ワレスには、よくよく言い含めておかねばならなかった。
商売をするに当たって、時に冷徹な判断が必要となることがある。
だが、それは何処までも非道になる事を、許可するものではない。
「私は子どもにも労働の機会を与えたい、と言っているだけだ。……言っている意味が分かるか?」
「あ、あぁ……。よく分かるとも」
返事だけは良く聞こえるものの、それで何処まで理解が及んでいるかは不明だった。
エルトークス商会は、特別非道を働くタイプではないが、ここでは雇用者の常識こそが問題だ。
本来、児童とは保護されるべき存在で、親の庇護下にある。
しかし、両親のいない児童というのも、現実には多い。
そうした児童は、安い労働力として扱き使われるのが常識でもあった。
前提として、雇用者側が一方的に有利なので、文句があれば辞めろ、という言い分がまかり通る。
生産性の低い児童を雇うのは、慈悲とすら思っているのだ。
それは事実には違いないが、私がしたいのは、虐待紛いの児童労働を推進する事では決してなかった。
「児童の賃金が安いのは仕方ない。生産性が大人より低いんだからな。だったら、労働能力が低い事も、仕方ないと許容しろ」
「だが、それでは不満が……、出るだろう」
「不満? 誰から?」
「一緒に働く大人どもからだ。隣でノロノロと、ちんたら仕事されてたら、それだけでもやる気が削がれる。責め立てるぐらいの事をしておけば、溜飲が下がるんだよ。鞭で打つとかする横で、自分達は大丈夫だと安心できる。同時に見せしめとして、自分達もそうなるまいと、熱心に仕事する。……そういうものだろう?」
私は大きく息を吐いて、やはりそういう腹積もりだったか、と胸の下で腕を組んだ。
ワイスが言う事は一見過激だが、世間の常識において、不条理という訳でもなかった。
中流、あるいは下流階級の徒弟として雇う場合ならば、そういう扱いにはならない。
しかし、スラムの子どもに対する扱いとなれば、それが普通となる。
学がないから、と見下している節もあるし、お金がない事も合わさって、品性下劣で凶暴、と判じているケースが多かった。
だから雇うにしてもリスクがあり、働かせて貰えるだけでもありがたいと思え、という発想になるのだ。
そしてやはり、それはスラムの庇護者であるエルトークスでさえ、同じ考えだと分かった。
「……たとえそういうものだとしても、これからは止めてくれ」
「しかし、躾けのない子どもなんてのは、獣と同じだ。叩いてやらねば理解できん。獣人ともなれば尚更だ。牙を持ってる奴に理解させるには、それしかないんだよ」
「時に、そうした教育が必要なことは認める。しかし、最初から決め付けて、叩く前提でいるのはどうだろうな」
「だが、実際……うっ!」
私は睨み付けて、それ以上の発言を許さなかった。
リルは隣で黙って、最初と同じ姿勢で座ったままだったが、不満や苛立ちというものは感じている。
それは耳や尻尾の逆撫で具合を見れば一目瞭然だった。
私はそれを解すつもりで、リルの頭と耳を、そっと撫でる。
「私はリルを叩いた事などないが、こうしてちゃんと聞き分けのある子に育ってくれたぞ。お母さんが大人と話している時は、邪魔しちゃいけないと、ちゃんと分かってお行儀良くしてるんだ。それが見えないか?」
「……いや、それは……お前さんは特別だ。その特別なお前さんが育てているんだし、特別な子に育つに決まってる。スラムの子どもと、同じく一括りには出来んだろう」
それもまた、一面の事実ではあったが、真実は違う。
リルは確かに幼少の頃から私の手で、何一つ不自由なく、のびのびと育った。
街の人間のより裕福な生活をしているし、下手をすると貴族よりも恵まれた環境かもしれない。
だが、だからスラムの子どもは、叩いて分からせるしかない、と断じるのは許容できなかった。
「そもそも、前提を間違えてる。飢えていれば裕福な人間とて、理性的ではいられない。精神的に屈強な筈の冒険者も、飢餓の前には仲間一人を見殺しにする、なんて事が現実にあるんだぞ」
「いや、まぁ……あるかもしれんが、稀なケースだろう」
「問題はな、スラムの者は
私がそう指摘すると、ワレスは黙ってしまった。
眉間には更に、深い皺が刻まれる。
そうして数秒が経過した後、ワレスは息を吐いて同意した。
「確かに……、あぁ、確かにそうだな。飢えていて、正常な判断が出来るはずもない。自己本位で、我儘に見えるのは……そうだな、仕方ないと思えてくる」
「子どもの仕事を見ると、大人がやる気を失くすと言うなら、そもそも仕事場を別けてやれ。そうなれば、気にしようもないだろう」
「場所や施設について、そこまで融通利くのか?」
「今のところ未知数だが、最初はスラム近く、あるいはそこにある空き倉庫などを使う予定だ。スラムの子ども達が、通い易い距離なのが好ましいから、最初はそういう場所を選ぶつもりだった」
「それなら、まぁ……大丈夫そうか」
「規模が拡大したら、どうなるかまでは分からないが……」
そして、ベントリーが上手く立ち回る程、小さな倉庫では収まらなくなるだろう。
倉庫の幾つかを潰して、より生産性の高い工場などを作るかもしれないし、あるいは良い土地を購入出来たら、そちらに移転する可能性もある。
スラムからどれだけ離れるかも分からないが、それは今から考えても仕方ない事だろう。
