「なぁ、リル。良けりゃ、なんだけどさ……。これから、みんなと遊ばねぇ? きっと会いたがると思うし……」
「えっと……」
リルは窺う様に私を見上げ、期待の眼差しを向けた。
勿論、私としてはリルに友達と遊ばせてやりたい。
だが、入学する手続きや、その為に必要なアレコレを、今も教室に残る教師に尋ねたい所だった。
その間に私から離れたままにさせるのは、如何にも危うい。
かといって、どれほど説明に時間が掛かるかも分からないし、その間、手持ち無沙汰にさせるのも可哀想だった。
「お母さんは、先生と話があるから、その間なら良いけど……。でも、この近くから離れてはいけないよ」
そうでなければ、咄嗟に助けることも出来ない。
しかし、リルにとってはそれで十分で、モンティにしてもそれは同様らしかった。
「じゃ、すぐかえって、みんな呼んでくる!」
言うなり踵を返し、一目散に走り出す。
しかし、時間は正午になりそうな時間帯、果たして昼食は良いのだろうか。
そう思っている間にも、リルのお腹から可愛らしい空腹の音が鳴る。
リルは頭の耳を、へにょりと畳んで寂し気に言った。
「お母さん、おなかすいた」
「そうだね。でも、今は少し話をしないと……」
教師とて、いつまであそこに居るのか分からない。
それこそ今にでも、何処ぞの食堂へ出掛けるかもしれなかった。
だからとりあえず、鞄の中から小麦を練って焼いた、クラッカーの様な保存食を取り出して、それをリルに手渡す。
ついでに水筒からお茶を取り出し、これも注いでリルに持たせた。
「これでちょっとの間、我慢しておくれ。後でちゃんと食堂に行って、何か美味しい物を食べよう」
「うんっ!」
手渡された物に齧り付いたその時、通りの向こうからモンティが小さな友人達を連れてやって来た。
まだろくに食べていなかったリルは、慌てて口に突っ込んで、僅かな咀嚼と共に、お茶で押し込む。
そうして久方ぶりの再会を、抱き着きながら共に喜んだ。
私はその間に教室の扉をノックして、室内へと入る。
窓からは子ども達の姿がはっきりと確認でき、視界に必ず入れるようにしながら、会釈しながら近付いた。
「あぁ、どうも、先生……。お騒がせして、申し訳ない」
「いえいえ、構いません。いつもの事です。彼らの親御さんも、教師が傍に付いているなら、とこの辺で遊ぶのを許すものでして……」
そう言って苦笑いを浮かべ、温和そうな顔を和らげた。
髪は肩まで掛かるほど長く、それを後ろで結ぶ、線の細い男性だった。
学者としてはありがちな、不健康そうな見た目をしている。
服は清潔そうだが着古しているようで、どうやら給金はそう良いものでもないらしい。
歳の頃は三十手前で、苦労人らしい顔つきをしている。
強く何かを頼まれれば、断り切れない性格の様にも見えた。
「ここからでも薄っすらと聞こえていましたが、お子様に習学をご希望だとか? ……しかし、こう言っては何なのですが、家庭教師を雇った方がずっと有益ですよ?」
「それは分かっているつもりだ」
「裕福な方は、皆そうなさいます。到底、ご満足いただける教育内容を、提供できるとは思えず……」
この街で受けられる教育など高が知れている、多くの者はそう考えるだろう。
そして、王都の学習院に通わせるのでもなければ、家庭教師を雇うのが一般的だとは、私でさえ知っている。
この教師は全くの善意で言ってくれたのだろうし、後で不満に思わないよう、あらかじめ釘を刺す意味合いもあっての発言だろう。
だが、最初から教育内容がどうかなど、私は度外視している。
その善意を快く受け入れながら、私はそれでも通わせたいと伝えた。
「うちは周囲に同年代の子どもがおらず、友達付き合いというものを教えてやれない。だからせめて、と思って通わせたいのだが……頷いて貰えないだろうか」
「うぅん、なるほど……。ですが、もし資金に余裕がおありでしたら、王都にお子様を預けた方が……」
「流石にそこまでの余裕はない。そういう訳で、よろしく頼めないだろうか」
実際の所は話さず、頼み込む方法に舵を取る。
