「いいかい、リル。名誉を傷付けられた時、そして酷く侮辱された時……そういう時は、しっかり怒って良いんだ。――いや、むしろ怒らないといけない」
「……そうなの? でも、おこられるの、イヤなんじゃないかな。リルはおこられるの、ヤだもん……」
「リルは少し、優しすぎるな……」
私はリルの肩に置いた手を、若干強く握って嗜める。
「しかし、それで侮辱される事を飲み込んではならない。侮辱は魂に対する暴力だ。身体に傷は付かずとも、心の奥深くを傷付ける。それを恥と思わない相手には、相応の罰が必要だ。それも、果断な罰が……」
私が正面の少年たちを睨み付けると、途端に怯んで顔を逸らした。
後ろの二人は大人を怒らせたと思ってオロオロしたが、暴言を投げ掛けた少年は、つまらなそうに――そして悔しげに、口をへの字に曲げている。
なぜ自分が怒られる様な真似を、とでも思ってそうな態度だ。
後ろの二人はともかく、その太々しい態度を見咎めて、私は声を投げる。
「お前、名前は……?」
「何で、そんなこと言わなきゃいけないんだよ。お、おい、行こうぜ……!」
「――名前だ」
再び鋭く声を放って、少年の足の動きを拘束する。
魔力を声に乗せた、ごく軽い拘束術だが、魔術に対して無防蟻な子どもなら、文字通り子供騙しの魔術でも十分通じる。
逃げようにも逃げ出せず、動けと思っても動き出さない足に、少年は涙目になっていた。
「さっさと言え。そうしないと話がいつまでも進まない。進まなければ、いつまでも終わらないぞ」
「ケレイだよ! ケレイ・チトウッド!」
殆ど涙声で、叫ぶように言った。
私はそれに頷き、話を続ける。
「では、ケレイ。お前は我が娘を、その短慮と無思慮で侮辱した。私はその侮辱を決して許しはしないだろう。お前は報いを受けなければならない」
「何でだよ……!」
ケレイからすれば、酷く理不尽に思えるだろう。
その言動からも、勝手気ままに振るえる環境に生きて来たのだと察せられた。
親の教育の賜物か、あぁした悪口を、悪いと思っていない節が窺える。
だが当然、誰彼構わず攻撃していれば、攻撃した相手が激怒する事もあるだろう。
それを知らない、という事が何よりの不幸だった。
「ケレイ、お前は今まで知らなかっただけかもしれない。誰もが言葉を呑んで、その侮辱に耐えていたかもしれない。――だが、そういう相手ばかりではないと、迂闊な態度が相手を怒らせるのだと、身を以て知ると良い」
「う……っ、ぐ……!」
迫力に気圧されて、拘束していなかった後ろの少年二人が、追い立てられる様に逃げて行った。
ケレイも逃げ出そうと懸命に身体を捻っていたが、一向に足が動かない。
涙目になり、口の端から涎が垂れるほど余裕をなくしていたが、それでもたった一歩が踏み出せなかった。
「なんで……、なんで足が!? ……くそっ!」
「お母さん……」
リルがケレイを助けて欲しそうに、こちらを見つめる。
侮辱の意味をまだしっかり理解出来ていないからこそ、見せる態度だと思った。
汚い言葉をぶつけられ、悪口を言われた事は理解しても、それがどれほどのものか、計り兼ねているからこその行動だ。
まだ幼く、そして何より優しいからこそ、見せる態度だった。
しかし、優しいだけでは駄目なのだと、私は強く念を押す。
「リル……、リルは自分を誇りに思わないといけないよ。誰からも貶められる理由はなく、そして貶められたなら怒らねばならない。何故なら、それは自分だけでなく、自分の家族まで貶める行為だからだ」
「ナナ、すごくおこってた……。リルよりおこってた……」
リルは自分の胸に手を当てて、悲しそうに目を伏せた。
私はリルの肩を優しく撫でながら、優しい口調んで語り掛ける。
「ナナがリルを大事に思っている証拠だ。自分が大事に思っている人を侮辱されたらね、我が事の様に怒る。そして、その怒りは正しいものだ」
「あやまってもらうだけじゃ、ダメなの? もうしませんって、やくそくしてもらうの」
「それも駄目ではない。言って聞いてくれる相手には、そうした解決策もありかもしれないな」
だが、ケレイの様な人間には逆効果なのだ。
謝罪を求められる事こそ、侮辱と受け取る。
無論、これは私の勇み足かもしれないから、促すだけならしてみても良いだろう。
そう思って提案してみようと思ったのだが、それより前に学舎から教師が出て来た。
普段の人の良い顔は鳴りを潜め、今の状況に困惑している。
「これは……一体、どうした事ですか? 何をされているんです……!?」
