私がリルの手を取ってその足で向かった先は、ベントリーの店先だった。
急な来訪――それも大して間を置かず、本日二度目の来訪だと言うのに、彼は歓迎の意を崩さず招き入れてくれた。
本日も使用した、いつもの応接室に案内され、やはり先程同様のソファーへ腰を下ろす。
テーブルに茶器が置かれ、それを一口含んだタイミングで、ベントリーは腹を揺らして尋ねて来た。
「貴女様の来訪なら、いつでも歓迎という言葉を違えるつもりはありませんが……。しかし、実に珍しい事ですな。何か問題でもございましたか?」
「いや、そういうんじゃないんだ。頼み事……いや、そういうのとも違うな」
自分で口にしながら首を捻り、今更ながらに考える。
勢いに押されるまま、ここまで来てしまったが、何か特に考えあっての事ではなかった。
思い付いた事はあるものの、それを実行する為にどうするか、という部分については依然、全くの考えなしだ。
ベントリーに提案してどう頷かせるかも考えておらず、だからこの場の即興で、彼を口説き落とし、うんと言わせなければならない。
一流の商人と行う商談で、こんな行き当たりばったりは、普通ならば噴飯ものだろう。
だが、今は勢いのまま口に出すしかなかった。
「実はな、幾つかの問題を解決したくて、それを儲け話に繋げつつどうにか出来ないか、と思ってるんだ」
「……ほぅ。問題と……、儲け話ですか。それは、どの様な?」
それが本当に信用の置ける話なら、乗らない理由がないのが商人だ。
しかし、だからこそ、その吟味には慎重になる。
「前に話した、濃縮水薬についてだ」
「……それは前に却下したでしょう。魅力的なお話でしたが、市場の混乱を……」
「うん、それは分かってるんだ。そして、その懸念点も。粗悪品が乱造される危険、そしてその粗悪品が市場に溢れる危険、それを排除し切れないから頷けない、という話だったろう」
「仰る通りです」
ベントリーは大きく頷き、そこまで分かっていて何故、という視線を向けてきた。
私は自身に満ちた笑顔――実際は真逆の心境――で、その懸念を打破する解決策を口にする。
「一番の問題は試験紙だ、……そうだろう? 只でさえ、水薬はその効果が使うまで分かり難い。だから信用のおける商人から買うんだし、商人はその目利きで以って仕入れる。もしくは、粗悪品など作らない、古くから付き合いのある錬金術士から仕入れる」
「左様ですな。幾つか例外はあっても、それが基本となっているのは間違いないでしょう」
「濃縮技術を持ってないのに、それだと偽って販売するのを阻止するには、試験紙を導入するのが確実だ。だが、その試験紙を安価で大量に用意出来なければ、詐欺めいた試験紙が出回り、やはり市場は混乱する」
「それも、左様です」
以前、ベントリーの口から出た推測だ。
そして、その推測は限りなく近い正解を言い当てていると、私も思っている。
濃縮技術など夢のまた夢……と思われているから、今も市場にそれと偽って出回っても、鼻で笑われるのが落ちだ。
あるいは、薄暗い路地裏では実しやかに囁かれ、そうした詐欺に遭う者もいるかもしれないが、いずれにせよ、その程度であれば市場に影響は与えない。
目立つ販売をすれば、いずれ捕まるのが落ちだ。
だから、それについては何も問題はない。
「だがもしも、それを大量に用意できるとしたら?」
「貴女様の口から出る事です。まさか詐欺とは思いません。……しかし、どうやって? 大量に用意できるとしても、そこに掛かるコストが膨大なら、やはり全く意味はないのですぞ」
「そうだな、せめて損益分岐点は越えて貰わなくてはならない」
「お互いに商人です。そこはクレバーで行きたいですな」
私はこれに無言で首肯する。
実は商人でも何でもないが、そう思わせ続ける必要はある。
「この試験紙作成に掛かるコストで、一番高いのは間違いなく人件費だ」
「そうなので? どういった用紙を使うのかで変わるでしょうし、それは私には分かりませんが……。その用紙を用意するだけで、それなりの値段がしそうなものです」
「ところが、そうでもない。レシピさえあれば、あれの作成や複製は容易だ。腕の低い、下級錬金術士でも失敗する事はないだろう」
「そうなのですか……。それこそが、西大陸で活用されている理由なのですかな?」
