混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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騙し合いと追いかけっこ その7

 馬車を追い抜いて走り去るリルを見て、驚きながら振り返る人が多く見られた。

 常識的な人間なら、まず、あぁした事はしない。

 

 同じ事は魔術士や、力ある冒険者なども出来る事だが、彼らには社会通念場の常識が備わっている。

 

 捕り物でもない限り、馬鹿みたいな速度で走ったりはしないのだ。

 

 滅多に見られるものではないので、一般人からすると十分に驚きに値するものだった。

 

 それが小さな子どもとなれば、尚の事である。

 彼らが目を見張るのは、そうした理由も多分にあった。

 

 何しろ、六歳と言えば、まだ満足に訓練も受けていない年頃だ。

 獣人と言えど規格外のスピードに、目を見張るのは当然だった。

 

 そちらに注目が集まっている内に、私も自分に隠蔽の魔術を掛けて、周囲から姿を隠す。

 

 そうして走る速度を上げると、一気に距離を詰めようとした。

 とはいえ、目的地はスラムの奥だ。

 

 道が入れ組んでいるだけでなく、廃材を利用して作ったと思われる掘っ立て小屋があったりと、道そのものが狭くなっていた。

 

 場所によっては完全に塞いでしまっている所もあり、直線上に進めない方が多かった。

 

「私もスラムの地理までは詳しくないからな……」

 

 しかも、毎年の様にスラム街の道は変化する。

 

 誰かが住み着き、また誰かが居なくなったりで、掘っ立て小屋は入れ代わり立ち代わり作り直される。

 

 去年までは通れた道が塞がっていたり、またその逆があったりと、そこに住まう人間ではなければ、到底把握できる事ではなかった。

 

「位置だけ分かっていても、これじゃあな……」

 

 先回りしようとしても、走りづらくて仕方がない。

 

 道が塞がれていようとも、跳び越えて進めば良いだけだが、破壊してまで進むのは流石に可哀想だ。

 

 だから慎重に進むしかないのだが、それが追跡の遅れとなっていた。

 

 最終的に何処へ隠れるつもりか、当たりを付けて先回りしていたのに、全く追い付けていない。

 

 それどころか、愚直に進むリルと横合いから合流する始末だった。

 

「あっ、お母さん!」

 

 隠蔽していても、魔術適応にはリルを除外しているから、こちらを見てすぐに分かる。

 

 そのリルの横に付いて、一緒に走りながら尋ねた。

 

「大丈夫? 疲れてない?」

 

「へいきだよっ!」

 

 走る速度は最初の頃と違って、大分緩やかになっていた。

 だとしても、その速度が常人を遥かに凌ぐのは間違いない。

 

 長い距離を走り慣れていないからか、それとも見失ってしまったからか、ペースを落として走っていた。

 

「お母さんも、いっしょにはしるの?」

 

「うん、リルが困ってないかと思って」

 

「んひひ! お母さんといっしょにはしるの、たのしい!」

 

「目的が違ってきてるじゃないか、それじゃあ……」

 

 リルは最早、盗人の事など気にも留めていない。

 ただ一緒に走るのが楽しくて仕方がない、と言った感じだ。

 

 基本的に森の中で、一緒に走る事は非常に珍しいから、リルが喜ぶのも分かるのだが――。

 

 それより今は、盗人の方に集中して欲しかった。

 

 私は掘っ立て小屋を蹴飛ばさないよう、リルにも注意させながら、前方の一点を指差す。

 

「――ほら、右。気を付けて。あぁいう見た目でも、他人にとっても立派な家だからね。それより、アッチだ」

 

「んぅ? なんか、ひといっぱい!」

 

 爆走して直進する何者かの存在は、既にスラムの住人にも知られた様で、こちらを見ては剣呑な視線を向けていた。

 

 中には、明らかに物騒な物を持ち出している者までいる。

 

 武器というほど上等なものではないが、人を殺傷できる程度の手入れもされていない、刃こぼれした剣を持っている。

 

「既にここを通過した盗人が、助けを求めた可能性もある。今度はあぁいうのも、躱して行かなければならないよ」

 

「このみち、まっすぐでいいの?」

 

「今のところはね」

 

「そっか!」

 

 母の言葉を疑わないリルは、楽しそうに頷いて速度を上げる。

 

 振りかぶった剣をスライディングで躱し、滑走しながら通り過ぎ、跳ねるように飛び上がって、体勢を維持しながら走り去った。

 

 続いて身体ごと止めようと飛び出して来た相手には、そのまま頭突きをして吹き飛ばす。

 

 小柄なリルとは思えない衝撃で吹き飛んで、後ろに控えていた男たちを纏めて倒してしまった。

 

「いいぞ、リル。上手いことやったな」

 

「んへへ……! ナナがね、やれっていったの!」

 

 そういえば、リルには優秀なアドバイザーが付いているんだった。

 

 今のは下手をすると殺し兼ねない攻撃だったが、ナナのサポートがあればこそ、上手く回避した上で無力化出来ていたのかもしれない。

 

