混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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入学に向けての一歩 その4

「ねっ、お母さん! これから、がっこう? がっこう、いくの?」

 

「うん? そうだなぁ……」

 

 ベントリーの店から辞去する際、学校の場所についても話題が上がった。

 

 単に詳しい場所まで知らなかったから尋ねただけだが、リルからすると、ならば当然これから行くのだと思ったらしい。

 

 私は少し考えてから、答えを返した。

 

「……そうだね。授業は午前中のみ、だった筈だから……今から行かないと、授業がどういうものかも分からないか」

 

 授業頻度も週に一度しかないのは、子どもは労働力、との概念が未だ根強いからだ。

 

 少しくらい学を身に付けさせてやりたい、と思う親は多いから、その折衷案とも言えるものが、今の形態だった。

 

 その上、個別に昼食を持たせる事も難しいので、昼を跨いで授業も出来ないから、自然とそういう形になる。

 

 そして、ベントリーの店から出た現在、昼より二時間ほど前の時間だ。

 冒険者ギルドの様子を見たかったが、そちらを優先すると、学校が先に終わる恐れがある。

 

「よし、これから学校に行ってみようか」

 

「やった!」

 

 リルは私と手を繋いだまま、喜びを体現せんとばかりに飛び跳ねた。

 尻尾も全力で左右に振られ、今にも走り出そうとする勢いだ。

 

 人通りの多い街の道を、右へ左へと曲がって目的地へ進む。

 そうして辿り着いた先は、元は倉庫にでも使っていたのかと思われる建物だった。

 

 市街地の中にあって道路にも面しているから、実際には別の用途で建てられたのかもしれないが、外観だけで考えると、そうとしか見えない。

 

 窓も多く作られていて、中の様子を窺うのは簡単だった。

 それとなく近付き、リルを腕に抱いて中を見せてやる。

 

「今は丁度、授業中みたいだな」

 

「おぉ〜……」

 

 中に居る生徒は十人に満たない。

 机と椅子が部屋の中で等間隔に置かれ、今は書き取りか何かをしているようだ。

 

 そして、授業を受ける生徒の年齡に幅がある。

 年齢別にクラスを設けられる数ではないから、自然とそうなってしまうのだろう。

 

 男性教師が、ゆっくりとした足取りで机の間を行き来して、その進捗状況を確かめている。

 

 読み書きを教えるだけだから、そうした授業で十分らしい。

 

 想像と大して違わない内容に、私はとりあえず納得し、それから一心に窓の内側を見つめるリルに問い掛ける。

 

「これが学校だ。……どう思う?」

 

「んぅ……、よくわかんないけど……。でも、ともだちいる」

 

「……ともだち?」

 

「うん、あそこ」

 

 リルが指差した先には、いつだか路地裏で一緒に遊んだ悪ガキの一人がいた。

 一番の年長で、一番リルに突っ掛かっていたガキ大将だ。

 

 その彼が左手で髪を掻き毟り、右手でペンを動かしながら、難しい顔をしていた。

 どうも、勉強はそれほど好きではないらしい。

 

「確かにいるね。……けど、他の子は居ないようだ」

 

「なんでかな?」

 

「年齡の差か、あるいは親が必要ないと考えているか、かな……」

 

 授業を受ける子どもの数を考えれば、それも明らかだ。

 この周囲に住む子どもの数が、まさかこれだけとは思えない。

 

 領政として学ぶ権利は与えられつつ、強制まで行かないから、たったこれだけの人数しか集まらないのだろう。

 

 子どもを学ばせられるほど裕福な家庭は、まだまだ少ない、という証左でもあった。

 

「お母さん、いっつもおべんきょはだいじって、いってるのに?」

 

「そうだね。でも、勉強は贅沢だ、って言われる事もあるんだよ。生きて行くのに精一杯だとね、そんな事をしている暇すらないんだ」

 

「リルもべつに……、おべんきょ……、なくてもいいけど……」

 

「お勉強は贅沢なんだ。お母さんは、リルに沢山贅沢させてあげたいから、しっかり勉強させてあげたい。……でも、ここに来るのは、勉強を優先して来る所じゃないからね。そう、言ったろう?」

 

 この場所からは遠くて、何を学んでいる最中かまで分からない。

 しかし、現在リルが学んでいる範囲より、更に高度な内容を教えているとは思えなかった。

 

 私がリルに学ばせたいのは、集団の中での生活だ。

 

 森の中では分からない、街で暮らす人間の空気感や暗黙の了解など、そうした細やかな部分を学んで欲しかった。

 

 だが、リルは不満そうに唇を尖らせるばかりだ。

 

 その時、こちらの視線に気付いたのか、例のガキ大将――モンティが驚愕に近い表情を見せて固まった。

 

 リルは気付かれた事を隠すこともなく、ぶんぶんと手を振って応える。

 しかし、モンティはすぐに顔を逸らし、問題へと向き直ってしまった。

 

「んぅ……。て、ふったのに……」

 

「学校での授業中はね、そういう事は出来ない決まりなんだ」

 

「そうなの?」

 

「そう、学校だけの話じゃなくて、街に街の色々なルールがある。そういうのはね、本当に沢山あって、少し口で教えたくらいじゃ覚えられないものだよ」

 

 そういったものは本当に多様で、またシチュエーションによっても異なってくる。

 こればかりは、家で教えるより実地で体験しなければ、理解できない事だ。

 

