「お前が熱心に勧めて来る理由、何となく分かるぞ。私の持つコネを、自分の物にしたいんだろう?」
「いえいえ、とんでもない。商人として、それはやってはならないタブーですよ。ですが、自ら放棄する分には、そのタブーにも抵触しない訳でして」
「それはもう、奪おうと白状したも同然じゃないか」
私は呆れた声を出したものの、表情では笑みを隠し切れなかった。
ベントリーもまた、悪びれる事なく、にこやかに笑っている。
この程度の遣り取りや、足の掬い合いは、商人としては健全な部類で、当然とすら言える。
善い商人とは、単に人が善い事を意味しない。
常に利益を拡大させ、事業を成長させられるのが善き商人だ。
だから、隙を見せれば、販路の奪い合いは当然生まれる。
とはいえ、私にそんな販路は存在しないのだが……。
「それより、大分話が逸れてしまった事だし、そろそろ戻そうか」
「然様ですな」
ベントリーも笑みを顔に残したまま同意し、腹を揺らす。
「しかし、今更ながら実感して参りましたよ。以前、試験紙の導入が始まれば、これは革命だと申しましたが……同時に現実にはならない、と思いこんでおりました」
「何しろ、前途多難だ。私はそもそもギルドの下地を持たないから、どこまで難しいのか皮算用しか出来ないが……。それでも、目も眩む有り様なのは予想できる」
「全く、然様で……。巻き込む規模を考えると、商業ギルドでの立ち回りは想像を絶するでしょうな」
それは暗に、殆どを丸投げした事に対する、非難の様に感じた。
実際、非難されて然るべき程、多くの面倒事を処理する必要があるだろう。
単に新たな事業を起こすだけでも、そこには多大な労力と苦労がある。
私はそこに自らの利益を渡す、という条件で免除されたようなものだから、余計にそう思われそうなものだった。
「まぁ、すまないとは思ってるよ」
「いえいえ、謝られる必要はございません。むしろ、私は感謝している程で……」
「そうなのか?」
えぇ、と深く頷いて、ベントリーは笑みを深める。
そこには商人にありがちな、笑みで表情を隠すというものではなく、本心の笑みが表れていた。
「それはまた、どうして?」
「これ程やりがいのある仕事は、久方振りだからです。――いえ、
そう言って、視線を上に向け、何処か遠くを見る目つきになり、忍び笑いを漏らした。
「ふふふ……。私はね、ワクワクしておるのですよ。年甲斐もなく。まるで若い頃、馬車を手に入れ、商いを始めようと思い立った頃の様だ……。あの頃は、殆ど命懸けでした。購入した品が売れなかったらどうするか、赤字になったらどうするか、とね……」
「確かに、身一つで始める商人にとっては、毎回ギャンブルみたいなものか」
「元金に余裕のある、裕福な家庭の生まれなら、そうでもないのですが。馬の飼葉や水といった輸送量だけでも、それなりにするもので……。自分の食費を削って、馬に当てるなど、むしろ昔は当然でした」
ベントリーは懐かしそうに笑って、それにつられて揺れた腹を叩いた。
「今ではこんなナリですが、当時は大変スマートでしてね。いや、食べる物がなかったから、痩せざるを得なかっただけですが」
「肥満は裕福の証だな、確かに。そして賭けに勝ち続け、今では立派な商会を築く程になったか」
「裕福になり、資産を持てば、失うのが惜しくなります。自分なりに時として、勇気ある取引をして来たつもりでしたが……。安全以上の、今の生活を失わない程度の賭けしかやって来なかった。……それを今、実感しているところです」
それが悪いとは思わない。
裕福である程、失うのを恐れるのは当然の事だろう。
事業の拡大、収入の増加、利益と利潤を考えるほど、失わない為の計画を考えがちだ。
しかし、彼は賭けに乗り、それに勝ち続けて来た商人だった。
そうした商人は、むしろ
それこそが性根だった筈なのに、その考えをいつの間にか捨てていた事を、今になって気付いたのだろう。
彼の顔には幾らかの悔しさが垣間見えたが、それ以上に、これからの展望の期待が浮かんでいる。
「ですので、若い頃の気持ちを思い出させてくれて、感謝しておるという訳です。――いやはや、忙しくなりますな!」
「そう言って貰えると、こちらとしても気が楽になる。苦労は多いだろうが、頼むぞ」
