「さぁ、行こうか」
「うんっ!」
ようやくだ、と待ち切れない様子でリルが頷く。
しかし、それを呼び止める声があり、振り返るとオンブレッタが深々と頭を下げていた。
「ギルド長に代わりまして、この度の助力にお礼申し上げます」
「別に良いさ。アイツが私を便利使いしようとするのは、今に始まったことじゃないしな」
「えぇ……。本当に、困った方です……」
オンブレッタは遣る瀬ない表情で、深々と頷く。
だが、私としても別段、彼に上手く使われる為に動いた訳ではなかった。
「アイツの評価が順当だと分かれば、内部監査も早めに切り上げられるかも……なんて打算もある。周囲を嗅ぎ回られるのは、私にとっても愉快じゃない」
「……ですね。こちら側から何か言える立場ではありませんが、色々と出来る限り手を打ってみます」
「うん、それを報酬として、期待してみるとしようか。失望させないで欲しいな」
「尽力いたします」
再びオンブレッタが頭を下げたので、私は改めて踵を返した。
リルは振り返って手を振り、オンブレッタも顔だけ上げて、手を振り返しているようだ。
リルの耳と尻尾が嬉しそうに揺れるのを横目で見ながら、私はようやくギルドから辞去したのだった。
※※※
待ちに待たされ、不満顔だったリルも、今では跳ねる様に歩いている。
友達と遊べるのが余程嬉しいらしく、もしもアロガがここにいたら、嫉妬してしまいそうな浮かれようだ。
待ち合わせ場所は既に決まっていて、それが以前、子ども達と初めて会った裏路地だった。
近くに彼らの親が経営する店があるようで、裏口から見える所だからこそ、自由に遊べる事情もあるようだ。
幾ら放任主義といっても、子ども達だけで遊ばせるには不用心と思っていたが、そうした事情ならまだ納得できる。
そうして行き着いた先では、既に子ども達が笑い声を響かせて遊んでいる最中だった。
その声に誘われて、リルの足も自然と早足になる。
私までついて行くと興ざめだろうから、裏路地の入口で手を離した。
「お母さんは近くで見ているから、好きに遊んでらっしゃい」
「いいの?」
私が頷くと、嬉しそうに頬を紅潮させて走って行く。
リルが来たのに気付いた彼らは、手を挙げて歓迎した。
只でさえ騒がしかった子どもの声が、更に大きくなる。
無理なく彼らの歓迎の輪に加わるのを、私は壁に背を当てながら見ていた。
ただ見守るのは暇なものだが、何があるとも限らないから、リルから目を離すことは出来ない。
恐らくナナも注意を払っているだろうし、怪しい大人が近付いて来る様なことがあれば、しっかり警告もしてくれるだろう。
だが、それはそれとして、リルの護りを疎かにして良い理由にはならなかった。
リルは現状、私の唯一と言って良い弱点だ。
森に侵入し、リルのすぐ傍まで接近した者の狙いが分からない以上、少なくともその排除が出来たと確信できるまで、怠れるものではない。
そうして、子ども達の遊びは、途切れることなく続く。
本当に感心することに、子どもというのは、遊びに関しては無限とも思える体力を発揮するらしい。
追いかけっこで逃げ回ったり、あるいは追いかけ回したり、飽きることなく続けている。
しかし、同じ遊びだけでは飽きるらしく、店の裏口からボールを取り出し、今度は球遊びをする様になった。
リルは初めて見るボールに興味津々で、一度手に持って、上から見たり、下から見たりと忙しくしている。
大きさは子どもの頭より一回り小さいくらいで、牛の皮革を使ったボールの様だ。
ここから見る分には、中に入っている物は分からないが、おそらく牛の膀胱を空気で膨らませたものだろう。
そうでなければ、羊毛などの繊維を詰め込んだ物で、これは雨の日に使おうものなら水分を吸って非常に重くなってしまう。
頭にぶつけると普通に怪我をするので危険だが、牛の膀胱よりは安価で手に入るから、もしかしたらあのボールは羊毛の方かもしれない。
貴族でもなければ、子どもは怪我するもの、という認識が強く、自分の子どもを可愛がっていても、不思議と危機意識は薄いものだ。
ボールが凶器になるかもしれない、と露とも思わず、好きに買い与える事も多い。
リルは持っていたボールをモンティへ渡し、両手で真上に投げる。
そうして僅かな弧を描いて落ちて来ると、一度バウンドさせて、別の子どもがまた頭上へ投げた。
投げたというより、持ち上げたとでも言うべきで、バウンドそのものも随分小さい。
