混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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森に忍び寄る影 その5

 それからというもの、リルはボーッとする事が多くなった。

 

 不真面目や怠慢からという訳ではなく、私から聞かされた話を、自分なりに考える機会が増えたからだろう。

 

 そして、それがリルを悩ませる原因となっている。

 

 何故、なに、どうして、という質問が増え、私はその都度、答えられる限りの返答をした。

 

 それは学問というより、もっと原始的な疑問だが、疑問として発想できるのは大事なことだ。

 

 学問は知りたい、解き明かしたい、という熱意から生まれたものだから、今のリルにも知の芽生えと言えるものが、生まれつつあるのかもしれない。

 

「ねぇねぇ、お母さん。どうして、くもって、ういてるの?」

 

「それを知るには、まず、雲とは何か。それを知らなくてはならないね」

 

 その日の夕食は、普段の団欒とは違い、リルの質問から始まった。

 私の仕事中は、ナナが質問攻めにされているらしく、答えられない事も多いらしい。

 

 というより、精霊は一々そんな事を考えていない。

 そこにあるから、ある。

 

 なるべくして、なる。

 そして、問題なく世界は動いている。

 

 多くの人間もそうした考えだし、精霊は普段から生と死の概念が遠いから、尚の事そうした成り立ちについて考えないのだ。

 

 リルは切り分けたお肉をフォークで突き刺し、むぐむぐと咀嚼しながら、私からの返答を待っていた。

 

「雲というのはね、水蒸気だ。お湯を沸かした時、白いモヤモヤが出るだろう? あれの事だよ」

 

「えぇ〜? でも、おうちがくもで、いっぱいになったこと、ないよ?」

 

「そうだね、それくらいの量じゃ、雲にはならないから。でも逆に言うと、沢山集まると、それが雲になるって事なんだよ」

 

「でもなぁ〜……?」

 

 リルは首を傾けて、不満そうな声を上げる。

 確かに、雲っぽくないという意味において、納得するのは難しいだろう。

 

「家で出る水蒸気程度じゃ、雲にはならないからね。でもあれだって、上の方に浮いていくだろう? 雲もそういう理屈だ」

 

「みんなのおうちで、おゆをわかしたら、くもができるの?」

 

「お家じゃないな。それもないとは言わないけど、自然界には多くの水が溢れてる。目に映らない小さなものから、川や湖、海と言った大きなものまで、沢山ね。そういうのが、少しずぅ〜つ蒸発して、お空に上がるんだな」

 

「それが、くも?」

 

 私は肉を切り分け、口に運びながら頷く。

 

 咀嚼して飲み込み、木製マグから水を飲んで、空にしたタイミングでシルケが代わりを注いでくれた。

 

 それに目礼して感謝を示すと、リルのマグにも水を注ぎに回る。

 リルはマグの中の水をジッと見つめて、再び視線を向けた。

 

「おみずが、くもに……。でも、くもって、よこにながれるよ?」

 

「そうだね、風の流れがあるから。この前、一緒に飛んだ時も風を感じたろう? 地上よりも、ずっと強い風が吹いていたはずだ。雲はもっと上にあるから、もっと強い風を受ける」

 

「だから、よこにながれるんだ」

 

「そう。でも、風の流れは横だけじゃない。下から上にも吹いている。だから、雲は浮いているんだよ」

 

「ほぉ〜……」

 

 リルは感心して口から息を吐き出す。

 しかし、直後に動きを止めた。

 

「でもリル、したからふくかぜ、みたことない」

 

「地上では専ら、横か上から吹き下ろす風ばかりだから。でも空の上ではね、そういう感じに吹いている」

 

「ずぅ〜っと? ずぅ〜っとだから、くもはういてるの?」

 

「いいや、実のところ、ずっと吹いたりしてないよ。それに雲は、時々落ちてくるからね」

 

「えぇ〜っ!? おちるの? ヤダぁ〜っ!」

 

 ヤダも何も、と含み笑いに言って、肉の最後の一切れを口に入れた。

 この世の終わり、みたいな顔をするリルに、しっかり噛んで飲み込んだ後に説明してやる。

 

「リルはもう、何度もそれを見ているんだよ」

 

「みてないよっ!」

 

「雲が落ちてくることをね、『雨』って呼ぶんだよ」

 

「あめ? あれって、くもだったの!?」

 

 期待通りに驚くリルに、私は本当だ、と頷く。

 

「元は水なんだからね。モヤモヤの間は軽いけど、集まるとくっついて、水の粒になってしまう。そうして雲の量が多くなって、上向きの風でも重さを支え切れなくなった時、雨になって降って来るんだ」

 

 だが当然、雨になる原因はそれだけではない。

 細分化して行くと、もっと多くの多様な理由はあるものの、障りとして知るには十分な内容だろう。

 

 リルはぽかんと口を開けて、遠くの何かへ思いを馳せている。

 何を考えているか不明だが、リルなりにどの成り立ちについて考えているのかもしれない。

 