「なんか、タイヘンそう……」

 

「なに、ちょっとだけさ。自然に身に付いて、自然に出来るようになる事だよ。それこそ、剣術訓練とかより、ずっと楽なことさ」

 

「そうなんだ」

 

 私からの助言を受けて、ようやくリルは表情を和らげた。

 

 その頃には教師もこちらの存在に気付いて、視線こそ向けたものの、生徒たちの進捗の方を優先した。

 

 見学の予約などもしていないので、興味本位で覗いているだけの人、と思われたのかもしれない。

 

 そうこうしていると、街の時計台から鐘が鳴った。

 

 元は物見櫓として建っていた物で、かつては魔物や竜が近付くだけで、警戒させる為に鳴らされていたものだ。

 

 今でもそうした使い途はあるが、大抵は時刻を報せる為に鳴らす。

 約二時間ごとに鳴る鐘の音は、街で暮らす人間にとっては大事な指標だ。

 

「あ、おわったみたい……!」

 

 鐘の音までの授業なのか、生徒たちはさっそく片付けだして、さっさと帰ろうとしている。

 

 やはり、どの生徒も好き好んで学ぶ者は居ない様だ。

 モンティもまたその一人で、一目散に駆け出しては、扉を開け放ってこちらに向かって来る。

 

「リル! おまえ、こんな所に来て、どうした?」

 

「うんとね、えっとね……!」

 

 私はそっと腕から下ろして、モンティの前に据えてやりながら、耳打ちする様に声を掛ける。

 

「その日、初めて会う時は、どういう挨拶するんだった?」

 

「あっ、そうだった! えっと……、こんにちは? ごきげんよう?」

 

「どちらでも良いね。この場合だと、お久しぶり、も付け加えると尚良しだ」

 

「そっか! こんにちは! おひさしぶりです!」

 

「お、おぅ……」

 

 モンティは面食らった様に一歩後ろに下がり、そして今更ながらに小さく頭を下げて応答した。

 

「おう、こんちわ。久しぶり。リルの母さんも、その……お久しぶりです」

 

「ご丁寧にありがとう」

 

 私がニコリと笑って返すと、モンティはポッと頬を赤くさせる。

 かと思えば、俯いたまま何も話さなくなってしまった。

 

 リルが首を傾げたままその様子を見守り、それからモンティの背後を去って行く生徒を見やって口を開いた。

 

「ねぇねぇ。がっこうって、どういうおべんきょするの?」

 

「……えっ、あ、あぁ……。なんつーか、計算とかだ。今日はな、そういう日だった。だいたい、代わりばんこで、よみかきとかやるんだよ」

 

「どういうの? みせて、みせて」

 

 リルが小脇に抱えた教科書類を指して言う。

 すると、モンティは途端に大将風吹かせて、ふふんと口の端を曲げた。

 

「おまえにわっかるかなぁ〜? オレ、けっこームズカシイこと、してるしな! 見てもどうせ、わかんねぇよ」

 

「いいから。みせて、みせて」

 

 出し渋るまでもないと思ったのか、それともリルのしょぼくれた顔を見たかったのか……。

 

 ニンマリと笑って、快く見せてくれた。

 そうして、内容をパラパラと読んだリルは、拍子抜けの顔をした。

 

「なぁんだ、これならリル、だいじょぶそう。ちゃんとわかるもん」

 

「――ばっ、バッカいうな! これはな、ちょっと見てすぐ分かるようなモンじゃないんだよ! なにカンちがいしてるかしんねぇけど、読めないヤツがとけるもんか!」

 

「リル、ウソいってないよ。ちゃんとわかるもん」

 

 私がリルの上から見た限り、既に履修の終えた部分だ。

 ごく単純な四則演算で、捻った内容は見受けられない。

 

 リルの計算能力を知っている私からすると、虚言ではなく、真っ当な事を言ったという感想だ。

 

 しかし、モンティからすると、未だ学び舎に足を踏み入れてないリルに、そんなこと出来るはずがない、と思うのも致し方なかった。

 

 そうして、教科書の内の一文、計算式を指差したまま、リルは軽やかに言う。

 

「これ、まちがってるよ。ホラ、ここ。ここは、くりあがるから、ほんとうは……」

 

「え? あ……ホントだ。まちがってた……」

 

 そう言って恥ずかしそうに顔を歪めた後、リルに化物でも見るような視線を送る。

 

「ホントに分かってるのかよ……。オレ、ここでもう一年、べんきょうにかよってるんだぜ……」

 

「リルもおうちで、おべんきょしてる!」

 

「オレだって……! ……いや、オレは家じゃしてねぇけど……」

 

 何処までも負けず嫌いなのは健在らしい。

 しかし、言っても意味のない虚勢と分かったからか、すぐに声は萎んでしまった。

 

「……っていうか、何でそこまで計算できんだよ。おかしいだろ……」

 

 学校へ通う年齡は、必ずこの歳から、という決まりはない。

 だから、実際の年齡と、習熟過程が異なる事はある。

 

 それに照らすと、どうやらリルは進んでいる方らしい。

 私もそれについては今、ようやく理解したところだ。

 

 とはいえ、リルに社会について触れさせたい、情操教育の礎を、という気持ちは変わらない。

 

 どうやら本当に勉強は気にしなくて良いらしく、リルも少しは安心して通えるだろう。

 その材料が手に入ったこともあり、私は安堵と共にリルの頭を撫でた。

 

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