混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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学び舎騒動 その1

「いいかい、リル。名誉を傷付けられた時、そして酷く侮辱された時……そういう時は、しっかり怒って良いんだ。――いや、むしろ怒らないといけない」

 

「……そうなの? でも、おこられるの、イヤなんじゃないかな。リルはおこられるの、ヤだもん……」

 

「リルは少し、優しすぎるな……」

 

 私はリルの肩に置いた手を、若干強く握って嗜める。

 

「しかし、それで侮辱される事を飲み込んではならない。侮辱は魂に対する暴力だ。身体に傷は付かずとも、心の奥深くを傷付ける。それを恥と思わない相手には、相応の罰が必要だ。それも、果断な罰が……」

 

 私が正面の少年たちを睨み付けると、途端に怯んで顔を逸らした。

 

 後ろの二人は大人を怒らせたと思ってオロオロしたが、暴言を投げ掛けた少年は、つまらなそうに――そして悔しげに、口をへの字に曲げている。

 

 なぜ自分が怒られる様な真似を、とでも思ってそうな態度だ。

 後ろの二人はともかく、その太々しい態度を見咎めて、私は声を投げる。

 

「お前、名前は……?」

 

「何で、そんなこと言わなきゃいけないんだよ。お、おい、行こうぜ……!」

 

「――名前だ」

 

 再び鋭く声を放って、少年の足の動きを拘束する。

 

 魔力を声に乗せた、ごく軽い拘束術だが、魔術に対して無防蟻な子どもなら、文字通り子供騙しの魔術でも十分通じる。

 

 逃げようにも逃げ出せず、動けと思っても動き出さない足に、少年は涙目になっていた。

 

「さっさと言え。そうしないと話がいつまでも進まない。進まなければ、いつまでも終わらないぞ」

 

「ケレイだよ! ケレイ・チトウッド!」

 

 殆ど涙声で、叫ぶように言った。

 私はそれに頷き、話を続ける。

 

「では、ケレイ。お前は我が娘を、その短慮と無思慮で侮辱した。私はその侮辱を決して許しはしないだろう。お前は報いを受けなければならない」

 

「何でだよ……!」

 

 ケレイからすれば、酷く理不尽に思えるだろう。

 

 その言動からも、勝手気ままに振るえる環境に生きて来たのだと察せられた。

 親の教育の賜物か、あぁした悪口を、悪いと思っていない節が窺える。

 

 だが当然、誰彼構わず攻撃していれば、攻撃した相手が激怒する事もあるだろう。

 それを知らない、という事が何よりの不幸だった。

 

「ケレイ、お前は今まで知らなかっただけかもしれない。誰もが言葉を呑んで、その侮辱に耐えていたかもしれない。――だが、そういう相手ばかりではないと、迂闊な態度が相手を怒らせるのだと、身を以て知ると良い」

 

「う……っ、ぐ……!」

 

 迫力に気圧されて、拘束していなかった後ろの少年二人が、追い立てられる様に逃げて行った。

 ケレイも逃げ出そうと懸命に身体を捻っていたが、一向に足が動かない。

 

 涙目になり、口の端から涎が垂れるほど余裕をなくしていたが、それでもたった一歩が踏み出せなかった。

 

「なんで……、なんで足が!? ……くそっ!」

 

「お母さん……」

 

 リルがケレイを助けて欲しそうに、こちらを見つめる。

 侮辱の意味をまだしっかり理解出来ていないからこそ、見せる態度だと思った。

 

 汚い言葉をぶつけられ、悪口を言われた事は理解しても、それがどれほどのものか、計り兼ねているからこその行動だ。

 

 まだ幼く、そして何より優しいからこそ、見せる態度だった。

 しかし、優しいだけでは駄目なのだと、私は強く念を押す。

 

「リル……、リルは自分を誇りに思わないといけないよ。誰からも貶められる理由はなく、そして貶められたなら怒らねばならない。何故なら、それは自分だけでなく、自分の家族まで貶める行為だからだ」

 

「ナナ、すごくおこってた……。リルよりおこってた……」

 

 リルは自分の胸に手を当てて、悲しそうに目を伏せた。

 私はリルの肩を優しく撫でながら、優しい口調んで語り掛ける。

 

「ナナがリルを大事に思っている証拠だ。自分が大事に思っている人を侮辱されたらね、我が事の様に怒る。そして、その怒りは正しいものだ」

 

「あやまってもらうだけじゃ、ダメなの? もうしませんって、やくそくしてもらうの」

 

「それも駄目ではない。言って聞いてくれる相手には、そうした解決策もありかもしれないな」

 

 だが、ケレイの様な人間には逆効果なのだ。

 謝罪を求められる事こそ、侮辱と受け取る。

 

 無論、これは私の勇み足かもしれないから、促すだけならしてみても良いだろう。

 

 そう思って提案してみようと思ったのだが、それより前に学舎から教師が出て来た。

 

 普段の人の良い顔は鳴りを潜め、今の状況に困惑している。

 

