「リル、お母さんはちょっと、虫を追い払ってくる」
「んぅ? ムシ?」
リルは本から顔を上げて、不思議そうに見返してきた。
私はそれに、うっそりと息を吐きながら頷く。
「春になるとね、陽気に誘われて、色々と虫が出て来るだろう? ただの虫なら良いんだけど、畑を荒らす害虫は駆除しないと」
「そうだね?」
「お母さんは、ちょっと行って来るから、リルは良い子で待ってなさい。……というか、その本ちゃんと読めてる? 別のに変えてあげようか?」
「ううん、大丈夫。ナナがね、分からないトコ、よんでくれるから」
なるほど、そういう使い途もあったな、と遅まきながら納得する。
そういう事ならば、ナナもこちらの意図を察して、上手くリルをこの場に繋ぎ止めてくれるだろう。
「あまり、ナナに無茶は言わないように」
「うんっ!」
元気よく頷くと、リルは再び本に向き直る。
私はその頭をさらりと撫でて、蔵書小屋から外に出た。
小屋の入口にはアロガがいつもの体勢で寝転んでおり、私が出て来たのを察して、片目だけ向けてきた。
私はしっかり扉を閉めて、リルに声が聞こえないように細めて言う。
「アロガ、そのまま見張りをしててくれ。誰が来ても、ここを通さない様にな」
返事こそなかったが、そこには理解の色があり、そのままアロガは目を閉じた。
本当なら、魔力錠を掛けて、リルの安全を絶対にしておきたいところだ。
しかし、室内にトイレはないし、水が飲みたくなる時もあるだろう。
その時に、閉じ込められていると知ったら、きっとパニックになる。
かつて、リルの目前まで近付いた侵入者の前例があればこそ、傍は離れたくないが、戦場に連れて行く方がよほど危険だ。
だからここは、とにかく手早く済ませて、さっさと帰り、安全を確保した方が建設的だと判断した。
「それじゃ、頼むぞ」
そう一声掛けて、森の境界線へと足を向けた。
畑の間を通るので、その度に妖精達から声を掛けられ、気さくに手を振り返しては転移陣へ急ぐ。
そうして目的地に辿り着くと、罠の感知から最も近い陣へ移動し、目標の索敵を始めた。
※※※
数分と掛からず、目標の位置を確定させた時、またも感知の罠が作動した。
それも一つではない。
二つ、三つと増えていく。
最終的に五つで止まり、私は眉間にシワを寄せながら、細く息を吐いた。
「馬鹿に多いな……。こんな事、これまでに無かったものだが……」
前回、痛い目を遭わせて送り返してから、それほど日数も経っていない。
禁足地として知られるボーダナン大森林だから、そもそも冒険者は滅多に来なかった。
それが覆されたと言うことは、“塔”から受けた“号令”とやらは、中々大規模なものだったのかもしれない。
だが、その本気度は、果たしてどれ程のものなのか……。
前回の冒険者は、あえて日の沈む頃から侵入を始め、最大限発見を遅らせようとしていた。
結局、何の意味もなかった訳だが、それでも危険な夜の移動を選んだのは、昼では容易に発見されると予測していたからだ。
しかし、今回の冒険者に、そういった慎重さはない。
一度に多く侵入し、撹乱するという狙いがあるのだろうか……。
「まぁ、そこはひと当たりしてみないと、分からないことか」
夜の侵入でも結局捕捉されるから、開き直っただけなのかもしれない。
だから数を揃えて、物量で押し切る作戦なのかも……。
「まぁ、だったらこっちも、慎重に行く必要がありそうだな」
感知出来た範囲で、冒険者グループの数は五つ。
一つが先行部隊で索敵、そこが襲撃されると、他の四つが即座に駆け付ける……。
そうした意図がありそうな布陣だった。
「即座に先行部隊を潰してしまうか。もしくは後ろから襲撃する、というのもアリだが……」
仮に先行部隊が釣り餌であるなら、まさか四つの冒険者グループの背後から、襲って来るとは考えない。
