混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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兆し その7

「リルの気持ちは分かるけど……」

 

 どうにか穏便に、リルを傷付ける事なく断ろうと考えていた時、私はピクリと眉を顰めた。

 

 何者かが、森の入口に設置してある、感知魔術に引っ掛かったのだ。

 単純に、ある一定の範囲に入ったら報せるだけのものなので、危険性は一切ない。

 

 だからこそ、索敵用の魔術にもまず察知されない、という特性を持っていた。

 ――誰かが森に踏み入っている。

 

 それも複数の侵入者だ。

 ……数は四人。

 

 近隣の住人が、誤って入り込んだとも思えなかった。

 何しろ、これから日が暮れる。

 

 夜の森は本当に何も見えず、殆ど暗闇に支配される。

 そこは魔獣が支配する世界だ。

 

 それがどれだけ危険な事か、村民でなくとも良く理解している常識だった。

 まず、冒険者がやって来た、と考える方が自然だった。

 

「お母さん……?」

 

 不意に言葉を止めた私を見て、リルが不思議そうに見返して来る。

 私は無理にでも笑って、その頭を撫でた。

 

「何でもないよ」

 

「んぅ……。じゃあ、リルはいい? これからも、もりにいける?」

 

「それは……」

 

 リルの期待を無下にするのは、本当に心苦しい。

 しかし、駄目なものは駄目だと、しっかり線引するのも大事なことだ。

 

「いいかい、リル。今日は何ともなかったから、安全そうに見えたんだろうけど、いつもこうな訳じゃないんだ」

 

「でも……」

 

「そして、何か起きた時、お母さんが間に合わなかった時、一人でどうにか出来るようじゃないと、安心して森には入れられない」

 

「でも、でも……。アロガもいるよ。ナナだって……」

 

 しかし、リルもそう簡単には食い下がらない。

 

 どうにか説き伏せようとしたいのは分かるが、リル個人が実力不足なのは、紛れもない事実だ。

 

「勿論、アロガとナナは、いつもリルの傍を離れないだろう。でも、だからリルが何も出来なくて良い、って理由にはならない。自分の身は自分で守る。森の中ではね、それが出来て初めて一人前なんだ」

 

 そして、一人前にならないまま、森に入って起こるのは、痛ましい事故だ。

 

「何に触れて良いか、何に近付くべきでないのか、そういうのは少しずつしか身に付けられないんだ。ゆっくりと、お母さんと一緒に学んで行こう。それで大丈夫と思ったら、必ず森に連れて行くから……」

 

「んぅ……。でも、でも……」

 

 珍しく、リルは聞き分けが悪い。

 実際に森に入って、予想以上に危険が少なく見え、だから実感しづらいのかもしれない。

 

 妖精が飛び交い、採取の手伝いをして貰っている様子は、家の畑仕事と変わらないようにも見えたろう。

 

 しかし、実際には危険と常に紙一重だった。

 それを教えるには、一体どうしたら良いだろう。

 

 まさか実際に、魔獣の襲撃を待つ訳にはいかないし、教育の為とはいえ、そんな危険な目には遭わせられない。

 

 どうしたものかと考えていると、リルは指先をもじもじさせて、上目遣いに言ってきた。

 

「リル、お母さんと、もっといっしょにいたい……」

 

「あぁ……」

 

 私はリルを抱き締めて、その背を優しく撫でながら、その頭に頬を当てる。

 寂しい思いをさせているのは分かっていた。

 

 だから、今回の同行を許したようなものだ。

 

 それを分かっていたのに、そんな言葉を言わせてしまって、後悔と申し訳なさが胸から込み上げた。

 

「お母さんはリルが大事だよ。リルが一番、大事なんだ。離れたくないのはお母さんも一緒だけど、本当に森は危険なんだよ」

 

「でも、さびしいよ。もっとお母さんと、いっしょがいい……っ」

 

 そうは言っても、生きる為には仕方のないことだ。

 リルの世話ばかりしていては、食うに困ってしまう。

 

 どうあっても、リルとの時間を削って、仕事に精を出さねばならないのだ。

 

「分かっておくれ、リルの事を愛しているからだよ……」

 

「うぅっ……、んやぁ〜……!」

 

 仕舞いにリルは、ぐずぐずと泣き始めてしまった。

 相変わらず泣き虫で、私に縋り付いて離そうとしない。

 

 助けを求めてナナを見るも、これは完全に無視された。

 というより、家族の問題に口を挟むつもりはない、というスタンスからだった。

 

 アロガは言わずもがな、リルの完全な味方だし、リルを悲しませている事に憤慨している様子でもある。

 

 森に侵入した冒険者の対処もあるし、一度に幾つも問題が発生して、私はほとほと参ってしまった。

 

「でもね、リル……。リルは学校に行きたいんだろう? 学校に行くと、お母さんとも離れ離れの時間が増えるんだよ。一緒でいない事にも慣れないと……」

 