教師はしばし考え込んだ後、人の良い笑みを浮かべて頷いた。
「分かりました、お預かりしましょう。貴族様の子をお預かりすなど初めての事ですから、ご無礼があればご容赦願いたいのですが……」
「ん?」
「……はい?」
私が小首を傾げた事で、教師もまた首を傾げた。
そして、ようやく何故そこまで渋ったのか、その理由が分かった。
私が貴族だと思っていれば、それは確かに渋る筈だ。
王都を勧めるのも理解できるし、どんな無礼打ちが下るか不明な相手を、預かるなどと言えるはずもない。
私は笑いながら、顔の前で手を振った。
「いやいや、私は貴族ではない。裕福には見えるだろうが……」
そう言って、ちらりと自分の服に視線を送る。
上等な素材と贅を凝らした装飾は、いち商人としても破格の部類だ。
商人が着飾る意義は、自分の格や商売規模を教えるものだから、ともすれば貴族の様にも映るものだった。
これを見て、教師が私を貴族と推測するのは、致し方ないといえる。
「貿易商をしていてね。あちらの商品をこちらに売ってと、まぁ……色々やらせて貰ってる。平民には違いないから、どんな無礼も気にしないぞ」
「あ、あぁ……! 然様でしたか、これは失礼を! 大変、気品のある方ですから、私はてっきり……!」
「おや、先生は口も達者でいらっしゃる」
私が口に手を添えて笑うと、教師も顔を赤くさせて笑った。
実際は……。
私が尊大な態度だから、貴族だと思った、という点が大きいだろう。
私は大抵、誰に対してもこういう態度だから、時として貴き身分の人間だと勘違いされる。
「いや、ハハハ……。参りました。では、ご入学希望という所までは良いとして、その時期となりますと、夏前になりますがよろしいでしょうか?」
「……へぇ、夏前に? それはまた、何故?」
「春先は種植えであったり、人の移動に合わせて書き入れ時など、子どもの手を欲する家が多いからです。そのため、入学時期を夏に定めています」
「しかし、それだと晩夏や初秋だったりも、同じく刈り入れ時として手を欲するんじゃないのか?」
私が指摘すると、教師は困ったように笑った。
「それは確かに、仰る通りです。それを言うと、牧畜をやっている家庭は一年中、どこかしら忙しいですし、家畜が出産となれば通えない日も出て来ます。ですから、まぁ……少しでもマシな時期を選んだ、というだけでして……」
「まさか、冬にだけ学ばせると言うんじゃ、時間が余りに足りなさすぎるものな」
「えぇ、まさしく。ですから、裕福でかつ教育熱心なら、少し無理してでも家庭教師を雇うのが当然、と申しますか……。あぁ勿論、週に一度だからこそ、何とか時間を捻出できる、という側面もある訳で……」
教師のちょっと必死になった言い訳に、私は笑みを浮かべて頷く。
「少ない時間だからこそ、親御さんもせめて、と思ってくれるんだろうしな。……うん、それじゃあ夏の入学に合わせて、こちらも調節しよう」
そこからは、入学資金に対してや、必要な諸経費、必需となる文房具についてなど、詳しい内容を詰めていく。
そうして、三十分と経たない内に詳しい内容の聞き取りも終わり、礼を言って頭を下げた。
「それでは、夏からうちの娘を通わせるので、よろしくご指導願いたい」
「はい、誠心誠意、お預かり致します。既に友達もいるみたいですから、すぐに馴染めるでしょう。子どもは自然と、他の子と仲良くなるものですが、最初の取っ掛かりがないと難しいものですからね」
窓の外では、モンティと合流した他の子と、リルが一緒になって遊んでいた。
それぞれが手を繋ぎ、輪になって踊りらしきものを踊っている。
「……うん、今のところは順調そうだ」
もうしばらく遊ばせてやりたいが、リルにもまともな昼食を食べさせてやりたい。
私はリルから視線を切って、教師に軽く会釈する。
「それでは、これにて失礼を」
「はい。お子さんの事で相談などありましたら、またいつでもいらっしゃって下さい」
教師からは深い会釈を返され、私は背を向けて教室を出て行った。