全てを話し終えたジェイルは、こちらから声を掛けるまでもなく、そのまま立ち去って行った。
恐らく――。
帰った後で提示連絡を待つ仲間とやらに、私は問題ないと報告するのだろう。
そこに洗脳の痕跡を感じ取るのは難しく、また他人のマナで染められた痕跡すら見つからなければ、尚の事その報告を信じるしかなくなる。
いつまでも嗅ぎ回られても煩わしいと思っていたので、不意に湧いた幸運に感謝しながら、私はリル達の遊ぶ光景を眺めた。
子ども達はボール遊びをしていたが、いつまでも同じ遊びをしている訳でもなく、また一箇所で遊んでいる訳でもなかった。
逃げたり追ったりしている内に、最初の遊びから大きく範囲が逸れてしまっている。
子ども達はそれに気付いておらず、変な方向に行こうとしていると気付き、私は止めに入ろうと初めてその場から動いた。
子ども達はボールを投げては避け、受けては投げ返し、を繰り返し……そんな遊びをしているものだから、周囲をまるで見ていなかった。
だが、流石は地元に住んで長い事があって、自分達が何処に近付こうとしているか、私が声を掛ける前に気付いた。
「……おい、リル! そっちはマズい! もっとこっち来いよ!」
「んぅ? あっち? ダメなの?」
逃げ回るのにも範囲があり、最初はそれを守っていた彼らだが、リルの運動能力に引っ張られてか、普段より大きな範囲で遊んだ様だ。
それを今更ながらに気付いて、地元の子達は及び腰になっている。
しかし、街について不勉強なリルは、緊張感もなく、ただ首を傾げていた。
「あぶないから、行っちゃいけないんだ。大人はみぃんな、そう言ってる」
「そうなんだ……」
リルはボールを胸に抱きながら、路地の向こうを見つめていた。
しかし、危ないと言われても、見えている範囲に危険そうなものはない。
薄暗くはあるが、森の様に視界を遮る程でもなく、危険な魔獣が潜んでいそうにもない。
リルにとって、危険とはそういうものであって、路地の向こうに潜む何かが想像出来ていなかった。
そこに私が横に付いて、リルの肩に手を置く。
一心に見つめていたリルは、そこでようやく私の存在に気が付いた。
「あっ、お母さん!」
「ほら、お友だちも言っているだろう? こっちは近寄っちゃ駄目だ」
「どうして? なにがあるの?」
「この先にはスラムがある」
そう説明しても、今のリルには分からない。
やはり首を傾げて、しげしげと路地の向こうを眺めるだけだ。
他の子ども達は、親からよくよく注意されているのか、スラムを知っていて近寄ろうともしない。
具体的なことを知ってか知らずか、強い忌避感を持っているのだ。
そして、その教育は正しい。
もしもボールが誤って入り込んでも、取りに行ってはならない。
親を呼ぶか、それともボールは失くした事にした方が、よほど建設的なぐらいだ。
「ねぇ、お母さん。そのスライムがあると、どうしていっちゃダメなの?」
「スラムね、スラム。貧しい人たちが住む区画の事だよ」
「くかく……」
実施に、この路地に入った瞬間、スラムになっている訳ではない。
仮にそうなら、子ども達をこんな近くで遊ばせないだろう。
更に路地を一本渡ってからが、本格的なスラムだ。
しかし、用心に用心を重ねたら、このぐらいの距離から警戒するぐらいで良い。
「その、まずしいひと……がいると、どうしてダメなの?」
「単純に、危険だからだよ。お金がないとね、心に余裕がなくなる。物が手に入らないから、奪って手に入れようとする。帽子や靴、着ている物全て取られてもおかしくないし……、リルもそんなのは嫌だろう?」
「……うん、イヤ」
実際は、身ぐるみ全て剥がされるぐらいならマシな方で、もっと凄惨な目に遭う可能性がある。
だが、そんな事まで今は教える必要がないので、手を置いていた肩をくるりと回して、リルに回れ右させた。
「……さ、いい子だから、ここには近付かないでおこうね」
「うん。……でも、なんで?」
「何でって?」
「なんで、そういうひとが、いるのかなぁ。なかよくできないの?」
「うぅん……。別に嫌がらせとかで、彼らもやってる訳じゃないからなぁ……」
彼らは貧しいから、スラムに住むしかなくなった者達だ。
家賃が格安だから、ここ以外に選択肢がない為に、スラム暮らしに甘じている。
