翌日、私達はいつもの手順で街近くの森まで飛び、足税を払う為に待たされた後、ようやく門を潜った。
ここ半年で――更に言うなら、ここ数ヶ月で、頻繁に出入りする様になったから慣れたものだが、このただ待たねばならない時間が面倒だった。
役人も別段、手を抜いている訳ではないのだろうが、いずれにしろ数が数だ。
見慣れた顔などは、事務的な質問だけですぐに解放されるものの、仕事だから手順に従わなければならない。
そして、それは私も同様だ。
エルトークスなのか、あるいはベントリーなのかは不明だが、便宜を図ってくれたお陰で、私に対しては顔パス状態だった。
それでも、列を抜かして私達だけ抜けられる程、優遇されてはいない。
並んだ順番に処理するのは変わらず、そこに煩わしさを感じている。
リルも最初は物珍しいから文句を言わなかったし、周りの風景や放牧されている家畜を見ているだけで、時間はあっという間に過ぎて行った。
しかし、代わり映えのない景色だ。
幾度も通っていれば飽きもする。
朝早くの出立だった事もあって、ただ待たされる時間は眠気を誘い、リルは何度も大きく口を開けて、欠伸をしていた。
「さぁ、リル。そろそろ、しゃんとなさい」
「んぅ……、してるよ」
門を潜るだけで、もう飽々と言った感じだ。
これは本格的に、何か対策を講じるべきかもしれない。
転移を森ではなく、街の中にするべきか、それとも別に家を購入するか……。
どちらにしてもリスクがあり、そして何より、家の購入は大変だ。
土地の購入、家屋の購入……これらどちらとも、正式に得ようと思ったら市民権を獲得しなければならない。
そして、市民権の獲得は、生半な事では無理なものだった。
金銭だけで購入しようとしたら、まず膨大な金額になるし、紹介状も必要だ。
私が築いた関係で、例えばベントリーやエルトークスは、その紹介を断ったりしないだろうが、大きな貸しになるのは間違いない。
仮にそれらに目を瞑るのだとしても、結局その家は利用しない事になるだろう、というのが目下の問題だった。
街の家はあくまでカモフラージュで、転移陣を置くだけの役割にしかならない。
普段は森の家で暮らす事になるのだし、シルケの居ない生活は実務的な事を無視しても考えられない。
何より、街の暮らしがメインになるのは、アロガが納得しないだろう。
普段からリルとくっ付いて暮らしているアロガだ。
触れ合う時間が減少し続けている現在、その不満をありありと表明するのは想像に難くない。
だからせめて、自由時間には好きにくっ付けていられる環境にしてやりたかった。
そして、リルもまた、それを望むだろう。
だが、渋る理由はそれだけではなかった。
所在地が周囲に知られることは、要らぬ諍いを招く。
単なる善意で、あるいは友誼で、誰かが訪れる事もあるだろう。
しかし、常に不在している現場を目して、一体なにを思うだろうか。
踏み込むべきではない、と考えるならば良い。
しかし、そうでない者の対処は、相応に面倒だった。
一足飛びに街の中と外を行き来可能なのは魅力だが、その手間を惜しんだ分だけ面倒事もやって来る。
「考えてみたものの、やっぱり……だな」
やはり、今まで通りに苦労した方が良さそうだった。
つらつらと考え事をしながら、リルの手を引いて目的地へと向かう。
到着した先はいつかの学舎で、外観を改めて見直せば、私塾と言っても良さそうな規模だった。
単純に読み書きを教えるだけの場所だし、多くの生徒を持つ訳でもない。
やはり、子どもを少しの時間だけでも学業に手渡せる家庭は、この街でもそう多くないのだ。
お金のある商家ならば、自宅の方に教師になれる人物を招くので、こうした学舎には足を運ばない。
中流と下流の間に生きる子ども――。
それが、この学舎に集う生徒達だった。
そうした訳だから、数が少ないのも納得できる。
十人に満たない生徒は、年齡もまちまちで、下は六歳、上は九歳からになる。
教える内容がそれぞれ違って来るので、少人数でなければやって行けず、だから今の状態は、むしろ丁度良いのかもしれなかった。
「さぁ、リル……。今日から七日に一度、ここに来る事になるからね。しっかり学んで来なさい」
「ん、んぅ……!」
リルは胸の前で小さな拳を握って、ゴクリと生唾を飲み込んだ。
緊張がありありと伝わって来て、その肩を優しく撫でる。
今日の衣装は派手過ぎず、また高級感が出ないよう、庶民風の格好にしていた。
