混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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騙し合いと追いかけっこ その5

 全てを話し終えたジェイルは、こちらから声を掛けるまでもなく、そのまま立ち去って行った。

 

 恐らく――。

 帰った後で提示連絡を待つ仲間とやらに、私は問題ないと報告するのだろう。

 

 そこに洗脳の痕跡を感じ取るのは難しく、また他人のマナで染められた痕跡すら見つからなければ、尚の事その報告を信じるしかなくなる。

 

 いつまでも嗅ぎ回られても煩わしいと思っていたので、不意に湧いた幸運に感謝しながら、私はリル達の遊ぶ光景を眺めた。

 

 子ども達はボール遊びをしていたが、いつまでも同じ遊びをしている訳でもなく、また一箇所で遊んでいる訳でもなかった。

 

 逃げたり追ったりしている内に、最初の遊びから大きく範囲が逸れてしまっている。

 

 子ども達はそれに気付いておらず、変な方向に行こうとしていると気付き、私は止めに入ろうと初めてその場から動いた。

 

 子ども達はボールを投げては避け、受けては投げ返し、を繰り返し……そんな遊びをしているものだから、周囲をまるで見ていなかった。

 

 だが、流石は地元に住んで長い事があって、自分達が何処に近付こうとしているか、私が声を掛ける前に気付いた。

 

「……おい、リル! そっちはマズい! もっとこっち来いよ!」

 

「んぅ? あっち? ダメなの?」

 

 逃げ回るのにも範囲があり、最初はそれを守っていた彼らだが、リルの運動能力に引っ張られてか、普段より大きな範囲で遊んだ様だ。

 

 それを今更ながらに気付いて、地元の子達は及び腰になっている。

 しかし、街について不勉強なリルは、緊張感もなく、ただ首を傾げていた。

 

「あぶないから、行っちゃいけないんだ。大人はみぃんな、そう言ってる」

 

「そうなんだ……」

 

 リルはボールを胸に抱きながら、路地の向こうを見つめていた。

 しかし、危ないと言われても、見えている範囲に危険そうなものはない。

 

 薄暗くはあるが、森の様に視界を遮る程でもなく、危険な魔獣が潜んでいそうにもない。

 

 リルにとって、危険とはそういうものであって、路地の向こうに潜む何かが想像出来ていなかった。

 

 そこに私が横に付いて、リルの肩に手を置く。

 一心に見つめていたリルは、そこでようやく私の存在に気が付いた。

 

「あっ、お母さん!」

 

「ほら、お友だちも言っているだろう? こっちは近寄っちゃ駄目だ」

 

「どうして? なにがあるの?」

 

「この先にはスラムがある」

 

 そう説明しても、今のリルには分からない。

 やはり首を傾げて、しげしげと路地の向こうを眺めるだけだ。

 

 他の子ども達は、親からよくよく注意されているのか、スラムを知っていて近寄ろうともしない。

 

 具体的なことを知ってか知らずか、強い忌避感を持っているのだ。

 そして、その教育は正しい。

 

 もしもボールが誤って入り込んでも、取りに行ってはならない。

 

 親を呼ぶか、それともボールは失くした事にした方が、よほど建設的なぐらいだ。

 

「ねぇ、お母さん。そのスライムがあると、どうしていっちゃダメなの?」

 

「スラムね、スラム。貧しい人たちが住む区画の事だよ」

 

「くかく……」

 

 実施に、この路地に入った瞬間、スラムになっている訳ではない。

 仮にそうなら、子ども達をこんな近くで遊ばせないだろう。

 

 更に路地を一本渡ってからが、本格的なスラムだ。

 しかし、用心に用心を重ねたら、このぐらいの距離から警戒するぐらいで良い。

 

「その、まずしいひと……がいると、どうしてダメなの?」

 

「単純に、危険だからだよ。お金がないとね、心に余裕がなくなる。物が手に入らないから、奪って手に入れようとする。帽子や靴、着ている物全て取られてもおかしくないし……、リルもそんなのは嫌だろう?」

 

「……うん、イヤ」

 

 実際は、身ぐるみ全て剥がされるぐらいならマシな方で、もっと凄惨な目に遭う可能性がある。

 

 だが、そんな事まで今は教える必要がないので、手を置いていた肩をくるりと回して、リルに回れ右させた。

 

「……さ、いい子だから、ここには近付かないでおこうね」

 

「うん。……でも、なんで?」

 

「何でって?」

 

「なんで、そういうひとが、いるのかなぁ。なかよくできないの?」

 

「うぅん……。別に嫌がらせとかで、彼らもやってる訳じゃないからなぁ……」

 

 彼らは貧しいから、スラムに住むしかなくなった者達だ。

 家賃が格安だから、ここ以外に選択肢がない為に、スラム暮らしに甘じている。

 

 誰もがスラムを脱したいと、きっと思っている事だろう。

 