「でもね、お母さん! なんかリル、へんなの!」

 

「あぁ、もしかして……。上手く走れない?」

 

「そう!」

 

 それはリルからすると、当然の違和感だろう。

 何しろ、今の今まで、森以外でまともに身体を動かした事などなかったのだから。

 

 常に濃すぎるマナから圧迫され、それから身を守る運用法に慣れているリルからすると、薄い地域でその齟齬が生まれてしまうのだ。

 

 既に染み付いてしまった運用法を、適宜切り替えて使うのは大変難しい。

 だが今は、私がサポートすることで、少しはマシに使える筈だ。

 

「――あっ!」

 

 そのサポートをしようと手を近付けた瞬間、リルが声を上げた。

 指差す前方では、逃げ去ったあの黒い猫獣人の背中が見える。

 

 後ろを振り返って立ち止まった姿勢で、リルの薙ぎ倒した光景に驚愕する表情まで、鮮明に見えた。

 

「みーつっけた!」

 

 並走しながら指を一本立てて、手を伸ばした。

 今更ながら、立ち止まった事を後悔する表情で、再び走り出す。

 

 だが、既に射程圏内だ。

 リルの速度からは逃げられまい。

 

 そう思った矢先、猫獣人の身軽さを発揮して、掘っ立て小屋に乗っかり、それを足場に跳躍した。

 

 そこから更に壁を左、右、左と蹴り上がり、屋根の上まで到達する。

 こちらを見下ろすその表情には、勝ち誇ったものが浮かんでいた。

 

「んぅ……! どうしよう、お母さん!」

 

「大丈夫、お母さんに任せておきなさい」

 

 そう言って、先程中断したマナの運用を手直ししてやる。

 

 普段、自分の守りに使って言える分を、より自由に使えるよう変換し、より強い身体能力を発揮できるようにさせた。

 

「……あれ? なんか、ヘン……! なんかすごく……、チカラが、うぅ〜……って!」

 

「マナの使い方に、少し変化を与えてあげただけだよ。慣れるとね、そういう切り替えがスムーズに出来るようになる」

 

「そうなんだ!」

 

 使える様になったのは、何も運動能力へ転換するだけではない。

 

 自由に使えるマナが増えたということは、精霊もまた力を発揮できるようになった、という事だ。

 

 リルが軽く膝を曲げたタイミングで、風が身体を纏って空気抵抗を低減させた。

 

 黒の猫獣人が、その身軽さを発揮して左右に蹴り上げた壁を、全てまるっと無視して、リルは一足飛びで屋根まで到着した。

 

「きゃっほ〜い!」

 

「何よ、それ!?」

 

 リル自身も驚ろいていたが、何より驚愕したのは猫獣人の方だった。

 身体を翻して逃げようとしたが、もう遅い。

 

 リルはその両肩に手を当てて、ガッシリと掴んで言った。

 

「つーかまーえたっ!」

 

「はなっ、離しなさいよっ! この……っ、馬鹿力!」

 

 猫獣人の暴れようは、凄まじいものだった。

 まさに獣そのもの、と言った暴れ様で、拘束から抜け出そうと身体を捻っている。

 

 その時には私も、隠蔽を解いて屋根へと上がっていて、指一本、その額に指して動きを止めた。

 

「勝負ありだ。負けを認めないと、更にみっともないことになるぞ」

 

「う、あ……」

 

 別に殺気を込めた訳でもないが、突如現れた私という存在に、猫獣人は顔を青くさせて抵抗を止めた。

 

 身体は硬直し、そして僅かに震えている。

 

 黒髪を無造作に伸ばして、適当にナイフで切った様な髪型だった。

 長過ぎると邪魔だから、自分で切ったりしたのだろう。

 

 髪は当然として、身体も土と埃で汚れていて、身に纏った襤褸は更に酷い。

 悪臭も漂い、今更それに気付いたリルが鼻を摘んでいた。

 

「盗んだ物を返すんだ。そうしたらお前も、無事に帰してやる」

 

「あ、あぁ……」

 

 呻くように返事して、素直に懐からリルの財布を取り出す。

 私はそれを受け取って、中身が入っている事を確認してから、リルに返した。

 

 上手いことをするやつは、逃げている間に中身をすり替えていたりする。

 

 取り返したと思って確認すると、中に石しか入ってない、ということも、実はありふれているのだった。

 

「やった! リルのおかね!」

 

 素直に喜び頭上で掲げ、くるくると回ってから、窺うように猫獣人の後ろから顔を伸ばす。

 

「ね、いっしょにたべよ! いっしょにあそんだから、リルとおともだち! ね、いいでしょ?」

 

 屈託なく笑うリルは、全くの無邪気な気持ちで言ったのだ。

 しかし、それが彼女の逆鱗に触れたらしい。

 

 私が指を下ろしていた事もあって、思い切り感情をぶつけた視線を向ける。

 嫉妬、屈辱、羨望……。

 

 様々なものを入り混ぜながら、リルの伸ばした手を引っ叩く。

 屋根の上で、パァンという、乾いた音が響き渡った。

 

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