 そうして、じっくりと十秒停止した後、ぷはぁと大きく息を吐いた。

 

「なんか……、すごいね! ふしぎで……、すごいね!」

 

「そうだね、世界は驚きと不思議で満ちているんだよ」

 

「どうして、お母さんは、そんなにいろいろ、しってるの?」

 

「うーん……、長生きしているのが、まず一つだけど……」

 

 漫然と生きているだけでは、知識というものは身に付かない。

 

 生きる為だけの知恵は勝手に身に付くが、それこそ雨が降る構造など、求めなければ知りようがない部類だ。

 

 だが、改めて自分を見返しても、これだという答えはパッと浮かばなかった。

 マグの縁を指でなぞり、遠い過去へ思いを馳せる。

 

 私が知りたいと思った動機は、もう遥か遠い過去の事になってしまった。

 当時の私は何を思い、何を切っ掛けで、知を求めたのだろうか。

 

「でも多分、純粋に知りたいと思った、その好奇心じゃないかな。……そう、お母さんは“知りたがり”だったんだ。最近のリルみたいにね、アレは何、コレは何、アレはどうして、それはどうして……ってね」

 

「えぇ〜っ。リル、そんなに言ってないよぉ」

 

 知らぬは本人ばかりなり。

 リルに自覚はないらしい。

 

 だが、子どもというのはある時を境に、あるいは何かを切っ掛けにして、そういう好奇心が芽を出すものだ。

 

「お母さんの時は、答えてくれる人が近くに居なくてね……。それで自分で調べる内に、色々な人とも出逢って……。そう、それで……」

 

 特別な人との出会いがあった。

 どの様な疑問にも、スッと答えてくれる人に、そのとき始めて会った。

 

 私は根っからの探求者で、知の旅人でもあった。

 

 知識を獲得すること、当たり前の事を当たり前と定義すること、知の重なりを定理とすること、そうした多くの知恵を得た。

 

 私はその人の知を得る代わりに弟子入りし、より高度な探求を――。

 より深く、過去に没頭しようとした時、リルの呼ぶ声でハッと意識を元に戻した。

 

「――お母さんっ! ねぇ、お母さん、だいじょぶ……?」

 

「あぁ……、いや……。何でもないよ」

 

「リル、へんなコト、きいちゃった?」

 

 申し訳なさそうにするリルに、私は手を振って笑う。

 

「ううん、そうじゃないんだよ。お母さんくらいになるとね、昔を思い出すのは、とって時間が掛かるんだ。……でも、そう。知りたいと思ったから。それが最も単純な答えかもしれない」

 

「ねぇ〜? なんで、ってかんがえたら、キリがないよね?」

 

「そうとも、どうしてにどうしてを重ねると、どんどん分からなくなってしまう。だからね、考えるのは良いけれど、程々にしておきなさい」

 

「んぅっ! そうする!」

 

「リルは良い子だね」

 

 食事も済んだので、後は寝るまで自由な時間だ。

 私は暖炉前のソファーに移り、リルも同じソファーで身体をくっつけて来た。

 

 アロガも足元に寝転がり、その尻尾がゆらゆらと揺れて、リルの足を撫でる。

 

「……ね、お母さん。がっこういったら、もっとたくさん、いろいろしれる?」

 

「うぅ〜ん、リルが行く所は、そういうのじゃないだろうな。むしろ、訊かれたら困ってしまうんじゃないかな」

 

「そうなの?」

 

「計算とか、読み書きを習う所だからね。基本的に、それ以上の事は教えてくれない」

 

「えぇ〜……っ」

 

 途端、リルは不満そうに唇を尖らせた。

 私の膝に背中を乗せて、海老反りの様な体勢になる。

 

「膝に乗るなら、せめてちゃんと頭にしなさい。腰、痛くするよ」

 

「へいきだよっ!」

 

 まぁ、子どもの無鉄砲さは、どこでも奔放に発揮されるものだ。

 もぞもぞと動いて、おへそが丸出しになっていたので、そこを指先でチョンと小突く。

 

「やぁ~、きゃははっ! やめてぇ、もう!」

 

「んん〜? いつまでも海老反りしてる子は誰かな〜? ほら、つん。つんつん!」

 

「やぁっ! やぁ~……っ!」

 

 私のおへそ攻めから逃げようと、横に転がって膝から落ちる。

 

 下にはアロガが寝そべっていて、その上に落ちたからケガはないものの、アロガは非常に迷惑そうだった。

 

「ほぉ~ら、それぐらいじゃ、お母さんから逃げられないぞ〜?」

 

「やぁ~、アロガっ! にげて、はやく!」

 

 しかし、親子のじゃれ合い程度で、アロガは出動する気はないようだ。

 仕方なく、リルは馬乗りになっていた場からから飛び上がり、二階の方へ逃げていく。

 

 私がそれを追い掛けて、その夜は、いつまでも笑い声と悲鳴が飛び交っていた。

 

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