誰もがスラムを脱したいと、きっと思っている事だろう。
スラムに住むというだけで、まともな職には就けないし、だから常に困窮していて、食べる物にすら困る生活になってしまうからだ。
誰だってスラムから脱したいし、その為に働いているのに、日々の糧を得るだけで収入が消えていく。
だから、抜け出そうにも抜け出せない、負のスパイラルに陥ってしまうのだ。
「生きようと思ったらね、清く正しく、と言っていられない事もあるからね。自分はどうであれ、子どもだけはと思って、犯罪に手を染める親もいる」
「かなしいね……」
「親の居ない子だって居るよ。生きる為に、腐り掛けの残飯を食べたり、盗みで生計を建てる子もいる。形振り構っていられないんだ」
その子に咎がなくとも、病気で親を失くすとか、失業した事で他に行き場が無いなど、スラム暮らしになる理由は様々だ。
そして、もしかしたらこのリルも、そうしてスラム暮らしをしていたかもしれないのだ。
もしもリルの
そしてもし、産み落とす事だけは叶っていたら――。
そのまま捨てられ、親のない境遇で育っていただろう。
孤児院で暮らす子も多いが、馴染めず飛び出す子もいる。
誰の助けもなく、独りで生きていこうとするのだが、力の弱い子どもは大人に体よく利用されるだけだ。
いつだって、スラムで暮らす子どもを利用する、しょうもない悪党はいる。
ただし、この街ではエルトークス商会が街の裏側を牛耳っているので、そう悪いことにはなっていない筈だった。
そうはいっても、慈善団体とは違うので、少々の炊き出しくらいが精々で、スラムの住人全員の世話をしている、という訳でもない。
そこから先は行政の仕事で、そして領主の仕事だった。
弱者救済はいつの世でも、権力者の仕事と決まっている。
リルは背中越しに路地の先を見つめて、それから上目遣いに言った。
「ねぇ、お母さん……。どうにかできない?」
「どうにかしてやりたい気持ちは、お母さんも山々だけどね……」
もしも私が赤子のリルを引き取らず、そして今スラム暮らしをしていると分かったら、きっとそこから救い出していただろう。
しかし、私が手を伸ばせる範囲には限りがあり、その人数にも限りがある。
何より、積極的に救う意志もない。
彼らの境遇には同情するが、その全てを救う事など、私には出来ないのだった。
「残念だけど、お母さんにも出来ない事はある。見て見ぬ振りとは違うけど……でも、手を出せない事もあるんだよ」
「んぅ……、そうなんだ……」
リルは頷きつつも、どこか納得してない様子だった。
何かお願いすれば、私が即座に叶えてくれると思っていたからかもしれないが、残念ながら万能とは程遠い存在だ。
「……さ、お友だちが待ってるよ。行ってあげなさい」
「お母さんも!」
「うん? お母さんが混ざったら台無しだろう。気にせず遊んで良いんだよ」
「んぅ、でも……」
言い合っている間に、痺れを切らしたモンティが不満そうに声を上げた。
「リル、早くしろよー! そっち行っちゃ、イケナイんだぞ!」
「でもボク、おなかへっちゃった……」
「あ、アタシも……」
他の二人、ヘイトとミーナはお腹を抑えて言った。
まだまだ育ち盛りの子ども達は、少し運動すれば、お腹が空いても仕方がない。
私はリルの肩を揺すり、ついでに訊いてみた。
「リルは? リルはお腹空いてない?」
「んぅ……、ちょっとだけ……」
言った傍からお腹が鳴って、私はつい笑ってしまった。
「お腹は正直だね。どうせなら、これから少し何か食べに行こうか。まだ夕食には早い時間だけど、間食するには遅すぎない時間だ」
私の提案にリルは嬉しそうに頷き、そして他の子ども達は羨ましそうな視線を送って来た。
だが最初から、他の三人を蔑ろにしようとは考えていない。
まだまだ遊びたいだろうし、リルだけを引き抜くのは心苦しいと思っていた所だ。
「皆も一緒にどうだい? 簡単につまめる屋台で、何か食べようじゃないか」
「ほんとっ!?」
「いいの?」
「勿論だ、高い物でもないしね」
「へへっ、やった!」
誰よりモンティが一番喜んでいて、ミーナとヘイトは慎ましやかに喜んでいた。
この街なら屋台は何処にでもあって、市場に行くまでもなく、簡単な軽食ならあり付ける。
私は子ども四人を引率しながら、スラムとは真逆の、日の当たる方向へと歩いて行った。