混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

177 / 326
夏の入学日 その8

 民家より少し大きめ程度の学舎へ戻ると、授業は丁度終わる頃だった。

 

 ガヤガヤと騒がしく、椅子を引いて床を擦る音や、別れの挨拶などが聞こえて来る。

 

 私は少し離れた所からリルが出て来るのを待っていたのだが、同じ様に待つ親の姿は周囲に見えなかった。

 

 この街にこうした学舎は他にも数点あり、だから遠方から通う様な事はまずない。

 誰もが近所の顔見知りだから、わざわざ迎えに来る事もないのだろう。

 

 それに、この辺りは比較的治安もよく、スラムから離れた区画だ。

 別の学舎だと、また違った趣きがあるのかもしれないが、ここはそういう気風の様だ。

 

 そんな事をツラツラと考えていると、生徒の一人が扉を開け放って飛び出して行った。

 

 お腹が空いているのか、それとも用事があるのか、一目散に道の先へと駆けていく。

 だが単純に、家の用事、という線も考えられた。

 

 ここに子どもを通わせる家庭は、決して裕福とは言い難い。

 早く帰って家の手伝いをしろ、と厳命されているのかもしれなかった。

 

 この学舎に通う生徒は十名程――。

 何とかギリギリ通わせている、という家庭も多かろう。

 

 一人、また一人と出て帰宅して行くのを見送っていると、丁度半分の辺りでリルが出て来た。

 

 初めての学校、初めての団体行動。

 戸惑う事は多くあったろう。

 

 しかし、良い経験、良い学びを得られる筈……と思っていたのだが、リルの表情は鬱々と曇っていた。

 

 何かあったのだ、とはすぐに察せた。

 伏せられていた顔は、私を見つけると悲しげに歪み、それから一目散に駆けてくる。

 

 その後から出て来たミーナやモンティも、そのすぐ後ろに続いた。

 リルは私に抱き着くと、身体全体を押し当てて強く握って来る。

 

 今にも泣きそうなのに泣く事はせず、必死に耐えているようでもあった。

 そのただならぬ雰囲気に、私は眉を顰めて窺った。

 

「リル、どうしたんだ? 学校で嫌な事とか……?」

 

 リルは応えない。しかし、その代わりに抱き締める強さが強くなった。

 いつもなら大粒の涙を流して大声で泣くだろうに、今はそれがない。

 

 それだけでも大変な思いを胸に秘めていると分かる。

 

 そして、それを簡単に表に出すことを良しとしない、幼いながらに強い意志を感じさせた。

 

 小さな失敗の一つや二つでは、こうはなるまい。

 恥を掻かされたのか、とも思えたが、それともまた違う気がした。

 

「……リル?」

 

 優しく頭を撫でて促しても、一向に返答しない。

 埒が明かず、心配そうに見守っていたミーナとモンティへ、少々尋ねてみる事にした。

 

「学校で何があったか、訊いても良いか?」

 

「リルちゃんのママ……。うんとね、すごくイジワルされたの」

 

「意地悪……」

 

 学校には生活も、性格も、そして種族も違う者達が一同に揃うのだ。

 そこに大なり小なり、摩擦が生まれるのは当然と言える。

 

 そして、子どもというのは純粋であるからこそ残酷なもので、思ったことをそのまま口に出すケースも少なくない。

 

 あるいは単に、悪いとも思わず悪口を口に出す事もある。

 

 恐らくは、そうした今まで受けた事のない悪意を受け取ってしまい、リルは自分がどう反応して良いか分からなくなったのだろう。

 

「リルは何かされたのか? 小突かれたとか、叩かれたとか……」

 

「うぅん、ドレーの子だって。みんなに自分のなまえ、ごあいさつするとき……。なまえだけだったから、そうなんだろうって……」

 

「あぁ……」

 

 エルフに支配されていた時代、多くの者は苗字を持てなかった。

 

 親子、兄弟はともかく、親類縁者に渡り横の繋がりを作らせない為、廃止された時代があったのだ。

 

 それは勿論、人間や獣人に限った話ではなかったが、その支配構造から脱し、改めて各種族の支配構造を構築した時、苗字を名乗れるようになった。

 

 だから現代において、苗字を持たない者はまず居ない筈だが、苗字を名乗れなかったのだから、即ち奴隷身分だと揶揄されても仕方がない。

 

 特に獣人族はエルフの支配下が長く続いたせいもあって、その反動からか親族同士の結び付きや、その名に誇りを持つきらいがある。

 

 大事な事なのに、事前に教えなかった、私の落ち度だ。

 それに私自身、そうした獣人族関連に対して、どこか避けている所があった。

 

 私は申し訳なく思いながら、リルの頭を優しく撫で付け、それから諭す様に言う。

 

「リル……。リルは決して、奴隷の子なんかじゃないよ。むしろ、とても良い苗字を持ってる」

 

「……ホント?」

 

 この時、ようやくリルは抱き締める力を弱め、恐る恐る顔を上げた。

 

「本当だよ。お母さんは、こんな事でウソを言わない」

 

「じゃあ……、なんていうの?」

 