私は一応、西大陸からこの試験紙を持ち帰った事になっているので、この場ではとりあえず頷いておく。
「一般的過ぎて、秘匿するものではないんだ。私が知っているのも、そういう理由でな……」
「ほぅ、なるほど……。実は楽に作れるのだとしたら、用紙の方は良いかもしれませんが……。しかし、それをどこかに依頼するとなれば……。技術の流出が懸念されますな」
それもまた、粗悪品が生まれる流れを生む。
ベントリーとしては、そういう部分も潰しておきたいところだろう。
「専属契約を結んで、作った分はしっかり買い上げるのが良いだろう。下級製品しか作れないものにとって、定期的に得られる収入は魅力的な筈だ。これまで食い扶持に困る様な者ほど、そうした契約を結びたがるだろう」
「それは良いとして、しかし乱造されても……」
「しばらくは大丈夫だろう。それに、この街で飽和するようなら、それこそ輸出すれば良いことだ。王都だろうと、何処だろうと、この東大陸では引く手数多だろうさ」
「それも確かですが、それならば尚更、粗悪品が作り出される懸念も……」
私は難しく眉根を潜めるが、そこまで悲観するものではない、と考えていた。
悪貨が良貨を駆逐するのは確かでも、悪貨以上の良貨が次々と流れ込めば、次に駆逐されるのは悪貨の方だ。
「だから、工場を作るのが良いと思う。個別に、個人に委託するのではなく、それを産業として成立させるレベルに引き上げるんだ」
「あぁ……、なるほど。この街での製造に拘るのではなく、現地に工場を建設して、そこで完結させても良いと。町ごとに供給体制を作るわけですか。さながら、クモの巣を張るがごとく」
「うん、最初は当然、輸出の形で良いと思う。だが当然、遠くへの販売は輸送費が嵩むし、そうなれば値段も跳ね上がる。安価で供給する為には、そうした事業の拡大が必須だと思う」
ベントリーは感嘆とした息を吐き、それから大いに頭を下げた。
「いやはや、そこまで展望をお考えだとは……。このベントリー、些か見誤っておりました。行商に過ぎないと思っていたのは、私の勘違いでしたかな」
「さて……?」
私はわざとらしく惚けて見せて、視線を横に逸らした。
ベントリーが悪い方向に勘違いしないのであれば、そちらの方向に勘違いさせておくに限る。
私としても、この話が前進するのなら、それを大いに利用するだけだ。
「後々の展望は良いとして……なるほど、お考えは分かりました。しかし、工場ともなれば、それ専用の土地の購入、建設費の用意、その他諸々必要になりますな」
「うん、だが最初は、まず小規模な所で良いと思う。スラム近くの空き店舗を使うとか、空き倉庫を使うとか……」
「それならば場所代は安く済むでしょうが……。うぅむ……」
ベントリーが渋るのは当然だ。
スラム近く、というだけで要らぬリスクを背負う事にもなる。
だが、私としては是非、そこを使って貰わなくてはならなかった。
「掛かる最大の費用は人件費と言ったが、これは何も、錬金術士だけを言っている訳じゃないんだ。作った用紙に、円を刻む作業……ここにも人手が必要になってくる」
「左様ですな……。用紙を作った段階で、勝手に模様まで刻まれる訳ではないですから、別途これを……。しかし、それだと非常に困難になりませんか」
「別にあの円事態には、何の効果もないし、いわば目安だからな。専用の判子でも用意して、上から押し付けてやれば良い。子どもでも出来る仕事だ」
「なるほど、あの何重にも描かれた円にも、勝手に何かしら効果が乗っていると思ってましたが……。あれは単なる模様でしたか。ならば、安いインクで上から印字してやれば良い、と……」
「そう、この子どもでも出来る、というのが重要でな」
私の言わんとした事を察したベントリーは、したり顔で頷く。
「人件費問題も、大分安く仕上がりますな。最初の費用を、可能な限り抑えられる良い案です」
「そこに私から一つ、提案が……」
「えぇ、どうぞ」
既にベントリーはかなり乗り気で、掛かる費用の試算に熱中している。
気も
だがこのまま、彼の思い通りに事を進めて貰っては困るのだ。
子どもという段階で、何処かの子弟や丁稚を使おうとしているのは明らかで、そこである一つの選択肢を、敢えて省いていると分かるからだ。
私はリルの望みを叶える為に、次なる要望を口から飛ばした。