混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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憐憫と救済 その2

 ジャムスは同じ事をただ繰り返し、まるで要領を得ないように見えた。

 しかし、直後にそうではないと悟る。

 

 ただ頑なに現実を認められないのではなく、確固たる信念のもとに言っているのだと、その強い瞳が訴えていた。

 

「姉は悪くない、か……。どうしてだ?」

 

「うちにカネがないからだよ!」

 

「それは正当化する理由にはならないな」

 

 貧乏なのだから、盗むのも仕方がない――。

 その言い分を許したら、治安は悪化を辿るだけだ。

 

 可哀想だとは思うし、不憫とも思うが、到底認められない主張だった。

 

「……親は居ないのか? それとも、呑んだくれが稼ぎを、全て酒に変えてしまうか」

 

「いるさ! 酒なんか飲まない! 母ちゃんは病気なんだ!」

 

「あぁ……」

 

 これは済まない事を訊いた。

 病に伏せって働けず、だから家計は火の車、という事だろう。

 

 母の名前だけを出したところを見ると、当然父は家に居らず、そしてだからこそ、スラムに住んでいるのかもしれない。

 

「子どもが禄に仕事なんて貰えるもんか! でも、それでも母ちゃんを助けてやりたいから、姉ちゃんはやりたくない事だってしたんだよ!」

 

「なるほど……」

 

 情状酌量の余地はある。それは確かだ。

 弱者救済の制度がないから、こうした者達は犯罪に手を染めるしかなかった。

 

 それも間違いないが、だからと言って、被害者が泣き寝入りするのを許せ、というのも間違いだ。

 

「事情は分かった。だから、私は許してやる」

 

「え……、いいの?」

 

 これは姉のマジェンダの口から放たれた。

 よほど酷い目に遭わされると思っていたのか、私の裁定にポカンとした顔を晒している。

 

「母と弟を食わせる為の悪事だったなら、私が苛烈な罰を下す訳にもいかないだろう。――ただし」

 

 私はここで一度言葉を区切り、語気を強めて言い渡す。

 

「もう、やるな。お前がやって来た回数までは知らないが、ろくな事にならないぞ」

 

「……う、うん」

 

「盗人は捕まれば、身体の目立つ所に焼印を入れられる。大抵は肩だったり腕だったり、少し服を捲れば分かる所だ。一つでも入れられたら、社会的に相当拙い立場に置かれる」

 

「……お母さん、それって……どうなっちゃうの?」

 

 リルに不安そうな瞳で尋ねられ、私はその肩をそっと抱き寄せながら応える。

 

「相手次第だが、物の売り買いはまず絶望的だ。商売人の口は、音より速く伝わるなんて言うから、市場での買物は難しくなるだろう。そうでなければ、倍かそれ以上の値段で買わされる」

 

「ひどい……」

 

「幼い頃の過ちが、今後十年、二十年……延々に続くんだ。もう足を洗った、十年以上盗みはしてない。そんな言い訳は通用しない。焼印がある――ただそれだけで、信用に値しない、と見られるには十分なんだ」

 

 マジェンダはそこまで考えていなかったのか、深刻そうな表情で固唾を呑んでいる。

 

「捕まえたのが、私で良かったな。逃げ切れたならそれでも良かったんだろうが、お前は運が良かったに過ぎないんだ。もしも、もっと厄介な別の誰かから盗んでいたら……。その時は、きっと焼印は免れなかったろう」

 

「うん……」

 

「えっとね、あの……」

 

 リルがもじもじと手元合わせながら、言葉を探し……しかし結局思い当たらず、意を決した様に言った。

 

「リル、このおサイフ、あげもいいよ! おなかいっぱい、たべてもらいたいもん! リルはお母さんがつくってくれるから、ゼンゼンへいき……」

 

「――要らないよ」

 

 リルとしては、完全な善意として言ったのだろうが、しかし返って来たのは強固な拒絶だった。

 

 マジェンダは憎々しい視線を向けたものの、すぐに私から咎めるものを受け取って、その視線を逸らす。

 

 だが、視線は逸らしても、自身の信念までは曲げなかった。

 

「同情でカネを受け取れるもんか。それを受け取ったら、アタシは駄目になる」

 

「え……、なんで? おなか、すいてるんでしょ? リルはさっき、たべたし……」

 

「そう言う事じゃないんだよ、お嬢ちゃん。同情で受け取るカネは、アタシの尊厳を切り崩すんだ。受け取る度に、少しずつ……ちょっとずつ……でも、確実にね。最後には同情でカネを受け取る事を当然だと思うだろうし、くれない奴には腹を立てる様になる。……そんなのに、アタシはなりたくないだけ」

 

 自身の決意を吐露すると共に、マジェンダは弟を強く抱き締める。

 

「誇りじゃメシは食えないさ。それはそうだ。だから、あんな事した。でも、最後の一片まで誇りを失くしちまったら、そんなのは獣も同然だ。そんなのは嫌だ。嫌なんだよ……」

 

