混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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夏の入学日 その5

 翌日、私達はいつもの手順で街近くの森まで飛び、足税を払う為に待たされた後、ようやく門を潜った。

 

 ここ半年で――更に言うなら、ここ数ヶ月で、頻繁に出入りする様になったから慣れたものだが、このただ待たねばならない時間が面倒だった。

 

 役人も別段、手を抜いている訳ではないのだろうが、いずれにしろ数が数だ。

 

 見慣れた顔などは、事務的な質問だけですぐに解放されるものの、仕事だから手順に従わなければならない。

 

 そして、それは私も同様だ。

 エルトークスなのか、あるいはベントリーなのかは不明だが、便宜を図ってくれたお陰で、私に対しては顔パス状態だった。

 

 それでも、列を抜かして私達だけ抜けられる程、優遇されてはいない。

 並んだ順番に処理するのは変わらず、そこに煩わしさを感じている。

 

 リルも最初は物珍しいから文句を言わなかったし、周りの風景や放牧されている家畜を見ているだけで、時間はあっという間に過ぎて行った。

 

 しかし、代わり映えのない景色だ。

 幾度も通っていれば飽きもする。

 

 朝早くの出立だった事もあって、ただ待たされる時間は眠気を誘い、リルは何度も大きく口を開けて、欠伸をしていた。

 

「さぁ、リル。そろそろ、しゃんとなさい」

 

「んぅ……、してるよ」

 

 門を潜るだけで、もう飽々と言った感じだ。

 これは本格的に、何か対策を講じるべきかもしれない。

 

 転移を森ではなく、街の中にするべきか、それとも別に家を購入するか……。

 どちらにしてもリスクがあり、そして何より、家の購入は大変だ。

 

 土地の購入、家屋の購入……これらどちらとも、正式に得ようと思ったら市民権を獲得しなければならない。

 

 そして、市民権の獲得は、生半な事では無理なものだった。

 

 金銭だけで購入しようとしたら、まず膨大な金額になるし、紹介状も必要だ。

 

 私が築いた関係で、例えばベントリーやエルトークスは、その紹介を断ったりしないだろうが、大きな貸しになるのは間違いない。

 

 仮にそれらに目を瞑るのだとしても、結局その家は利用しない事になるだろう、というのが目下の問題だった。

 

 街の家はあくまでカモフラージュで、転移陣を置くだけの役割にしかならない。

 

 普段は森の家で暮らす事になるのだし、シルケの居ない生活は実務的な事を無視しても考えられない。

 

 何より、街の暮らしがメインになるのは、アロガが納得しないだろう。

 

 普段からリルとくっ付いて暮らしているアロガだ。

 触れ合う時間が減少し続けている現在、その不満をありありと表明するのは想像に難くない。

 

 だからせめて、自由時間には好きにくっ付けていられる環境にしてやりたかった。

 そして、リルもまた、それを望むだろう。

 

 だが、渋る理由はそれだけではなかった。

 所在地が周囲に知られることは、要らぬ諍いを招く。

 

 単なる善意で、あるいは友誼で、誰かが訪れる事もあるだろう。

 しかし、常に不在している現場を目して、一体なにを思うだろうか。

 

 踏み込むべきではない、と考えるならば良い。

 しかし、そうでない者の対処は、相応に面倒だった。

 

 一足飛びに街の中と外を行き来可能なのは魅力だが、その手間を惜しんだ分だけ面倒事もやって来る。

 

「考えてみたものの、やっぱり……だな」

 

 やはり、今まで通りに苦労した方が良さそうだった。

 つらつらと考え事をしながら、リルの手を引いて目的地へと向かう。

 

 到着した先はいつかの学舎で、外観を改めて見直せば、私塾と言っても良さそうな規模だった。

 

 単純に読み書きを教えるだけの場所だし、多くの生徒を持つ訳でもない。

 

 やはり、子どもを少しの時間だけでも学業に手渡せる家庭は、この街でもそう多くないのだ。

 

 お金のある商家ならば、自宅の方に教師になれる人物を招くので、こうした学舎には足を運ばない。

 

 中流と下流の間に生きる子ども――。

 それが、この学舎に集う生徒達だった。

 

 そうした訳だから、数が少ないのも納得できる。

 十人に満たない生徒は、年齡もまちまちで、下は六歳、上は九歳からになる。

 

 教える内容がそれぞれ違って来るので、少人数でなければやって行けず、だから今の状態は、むしろ丁度良いのかもしれなかった。

 

「さぁ、リル……。今日から七日に一度、ここに来る事になるからね。しっかり学んで来なさい」

 

「ん、んぅ……!」

 

 リルは胸の前で小さな拳を握って、ゴクリと生唾を飲み込んだ。

 緊張がありありと伝わって来て、その肩を優しく撫でる。

 

 今日の衣装は派手過ぎず、また高級感が出ないよう、庶民風の格好にしていた。

 

 いつも街に行く時は商談とセットになる事から、リルも相応に着飾らせていたが、そんな事をここでもしたら相当浮く。

 

