「それにしても助かった。まさかお前の方から、こんな迂闊な真似をしてくれるとはな」
ジェイルはこれに応え様としない。それも当然だ。
精神を支配された相手は、ごく単純な質疑にしか応答できなくなる。
複雑な質問や命令には応えられないし、明確に分かりやすく、答えやすい質問をせねばならなかった。
答えに窮して応えないなら、質問の内容が悪いという事でもある。
ただし、今の質問は、単なる揶揄や皮肉に近いものなので、応えるのを期待して投げたものではない。
私は満足げな息を吐いてから、そのまま続けた。
「精神支配は解除した後も、第三者から見れば分かってしまう。他人のマナを、自分のマナで上書きする様なものだから。しかし、押し返された場合は、話が別だ。自分自身で掛けた魔術は、他人からは酷く分かり辛い」
それは例えば、水を張ったバケツの中に、絵の具を垂らす様なものだ。
その効果や込めた魔力によって、色が表れ始める。
しかし、元からバケツに入っていたものを利用されるわけだから、おおよそ気付けるものではない。
私は虚空を見つめるジェイルを、視界の端に映して話しかける。
「恐らく……、お前にも仲間が控えているんだろう。宿にでも帰れば、情報の遣り取りなんかをするのかな。……え、どうなんだ?」
「います、一人……。定期的に連絡を……」
「うん、やっぱりそうなんだな。ではやはり、私の方から仕掛けなくて正解だった」
私が強硬手段に出れば、そこから小さな綻びが生まれていた事だろう。
そして、たった一つのか細い綻びは、必ず次なる綻びを呼び寄せる。
それはいずれ、取り返しの付かない、大きな綻びへと成長するだろう。
私が安易にジェイルを支配し、自分に都合の良い答えを刷り込ませなかったのは、一重にそうした危険があったからだ。
「功を焦ったか。それとも、仕事を早く終わらせ、帰りたかったからか……。あぁ、これには応えなくて良いぞ。興味がない」
私は再び、リルの遊ぶ姿を視界に映し、今度こそ本格的な質問を始めた。
「さて、本題だが……。私について、何を知っている?」
「殆ど、何も知りません。本名不詳、住所不明、不定期に姿を見せる行商。分かっているのは、それぐらいです」
「なるほど……。しかし、私が怪しいと、目星を付けた訳だ。その理由は?」
これには一瞬の間があって、それから口を開いた。
「一つに、その名前が分からない事。魔女は名前に力が宿ると信じていて、みだりに己の名を名乗ったりしません。また、怪しむ理由と理屈の殆どは、そこに起因します」
「あぁ、それは頷ける話だ」
信じているという問題ではなく、実際に名前には力が宿るのだ。
個人を指定、特定し、定義するものなので、偽名であろうと当人にとっては、それが体を表す名になる。
魔術の中には、その名を以って発動させるものがあり、力ある者が使えば距離も時間も無視して、効果を発揮させる事が可能だ。
だから私も、師匠の名前を知らない。
誰かに役職名で呼ばせたり、個人を曖昧にさせる呼び方を好むのは、そういう意味もあった。
「偽りの名前であっても、それは他人にとっては個人という枠に固め、特定させる強固な鎖となる。だから偽名すら使わない訳だが、その理由までは知らずとも、推測する材料としては十分か」
「上層部の考えとして、また魔女の特定方法として、一つの指針になっている様です」
「頷ける話だな。……他には?」
「二つ目、これで最後ですが、姿を眩ませるのが上手い事です。我らの追跡術を以ってしても、その足取りは掴めませんでした」
私は鼻を鳴らして、眉根を指一本で嗅いた。
「自慢気に言うが、あんなものは見つけてくれと言っている様なものだ。気配の隠し方が綺麗過ぎる。索敵するにしろ、マナを拡げるまでは良いとして、それを隠蔽するのが下手くそだ。人は居ないのに、ある一点を軸に捜していれるのがバレバレだから、素人以外には通用しないんだよ」
実際は、名のある冒険者でも、その索敵には気付けないだろう。
よほど魔術に精通している魔術士でも、見落とす可能性はある。
しかし、相手にするのは魔女なのだ。
自称魔女でもなく、女性の魔術士でもなく、本物の魔女だ。
魔術勝負で出し抜ける、と思っている方がどうかしている。
私は不機嫌さを隠そうともせず、重ねて問うた。
「それで? 私が魔女だとは、どの程度の確信があって接触して来たんだ?」
