混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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夏の入学日 その6

 リルが学校に行っている間、やっておくべき事は複数あった。

 まず市場に行き、一週間分の生活に必要な食料品を買い付ける。

 

 最近は細かに顔を出していたので、腐りやすいからと敬遠していた牛乳なども、必ず購入する様にしていた。

 

 リルは直接飲むのを好まないが、お菓子作りの材料にもなる。

 牛乳を好むのはアロガの方で、最近では朝に出さないと不機嫌そうにする始末だ。

 

 だがそれを見て、リルも少しずつ飲む様にはなって来た。

 

 私が美味しそうに飲んでも興味を示さないのに、アロガを見て態度を変えるのは何なんだろう。

 

 ……いや、深くは考えまい。

 姉弟の対抗意識と思っていれば、心穏やかで居られそうだ。

 

 買い物が済めば、次に向かうのはベントリーの所になる。

 濃縮水薬の納品の為で、これは月に一度、定期的に訪ねると決まっている。

 

 水薬自体は週に一度のタイミングでも卸せるのだが、一応遠方から仕入れている事になっているので、そこそこ時間が掛かるという設定だ。

 

 とはいえ、頻繁に街まで足を運んでいる事から、この辺りの欺瞞は既に察知している事だろう。

 

 それでも敢えて口を出さないのは、それで関係を損なうのを恐れているからだ。

 今の状態が万事上手く行っているのなら、敢えて波風を立てる必要はない――。

 

 ベントリーの商売人としての心得からすると、きっと忸怩たる思いだろうが、それを呑まねば良好な取引は維持できない、と理解している筈だ。

 

 現在は試験紙と濃縮水薬の売り出し準備で忙しくしている筈だから、私は納品だけ済ませて、さっさと辞去するつもりだった。

 

 私はベントリーの商会に入って、既によく知る間柄となった代理店長へと顔を掛ける。

 

「いつものだ。持ってきたぞ」

 

「ようこそ、いらっしゃいました。お部屋へご案内します、こちらへどうぞ」

 

 促されるまま向かい、最早見慣れた応接室の、いつものソファーへと腰を下ろす。

 

 こちらも納品するべき水薬を、鞄から取り出しながら、向かい側へと座った代理店長へ声を掛けた。

 

「今日もベントリーは居ないんだな」

 

「はい、知ればきっと残念がるでしょうが、今は大変お忙しい時なので……」

 

 そうだろうな、と思う。

 今まで様に、店を任せるのは変わらずとも、奥でのんびり過ごす時間などない筈だ。

 

「進捗の方はどうだ?」

 

「順調でございますよ。試験紙の在庫も十分に溜まってきております」

 

 工場での生産も順調で、歩合制である事も重なり、稼げる者は平民の平均水準以上の稼ぎを出せているらしい。

 

 子どもの場合、そこまで上手く行かないが、それでも毎日パンを食べられ、一日の食事に不測しないだけの給金を得られている様だ。

 

 滑り出しは順調――。

 後の事は、後になってみなければ分からない。

 

 だがとりあえず、現状において大きな問題点はなく、誰もが希望を見て毎日を生きている。

 

 それは安全なぬるま湯に浸かっていたベントリーも例外ではなく、むしろ活き活きとしているらしい。

 

「ベントリーがここに居る時間帯など決まっているか? 私は今後、大抵この時間は空いてそうなんだが……」

 

「難しゅうございますな。現在も東へ西へと奔走しては、忙しく調整中の身です。事業が本格的に開始された後は、更に忙しくなるでしょう。実売に関わる訳ではございませんが、暇する事だけはないでしょう」

 

「そうだな……」

 

 初動にトラブルは付き物だ。

 彼は総責任者として、それらに対応する義務がある。

 

 事前準備を完璧にこなしたとしても、やる事はやった、とイビキを搔いて寝る事は許されない。

 

 それはエルトークスも同様で、事業が拡大されれば、人員の手配や場所の提供、場合によっては工場の建設等……数えだせばキリがない苦労をする破目になる。

 

 暢気なポジションを獲得した私とは、根本的に違うのだ。

 

 少々、居心地を悪く感じて来て、私は納品する物を納品だけして、お茶も飲まずに退席する。

 

「苦労も多いだろうが、体調に気を付けて、と伝えてくれ」

 

「確かに、承りました」

 

 代理店長に深い礼と共に見送られ、商会を後にする。

 来た道を戻り、市場へ差し掛かった所で、空を見上げた。

 

 リルの学校が終わるのは、きっかり正午だ。

 午前中のみしか行われないし、昼食の事もあるので、自然とそうなる。

 

 しかし、トントン拍子に事が終わって、時間を持て余してしまった。

 まだ正午までには一時間と少しあり、どうやって時間を潰すか迷う。

 

「家に居る時は、そんな事を悩む必要はないのだが……」

 

 何しろ、やる事は無数にある。

 夏が始まったかと思えば、すぐに秋へと移ろい、収穫の時期だ。

 

 それまでにリルの服を新調しなければならないし、畑の管理を全て妖精に任せるのも怖い。

 

 定期的に見回らねばならないし、必要とあらば野菜や果物の病気を治してやらねばならなかった。

 

 妖精も良く管理してくれているが、病気だけは遺憾ともしがたい。

 そこをフォローするのも、私の役目だ。

 