気付けば、周囲には人だかりとまで言えないものの、遠巻きに見つめる人々がいる。
馬車道に面していないし、住宅街みたいな立地にあるので、通りは馬車が二台通れるギリギリのスペースしかない。
その狭い範囲で、十人を超す人間と獣人が、固唾を呑む様に見守っているのだから、一種異様な光景と言えるだろう。
少し注意して見てみれば、ボレホ子飼いのエルトークス商会の人間もいる。
私に無茶をさせない為、また私にコナを掛けさせない為、常に張り付いている男達だった。
それを努めて無視し、私は教師へと顔を向け、あらましを説明した。
「少し、教訓を教えてやろうとしていた所だ。我が娘を奴隷と称した事には、相応の罰が与えられなくてはならない」
「ケレイ……。君は、また……」
教師の顔が悲しげに歪められる。
リルの態度を見ても、学舎に入って初めて投げ付けられた言葉ではなかったろう。
ならば当然、この教師の耳にも入っていた筈で、そこでしっかり教育していれば、ここまで大事にもならなかった。
「教師なら学問だけでなく、教育もしてやれよ。侮辱に対して寛容でいてくれる人間が、一体どれだけいると思う?」
「はい、それは……汗顔の至りです。注意はしたのですが……」
「その釈明に何の意味がある。教育しろ、と言ったぞ。理解させていないから、私の怒りを買う破目になっている」
「えぇ、勿論です……。ですが、こちらのチトウッド家には、寄付を頂いていまして……」
「何だそれは……、下らん」
だから、教師もケレイに強く言えない、という事か。
教師の仕事が高給でないのは良く分かる。
そして、備品や設備の充実にも、十分な予算が割り当てられていないのも、ベントレイから聞いた話から推測出来た。
寄付がなければ十分な教育が出来ず、だからそれに依存している限り、強く出られない、という事だろう。
リルは私との遣り取りが理解できず、首を傾げて尋ねて来た。
「んと……、どういうこと? なんかみんな、あのこのいいなり……みたいだった」
「つまり、それだけお金の力は強いって事だよ。普通は駄目って言われる事でも、街ではね……お金で黙らせる事が出来るんだ」
「でも、それってヘン……。イケナイことは、イケナイんだよ。おかねがあれば、ダメなこともしていいって、ぜったいヘン……!」
「そう、リルは正しい。でも、正しい事を曲げられる……それがお金の力でもあるんだ」
リル数秒黙って、それから唐突に口を開けた。
「……かうの?」
「うん?」
「わるいコトしてもいいよって、おにくかうみたいに?」
「そうだな、その考えは間違いじゃない。とても近しい」
「じゃあ、やっぱりヘン!」
リルは何処にぶつけて良いか分からない、発散できない怒りで憤っていた。
しきりに変だ、街は変だ、と息巻いている。
そして、その怒りは正しいものなのだと、私はリルの背中を押す。
「そう、悪しき事を金の力で蓋をすること、それこそが悪しき事だ。――我が娘を公然と侮辱した罪は、子どもであろうと許されるものではない」
「いえ、お待ち下さい……!」
教師は自らが不利と理解しつつ、それでも止めようと前に踏み出した。
彼の立場なら、当然の行動だろう。
傍観していて良い立場ではないし、ケレイを守らなければ、学舎の運営にも支障をきたす。
しかし、だからといって、私の方こそ折れる理由がなかった。
「いいや、待たない。これは教訓だ。相手を安易に罵倒し、侮辱することの愚かさを、この場で教えてやらねばならない。このケレイの為じゃない、リルの為……そして街に生きる全員の為にだ」
「ですが、私刑の様な真似事、決して許す訳には……!」
「お前の許可など求めていない」
私は強く視線で射抜いて断言する。
「金を受け取る程度で、正しい教育を出来ない教師が、何を言う権利がある」
「それは……」
「いや、今のは私も少し意地悪だったかな……」
リルが不安そうに見つめてくるので、安心させるよう、笑みを浮かべながら肩を撫でた。
「金の力は恐ろしい。そして、一度抑えられたら、そう簡単には跳ね除けられないものだ。それも分かる。だから、せめて黙って見ていろ。……あぁ、だが安心しろ。お前は教師の義務として、これを止めようとした。その事はしっかり明示してやる」
そう言ってから、私はケレイの拘束を解いた。
最早、半ば逃げ出すのを諦めていた所だったので、突然の自由に困惑した様子が窺える。
私は、その困惑から立ち直るより早く言葉を投げつけた。
「これから、リルと決闘しろ。自らの正当性――まぁ、そんなものがあればだが……、それを主張する為に戦え」