛んで来た。

 

「うわっ、めっずらし〜! リルがいる!」

 

「あっ、ホントだ! リルだ! ヤッホー、何してんの?」

 

 妖精達はめいめいに飛び回り、リルの肩に乗ったり、あるいはアロガの頭に乗ったりと、好き勝手にやり始める。

 

 妖精に苦手意識を植え付けられているリルだが、単純に気安く接してくる分には問題ない。

 

 リラックスして休憩所代わりにする妖精達を見つめ、不思議そうに眉根を寄せた。

 

「もりって……、キケンじゃなかったの? どうしてみんな、もりにいるの?」

 

「キケン……って、何が?」

 

「危険な事なんてあるもんか。……なぁ、みんな?」

 

「そうそう!」

 

 口々にそう言われて、リルは困った顔をしつつ、私に顔を向けてきた。

 

 どちらかが嘘を言っているのか、お母さんだとは思いたくない、それでも……と言った表情だった。

 

 しかし、この場合どちらも嘘を言っていないのだ。

 

「リル、妖精達にとっては、森は割と安全なんだ。魔獣だって、腹の足しにならないものを、わざわざ襲おうとしないから」

 

「……そうなの?」

 

「妖精はマナの集合体……というと語弊があるが、とにかく動物とかと、全く別の存在だから。噛み付いたところで、霧散してしまうのが関の山だ。だから、妖精にとって魔獣は全然、怖いと思う相手じゃないんだな」

 

「ほぇ〜……」

 

 口をポカンと開けて、肩の上で自慢気に腕を組む妖精を見やる。

 私はリルの頭を撫でながら、更に詳しく説明した。

 

「危険があるとするなら、マナを直接摂取するような魔物の場合だ。魔物は自然の摂理に反した存在も多くいて、血肉ではなく、マナを喰らうものもいるからね。しかし、そういう魔物は、この森から消えてしまった」

 

「どうして?」

 

「お母さんが狩り尽くしたから」

 

 そういう魔物は、当たり前だが人間にとっても害のある存在だ。

 魔獣の様に、敵わない相手には適切な距離を保とう、とする知恵もない。

 

 温情で見逃してやろうと、変わらず襲い掛かってくるし、そんな魔物がいたのでは、リルを自由に遊ばせてやる事も出来なかった。

 

 だから一匹残らず捜し出し、その全てを消滅させた。

 

「妖精にとって、ここで怖いと思えるのは人間くらいさ。あいつらは、妖精を捉える(すべ)を知っているし、高値で売ったりするからね」

 

「え〜……。やだっ、かわいそう!」

 

「そうだな」

 

 時に妖精を嫌いといつつ、リルは今にも泣きそうな顔をする。

 口ではあれこ言っても、その中では、しっかりと優しさが備わっていた。

 

「そういう不埒な輩にしても、安心しなさい。ここまでは入って来られないよ」

 

「そうそう! ここは妖精達にとっちゃ、すっげー安全な所なんだぜ!」

 

「そうなんだ!」

 

 泣きそうな顔も一転、リルの機嫌もすぐに良くなる。

 しかし、またすぐに不思議そうな顔付きになった。

 

「でも、どうしてココにいるの? いっつもはたけとか……、あとどっかブラブラとんでるのに」

 

「そりゃ、魔女の手伝いさ。採取したい物を探したり、拾える物は取って来てやったりとか……。まぁ、雑用をするのさ」

 

「こういうのは、目が多い方が早いだろ?」

 

「リル、はたけのおしごとだけかな、っておもってた」

 

「ばっか、違うよ。他にも色々やってんだよぉ〜」

 

「そうだな、お菓子のつまみ食いとか」

 

 私が含み笑いに言うと、アロガの頭に乗る妖精に、リルは指を突き付けて言う。

 

「いけないんだ〜! リルだって、たまにしかやらないのに!」

 

「へっへっへ……! お菓子ってのはさ、つまみ食いがいっちばん美味しいんだ!」

 

 悪びれる事なくそう言って、頭の後ろで手を組んだ。

 それが気に食わなかった私は、指先で弾いて妖精を頭から落とす。

 

 妖精は抗議するように私の周りを飛んだが、他の妖精に止められて、渋々ながら元に戻った。

 

「それより、そろそろ採取場の近くだぞ。探す準備をしてくれ」

 

「さいしゅじょー……? それって、どういうの? はたけ?」

 

「いいや、そういうキチっと整備された場所じゃないかな。でも、ここからもう見えるよ」

 

 私が指を差して示した場所は、他と何も変わらぬ、鬱蒼と茂る森の中だった。

 木々が乱立し、下生えも変わらず多く、足の踏み場らしきものもない。

 

 リルはやっぱり、不思議そうに顔を傾げる。

 

「……どこ?」

 

「そこさ。他と見分けが付かないのも当然だけど、この見える範囲が採取場だ。仕切りも何もないけれど、ここには薬草や、薬効成分の高いキノコとか、色々と沢山生えているんだ」

 

「おぉ〜……!」

 

 リルは首を大きく巡らせて、私が示した範囲を眺め見る。

 私もリルから手を離し、腰のベルトに挟んでいた手袋を取り出すと、自分の手に嵌めた。

 

「これから採取を始めるから、リルは少し待ってなさい」

 

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