 だから、姿形だけ見れば、街中でよく見かける格好と変わらない。

 

 しかし、見る人が見れば、その布地や糸などが、庶民に賄える物ではない、とすぐに分かるだろう。

 

 リルの保護も兼ねているので、服には同色の糸で刺繍が施されている。

 

 これが魔術的防護を果たし、裏地に縫い込まれた陣と連携して、大抵の危害から守ってくれるのだ。

 

 また、ナナが十分に力を使えるよう、マナの蓄充もされているから、いざという時、リルの魔力に頼る必要もない。

 

 そして、一度(ひとたび)発動すれば、即座に私へと伝わる様にもなっている。

 

 リルの着ている服を起点として転移するので、場所を特定する手間が省かれ、仮に拉致されようとも五秒と掛からず到着できる見込みだ。

 

 私はリルの肩に触れながら、衣服に縫い込まれた魔術が問題なく作用する事を確認し、それからごく軽く押す。

 

「さぁ、行ってらっしゃい」

 

「……お母さんは?」

 

「お母さんは……、遠くで見守っているよ。リルが一人でやって行ける様にね」

 

 実際は、見える範囲に控えていたりはしない。

 この間に食材の買い出しなどを、済ませてしまう予定だった。

 

「でも、学校が終わるお昼の時間には、ここで待っているよ。だから、安心して行っておいで」

 

「ん、んぅ……!」

 

 リルは大きく息を吸って、そして吐く。

 

 緊張を削ぐ為に肩を何度か上下させ、そしていつしかその呼吸は、鍛錬の時などに行う呼吸法へと移っていった。

 

 リルにとっては、そちらの方が馴染み深いのだろう。

 そして実際、精神統一としても有効な方法だ。

 

 それを敢えて教えずとも実行した事を嬉しく思った。

 リルがいざ、一歩踏み込もうとした瞬間――。

 

 その出鼻を挫くように、横合いから声が掛かった。

 

「あ〜っ! リルだぁ!」

 

「んひぃっ!」

 

 唐突に呼ばれ、リルの背筋と尻尾が真っ直ぐに伸びる。

 

 リルが慌てて顔を向けた方向には、街で作った始めての友達、ミーナとモンティが立っていた。

 

 そのミーナが指を一本向けて、嬉しそうに破顔している。

 ミーナの顔を発見したリルも、途端に弾ける様な笑顔になった。

 

「ミーナちゃん!」

 

「よかったぁ、今日からいっしょ! ねっ!」

 

「うんっ! んひひ……、たのしみ!」

 

 それまでの緊張は何処へやら、不安など遠くへ飛んで、互いに手を取り合っている。

 

 そして、ミーナは私の方にも顔を向けると、ぺこりと頭を下げて、それからしみじみとした視線を送って来た。

 

「リルちゃんのママ、今日もカッコイイなぁ……。いつもいっしょで、うらやましい」

 

「おや、ありがとう」

 

 私も笑顔で返礼しつつ、近くを窺う。

 だがどうやら、ミーナは親と同伴ではないようだ。

 

 家が近所だからか、あるいは他に理由があるからか……理由は不明だが、とにかく一人で来たらしい。

 

 ……と、そこまで考えて、傍に立つモンティを見て思う。

 彼の様な幼馴染がいるなら、確かに案内役は不要だろう。

 

 初日くらい親子で来るのも良いじゃないか、と思う一方、家庭の事情は人それぞれだと思い直した。

 

「よっ、リル。お前も、今日からうちのモンだからな。オレの方が先にいたんだから、オレの方がえらいんだぞ。よく分かっとけよ」

 

「でも、リルちゃんの方が、オヤブンなんだよね〜? このばあい、どっちがエライの?」

 

 モンティから早速マウント取りが始まり、ミーナは意に介さず首を傾げる。

 当然、どうあれ親分の方が偉いと思うのだが、そこはそれ、子どもの中の世界だ。

 

 彼ら同士で上手いこと折り合いを付ければ良い。

 それより今は、いつまでも入口で足踏みせず、中に入る方が優先だろう。

 

「いつまでも喋っていると、遅刻してしまうよ。行ってきなさい」

 

 リルに優しく伝えると、それより早くミーナが応える。

 

「はいっ、リルちゃんのママ、いってきま~す!」

 

 元気に手を挙げ、小さく振って駆け出す。

 モンティもその後に続き、リルも走り出そうとした。

 

 私はその背に声を掛ける。

 

「リル、最初が肝心だよ。ガツンと行きなさい、ガツンと」

 

「うんっ! いってきます!」

 

 晴れやかな笑顔と共に、大きく一度手を振ると、ミーナが開け放った扉に子ども達は雪崩込んだ。

 

 私はその姿が完全に見えなくなるまで見送り、他にも慌ただしく駆け込む生徒を見てから背を向けた。

 

 ――さて、それじゃあ久しぶりに、のんびりと……。

 

「ゆっくり買物でもしてますか……」

 

 私は踵を返して市場の方へ、鼻歌混じりに歩いて行った。

 

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