「な、何で……! 何でオレが、そんな事しなくちゃいけないんだよ……!」
ケレイは頑なだった。
涙目で怯え切っているのに、その気丈さだけは大したものだ。
まだ十歳程度の子供らしく、善悪の区別が曖昧なのは仕方ない。
だが、愚かしい発言をしたと指摘されたら、反省する柔軟性も持ち合わせて良い年齢だ。
それが出来ないと言うのなら、親の教育に問題があったのだろう。
「お前の発言に芯があるとは思えないが、仮にあるのだとしたら分からせる必要がある。言葉で分かり合えない相手には、どうするかなど昔から決まっている事だ」
「や、やんのかよ……! 大人が子ども相手に!」
「私は相手が間違っているなら、子供でも容赦しないが……話を聞いてなかったか? やるのは、リルだ。侮辱した相手と、された相手。決着を付けるのは当然、この二者の間でしか有り得ない」
私が不機嫌さを隠そうともせずに言うと、ケレイの表情に若干の余裕が戻った。
自分より三歳も年下の相手、それならば勝てる、とでも思った顔が滲み出ている。
「へ、へへ……っ。それじゃ……」
互いの間で合意が取れそうになった時、またも教師が割って入った。
その顔には大量の脂汗が浮いていて、必死にこの事態を納めようとしているのが伝わって来る。
「お待ちを……、お待ち下さい! 決闘……決闘ですって!? 何も突然、そんな暴力的な手段に出る必要がありましょうか! まずは口で説明し、説得し、反省を促すので十分ではありませんか……!」
「その発言は大いに正しい」
私は大きく頷いて同意した。
それを見て、教師も強張った表情を和らげたが、別に私は賛同した訳ではない。
「勘違いしないで欲しいな。その段階は既に過ぎた。そもそも教師たる者が最初の段階で、目の前の発言を戒め、改めさせ、反省させられていれば終わっていた話だ」
「それは……、ですが……!」
だが、それを教師の弱さだとは思わない。
彼なりに職務を真っ当しようとしていたのは分かるし、教師としての良心とのせめぎ合いがあったのだとは想像がつく。
彼は薄給であろうとも、子どもに学びの機会を与えたいと思う、志の高い誠実な人間だ。
だから、その場凌ぎや、ケレイの親に忖度しての発言でないのは信じても良かった。
しかし、忖度しないというのなら、私の方こそ誰にも忖度する理由がなかった。
悪い事は悪い、侮辱に対して怒りを顕にするのは当然の権利だ。
「でも……、そうだな。先生の誠実さに免じて、こちらが折れてやっても良い」
「それでは……!」
「うん、誠意ある謝罪を。それで手打ちにしよう」
「あぁ……!」
譲歩を引き出せたと見て、教師の顔が明るくなる。
だが私は、そう上手く行かないだろう、とケレイの顔を見ながら思っていた。
「では、謝罪をして貰おうか。自分の過ちを認めて、今後二度と、侮辱しない旨を誓うんだ」
「やだよ、何でオレが……! ケットーしてやる! 強い方が正しいんだろ! やりたいって言うんなら、やってやるよ!」
「ケレイ君、いけません。暴力で解決するのは、愚かしい行為です。それに……悪いことをしたら、しっかり謝罪できる人間こそ、強い人間なんですよ」
「あっちが、先にケンカ売ってきたんだろ!」
「何を勘違いしてるんだ。先に売ったのはケレイ、お前だ」
先程まで見せていた、怯えた様子は何処へやら……。
口から言葉を出す度、勢い付いてしまったらしい。
大きく息巻いて、今では興奮の只中にある。
到底、事態を冷静に見極めているとは言えないが、子どもなればこそ、勢いに任せて突っ走ってしまっているのかもしれない。
教師もよく説得しようとしているが、強く出られていない。
ケレイは大人を舐めている……というより、教師を尊敬すべき人物と見ていないのが原因だろう。
「うるさいな! やるって言ってるだろ! お父様に言い付けるぞ!」
「ケレイ君のお父様は関係ありません。よくお聞きなさい、人としての……道理としての話です。獣人に対し、侮り、蔑む発言は、人として言うべきものではありません。それは恥ずべき事です。お父様も、その発言はきっとお許しになりませんよ」
「言うもんか! お父様はエライんだ! オレの言うことの方が、正しいってお認めになるさ!」
それが本当だとしたら、限りなく愚かだ。
かつて、人種間の対立と摩擦があったのは確かで、一時は混迷を極めた。
しかし、今では法の下に平等と明記されている。
余人に聞かれない場所で愚痴めいた発言を言うのはともかく、大々的に発言することは、文句無しの失言という扱いだ。
