混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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夏の入学日 その3

「うぅ~ん……? リルぅ? どこかなぁ?」

 

 惚けた感じで、部屋内に声を放る。

 しかし、当然ながら、返って来る声はない。

 

 ただし、クローゼット内から、押し殺した笑い声は漏れていた。

 きっと、今――。

 

 リルの中では、見つかるかどうかの瀬戸際で、しかし見事に自分を見失っている母を、ドキドキしながら見守っているのだろう。

 

 クローゼットには湿気が籠もらない様、扉には隙間が入れられている。

 

 リルの小指でもギリギリ入らない細いスリットだが、中から外の様子を窺うには十分な隙間だった。

 

 リルは今、恐らくそこから様子を窺っている。

 

 視線がハッキリと感じられ、だから捜している姿が、単なるポーズと見破られる訳にはいかなかった。

 

 ここで実は、最初から気付いていました、と知られては、リルも興醒めだろう。

 それと察知されぬまま、しかと騙されつつも、しかし見つけ出さなければならない。

 

「ふぅむ……」

 

 私は一度、ぐるりと部屋の中を見渡した。

 

 それから、クローゼットへ、ぴたりと視線を合わせると、ゆっくりと近付いて行く。

 

 息を呑む気配が、僅かながらにした。

 ゆっくりと取っ手に手を掛け、ゆっくりと開く。

 

 中には幾つもの服が掛けられており、隙間なくクローゼットの中を埋めている。

 その中にあって、右端の隅が膨らんでいた。

 

 左から整然と並んでいるのに、何故か右側だけが窮屈そうに寄っていて、だから奥の背面板が見えない。

 

 そこに何かが隠れているのは明白だった。

 だが、私は分からない振りをして、そのまま戸を閉める。

 

「気のせい、か……」

 

 私がわざと聞かせて呟けば、クローゼットの奥から僅かな衣擦れの音が聞こえた。

 安堵の息を漏らしたから、だろう。

 

 私は顎先に指を一本当てて、クローゼットを背にすると、部屋の中を行ったり来たりした。

 

 ゆっくと、一歩一歩踏み締め、身体を前後に揺らす様にして歩く。

 今はリルに側面を向けている状態で、視線は外を向いているのだが……。

 

 果たして、リルはこの状態を、どう見ているだろうか。

 

 何処か別の部屋に行って欲しい、と思っているのか、はたまた滑稽に探し回る姿を見てみたいか……。

 

 少し迷って、結局一度、部屋から出る事にした。

 リルにしても、一度は見つかる瀬戸際まで行ったのだ。

 

 息をつく暇くらい欲しいだろう。

 そう思って、やはり足音を立てて出て行き、寝室へと戻る。

 

 そこで多少、声を出しながら捜すフリをしつつ、物音も立てた。

 我ながら、わざとらしいとは思う。

 

 だが、こうした瞬間も、リルにとっては緊張と興奮を誘発する時間になっている筈だ。

 

 適度に寝室で時間を潰してから、衣装部屋へと戻る。

 そして、クローゼットへと注目しないよう気を付けながら、声を発した。

 

「リル? もういい加減、出て来なさい。居るのは分かってるから」

 

 しかし、これに対する返答はない。

 漏れそうになる忍び笑いと、悪戦苦闘する気配が伝わるばかりだ。

 

「ほぅら、リル。ここだろう……?」

 

 そう言って、まるで見当違いの衣装箱を開ける。

 冬服が仕舞われた箱の中には、リルの服がみっしりと詰まっているだけだ。

 

 当然、これは分かっていてやったのだが、クローゼットからは忍び笑いの漏れが大きくなった。

 

「うぅん……? じゃあ、こっちだ」

 

 口に出しながら、また別の衣装箱を開け……そして、落胆の溜め息をつく。

 それから次に、壁に並んだクローゼットを、左から順に開けていった。

 

 リルが隠れているのは、三番目のクローゼットだ。

 

 最初に一度開け放たれたが、見つからなかったから今度も大丈夫、とでも思っているかもしれない。

 

 しかし、余り長く続けて、中弛みさせるのも良くない。

 そろそろ見つけてやらなければ、と考え始めていた。

 

 リルにしても、いつまで経っても発見されないのでは、隠れ甲斐もないだろう。

 あるいは、自分から飛び出して驚かせよう、と考えるかもしれないが――。

 

 その時はその時で、盛大に引っ掛かった振りをしてやろう。

 そうして、一番目のクローゼットを閉め、次に二番目の扉をゆっくりと開く。

 

 右から左へと、じっくり確認して、再び閉めた。

 そうして三番目、リルが隠れるクローゼットの扉に手を掛ける。

 

 何かするなら、今の内だが……。

 

 そっと開くと果たして、先程と同様、右側の衣装がこんもりと浮いたまま……何事の変化もない。

 

 私は首を伸ばし、左へ右へと、ゆっくり確認した。

 

 この期に及んでも、息を殺し続ける感じからして、どうやら自分から出て来るつもりはないようだ。

 

「ふぅ……。やっぱり、ここには居ないか……」

 

 そう言って、ゆっくりと戸を閉めようし、殆ど閉めかけた瞬間――。

 ガバリ、と音を立てて勢い良く開き、リルの隠れる衣装を左へと除けた。

 

「ンきゃぁぁぁ!?」

 