「じゃあ、いい! がっこう、いかない!」

 

「……困った子だ」

 

 私はリルを抱き締めるだけではなく、アロガの背から抱き上げて、泣きじゃくるリルをあやす。

 

 リルもまた、ぎゅうぎゅうと抱き締める力が強まり、決して離さないと行動で示しているかの様だった。

 

 仕方なく、そうして抱いたまま帰路につく。

 我が家に近いほど魔獣からの危険も減るから、帰路については危険らしい危険もない。

 

 もしあるとすれば、それは遠方の、今まさに森に侵入した何者か、だった。

 彼らを潰すには初動が肝心だ。

 

 今回の相手は、恐らく冒険者ではないだろう。

 夜の森の危険を知らず、挑んで来る者などまずいない。

 

 採取を目的で入って来る訳だから、明かりがなければどうにもならないからだ。

 ――目的は別にある。

 

 すぐにでも処理に向かいたいが、リルは離そうとしてくれない。

 必死に宥めてみてもリルは頑なで、まったく話を聞いてくれなかった。

 

「リル、そんなに締め付けなくても、お母さんは離れたりしないから……」

 

「やっ……! いっしょに、いっしょにいて〜っ……!」

 

 家に着く頃には涙も止まっていたが、態度は相変わらずだった。

 お風呂に入れてやりたいのに、服を脱ごうにも離れようとしない始末だ。

 

「今日は一段と甘えん坊なんだな。お母さんは、リルから離れたりしないよ。リルの為にお金が必要なだけなんだ」

 

「うぅ〜……! うぅ……っ!」

 

 親の気持ちや真心は、子どもからは見えづらいものだ。

 

 子どもにとって大事なのは今日で、しかし親は明日以降を考えなければ、今日すら見えない。

 

 見ている地点が違うので、どうしても意識の疎通に齟齬が起きる。

 こればかりは、どうしようもない。

 

「ほら、リル。泣いてばかりで疲れたろう? 顔もぐしゃぐしゃだ。綺麗に洗って、スッキリしような」

 

「んぅ……」

 

 ここまで来ると、流石に抵抗も僅かなもので、服を脱がされるのもなすがままだ。

 

 そうして身体を洗って、一緒にお風呂で温まっていると、それまで言葉少なかったリルから謝られた。

 

「お母さん、ごめんなさい……」

 

「別に怒ってないよ。リルは寂しかっただけだ。寂しい思いをさせてしまった、お母さんも悪い」

 

「でもね、お母さんといたいのは、ホント……」

 

 ちゃぷちゃぷと、顔の前でお湯を動かしながら、申し訳なさそうに言う。

 

「うん、分かってるよ。学校はどうする?」

 

「……わかんない」

 

 もしかすると、学校に行くことの意味や、通うことになる生活を、実際に想像できなかったのではないだろうか。

 

 街に行って、学校に通うという言葉だけを理解していて、そうなる生活の成り行きまでは分からなかったのかも……。

 

 これまで勉強といえば、私が傍に居る前提の事だった。

 

 すぐ隣で見守ることばかりではなかったが、それでも呼べば駆け付ける距離にはいたのだ。

 

 リルが考える学校というのも、それと同じものだと考えていた可能性はある。

 というより、森での生活を基準としてしか、ものを考えられないのだ。

 

 それ以外の世界を知らないリルには、そこから飛躍する発想など生まれようもない。

 

 学校という物が何か知っている私と、まったく未知なリルとの齟齬、それが理由の間違いでもあった。

 

 ――これは私も、反省しないといけない所だな。

 見た事もないものを、リルに――リルに限らず――分かるはずがないのだ。

 

 只さえ、ナナに任せ切りでリルを不安にさせていたのに、それに輪を掛ける様な不安を与えてしまった……それが今回の癇癪に繋がったのかもしれない。

 

「学校にお母さんは居ないけど、代わりに友達はいる。きっと楽しいぞ」

 

「……でも、なんかこわい。さびしい……」

 

「最初はそういうものさ。誰だって、新しい何かを始める時は、怖いものなんだ」

 

「……お母さんも?」

 

「そうとも」

 

 そこに例外はない。

 特に挑戦する様な事、初めてする事には臆病になる。

 

 私がリルを育てると決めた時も、そうだった。

 

 お湯から肩を出しているリルを少し押し、しっかりとお湯に浸からせつつ、その存在を感じ取る。

 

 今こうして一緒にお風呂に入っている事そのものが、臆病と挑戦の先に得たものだった。

 

「そっか、お母さんでも、こわいんだ……」

 

 何が可笑しいのか、リルはくすくすと笑い出す。

 だがとにかく、ようやく機嫌が直った事の方が大事で、私はようやく安堵してお湯に浸かった。

 

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