混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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入学に向けての一歩 その1

「……はい、今日の所はこれまで」

 

「あいぃぃ……」

 

 日課となっている朝の体力作りが終わり、リルは木剣を投げ捨て、地面に寝転びながら返事した。

 

 朝から体力をスッカラカンにするつもりはないし、リルの限界を見極めて、そこそこに絞っただけだが、妙に疲れている感じだ。

 

 訓練が終わったと見て、木陰の傍で見守っていたアロガがやって来て、リルの顔をベロベロと舐める。

 

 リルは好きにさせてやりながら、その首筋辺りをワシャワシャと撫で、それからゆっくりと立ち上がる。

 

「それじゃ、軽く汗を流して、それから朝食にしよう。もう、お腹ペコペコだろう?」

 

「うん。なんか……いつもより、おなかすいた」

 

「成長期には、まだ早いはずだけど……。でも、良いことだ。沢山食べて、丈夫な身体を作らないとね」

 

「たくさんたべると、じょうぶになるの? つかれたりしなくなる? お母さんみたいに?」

 

 朝と言わず、様々な訓練を指導している私だが、それで息を切らしたり、疲れた顔を見せることはない。

 

 それは(ひとえ)に年季の差から来るものだが、リルからすると、また違って見えるものらしい。

 

 私は微笑ましくリルを見やり、それから頷く。

 

「そうだよ、沢山食べると、それだけ丈夫になる。身体がね、食べたいと思っている時は、しっかり与えた方が良いんだ」

 

「ならね、それならね……っ!」

 

 リルはアロガを押し退けて、目一杯期待した視線を向けながら言う。

 

「リルのからだ、いま、あまいものがほしいって!」

 

「リルの場合、いつだって欲しいんだろう? 朝から甘い物はいけません。お肉や卵とか、しっかり身体作りになる物を食べなさい」

 

 リルは不満そうに唇を尖らせ、ブルルル、と鳴らした。

 私は踵を返してお風呂場へと向かいながら、背中越しにリルを呼ぶ。

 

「ほら、汗が乾く前に流してしまおう。シルケも待ちくたびれてしまう。早くおいで」

 

「はぁ~い……」

 

 渋々と頷き、トボトボと歩き出した。

 アロガが付き従う様に横を歩くのを見届けて、私は改めて背を向けた。

 

 先に行って、ある程度、お湯を準備しておかなければならない。

 

 だから、背後については特に気を配っていなかったのだが、何やらリルがボソボソと何かを言っている。

 

 アロガにか、あるいはナナに対してか――。

 甘いものを食べられない愚痴でも言っているのだろう。

 

 そう鷹揚に考えていたのだが、直後に油断を悟る。

 リルを中心として魔力の高まりを感じ、その直後、リルが突進して来るのを感じた。

 

「お母さぁ〜ん、どーん!」

 

 風を纏って、空気の抵抗を極力削ぎ、空気を射出しながら、とんでもない速度でカッ飛んで来た。

 

 ――何てことをするんだ!?

 だが、驚いている暇など、一秒足りともなかった。

 

 私は咄嗟に魔力を練り上げ、空気の膜でクッションを作る。

 そのまま受け止めてしまうと、その衝撃だけでリルが潰れかねない。

 

 弾性の膜で受け止めつつ、衝撃の指向性を上方に逃がした。

 そのせいで、リルはぽーん、と軽快な音と共に空へと飛び上がる。

 

 屋根より高く舞い上がったリルは、きゃらきゃらと笑いながら、危機感など全くなく落下する。

 

 空中で受け止めようとしたのだが、それより前に風が纏い、落下速度が減衰した。

 

 木の葉が落ちるような側で落ちたリルを受け止めて、胸の中で抱きながら、顔を近づけてホッと息を吐く。

 

「なんて危ないことを……いや、いつの間にそんなことが出来るようになったの?」

 

「うんとね、きのう! ごほんよんで、それでやってみた!」

 

「ご本って……。あの棚に、そんなの置いてなかったろう」

 

「べつのトコにあったよ」

 

 私は溜め息をつきたい気持ちを我慢して、代わりにリルの身体を抱き締めた。

 

「リルは凄いことをしたよ。でもね、普通はそんな事したら、潰されて酷いことになるからね。危険だから止めなさい」

 

「えぇ〜……っ!? でも、ナナならへいき、って!」

 

「そうか……、主犯はナナか」

 

 私は掻き抱く様にしていた身体を少し離し、リルの肩越しを見つめて言う。

 

「どういうつもりだ、ナナ。リルを危険な目に遭わせるなどと……」

 

「危険なんてなかったでしょう? 落ちる時だって、私がしっかりサポートしてたわ」

 

 悪びれる様子もなく、風景から浮かび上がる様に出て来たナナは、開口一番にそう言った。

 

「貴女があの程度に反応できないとは思わなかったし、仮に油断していても、やっぱりダメージは負わないと思うし……」

 

「私はともかく、リルが危ないだろ! あんな速度でぶつかったら……」

 