「姉ちゃん……」

 

「お前は誇りある男になるんだ。汚い仕事は姉ちゃんに任せな」

 

「オレ……、でも……やっぱりヤだよ。姉ちゃんがオレのせいで……。仕方ないって言っても、オレ……」

 

「良いんだよ。今は姉ちゃんしか、やれるのが居ないんだから。姉ちゃんしか……」

 

 その目は正に、追い詰められた獣そのものだった。

 

 今回の一件で懲りたとは思うが、他の仕事にあり就けられなければ、やはり犯罪に手を染めるだろう。

 

 まだ幼い弟と病気の母を養う為には、それしかないと決めたら実行する、その覚悟が見え隠れしている。

 

 それをリルも感じ取ったのだろうか。

 何かしてやりたい、とその瞳が訴えていた。

 

「お母さん……。どうしたら、これもらってくれるかなぁ?」

 

 手の中に収まった財布の袋を、所在なさげに弄り、リルは真っ直ぐに見つめて来た。

 

 しかし、そうは言われても、私も困ってしまう。

 

 納得して受け取って貰う方法があるとは思えないし、理屈を述べたところでマジェンダは頷いたりしないだろう。

 

 それに――。

 

「そのお金を受け取らせてもね、余り意味はないんだよ」

 

「……どうして?」

 

「そのお金を使っても、三日分くらいの食費にしかならないからさ。切り詰めても五日が精々……。リルはあいつらを助けてやりたいと思っているんだろう? その気持は立派だけど、それじゃあ助けた事にはならないよ」

 

 ほんの一時、飢えを凌ぐ事は出来る。

 だが、五日の間、食事に困らないだけが、一体何の助けになるだろう。

 

 子どもが碌な仕事に付けないのは本当で、仮に付けても低賃金だ。

 三人分の食費を賄うのは、決して簡単な事ではない。

 

「それに、母親の病気の事もある。癒者に診て貰える金、薬に掛かる金は、食費よりも大きい。正攻法では生きていけない」

 

「そうさ……、だから……」

 

 苦渋に塗れた表情で、マジェンダが頷く。

 だが、何も私は、それを肯定したくて言ったのではなかった。

 

「でも、お前が捕まったら、今度は誰が家族の面倒を見るんだ? 病に伏せた母と、痩せた弟で、これからどうやって生きて行くんだ」

 

 焼印の一つだけで済むのは、最初の一回だけだ。

 次は苛烈な制裁が待っている。

 

 手を出した相手、手を出した物品次第では、最初から制裁を加えた上で焼印もあり得た。

 

 相手次第ではそうなるだろうし、一度に大金を得ようと思ったら、その手を出す相手も限られて来る。

 

 もしも貴族や豪商から奪ったら、片手を斬り落とされる事さえ視野に入れねばならなかった。

 

「お前は相当危険な橋を渡っていたのだと、まず自覚しなければならない。スラムは無法地帯であるのは確かだが、スラムの敵に対しては団結する。それは外だけではなく、時に内側へも向くんだ。厄介で邪魔だと、お前の家族が思われたら、平気で切り捨てるだろう」

 

 追われるマジェンダを庇い、追う私を攻撃した時などが、正にそれだ。

 そしてエルトークスの庇護下にあると知った途端、敵意など微塵に消えていた。

 

 あのまま話が進んでいたら、マジェンダを差し出して事態を解決しようとしたのは、疑いようがなかった。

 

「でも、だったらどうしたらいいの、アタシ達……」

 

 ――そこまでは知らん、と言い切れたら、どれだけ良かったか。

 

 助ける義理などないのだが、リルは強く憐憫を感じていて、どうにかして欲しい、とその目が強く訴えかけている。

 

「ねぇ、お母さん。リル、たすけてあげたい。おカネ、いっぱいあったらいい? パンとか、いっぱいもってくる?」

 

「与えること、施すだけでは、助けた事にならないよ。本当に助けたいならね、パンを与えるのではなく、パンを得られる方法を与えてやらなくちゃいけない」

 

 私はリルの頭を撫でながら、汚い路地の間、そして続く路地の奥へと視線を移す。

 その光景を見るともなく見つめ、考えた。

 

 だが、都合よく天からポンと、救済する手段など降って来る訳がない。

 あるのならば、とっくに領主がやっているだろう。

 

「それはね、パンを与える事よりも、ずっと大変で難しい事なんだ」

 

「でも、どうにかしてあげたい……」

 

「そうか……。してあげたいか……」

 

 スラムの存在は統治者にとって、いつでも頭の痛い問題の種であり、そして失くしたいと思っている歪だ。

 

 治安の悪化、その一つだけ見ても、スラムの存在は邪魔でしかない。

 犯罪者の巣窟ではあるが、救われるべき弱者が住まうのも事実なのだ。

 

 私は一つ息を吐くと、リルの肩を抱いて踵を返す。

 そうして、背中越しに宣言した。

 

「リルの頼みだ、何とかしてみよう。少しの間、辛抱していろ」

 

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