混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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憐憫と救済 その1

 マジェンダは拘束から解き放たれ落とされた後、すぐに立ち上がろうとはしなかった。

 

 震えた身体で周囲を見回し、様子を窺っている。

 

 彼女は明らかに、周囲から何を思われているかを恐れていて、許しを請う様な視線を向けていた。

 

 それも仕方がない。

 スラムでは一種の不文律が、強固な戒めとして形作っている。

 

 スラムで生きる者同士、協力しなければ生きていけず、彼らから見捨てられたら、明日の食い扶持にすら困るだろう。

 

 そしてどう見ても、今回の一件でマジェンダは、手を出してはいけない相手を対象とした。

 

 それに巻き込まれるのは誰もが御免だと考えるし、そうとなれば、結果は見えた様なものだった。

 

 マジェンダはまだ十二歳前後に見えるし、栄養がろくに取れていないからか、身体は非常に細い。

 

 発育が悪いのはどうしようもなく、だからもしかすると、もう少し年上なのかもしれなかった。

 

 私はとりあえず、マジェンダに声を掛けようとしたのだが、その時、周囲が俄に騒がしくなる。

 

 人垣の一部が押し合い()し合いして、大きく乱れた。

 

 怒鳴る声も聞こえて、その声に押されるようにして割れると、そこからは見慣れた顔が姿を現した。

 

「おい、退け! 退けってんだ、テメェら! 通れねぇだろうが!」

 

「……ボレホか」

 

「姐さん……! あぁ、くそっ……! 最悪だ……!」

 

 私の目付け役として貧乏くじを引かされていた男が、頭を掻き毟って吠えた。

 

「テメェ、何してくれてんだ! 誰に手ェだしたのか、分かってんだろうな!?」

 

「う……、ぁぅ……!」

 

 マジェンダは声もろくに出せない。

 ただ震え、涙目でボレホを見返すだけだった。

 

 しかし、私が何者かなど知らなかったのは明白で、先程口にした言い訳も事実だったろう。

 

 エルトークスが全力で気に掛ける相手を、スラムの住人が粉を掛けるなど、本来するべきではないのだ。

 

 その時、少し遅れてボレホの取り巻きがやって来た。

 

 スラムの住人達をこの場から遠ざけ様としているのだが、この状況の成り行きを見たい者などが抵抗している。

 

「ボスに何て報告したら……! いや、その前に!」

 

 ボレホは頭から手を離して、周りの野次馬達を睨み付け、唾を飛ばす勢いでまくし立てた。

 

「えぇい、散れ、お前ら! 散らねぇか! 散らねぇってんなら、この責任を今いる全員に回してやっても良いんだぞ!?」

 

 そう言われたら、彼らも暢気に見ていられない。

 粟を食った様に走り出し、あっという間に三々五々へと散って行った。

 

 しかし、その中で、むしろ逆にこちらへ迫って来る者もいる。

 まだ小さな少年で、マジェンダと同じく黒髪の猫獣人だった。

 

「やめろぉぉ……!」

 

 恐らく、年齡は十歳未満。

 身長だけ見るとリルとそう変わらない様だが、痩せぎすな上に肋骨が浮いている。

 

 栄養状態は最悪で、髪や肌の汚れ、襤褸の様な衣服まで、マジェンダと良く似通っていた。

 

 姉という言葉を出さずとも、それが姉弟だとすぐに分かる風体をしていた。

 

「やめろ! 姉ちゃんをイジメるな!」

 

「ジャムス! やめな、来るんじゃない!」

 

 マジェンダは咄嗟に止めたが、ジェムスと呼ばれた小さな男の子は、むしろ勢いを強めて駆けてきた。

 

 そうして、マジェンダの前に立ち塞がり、両手を広げて彼女を庇った。

 

「姉ちゃんは悪くない! 姉ちゃんをイジメるな!」

 

「悪くねぇわきゃねぇだろッ、このガキ! テメェの姉貴が何したか、オメェ分かってねぇだけだ!」

 

「知るもんか! 姉ちゃんは悪くないんだ!」

 

「ガキはこれだから……!」

 

 ボレホは唾を吐いて一歩踏み出し、拳を振り上げようとする。

 だが、その前にマジェンダが逆に、ジャムスを抱きしめて胸の内へ庇った。

 

「この子は何も分かってないんだ、それだけなんだ! 許してやって! 謝るから!」

 

「謝るだけで済んだらなぁ……! それで済んだら、俺だってこんな事しちゃいねぇよ! だがよ、手を出しちゃいけねぇ相手ってのはいるんだ! ケジメを付けなきゃいけねぇ相手ってのがな!」

 

 いつだか見たボレホを見れば、子ども好きなのだと分かる。

 

 実際に兄弟を持っていそうだし、近所の子どもの面倒を、頻繁に見ていたりしているのかもしれない。

 

 だから、この幼い兄弟に、何等かの処罰を加えるのは、きっと不本意なのだろう。

 だが、今言ったように、怒らせてはいけない相手という者がいる。

 

 私を離れて護衛しているのも、その怒りをエルトークス商会に向けさせない為だ。

 リルの一件があったから、尚の事それについてはナーバスになっている。

 

 だというのに、今回また、そのリルを中心として被害に遭ったのだ。

 スラムはエルトークスの管轄だ。

 