「それこそ心配無用だわ。私が手を貸しているんだもの、両手で手を叩いた程度の衝撃しか返ってこないわよ。リルを護る術については、よっぽど自信あるんですからね」

 

「だからと言って……」

 

 反論を述べようとした所で、リルが目をキラキラさせて見つめている事に気付き、視線を合わせる。

 

 すると、リルが屈託なく笑って言ってきた。

 

「ねぇねぇ! リル、すごい? びゅーん、ってとんだの!」

 

「すごいよ。すごい。本当に驚いた。まだ、あんな使い方教えてないのに、この子ったら……」

 

 私は再びリルを抱いて、その柔らかな髪と耳を巻き込んで頬ずりする。

 

「本当に驚くような事をしたね。教えられたからって、その歳で同じ事を出来る子が、一体何人いるものか……」

 

 マナの制御については、基礎の基礎を念入りにやらせていたので、順応は早かったかもしれない。

 

 だとしても、規格外と言って良い早さだった。

 ――うちの子、天才かもしれん……!

 

「すごい? すごい?」

 

「ああ、リルは凄いよ。凄い子だ」

 

 一頻り撫で回し、十分に褒める。

 しかし、締める所は締めないといけなかった。

 

「いいかい、リル。確かにリルは凄いことをやったけど、あぁいう事は突然やってはいけません」

 

「そうなの? ……お母さんなのに?」

 

「そうだよ、お母さん相手でも」

 

 リルは私の事を、他とは少し違うものに見えているようだ。

 

 だが、思い返してみれば、雪山で冒険者四人を鎧袖一触に処理したのを見ているし、それは竜を相手にしても大差なかった。

 

 そんな母を、自分がどうにか出来るとは、微塵も思っていないからこその発想だろう。

 

 そして実際、唐突な不意打ちでも反応して、適切に対処していたし、リルにとっては想定通りでしかなかったのだ。

 

「お母さんは、とってもビックリしたよ。だから、お母さんがいいよって言わないと、あぁいう事はしちゃダメだ」

 

「おへんじ、もらったらいいんだ!」

 

「うぅん、まぁ……。それはそうなんだけどね……」

 

 許可さえあれば、何をしても良い、と思われても困る。

 

 庭に出ている時、いつ来るとも知れないリルの突進を警戒していたら、身体が幾つあっても足りないだろう。

 

「所構わず使うのは、とっても危険だ。お母さんだって、いつでも適切に受け止めきれるとは限らないんだからね。それでリルが怪我したら……、お母さんはとても悲しい」

 

「じゃあ、ケガしないようにする!」

 

「そういう事でもないんだよなぁ……」

 

 リルにとって、物事は至極単純に成り立っている。

 だが、そうでばかりでもないのだと、そろそろ知って貰わねばならない。

 

 私は苦笑しながらも、リルの片耳を巻き込んで、ぐりぐりと頬を押し付けた。

 

「リルが怪我するのもそうだけど、何かを壊してしまったり、他の誰かを傷付けるかもしれないから、勝手に使っちゃいけないんだ」

 

「だれか? だれかって?」

 

「さっきのを間違ってアロガに使ったら、勿論アロガだって怪我するさ。それに妖精が轢かれたりするかもしれない」

 

 妖精は基本的に畑近くにいるものだが、フラフラと飛び回る事も多い。

 リルの突進で、あえなく吹き飛ばされる事も、十分想定された。

 

 人間と違って死の概念がない妖精だから、仮にぶつかってもすぐ元通りだが、だからと言って、無遠慮であって良い理由にはならない。

 

 リルは私の言いたいことを理解して、アロガを見てはしゅん、と尻尾と耳を垂らした。

 

「アロガがケガするの、ヤ……」

 

「そうだろう? アロガだけじゃないぞ。ちゃんと妖精達も見てあげないと」

 

 こくり、と殊勝に頷いたものの、リルはすぐに調子を戻して腕から飛び降りる。

 

 そうして、四つん這いになって着地すると、可愛いお尻をこちらに向けたまま、顔だけ向けて言った。

 

「じゃあ、じゃあ! いまからまた、どーんってやるから、お母さんうけとめて!」

 

 そう言うと、返事を聞かずに立ち上がっては走っていく。

 それから片手を挙げて手を振ると、こちらの返事も待たずに駆け出した。

 

「いや、宣言すれば、やって良いって訳でも……」

 

 しかし、私の声が耳に届くより早く、リルは既に駆け出している。

 目にも留まらぬ速さで突進して来て、先程の要領でまた上空へ打ち上げた。

 

「きゃーっ、あははは!」

 

 飛び上がり、そしてゆっくりと落ちて来るリルは、とても楽しそうだ。

 

 本来は攻撃用であったり、あるいは移動に使う魔法だろうに、リルに掛かれば、新たな楽しい遊び方でしかないらしい。

 

 私はリルを受け止めると、今度こそ汗を流させる為、抱えたままお風呂場へ向かった。

 

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