「これは……一体、どうした事ですか? 何をされているんです……!?」

 

 気付けば、周囲には人だかりとまで言えないものの、遠巻きに見つめる人々がいる。

 

 馬車道に面していないし、住宅街みたいな立地にあるので、通りは馬車が二台通れるギリギリのスペースしかない。

 

 その狭い範囲で、十人を超す人間と獣人が、固唾を呑む様に見守っているのだから、一種異様な光景と言えるだろう。

 

 少し注意して見てみれば、ボレホ子飼いのエルトークス商会の人間もいる。

 

 私に無茶をさせない為、また私にコナを掛けさせない為、常に張り付いている男達だった。

 

 それを努めて無視し、私は教師へと顔を向け、あらましを説明した。

 

「少し、教訓を教えてやろうとしていた所だ。我が娘を奴隷と称した事には、相応の罰が与えられなくてはならない」

 

「ケレイ……。君は、また……」

 

 教師の顔が悲しげに歪められる。

 リルの態度を見ても、学舎に入って初めて投げ付けられた言葉ではなかったろう。

 

 ならば当然、この教師の耳にも入っていた筈で、そこでしっかり教育していれば、ここまで大事にもならなかった。

 

「教師なら学問だけでなく、教育もしてやれよ。侮辱に対して寛容でいてくれる人間が、一体どれだけいると思う?」

 

「はい、それは……汗顔の至りです。注意はしたのですが……」

 

「その釈明に何の意味がある。教育しろ、と言ったぞ。理解させていないから、私の怒りを買う破目になっている」

 

「えぇ、勿論です……。ですが、こちらのチトウッド家には、寄付を頂いていまして……」

 

「何だそれは……、下らん」

 

 だから、教師もケレイに強く言えない、という事か。

 教師の仕事が高給でないのは良く分かる。

 

 そして、備品や設備の充実にも、十分な予算が割り当てられていないのも、ベントレイから聞いた話から推測出来た。

 

 寄付がなければ十分な教育が出来ず、だからそれに依存している限り、強く出られない、という事だろう。

 

 リルは私との遣り取りが理解できず、首を傾げて尋ねて来た。

 

「んと……、どういうこと? なんかみんな、あのこのいいなり……みたいだった」

 

「つまり、それだけお金の力は強いって事だよ。普通は駄目って言われる事でも、街ではね……お金で黙らせる事が出来るんだ」

 

「でも、それってヘン……。イケナイことは、イケナイんだよ。おかねがあれば、ダメなこともしていいって、ぜったいヘン……!」

 

「そう、リルは正しい。でも、正しい事を曲げられる……それがお金の力でもあるんだ」

 

 リル数秒黙って、それから唐突に口を開けた。

 

「……かうの?」

 

「うん?」

 

「わるいコトしてもいいよって、おにくかうみたいに?」

 

「そうだな、その考えは間違いじゃない。とても近しい」

 

「じゃあ、やっぱりヘン!」

 

 リルは何処にぶつけて良いか分からない、発散できない怒りで憤っていた。

 しきりに変だ、街は変だ、と息巻いている。

 

 そして、その怒りは正しいものなのだと、私はリルの背中を押す。

 

「そう、悪しき事を金の力で蓋をすること、それこそが悪しき事だ。――我が娘を公然と侮辱した罪は、子どもであろうと許されるものではない」

 

「いえ、お待ち下さい……!」

 

 教師は自らが不利と理解しつつ、それでも止めようと前に踏み出した。

 彼の立場なら、当然の行動だろう。

 

 傍観していて良い立場ではないし、ケレイを守らなければ、学舎の運営にも支障をきたす。

 

 しかし、だからといって、私の方こそ折れる理由がなかった。

 

「いいや、待たない。これは教訓だ。相手を安易に罵倒し、侮辱することの愚かさを、この場で教えてやらねばならない。このケレイの為じゃない、リルの為……そして街に生きる全員の為にだ」

 

「ですが、私刑の様な真似事、決して許す訳には……!」

 

「お前の許可など求めていない」

 

 私は強く視線で射抜いて断言する。

 

「金を受け取る程度で、正しい教育を出来ない教師が、何を言う権利がある」

 

「それは……」

 

「いや、今のは私も少し意地悪だったかな……」

 

 リルが不安そうに見つめてくるので、安心させるよう、笑みを浮かべながら肩を撫でた。

 

「金の力は恐ろしい。そして、一度抑えられたら、そう簡単には跳ね除けられないものだ。それも分かる。だから、せめて黙って見ていろ。……あぁ、だが安心しろ。お前は教師の義務として、これを止めようとした。その事はしっかり明示してやる」

 

 そう言ってから、私はケレイの拘束を解いた。

 

 最早、半ば逃げ出すのを諦めていた所だったので、突然の自由に困惑した様子が窺える。

 

 私は、その困惑から立ち直るより早く言葉を投げつけた。

 

「これから、リルと決闘しろ。自らの正当性――まぁ、そんなものがあればだが……、それを主張する為に戦え」

 

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