ジャムスは同じ事をただ繰り返し、まるで要領を得ないように見えた。
しかし、直後にそうではないと悟る。
ただ頑なに現実を認められないのではなく、確固たる信念のもとに言っているのだと、その強い瞳が訴えていた。
「姉は悪くない、か……。どうしてだ?」
「うちにカネがないからだよ!」
「それは正当化する理由にはならないな」
貧乏なのだから、盗むのも仕方がない――。
その言い分を許したら、治安は悪化を辿るだけだ。
可哀想だとは思うし、不憫とも思うが、到底認められない主張だった。
「……親は居ないのか? それとも、呑んだくれが稼ぎを、全て酒に変えてしまうか」
「いるさ! 酒なんか飲まない! 母ちゃんは病気なんだ!」
「あぁ……」
これは済まない事を訊いた。
病に伏せって働けず、だから家計は火の車、という事だろう。
母の名前だけを出したところを見ると、当然父は家に居らず、そしてだからこそ、スラムに住んでいるのかもしれない。
「子どもが禄に仕事なんて貰えるもんか! でも、それでも母ちゃんを助けてやりたいから、姉ちゃんはやりたくない事だってしたんだよ!」
「なるほど……」
情状酌量の余地はある。それは確かだ。
弱者救済の制度がないから、こうした者達は犯罪に手を染めるしかなかった。
それも間違いないが、だからと言って、被害者が泣き寝入りするのを許せ、というのも間違いだ。
「事情は分かった。だから、私は許してやる」
「え……、いいの?」
これは姉のマジェンダの口から放たれた。
よほど酷い目に遭わされると思っていたのか、私の裁定にポカンとした顔を晒している。
「母と弟を食わせる為の悪事だったなら、私が苛烈な罰を下す訳にもいかないだろう。――ただし」
私はここで一度言葉を区切り、語気を強めて言い渡す。
「もう、やるな。お前がやって来た回数までは知らないが、ろくな事にならないぞ」
「……う、うん」
「盗人は捕まれば、身体の目立つ所に焼印を入れられる。大抵は肩だったり腕だったり、少し服を捲れば分かる所だ。一つでも入れられたら、社会的に相当拙い立場に置かれる」
「……お母さん、それって……どうなっちゃうの?」
リルに不安そうな瞳で尋ねられ、私はその肩をそっと抱き寄せながら応える。
「相手次第だが、物の売り買いはまず絶望的だ。商売人の口は、音より速く伝わるなんて言うから、市場での買物は難しくなるだろう。そうでなければ、倍かそれ以上の値段で買わされる」
「ひどい……」
「幼い頃の過ちが、今後十年、二十年……延々に続くんだ。もう足を洗った、十年以上盗みはしてない。そんな言い訳は通用しない。焼印がある――ただそれだけで、信用に値しない、と見られるには十分なんだ」
マジェンダはそこまで考えていなかったのか、深刻そうな表情で固唾を呑んでいる。
「捕まえたのが、私で良かったな。逃げ切れたならそれでも良かったんだろうが、お前は運が良かったに過ぎないんだ。もしも、もっと厄介な別の誰かから盗んでいたら……。その時は、きっと焼印は免れなかったろう」
「うん……」
「えっとね、あの……」
リルがもじもじと手元合わせながら、言葉を探し……しかし結局思い当たらず、意を決した様に言った。
「リル、このおサイフ、あげもいいよ! おなかいっぱい、たべてもらいたいもん! リルはお母さんがつくってくれるから、ゼンゼンへいき……」
「――要らないよ」
リルとしては、完全な善意として言ったのだろうが、しかし返って来たのは強固な拒絶だった。
マジェンダは憎々しい視線を向けたものの、すぐに私から咎めるものを受け取って、その視線を逸らす。
だが、視線は逸らしても、自身の信念までは曲げなかった。
「同情でカネを受け取れるもんか。それを受け取ったら、アタシは駄目になる」
「え……、なんで? おなか、すいてるんでしょ? リルはさっき、たべたし……」
「そう言う事じゃないんだよ、お嬢ちゃん。同情で受け取るカネは、アタシの尊厳を切り崩すんだ。受け取る度に、少しずつ……ちょっとずつ……でも、確実にね。最後には同情でカネを受け取る事を当然だと思うだろうし、くれない奴には腹を立てる様になる。……そんなのに、アタシはなりたくないだけ」
自身の決意を吐露すると共に、マジェンダは弟を強く抱き締める。
「誇りじゃメシは食えないさ。それはそうだ。だから、あんな事した。でも、最後の一片まで誇りを失くしちまったら、そんなのは獣も同然だ。そんなのは嫌だ。嫌なんだよ……」