地位の高い人間ほど、そうした迂闊な発言はしないものだし、もし本当に言ったら吊し上げに遭う。
良家であればある程、そこはしっかり教育しておくべき所なのだが……。
もしかすると、チトウッド家は反獣人主義なのかもしれない。
「まぁ、少し距離があるくらいは、別に珍しくないが……。あそこまで強い拒絶を示すのは、時代に乗れてない証拠だな」
「じだいに……のる? のるって……どう、のるの? アロガのせなかみたいに?」
「そういうのとは、ちょっと違うな」
リルの純粋な疑問に、毒気が抜ける思いがする。
私は困った様に笑いながら、見上げて来る視線に合わせて答えた。
「昔は一定数、人間の方が強いし賢いって、思われてたって事さ。今はね、みんな仲良しの方が良いし、楽しいよねって考えになってる。……そっちの方が良いだろう?」
「うん、リルもなかよくしたいな……」
「……でも、たまぁに、あぁいう勘違いしたのがいる」
私は視線をずらして、ケレイを睨み付けた。
今も教師と生徒という間柄を考慮せず、見下す様な発言で反論している。
相当、甘やかされて育てられたと見え、全てが自分中心に動いている、とでも思っていそうだ。
それはきっと、リルも似た様なものだろうが、教育の違いだろう。
リルはしっかりと、周囲と和を保ち、協調する意志が見える。
暴言を吐いた相手を思いやる気持ちさえあり、その優しさに私も嬉しくなった。
全ての人間や獣人が、リルの様であれば、きっと争いなど起こらないだろう。
だが、実際は融和している筈のこの国でさえ、差別意識はまだ根強く残っている。
「集団生活には、諍いも付き物だが……。リルにはもっと互いに手を取り合う協調性や、助け合いを学んで欲しかった。……いや、諍いを知るにしても、せめて隣人の大切さを感じてからでも……」
街へ行く度、辛い現実を知る羽目になる事が多い様に思う。
リルが人間嫌いにならないかどうか、それだけが心配だ。
ずっと私の腕の中で、放さず包んで大切に育てる事が出来たら……。
そうも思うが、それは健全とは思えない。
子はいずれ、親の庇護から外れ、巣立つものだ。
いざという時は、必ずやって来る。
だから私のやるべき事は、そのいざの時に備えて、出来る限り教え導くことだった。
だというのに――。
森から出て暮らす際、リルが戸惑わないよう、そして余計なトラブルに見舞わないよう……。
そうと思って用意したお膳立てが、全て空回って言えるように思えてならない。
「……リル、人間が嫌いになったか?」
「ううん」
リルは首を横に振って、それから目を伏せた。
「でも、なんかよくわかんない。どうしてリルに、ヤなこというのかな……」
「何でかな……。自分と少し違う見た目だから……、だから気に食わないのかもしれないな」
「どうして? リルは、べつにイヤっておもったことない」
「そう、リルの方が正しい。でもね、中にはどうしても、受け入れられない人もいるんだ。あるいは、特に理由なく嫌う人もいる」
「ヘン……。それって、ヘン。うまくいえないけど……でも、なんかおかしい」
そうだね、と言いながら、リルの頭に手を置いて優しく撫でる。
撫でる度に耳が掌に当たり、柔らかく温かな感触を返って来た。
「ただ嫌うだけなら文句は言えない。人間誰しも、全員が全員を好きでいろ、とは言えないからね」
「……そうなの?」
「本当に誰もが好き合えるなら、それは素晴らしいことだけど、相容れない関係……というのはあるものだ。お母さんにだって、嫌いな人はいる」
「なかよくなれない?」
「なれないな。それだけは無理だ」
リルはしょんぼりと耳を垂れた。
それまで撫でる度にピョコン、と跳ね上がっていた耳が、反発を返さなくなって寂しく思う。
「あの子ども……ケレイは、まだ
私が語気を強めると、私がどれだけ大事なことを言っているか、よく理解したようだ。
再び耳がピンと張り、背筋も伸びている。
前方ではいい加減、教師とケレイの言い合いは終わっていて、こちらを睨み返した所だった。
「許されない事には、毅然と立ち向かうことが必要なんだ。リルも、それはよく覚えておきなさい」
「……はいっ」
教師はケレイの背中へと、小さく何かを囁いていた。
その表情からして、説得は出来なかったようだ。
しかし、形の上だけでも謝罪させようという、そうした雰囲気は伝わって来た。
私がその言葉を待っていると、ケレイは大きく息を吸って、叩きつけるように声を出した。
「――イヤだねッ! 誰があやまるか、バーカ!」