 更に、森には冒険者達もやって来る。

 

 たった数時間、森を留守にしただけでは全体の一割も踏破出来ないので、こうして暢気にしていられるが、挑む冒険者の数は減っていない様に思う。

 

 今はスラムの支援で貯金が尽きたので、新たに蓄財する為、彼らが来るのは歓迎だが、いつまでも相手にするのは疲れる。

 

 その辺りもどうにかしたい所だった。

 市場の一部を通り過ぎ様とした所で、果汁絞りの屋台が出ているのに気づいた。

 

 未だ夏が始まったばかりで、暑さの本番はこれからだが、照り付ける日差しは正午に向けて強まるばかりだ。

 

 喉を潤すのも良いかと思い、一つ購入して出来上がるのを待つ。

 ひどく原始的な装置を使い、二つに切った果実を圧縮機で圧し潰す。

 

 一つの果実で絞れる果汁は、木製マグ四分の一程で、それを一杯になるまで続けられた。

 

 マグは返却しなければならないので、当然、この場で飲み干す必要があり、その為のベンチも用意されていた。

 

 誰が口を付けたかも分からないので、周囲の人には分からないよう魔術を使い、マグを清める。

 

 そうして座って一口付けた所で、横合いから声を掛けられると共に、返事を待つ事なく座られた。

 

「よぉ、奇遇じゃないか」

 

 気楽な挨拶をしながら、チョップの形で手を挙げたのはラーシュだ。

 私はマグに口を付けたまま、頷くだけの返礼をした。

 

 果汁は甘味が強く、後味に酸味が強めに残る。

 爽やかで飲みやすく、喉にも引っ掛からないが、やはり酸味が強すぎる気もする。

 

 リルが好むかどうか、難しいところだった。

 このぐらいなら大丈夫そうだし、何より飲んだ直後の甘味は大変、強く感じられる。

 

 その部分は気に入ってくれそうだが、惜しむらくは果汁が温すぎる点だった。

 

 製氷や冷蔵など望むべくもないから当然なのだが、暑い日には水分の補給だけでなく、冷たいものが飲みたくなる。

 

 私はこっそりと果汁を冷やしながら、二口目を傾けた。

 完全にラーシュを無視する形となり、彼からも苦言が飛ぶ。

 

「おいおい、無視は止めてくれ。流石の俺も傷付く。返事くらいしようぜ」

 

 私は三口目をゆっくりと嚥下してから、マグから口を離し、半分まで減った果汁を見ながら声を返した。

 

「冒険者ギルドの長たる者が、こんな所で遊んでいられるなんて、随分ヒマしてるんだな」

 

「いや、まぁ、それはそれよ……」

 

 そう言って、ラーシュはあっけらかんと笑った。

 彼がギルドの席に座らず、何処かに出歩くなど良くあることだ。

 

 こんな苦言も、今更と言えば今更なのだ。

 それで、と私はラーシュに流し目を送ると共に水を向けた。

 

「何か用なのか?」

 

「用がなくちゃ、話しかけちゃ駄目かい」

 

「そうだな、煩わしい」

 

 至極マジメに返答すると、ラーシュは肩を落として溜め息をついた。

 

「相変わらず、容赦ねぇなぁ……。少しは気を持たせてくれよ」

 

「散々、気を持たせるだけ持たせて、掌で転がす方が不誠実だろう」

 

「そうかもしんねぇけど……」

 

 男が遊ばれている事に納得していて、節度ある付き合いならそれも良いだろう。

 だが大抵は、掛けた金以上の見返りを欲しがるものだ。

 

 それは別に男女共に共通する部分だと思うが、ズルズルと引き摺る関係になるくらいなら、最初からサッパリと拒絶するくらいが性に合っている。

 

「それで……まさか、本当に声を掛けるだけが目的だったのか?」

 

「まぁ、そうだよ。いつも通り、この辺をブラブラしてたらよ、姿を見掛けたから声掛けてみただけだ。――そっちこそ珍しいじゃないか。リルちゃんはどうしたんだ? 今日はお留守番か?」

 

「いいや、リルは学校さ。今日から通わせてる」

 

「へぇ……!」

 

 ラーシュが意外そうな声を上げて、好奇心をありありを浮かべた視線を向けた。

 

「てっきり、そういうのに興味ないと思ってたぜ。箱入りっつーのかな、大事に自分で育てるんだと思ってた。誰かに任せずにさ」

 

「その予想は……まぁ、間違っていないな」

 

 実際、最初はそのつもりでいた。

 森の中で大事に大事に、余人を交えず、私だけのリルとして育てるつもりだった。

 

 しかし、リルの好奇心に鑑み、いつか森から出て行く可能性を思いついた時、そうした考えが余りに強いエゴだと悟った。

 

 あの子の将来を思えば、森の常識以外の知見を得ること、街での暮らしを見て学ぶ事の方が大事だと思ったのだ。

 

 人付き合いもまた、重要な部分だ。

 集団で生活する模擬練習として、そういう意味では学校という場は大切な学び舎だった。

 

 だから私は、リルの為になるなら、何でもする構えで学校へ通わせた。

 ――だが、そんな事より、今はラーシュの方だ。

 

 せっかくギルドの長が居るのだから、今の内に訊きたいと思っていた事を訊いてしまおう、と思い付いた。

 

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