「シャミラ・リムシット。リルがこれから正式に名乗る時は、リル・シャミラ・リムシット……そう、名乗りなさい」

 

「うわぁ……!」

 

「おきぞくさまみたい……!」

 

 ミーナが胸の前で手を合わせ、パッと顔を華やがせた。

 

「リルちゃんのママ、ホントはおきぞくさまじゃないの? じつは、おしのびで……とか?」

 

「いいや、前にも言ったけど、私はそんな良い生まれじゃないな」

 

「じゃあ、パパがそうなんだ!」

 

 そうなの、とでも言いたげに、リルは目をまん丸に開けて見上げて来る。

 私は曖昧に笑んで、答えを拒否した。

 

 リルの母――ニコレーナから話を聞いた限り、父親となる男の身分は、そう高くなさそうだった。

 

 事実かどうかは知らないし、確認もしていないが、むしろ貴族なのは母の方だ。

 獣人の氏族の出――そう聞いているし、苗字に二つの名を持つのが、その証拠だろう。

 

 実家がどういう家で、どういう規模かまで知らないから、実は名ばかりで農民とさほど暮らしが変わらない、という事もあり得る。

 

 人間社会の貴族でも、男爵を叙勲しているにもかかわらず、下手な商人より貧乏というのは決して珍しくない。

 

 ニコレーナの生家も、そうした貧乏氏族かもしれなかった。

 ともかく、自分の苗字が立派だと分かって、リルは嬉しそうに飛び跳ねた。

 

「リルのなまえ、すごくカッコイイ……! んと……シャミラ・リル……」

 

「違う違う、自分の名前と混同してしまっているよ。リムシット、シャミラ・リムシット。帰ったら綴りも教えてあげようね」

 

「キレーな名まえ……。リルちゃんのママにぴったり……!」

 

 ミーナは我がことの様に喜んでいたが、その時、また学舎から出て来た別の子どもが、こちらに気付いてやって来た。

 

 それにいち早く気付いたモンティの表情を見るに、どうやらそれがリルに悪意をぶつけた子どもらしい。

 

「あっ、奴隷の子だ! 奴隷は一人じゃ帰れないか!」

 

 リルより身長も高く、歳も上に見える。

 恐らく学舎での最年長で、尊大な人間族の少年だった。

 

 後ろには取り巻きらしい子どもが二人いて、同様の視線を向けている。

 言葉遣いからも品性下劣で、元より獣人を下に見ている節が垣間見えた。

 

 この国にとって、獣人の人口は半数に登るから、そうした迂闊な発言は自分の首を締めるだけなのだが……親の教育なのか、その事に気付いてすらいない。

 

 そして当然ながら、獣人を奴隷と侮蔑する事は、子どもだからと許される発言ではなかった。

 その上、私達の姿を見て、格好の攻撃材料を見つけたと思ったのだろうか。

 

 醜悪な笑みを浮かべて、指差してきた。

 

「それがお前のご主人様か? すっげー美人だけど、お前とはぜんぜん似てないもんな!」

 

「グルル……!」

 

 リルの喉奥から、今まで聞いたことのない唸り声が上がった。

 鼻先にシワを寄せ、威嚇する仕草で咄嗟に言い返す。

 

「お母さんだもん! リルのお母さんだもん!」

 

「そうかぁ……? そう思ってるの、お前だけなんじゃねぇ?」

 

 リルがぐぅっ、と唸り、強く強く私を抱き締める。

 

 ミーナとモンティからは、その下劣な言葉を非難する視線が飛んでいたが、声までは発せていなかった。

 

 年齢差と単純な体格差、そして垣間見える暴力性が、二の足を踏ませているのだ。

 ミーナは友達を傷付けられ、震えて涙さえ浮かべている。

 

 私は深々と溜め息をついて、抱き締めて来るリルの背中を優しく撫でた。

 

「リルは将来、きっと美人になるよ。()()()()()()()()の美人になるのは、もう決まった様なものだ」

 

「ホント……?」

 

「だからあぁいう、下らない発言は気にしなくていい。それにね……」

 

 私はリルに向けて下ろしていた視線を、前方へと向ける。

 鋭く射抜く視線に気後れしたのか、うめき声みたいなものを浮かべ、一歩後退した。

 

「リルはよく耐えたね。ぐっと我慢して、きっと言い返さなかったんだろう?」

 

「うん……」

 

「優しさは美徳だ。他人を思い遣り、誰とでも友達になろうとするリルを、お母さんは嬉しく思う」

 

 恐らく、リルの事だから、友達になろうとして袖にされても、気にしていなかったろう。

 

 また次の機会に、とでも思っていたに違いない。

 それを奴らは、明確な悪意をもって否定した。

 

 距離を取るのではなく、攻撃し、排斥する事を選んだ。

 そのツケを、奴らは払わなければならない。

 

 私はリルの背中を軽く叩き、少年たちへと身体を向けさせる。

 

「――教訓だ。しっかり見ておきなさい」

 

「うんっ!」

 

 リルの声を聞くのと同時、私は片手を前に突き出した。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。