 ホッと息をつく瞬間だったのだろうか。

 虚を突かれた形となり、リルは喉から絞り出す、本気の悲鳴を上げた。

 

「居たなぁ、リルぅぅぅ……!」

 

 しかし、落ち着かせる時間を与えず、リルをクローゼットから引き摺り出して、脇の下へと手を添える。

 

「そーれ、コチョコチョ、コチョコチョコチョ……!」

 

「やっ、やめっ! やっ! きゃははははっ!」

 

「どうだ、参ったか!」

 

「やはっ! まい……っ! まいらないっ! あきゃきゃきゃきゃ!」

 

「強情な子だぁ……!」

 

「やっ、やーっ! あはっ! きゃははははっ!」

 

 リルは暴れて藻掻いて、逃げ出そうとするが、私の手からはそう簡単に逃げられない。

 

 結局、息を切らしてへたり込むまで、くすぐり攻撃は続く事となった。

 最後には目から涙を流し、ぼろぼろになったリルが残る。

 

 私はそんなリルを抱き上げ、胸の内に抱いて部屋から出ようとした。

 しかし、その瞬間、アロガが顔を覗かせて、道を通せんぼする。

 

「何だ、心配して見に来たのか? 大丈夫、リルは危険な目に遭ってないから」

 

「はひー、はひーっ……」

 

 私はリルの息が整うまで待ち、それからアロガを目線で指差す。

 リルもすぐに意を得て、首を伸ばして心配するアロガの頭を撫でた。

 

「へーきだよ、アロガ。お母さんに、みつかっちゃったの」

 

「そう、それだ」

 

 私はリルのおでこに、自分の額を当てて、ぐりぐりと押し付けた。

 

「どうして隠れるなんてしたの」

 

「だって、お母さん……」

 

 そう言って、唇を尖らせて視線を下に向ける。

 

「さいきん、ゼンゼンおうちにいないから……。リル、さびしくて……」

 

「それで、困らせてみようと思った?」

 

 咎められていると思ったのか、リルからの返答はない。

 だが、私からすると、気を引きたくてやった、子どもの可愛い悪戯でしかなかった。

 

 私は額を押し付けたまま、笑いながら言う。

 

「寂しい思いをさせてごめんな。でも、もう終わったから。これから街に行くのは、今までと同じくらい、偶にだよ」

 

「ほんとっ!?」

 

 途端にリルは破顔して、顔を上げた。

 

「本当だとも。それどころか、リルの方が、街に行く機会は増えるだろうね」

 

「なんで?」

 

「学校が始まるからさ。夏になる頃か、それより少し前から、リルは学校に通う事になるよ」

 

「うわぁ〜っ! リル、ほんとに、がっこういくんだぁ〜っ!」

 

 きゃいきゃい、とリルは私の腕で喜ぶ。

 その喜びにつられて、アロガまで騒ぎ出してしまい、狭い廊下が慌ただしくなった。

 

「ほら、アロガも暴れるんじゃない。それよりも、そろそろ夕食だよ。シルケが準備してたからね」

 

「んっ! リル、おなかすいた! かくれてるときね、おなかがなっちゃわないか、しんぱいだった!」

 

「実際に鳴ったりした?」

 

「お母さんがね、べつのへやいってるとき、なったの」

 

 そう言って、リルはきゃらきゃらと笑う。

 隠れている時の事を思い出して、楽しくて堪らない、と言った感じだ。

 

「妖精とか、シルケもよそよそしかったけど……。あれも、リルからお願いしたこと?」

 

「そう! おしえないでねって、いってまわったの。とくにね、ようせいのみんなは、すぐおしえようとするから……」

 

 確かに彼らなら、悪意無く教えてしまいそうだ。

 だが、下手をすると、それが逆効果になってしまう可能性だってあった。

 

 妖精は時に気紛れで、悪戯好きだから、嬉々として居場所を教えそうなものだが……。

 

 今回に限っては、全面的にリルの味方になると決めたようだ。

 

「それにしても、シルケまで敵に回るとは思わなかった。あれはどちらかと言うと公平で、むしろ私の味方だと思っていたが……」

 

 だが、リルを相手にすると、誰もが甘くなってしまうらしい。

 私も含めて、例外なくリルが好きなので、味方をしたくなるのかもしれなかった。

 

「……まぁ、仕方ないか。リルは特別だ」

 

 私はリルの頭に頬を乗せて、その小さな身体を掻き抱く。

 

 すぐ横で控えるアロガも、リルに寄り添いたくて私にぶつかって来たが、それを無視して階段に向かった。

 

 じゃれ合いならば、下に降りてからでも良いだろう。

 階段を降りて行くと、良い香りが鼻腔をくすぐる。

 

「きょうのゆうしょく、なんだろなっ!」

 

「さぁて、何だろう? 後のお楽しみだな」

 

 シルケは姿を見せられる様になってからと言うもの、食事に掛ける情熱が増えていった。

 

 リルから美味しいと褒められ、感謝を言われるのが堪らなく嬉しいようだ。

 

 最近は忙しくて調理に加われなかったが、それがなくとも自分一人で作りたがる機会が増えたのは、間違いなくそれが原因だろう。

 

 リルが即興で作った、夕食なんだろう、の歌を聴きながら、私は階段を降りていった。

 

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