「そちらの方が、良いかもしれないな……」
それも武装次第、四つの連携次第ではある。
だが、先行部隊の位置を既に特定した以上、再び追い付くのは容易い。
私は四つの後続部隊にターゲットを向けた。
いつものように、隠蔽魔術を掛けて消音し、気配を隠しながら急ぐ。
そうして向かった先で見たのは、連携など考えず、個々のグループで勝手に動く冒険者達の姿だった。
「うん……? 行動を共にしないのか?」
前回は明らかに、魔女に狙いを付けての侵入だった。
しかし、会話を盗み聞きする限り、純粋に森で採取したくてやって来た冒険者達の様に思える。
彼らに緊張感はあっても、襲撃されるとは思っていない様子だ。
ごく一般的な警戒、とでも言うか――。
「よォし、お前ら。慎重に行けー。ここはS級ランクでも手を焼く、ヤバい森だからなー。でも、それだけに稼ぎは大きいぞー」
「リーダー……。そう言うんなら、リーダーこそ緊張感もって下さいよ。なんですか、その間の抜けた声」
「バカ! 敵意は無いって、森に教えてるんだろ? 俺達は森を荒らす悪い奴じゃない――そういう、アピールじゃないか」
「それで本当に、手心与えてくれるなら良いんですけどね。森は見逃してくれても、魔獣までは見逃してくれませんよ。……むしろ、カモだと思って、襲ってくるんじゃないですか」
「怖いこと言うなよ……」
どうやら、彼らが考えているのは、魔物や魔獣に対する備えらしい。
森で貴重な素材を採れる物だけ採って、さっさと逃げよう、と考えているのか。
「警戒し過ぎだったか……? まあ、春にありがちな、都落ちの冒険者かもな……」
装備の方も、前回のアレらと比べたら、随分と貧相だ。
悪い物ではないのだが、西と東の技術格差は大きい。
装備の質で、彼らが西から来た者ではない、と判断できてしまう。
私は一つ息を吐くと、緊張を解いて、冒険者の最後尾へと回る。
「いいか、近くの村人の話じゃ、森が冒険者を嫌うんだそうだ。森には意志があるんだと。――だからな、敵じゃないって報せるのは、むしろ生還に一役買うんじゃないかな」
「いや、僕ならそんなカモっぽいの、真っ先に攻撃しますけどね。だって、カモっぽいですもん」
「うるさいな。良いから、ちゃんと警戒しろ。いいか? 森が嫌う、って言うくらいだぞ? 一見なんともなさそうな、こういう樹も注意しないといけないかもしれん」
「はいはい……、精々、注意するとしますよ」
彼らは木の根元などに視線を向けつつ、何か良さそうな素材がないかと、目を皿にして探していた。
彼らにとってレベルの高いボーダナンの森は、ただ歩くだけで緊張を高めるものだろう。
しかし、見返りの大きさに、正常な判断が出来ないでいる。
そして、その内の一人が、ついに一つの薬草を見つけて声を上げた。
「あった……! あれだ、きっとあれですよ……!」
「よし、よくやった!」
喜び勇んだのも束の間、それが彼らが森で目にする、最後の光景となった。
最初は後ろで、偉そうに指示していたリーダーを――。
次にそのすぐ前を行っていた戦士を――。
そうして一人ずつ、音もなく昏倒させると、例外なく森の外へと飛ばした。
一つのグループが終われば、すぐまた別のグループへと移る。
それら全て、例外なく東の冒険者で、そして素材狙いの良くあるパターンだった。
背後から敵が迫っていると、夢にも思っていない彼らは、順調過ぎる程に昏倒されていき――。
その全てが森の外に飛ばされるのは、時間の問題でしかなかった。
中には仲間の妙な気配に気付く、鋭い者もいたが、全ての行動が遅かった。
私は四つの冒険者グループを処理すると、大きく息を吐いて肩を回す。
「さて、後は一つか。リルを余り長く一人にさせたくないし、さっさと済ませないと……」
一人ごちる様に言うと、私は地を蹴って、先行していた部隊の後を追った。