余り跳ねないので、やはり羊毛が詰め込まれているボールだろう。
そうやって、ボールを一人ひとり、順番に真上に投げては次へ受け渡す、という遊びを楽しんでいた。
シンプルながら、微妙な力加減で何処へでも飛んで行ってしまうので、スムーズに運ぶことは殆どなかった。
しかし、それすらも子ども達には楽しく、リルもきゃらきゃらと笑って遊んでいた。
一度、ボールを受け損ねて、転々と私の方に転がって来た。
丁度リルの番で、それを取りに来たリルは、額に汗を掻きながらも楽しくてしょうがない、という顔をしていた。
「お母さんっ!」
私に手を振って来て、私も手を振り返すと、ボールを持って帰っていく。
その姿を目で追って笑みを浮かべた時、後ろから男が声を掛けてきた。
振り返って確認して見ると、そこには敵意を笑みで隠した、例の内部監査員が立っている。
エルトークス商会の奴らが、気を利かせて私から遠ざけようとしていたが、何処にでも漏れというのはあるらしい。
私は不機嫌だと分かる様に鼻を鳴らして、すぐにそっぽを向いた。
リルが楽しく遊ぶ光景へと、視線を一直線に向ける。
しかし、それだけの拒絶で、相手が諦める筈もなかった。
近くの壁に背を預け、世間話をするような気楽さで声を掛けてくる。
「随分とお久しぶりでした。こちらは何度も接触しようと思っていたのですが、どうにも……
「あぁ、そう……」
巡り合わせ、という部分を強調して言った辺り、どうやら遠ざけようとしていたのは、私のせいだと思われているようだ。
それは間違いという訳ではなかったが、全ては私の勘気に触れたくない――あるいは、少しでもご機嫌取りになれば、とエルトークス商会が勝手にやったことに過ぎなかった。
そうは言っても、実情を知らない彼からすると、私の手引だと思うだろう。
言い訳をしようものなら、尚更その嫌疑を深めるだけだろうし、だから敢えて何も言わなかった。
「……それで? 何のようだ? 見ての通り、私は子どものお守りで忙しい」
「いやいや、お話する時間くらいあるでしょう」
「ところで、領兵の準備は出来たのか? 私の目には、それらしき者の姿は見えないが……」
周囲に目を向けることすらせず言い切る。
その兵を伏す理由がないから、先程チラ、と見た限りの発言に過ぎなかったが、どうやらそれは当たりらしい。
「えぇ、えぇ……。何故か付近の憲兵隊長は勿論、領主様の方にも話が通じませんので。随分とたらい回しにされた挙げ句、最終的には門前払いをされましたよ」
「それはそれは……。随分と嫌われたな」
男の言葉の端々から、明らかな嫌味と分かる言葉が吐き出される。
私はそれに一切耳を貸さず、視線を子ども達へと向けていた。
「えぇ、不思議です。まるで誰かが裏から手を回したかの様だ」
「何でも誰かのせいにするのは感心しないな。日頃の行いのせいとは思わないのか?」
「嫌われる理由がありませんので」
「私はお前の……、そのスカしたニヤケ面が嫌いだ」
「これは手厳しい……」
息を呑む気配と、同時に忌々しく思う気配が漏れる。
案外、これまでは自分の思い通りに事が運び過ぎて、こういう経験は余りないのかもしれない。
特に女性に関して、自分の甘いマスクとその口調で、容易く情報を抜き取っていた自負が透けて見えた。
私が余りに素っ気ないので、参っている雰囲気すら感じられた。
「お願いしますよ。少し……、こちらの仕事にも協力していただけませんか」
……そして、今度は泣き落としか。
両手を顔の前で合わせて、拝み倒す姿が視界の端に映る。
しかし、そんな事をされようと、私が応じてやる理由など一つもない。
私はリルがボールを掴み損ねて笑う姿を見ながら、にべもなく言い放つ。
「自分の名前すら名乗ってない奴と、どうして私が応じてやらねばならない?」
そう言われて初めて気付いたようだ。
男はハッとして、再び頭を下げる。
「これは失礼を……。私の名前は、ジェイル・ゲルトヘムと申します。名乗りが遅れた不明を、どうぞお許しいただければ……」
実のところ、名前はラーシュに聞いていたから知っていた訳だが、そんな事はおくびにも出さない。
ただ面倒臭そうに手を振って、さっさと帰れとジェスチャーを送るだけだ。
しかし同時に、そう簡単に帰るとも思っていなかった。
ジェイルの仕事を思えば、簡単に諦められる筈もない。
それを私は、この上なく良く理解していた。