 そこで起こした問題は、当然エルトークスの責任という事になる。

 私からの怒りを少しでも抑える為には、見せしめだって必要だと考えるだろう。

 

 だが、その時リルが、私の腕の中で不安気に声を上げた。

 その視線を見れば、どうして欲しいかなど明らかだった。

 

「お母さん……」

 

「大丈夫、お母さんに任せておきなさい」

 

 元から私は、大袈裟な事にしようなどと考えていなかった。

 そのつもりがあったら、リルに追い掛けさせるより早く、自ら捕獲している。

 

 リルから財布を奪い取った時点で身柄を拘束し、さっきやった様に空中で固定させていただろう。

 

 リルに学びを与えるつもりでの打算だったが――。

 より大事になってしまって、反省しているぐらいだった。

 

 一応考えた結果だったが、文字の読み書きの様には上手くいかない。

 

 予定通りの着地点にならず、人が絡むと予想外の方向に傾くという良い見本になってしまった。

 

「……なぁ、ボレホ」

 

「はいッ、姐さん!」

 

 私がそろりと声を掛ければ、ボレホは背筋を正して拳を下ろす。

 後ろにいた取り巻き達も同様で、肩を上げた、少し不自然な体勢で直立した。

 

「この件で、私は問題を大きくしたくないんだ。それにまだ幼い、子どものやった事だ。そう煩く言う必要もないだろう」

 

「しかし……」

 

「勿論、そちらの不手際だと言うつもりもない。別に殴り込みにも行かないし、お前達はよくやってくれた、と申し伝えてやっても良い」

 

「え、そうなんスか……?」

 

 自分達に飛び火しないと分かれば、途端に態度が軟化した。

 

 現金なものだが、ボレホなり、エルトークスが躍起になったのは、実際にそれが理由なので、根っこを取り除いてしまえばこんなものだ。

 

「盗まれた物も取り返したしな。だから後は、こっちとこの子……マジェンダとの問題だな」

 

「ってこたぁ、一切関与しなくて良いし、させるつもりもないって事で……?」

 

「そう言ってる」

 

 私が断言すると、ボレホは大きく安堵の息を吐く。

 そうすると、後ろの取り巻き達に手を振って、一足先に帰らせた。

 

「そういう事でしたら……。それじゃあ、俺らもこの辺で……」

 

 ペコペコと頭を下げて去ろうとした時、私はその背に声を掛ける。

 

「いや、ちょっと待て」

 

 ビクリと硬直し、立ち止まったボレホは、魔獣の存在でも確かめるように振り向いた。

 

「何でしょう……?」

 

「お前達の尾行は、余りにもお粗末過ぎるな。もうちょっと、どうにかしろ」

 

「あぁ、えぇ……はい。すんません……」

 

「陰ながらって意図は理解できるが、それで出し抜かれてちゃ仕方ないだろ。……実際、このマジェンダって子は、見るべき所があるけどな」

 

「いや、俺は素人なもんで……」

 

 そうだろうな、という感想しか出てこない。

 彼らは別に要人警護など、そうした職業には付いていなかった。

 

 商会の会頭を守ったりはするが、周囲を威嚇し、威圧するのが主な仕事だから、荒事に長けてはいても、尾行めいた仕事は下手くそなのだ。

 

 私がシッシと手を振ると、ボレホは大きく腰を曲げ、一礼して逃げる様に去る。

 そうして後には、今も変わらず威嚇する小さな騎士と、その姉が残された。

 

 他には誰も居らず、ジャムスを掻き抱いたマジェンダは、必死に頭を下げる。

 

「ごめんよ、弟は悪くないんだ! まだ分別が付いてないだけで、アタシの方から良く言い聞かせておくから!」

 

「分かってる。まさに、そんな感じだな」

 

 私が苦笑しながら言うと、そこで初めてマジェンダは顔を上げた。

 そして、そこに僅かながらの期待が浮かんでいた。

 

 このまま無事に帰してくれるかも、と希望の瞳を向けている。

 私はリルを腕から下ろし、視線を合わせやすくしてやってから続けた。

 

「最初に言ったように、大袈裟にするつもりはなかった。ただ財布を取り戻したいだけだったし、それにきちんと謝らせるつもりで追い掛けた」

 

「謝らせる……?」

 

 困惑して眉根を寄せたマジェンダに、リルが笑って頷いた。

 

「お母さんね、ワルいことしたら、ちゃんとゴメンなさい、しなさいって、いつもいうよ。それでね、ちゃんとあやまったら、いっぱいほめてくれるの」

 

「謝る……か」

 

「姉ちゃんは悪くない!」

 

 尚も言い募るジャムスを、流石にマジェンダは叱りつけた。

 

「こんな時に、そんなこと言うんじゃないの! 謝ったら許してくれるって言うんなら、幾らでも謝るさ!」

 

「そうだ、それが常識だ。そして、それが最低限の礼儀だ」

 

 リルの学びとして、最低限何か得るものがなければ、ここまでした意味もない。

 

 想定とは大分違った方向へ行ってしまったが、リルが自分だけではなく、他の誰もが悪いことをしたら謝るもの、と認識してくれたら嬉しい。

 

 だが、それでも尚、ジャムスは頑ななまでに言い募った。

 

「姉ちゃんは悪くないんだ! 悪くない!」

 

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