いつも街に行く時は商談とセットになる事から、リルも相応に着飾らせていたが、そんな事をここでもしたら相当浮く。
だから、姿形だけ見れば、街中でよく見かける格好と変わらない。
しかし、見る人が見れば、その布地や糸などが、庶民に賄える物ではない、とすぐに分かるだろう。
リルの保護も兼ねているので、服には同色の糸で刺繍が施されている。
これが魔術的防護を果たし、裏地に縫い込まれた陣と連携して、大抵の危害から守ってくれるのだ。
また、ナナが十分に力を使えるよう、マナの蓄充もされているから、いざという時、リルの魔力に頼る必要もない。
そして、
リルの着ている服を起点として転移するので、場所を特定する手間が省かれ、仮に拉致されようとも五秒と掛からず到着できる見込みだ。
私はリルの肩に触れながら、衣服に縫い込まれた魔術が問題なく作用する事を確認し、それからごく軽く押す。
「さぁ、行ってらっしゃい」
「……お母さんは?」
「お母さんは……、遠くで見守っているよ。リルが一人でやって行ける様にね」
実際は、見える範囲に控えていたりはしない。
この間に食材の買い出しなどを、済ませてしまう予定だった。
「でも、学校が終わるお昼の時間には、ここで待っているよ。だから、安心して行っておいで」
「ん、んぅ……!」
リルは大きく息を吸って、そして吐く。
緊張を削ぐ為に肩を何度か上下させ、そしていつしかその呼吸は、鍛錬の時などに行う呼吸法へと移っていった。
リルにとっては、そちらの方が馴染み深いのだろう。
そして実際、精神統一としても有効な方法だ。
それを敢えて教えずとも実行した事を嬉しく思った。
リルがいざ、一歩踏み込もうとした瞬間――。
その出鼻を挫くように、横合いから声が掛かった。
「あ〜っ! リルだぁ!」
「んひぃっ!」
唐突に呼ばれ、リルの背筋と尻尾が真っ直ぐに伸びる。
リルが慌てて顔を向けた方向には、街で作った始めての友達、ミーナとモンティが立っていた。
そのミーナが指を一本向けて、嬉しそうに破顔している。
ミーナの顔を発見したリルも、途端に弾ける様な笑顔になった。
「ミーナちゃん!」
「よかったぁ、今日からいっしょ! ねっ!」
「うんっ! んひひ……、たのしみ!」
それまでの緊張は何処へやら、不安など遠くへ飛んで、互いに手を取り合っている。
そして、ミーナは私の方にも顔を向けると、ぺこりと頭を下げて、それからしみじみとした視線を送って来た。
「リルちゃんのママ、今日もカッコイイなぁ……。いつもいっしょで、うらやましい」
「おや、ありがとう」
私も笑顔で返礼しつつ、近くを窺う。
だがどうやら、ミーナは親と同伴ではないようだ。
家が近所だからか、あるいは他に理由があるからか……理由は不明だが、とにかく一人で来たらしい。
……と、そこまで考えて、傍に立つモンティを見て思う。
彼の様な幼馴染がいるなら、確かに案内役は不要だろう。
初日くらい親子で来るのも良いじゃないか、と思う一方、家庭の事情は人それぞれだと思い直した。
「よっ、リル。お前も、今日からうちのモンだからな。オレの方が先にいたんだから、オレの方がえらいんだぞ。よく分かっとけよ」
「でも、リルちゃんの方が、オヤブンなんだよね〜? このばあい、どっちがエライの?」
モンティから早速マウント取りが始まり、ミーナは意に介さず首を傾げる。
当然、どうあれ親分の方が偉いと思うのだが、そこはそれ、子どもの中の世界だ。
彼ら同士で上手いこと折り合いを付ければ良い。
それより今は、いつまでも入口で足踏みせず、中に入る方が優先だろう。
「いつまでも喋っていると、遅刻してしまうよ。行ってきなさい」
リルに優しく伝えると、それより早くミーナが応える。
「はいっ、リルちゃんのママ、いってきま~す!」
元気に手を挙げ、小さく振って駆け出す。
モンティもその後に続き、リルも走り出そうとした。
私はその背に声を掛ける。
「リル、最初が肝心だよ。ガツンと行きなさい、ガツンと」
「うんっ! いってきます!」
晴れやかな笑顔と共に、大きく一度手を振ると、ミーナが開け放った扉に子ども達は雪崩込んだ。
私はその姿が完全に見えなくなるまで見送り、他にも慌ただしく駆け込む生徒を見てから背を向けた。
――さて、それじゃあ久しぶりに、のんびりと……。
「ゆっくり買物でもしてますか……」
私は踵を返して市場の方へ、鼻歌混じりに歩いて行った。