「成功すれば、苦労以上の見返りが得られると、決まっている様なものですからな。その苦労を成功させる事こそ、商人としての生き方なのです」
生きる為に命を張っているのは、何も危険なばかりの冒険者だけではない。
それを今、ベントリーがまざまざと体現しているかの様だった。
「では、早速動き出しましょう。市場開拓と混乱を引き起こさない為にも、まずはギルドに話を通しておかなければ。それと同時に、人員の確保も急がせますか」
「エルトークスの方には、私からも話を通しておこう。なぁに……。儲け話に一つ乗っかれるとなれば、あいつらも悪い顔はしないだろうさ」
実のところ、余り間に噛ませたくない相手だが、スラムの人員に手を出せば、余計な横槍が入るのは目に見えている。
私の名前を出そうとも、スラムを仕切っているのは彼らなのだ。
スラム救済を謳おうとも、その全ての人員を雇うのは不可能だから、そこで溢れた人が嫉妬で腹いせする可能性もある。
それらは外から言っても、制止するのは難しい。
だが、エルトークスならば事前に言い含められるし、余計な被害を出さずに済ませられる。
――というより、それが出来ないのなら、引き込む理由がない。
話す事もそろそろ尽きて来たので、私はリルを伴ってソファーから立つ。
「では、お暇させて貰うよ。有意義な話し合いが出来て、嬉しかった」
「こちらこそ。やり甲斐のある仕事をいただいて、感謝しておりますよ」
互いに握手して頷き合うと、私は一足先に店を出た。
その後ろでは、従業員を呼ぶ生気に満ちた声が、長らく遠くまで聞こえていた。
※※※
商会から出て幾らも歩かない内に足を止め、肩の高さまで手を挙げると、ちょいちょいと手を振る。
誰かを呼ぶ様な仕草にも見え、リルはそれを不思議そうに見上げていた。
だが、数秒待つと路地から人影が現れる。
視線をそちらに向けると、ボレホが後ろ頭を掻きながら、すまなそうに出て来た。
「あのぅ〜……。何か俺、やっちゃいましたかね?」
「わっ、なんかきたっ!」
リルが大仰に驚き、それから私の手を握って揺さぶる。
「どうして、わかったの? リル、ゼンゼンきづかなかった!」
「さぁて、何故だろうね?」
悪戯心を込めて尋ねると、リルは頬を膨らます。
「もぉ〜っ、すぐごまかすっ」
「ごめん、ごめん」
笑って頭を撫でていると、ボレホ以外にも、取り巻きの数人が申し訳なさそうに出て来た。
まるで教師に叱責される生徒の如しだが、彼らはそんな可愛げのある見た目をしていない。
「……というか、何でそう、やっちゃいました感、出してるんだ? もっと普通にしろ」
「いや、だって……。こうして呼ばれるのなんて、初めての事ですし……」
そうだろう、とでも言いたげに取り巻き達へ目を向けると、その通りだと言わんばかりに何度も頷かれた。
大変心外だが、彼らが私に恐怖心を抱いている理由も知っている。
だから、この場はとりあえず頷き、呼んだ理由を述べた。
「これから、お前たちの所に行く。エルトークス商会に。だから、先触れをしておけ」
「え、今から……今すぐ、これからですかい?」
大袈裟に驚く仕草を見せたので、私は少し首を傾ける。
「拙いか? お前の所のボスは、いま不在とか?」
「あー……いや、そういう事はないと思いますけど……」
一瞬、考える様に視線を上に向け、それから改めて、取り巻きの一人に顔を向けた。
「――おい、今日は別に予定とか無かったよな? 何も聞いてないよな?」
「多分……ですけど。でも、予定があって留守にするとしても、俺達には言いませんよ」
「だぁら、そういう話は聞いてないか、って話をしてんだろ」
「聞いてませんけど、どっちみちそれじゃあ、居ない可能性だって……」
そこまで話して、私からの視線に気付いた彼らは、寄せ合っていた顔を戻して背筋を伸ばした。
「すみません! 居るかどうか、やっぱり分からないって事になりました」
「じゃあ、先触れついでに確認して来い。私達はゆっくり向かって歩きながら返事を待つ。大丈夫そうなら、商会の前で待ってろ」
「そうします!」
ボレホが代表して応えると、取り巻きの一人が一目散に駆け出した。
全員で行かないのは、私の見張り役という任を遵守しているからか……。
あるいは、全員で逃げる様に行ったら、それで叱責が下ると理解しているからなのかもしれない。
ともかくも、走る男の背中を追って、私はリルの手を引いて歩き始めた。