 スラムに住むというだけで、まともな職には就けないし、だから常に困窮していて、食べる物にすら困る生活になってしまうからだ。

 

 誰だってスラムから脱したいし、その為に働いているのに、日々の糧を得るだけで収入が消えていく。

 

 だから、抜け出そうにも抜け出せない、負のスパイラルに陥ってしまうのだ。

 

「生きようと思ったらね、清く正しく、と言っていられない事もあるからね。自分はどうであれ、子どもだけはと思って、犯罪に手を染める親もいる」

 

「かなしいね……」

 

「親の居ない子だって居るよ。生きる為に、腐り掛けの残飯を食べたり、盗みで生計を建てる子もいる。形振り構っていられないんだ」

 

 その子に咎がなくとも、病気で親を失くすとか、失業した事で他に行き場が無いなど、スラム暮らしになる理由は様々だ。

 

 そして、もしかしたらこのリルも、そうしてスラム暮らしをしていたかもしれないのだ。

 

 もしもリルの母親(ニコレーナ)が私と出会わず――。

 そしてもし、産み落とす事だけは叶っていたら――。

 

 そのまま捨てられ、親のない境遇で育っていただろう。

 孤児院で暮らす子も多いが、馴染めず飛び出す子もいる。

 

 誰の助けもなく、独りで生きていこうとするのだが、力の弱い子どもは大人に体よく利用されるだけだ。

 

 いつだって、スラムで暮らす子どもを利用する、しょうもない悪党はいる。

 

 ただし、この街ではエルトークス商会が街の裏側を牛耳っているので、そう悪いことにはなっていない筈だった。

 

 そうはいっても、慈善団体とは違うので、少々の炊き出しくらいが精々で、スラムの住人全員の世話をしている、という訳でもない。

 

 そこから先は行政の仕事で、そして領主の仕事だった。

 弱者救済はいつの世でも、権力者の仕事と決まっている。

 

 リルは背中越しに路地の先を見つめて、それから上目遣いに言った。

 

「ねぇ、お母さん……。どうにかできない?」

 

「どうにかしてやりたい気持ちは、お母さんも山々だけどね……」

 

 もしも私が赤子のリルを引き取らず、そして今スラム暮らしをしていると分かったら、きっとそこから救い出していただろう。

 

 しかし、私が手を伸ばせる範囲には限りがあり、その人数にも限りがある。

 何より、積極的に救う意志もない。

 

 彼らの境遇には同情するが、その全てを救う事など、私には出来ないのだった。

 

「残念だけど、お母さんにも出来ない事はある。見て見ぬ振りとは違うけど……でも、手を出せない事もあるんだよ」

 

「んぅ……、そうなんだ……」

 

 リルは頷きつつも、どこか納得してない様子だった。

 

 何かお願いすれば、私が即座に叶えてくれると思っていたからかもしれないが、残念ながら万能とは程遠い存在だ。

 

「……さ、お友だちが待ってるよ。行ってあげなさい」

 

「お母さんも!」

 

「うん? お母さんが混ざったら台無しだろう。気にせず遊んで良いんだよ」

 

「んぅ、でも……」

 

 言い合っている間に、痺れを切らしたモンティが不満そうに声を上げた。

 

「リル、早くしろよー! そっち行っちゃ、イケナイんだぞ!」

 

「でもボク、おなかへっちゃった……」

 

「あ、アタシも……」

 

 他の二人、ヘイトとミーナはお腹を抑えて言った。

 まだまだ育ち盛りの子ども達は、少し運動すれば、お腹が空いても仕方がない。

 

 私はリルの肩を揺すり、ついでに訊いてみた。

 

「リルは? リルはお腹空いてない?」

 

「んぅ……、ちょっとだけ……」

 

 言った傍からお腹が鳴って、私はつい笑ってしまった。

 

「お腹は正直だね。どうせなら、これから少し何か食べに行こうか。まだ夕食には早い時間だけど、間食するには遅すぎない時間だ」

 

 私の提案にリルは嬉しそうに頷き、そして他の子ども達は羨ましそうな視線を送って来た。

 

 だが最初から、他の三人を蔑ろにしようとは考えていない。

 まだまだ遊びたいだろうし、リルだけを引き抜くのは心苦しいと思っていた所だ。

 

「皆も一緒にどうだい? 簡単につまめる屋台で、何か食べようじゃないか」

 

「ほんとっ!?」

 

「いいの?」

 

「勿論だ、高い物でもないしね」

 

「へへっ、やった!」

 

 誰よりモンティが一番喜んでいて、ミーナとヘイトは慎ましやかに喜んでいた。

 

 この街なら屋台は何処にでもあって、市場に行くまでもなく、簡単な軽食ならあり付ける。

 

 私は子ども四人を引率しながら、スラムとは真逆の、日の当たる方向へと歩いて行った。

 

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