「姉ちゃん……」
「お前は誇りある男になるんだ。汚い仕事は姉ちゃんに任せな」
「オレ……、でも……やっぱりヤだよ。姉ちゃんがオレのせいで……。仕方ないって言っても、オレ……」
「良いんだよ。今は姉ちゃんしか、やれるのが居ないんだから。姉ちゃんしか……」
その目は正に、追い詰められた獣そのものだった。
今回の一件で懲りたとは思うが、他の仕事にあり就けられなければ、やはり犯罪に手を染めるだろう。
まだ幼い弟と病気の母を養う為には、それしかないと決めたら実行する、その覚悟が見え隠れしている。
それをリルも感じ取ったのだろうか。
何かしてやりたい、とその瞳が訴えていた。
「お母さん……。どうしたら、これもらってくれるかなぁ?」
手の中に収まった財布の袋を、所在なさげに弄り、リルは真っ直ぐに見つめて来た。
しかし、そうは言われても、私も困ってしまう。
納得して受け取って貰う方法があるとは思えないし、理屈を述べたところでマジェンダは頷いたりしないだろう。
それに――。
「そのお金を受け取らせてもね、余り意味はないんだよ」
「……どうして?」
「そのお金を使っても、三日分くらいの食費にしかならないからさ。切り詰めても五日が精々……。リルはあいつらを助けてやりたいと思っているんだろう? その気持は立派だけど、それじゃあ助けた事にはならないよ」
ほんの一時、飢えを凌ぐ事は出来る。
だが、五日の間、食事に困らないだけが、一体何の助けになるだろう。
子どもが碌な仕事に付けないのは本当で、仮に付けても低賃金だ。
三人分の食費を賄うのは、決して簡単な事ではない。
「それに、母親の病気の事もある。癒者に診て貰える金、薬に掛かる金は、食費よりも大きい。正攻法では生きていけない」
「そうさ……、だから……」
苦渋に塗れた表情で、マジェンダが頷く。
だが、何も私は、それを肯定したくて言ったのではなかった。
「でも、お前が捕まったら、今度は誰が家族の面倒を見るんだ? 病に伏せた母と、痩せた弟で、これからどうやって生きて行くんだ」
焼印の一つだけで済むのは、最初の一回だけだ。
次は苛烈な制裁が待っている。
手を出した相手、手を出した物品次第では、最初から制裁を加えた上で焼印もあり得た。
相手次第ではそうなるだろうし、一度に大金を得ようと思ったら、その手を出す相手も限られて来る。
もしも貴族や豪商から奪ったら、片手を斬り落とされる事さえ視野に入れねばならなかった。
「お前は相当危険な橋を渡っていたのだと、まず自覚しなければならない。スラムは無法地帯であるのは確かだが、スラムの敵に対しては団結する。それは外だけではなく、時に内側へも向くんだ。厄介で邪魔だと、お前の家族が思われたら、平気で切り捨てるだろう」
追われるマジェンダを庇い、追う私を攻撃した時などが、正にそれだ。
そしてエルトークスの庇護下にあると知った途端、敵意など微塵に消えていた。
あのまま話が進んでいたら、マジェンダを差し出して事態を解決しようとしたのは、疑いようがなかった。
「でも、だったらどうしたらいいの、アタシ達……」
――そこまでは知らん、と言い切れたら、どれだけ良かったか。
助ける義理などないのだが、リルは強く憐憫を感じていて、どうにかして欲しい、とその目が強く訴えかけている。
「ねぇ、お母さん。リル、たすけてあげたい。おカネ、いっぱいあったらいい? パンとか、いっぱいもってくる?」
「与えること、施すだけでは、助けた事にならないよ。本当に助けたいならね、パンを与えるのではなく、パンを得られる方法を与えてやらなくちゃいけない」
私はリルの頭を撫でながら、汚い路地の間、そして続く路地の奥へと視線を移す。
その光景を見るともなく見つめ、考えた。
だが、都合よく天からポンと、救済する手段など降って来る訳がない。
あるのならば、とっくに領主がやっているだろう。
「それはね、パンを与える事よりも、ずっと大変で難しい事なんだ」
「でも、どうにかしてあげたい……」
「そうか……。してあげたいか……」
スラムの存在は統治者にとって、いつでも頭の痛い問題の種であり、そして失くしたいと思っている歪だ。
治安の悪化、その一つだけ見ても、スラムの存在は邪魔でしかない。
犯罪者の巣窟ではあるが、救われるべき弱者が住まうのも事実なのだ。
私は一つ息を吐くと、リルの肩を抱いて踵を返す。
そうして、背中越しに宣言した。
「リルの頼みだ、何とかしてみよう。少しの間、辛抱していろ」