「期待値込めて、二割という所でした」
「……おや、意外に低いんだな。推理の材料として、色々と
「その程度の材料でしたら、過去に三件の例があります。……が、どれも空振りでした」
「へぇ……?」
名前を名乗りたがらない、という者は案外いるらしい。
犯罪を犯して逃げたとか、貴族だったが落ちぶれて、家名を名乗れなくなった、などと理由は幾つか思い当たる。
だが、その場合でも偽名ぐらいは使いそうなものだ。
それとも、名前だけ……あるいは家名だけ名乗って、全てを名乗らないものまで含めているのだろうか。
それならば、確かに候補として挙がってもおかしくなさそうだ。
「それで、二割程度の期待値、とした理由は?」
「一つに家族を持っている事。魔女は独りを好み、外部との接触を極力排除する傾向にあります。街から街へ、国から国へと渡り、一箇所に留まらないのも特徴です。貴女はどちらにも当て嵌まらない」
「あぁ、それは確かに……」
昔の……ニコと出会い、リルを育てる前までの私がそうだった。
別段、人との関わり合いを捨てた訳ではなかったが、積極的でなかったのは確かだ。
気紛れに人助けはするが、助けたら助けたで、見返りを受けたら旅立つ。
長居すると、このジェイルみたいな奴が嗅ぎ付け来る、と分かっていたからだ。
しかし、それでもここ数十年は、この街を起点として生活していた。
見つけられなかったのは、一度目撃した土地から離れる、という先入観があったからかもしれない。
「そうか、そうか……。私の心境の変化が、長く続いた魔女狩りのルールから逸脱し、それで曇る事になったんだな。好都合と言うべきか、濡れ手で粟と言うべきか、迷ってしまうが……」
ジェイルは何も言わない。
彼の感想を求めている訳ではないので良いのだが、どちらにしても、会話相手としては詰まらない相手だな、という感想しか浮かばなかった。
「フン……。が、まぁ、分かった。元より頼りない綱を引っ張っていただけ、か……。それでも手を離さなかったのは、他に有益そうな情報がなかったからかな。……ん、どうなんだ?」
「その通りです」
「怪しいと思われた切っ掛けは、やっぱり冒険者がボーダナンで立て続けに返り討ちに遭ったからか? そんなもの、これまでも多くあったろうに……」
「その相手が、“五鷹”と呼ばれる、
「精鋭、ねぇ……」
そんな相手、何処に居たのやら……。
それすら曖昧なくらい、これはと思う冒険者と戦った記憶がない。
西からの冒険者は大抵が手練れだが、それでも苦戦を思わせるパーティなど一つもなかった。
どれかが原因と分かれば、もっと上手く追跡を躱す方法がありそうだが、特定が難しいなら無意味な話だ。
「ともかく、それは分かった。ここ最近、西からの冒険者が流入したのは、魔女狩りの一環だと言うこともな。しかし、二割しか期待値がなかったり割に、戦力を投入し過ぎじゃないか?」
「二割でも出動を判断されるレベルですので。可能性があれば出向き、精査する。それが我々の仕事です」
「まぁ、
ある種の恐慌状態を、常に患っている様なものだ。
魔女の痕跡があれば、それを探し、潰さなければ気が済まない。
そして、魔術の腕が自慢の女性など、数えるのも馬鹿らしいほど数多いるのだ。
世俗から完璧と言わずとも、隠れるように生きる者も多い。
魔術の勉強や修練は街でも出来るが、錬金術を極めようとすると、その採取の段階で躓く。
誰かに頼めるほど資金が潤沢にある場合など殆どなく、自分で採取する事になるのだが、その場合だと私の様に、森やその近くに住む事になる。
そして、そういう相手ならば、嫌というほど見つけて来たに違いない。
だから今となっては見切りも早く、数々の魔女候補を弾いて来た結果、二割という数字すら魅力的に映ってしまったのだろう。
「じゃあ、とりあえずその取捨選択する材料、その全てを教えろ。今後の参考にする。そして、全て教え終わったら、今の記憶を全て忘れるんだ。今回の魔女も勇み足、勘違いだったと自分で思い込んでな」
「その様に……」
ジェイルは一つ頷いて、次々と魔女と見定める要件や、その為に考慮すべき項目などをつぶさに話し始めた。
これを参考にすれば、今後はもっとやり易くなる。
――魔女と疑いつつ、迂闊な真似をしたジェイルに感謝だな。
視線は常にリルへ向けつつ、耳だけをジェイルに傾けながら、私はそう嘯いていた。