「それで、だ……。安い労働力、との事でベントリーにはスラムを推したが……、これは口実だ」
「……というと?」
「いつまでも安い労働力として、搾取させてやりたくない。規模が拡大し、利益も膨らむにつれて、彼らの待遇も良くして欲しいと思っている」
「それを商人なんて人種が飲むかね?」
「そこはお前の交渉次第だ。上手くやってくれ」
私が真摯に見つめて言うと、ワレスは困った様に首を傾げ、悩ましく息を吐きながら言う。
「お前さんは、あっち側……搾取側じゃないのか? 仕事を持って来たのも、そう意味合いだったんだろう?」
「私がやりたいのは弱者救済だ。あっちにはあっちで、お前に釘を刺すよう言っている。お前もお前で、ベントリーに釘を刺せ。互いに利益を奪いつつ、労働者を二つの被害者にするな」
「難しいことを平気で言うな……。しかし、立場的には向こうが強い事になるんじゃないか? 主導はどうしても、あちらさんだろう?」
「利権の大事な部分は私が握る。利益こそ私に殆ど回ってこないが、商売の根幹となる試験紙、この生産権利だけは握るつもりだ」
「それは、また……」
私がその権利を握っている限り、生産を中止させる事が出来る。
そして、利益が莫大になるにつれ、生産を止めたいとは思えなくなるだろう。
多少の人件費上昇くらい、呑もうと思える程度には。
立ち回りを失敗しなければ、莫大な富を築けるのは間違いないのだ。
「だから、お前にも上手く立ち回って欲しい。ただ、お前の取り分を増やす為だけに、利益を増やそうと考えていたら問題だが、それがしっかり人件費に回るなら問題ない。互いに利益の引っ張り合いになるだろうが、上手くやってくれ」
「簡単に言う……」
ワイスは嘆くような有り様だったが、口調ほどに悲観していなかった。
スラムの統括は自警団としての義務みたいなものだが、そこから利潤に結びつけられる線は細い。
ワイスも治安を保とうと苦心する者だから、これを放置する考えを持たないが、いずれにしろ貧乏くじに近いものだ。
だが、今後は、保護していた食うに困る彼らを使って、利益を生み出せるのだ。
どちらにとっても、悪い話ではなかった。
「仕事が始まるのは、何も今日、明日という話ではないだろう。だが、ベントリーはやる気だし、驚くほど早く事業展開される可能性もある」
「ふむ……。ではこちらも、色々と面倒な雑事は、繰り上げて処理させておこう」
「お前、スラムの奴らに炊き出しとか、してたよな?」
「あぁ、大体、三日か四日に一度ほど」
「毎日してやれ。これからまともに働かせるのに、体作りをしてやるんだ。……さっきも言ったろう?」
「飢えた身体じゃ、正常な判断は出来ない。……そうだな、働く希望者には優先的に、そうした措置を取ってみるか。後の心配は、事業が失敗した時だが……」
「そんなのは、新しく何か始める時には、常に付き纏うものだ。ベントリーと相談しろ。細かい部分や調整は、全て任せてあるから」
やれやれ、と首を振って、ワレスは茶器を掴むと乱暴に喉奥へ流し込んだ。
盛大に息を吐いて、膝を叩いた。
「――ま、何にしろ。話を聞いてからだな。面白い話だし、儲けも期待できそうだから、こっちにとっても悪い話じゃないしな」
「そうしてくれ。ハメを外し過ぎたり、児童の虐待なんぞが遭ったら、私が黙っていないと知っておくといい。私を怒らせてまで、利益を追求したくないだろう?」
少し凄んでやれば、ワレスは聞き分けの良い少年の様に、こくこくと頷いた。
私はそれに満足し、リルを伴って立ち上がる。
「では、後の話し合いは頼むぞ。詳細や報告は、また機会があったら」
それだけ言うと立ち去ろうとした時、扉が勝手に開いた。
部屋の外には例の壮年の男性がおり、折り目正しい衣装通り、きっかりと腰を曲げて一礼し、先導を買って出る。
それに付いて行って外に出ると、やはり大仰な見送りをされてしまった。
「お気をつけて!」
列を成す男たちから逃げる様に去り、十分に距離を離した所で、リルを腕に抱き直した。
そうして、柔らかいほっぺに頬ずりしながら、しっかりと褒める。
「静かに出来て偉かったな。とっても、お行儀よく出来てた。退屈させてしまって悪かった」
「ん〜んっ!」
リルは首を横に振って、きゃらきゃらと笑う。
「ナナとずっとおはなししてたから、ヒマしてなかった!」
「おや、そうだったのか」
何やら手元を見つめてまんじりともしない、と思っていたが、どうやらそのカラクリは、精霊との会話にあったようだ。
確かに余人には聞こえない会話は、暇つぶしに丁度良かったに違いない。
しかし、それでも大人の会話に口を挟むことなく、静かに座ってられたのは偉かった。
「よし、でもご褒美に、帰りに何か買ってあげよう」
「ホントっ!?」
「あぁ、何が良い?」
「うんとね、あのね……。ボール! リル、ボールほしい!」
「そうか、そうか。それじゃあ、市場に寄って行こう。きっと、良いのが見つかるよ」
私がもう一度頬ずりしてそう言うと、リルは手を挙げて喜ぶ。
「やった!」
「それじゃ、二個買っていこうか」
「どうして? いっこでいいよ?」
「すぐに分かるさ」
だが、どちらにしろ、沢山ある分には嬉しいと思っているリルは、尚も喜びも顕にはしゃぐ。
私の予定では、決して楽しい事にならないと思うのだが……。
リルがそれを知るのは、まだ先の事になりそうだ。