混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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学び舎騒動 その3

 ケレイが口にした発言で、私は頭を抱えたい気持ちを必死に抑えた。

 そして実際、教師の方は本当に、頭を抱えて嘆いてしまっている。

 

 リルも悲しそうだったが、私の説得が利いていたのか、覚悟めいたものは感じられた。

 

 垂れ下がっていた尻尾も、今ではピンと上向いている。

 リルの場合、尻尾に感情が出るので分かり易い。

 

「どうやら、説得も時間の無駄だったな。……まぁ、最初から分かっていた事だ」

 

 半人半獣のこの国で、差別発言を行う愚を理解していないとしたら、それは生粋の差別主義者か単なる馬鹿だ。

 

 子どもの言う事だと許されるのは事実でも、口に出した言葉の責任は取らなければならない。

 

 つまり、大人であれば処罰が下る問題だろうと、子どもならば謝罪の一言で収まる場合もある、という事だ。

 

 そして、非がありつつ謝罪も無いとあっては、決闘に寄る決着は正当なものと見做される。

 

 だが、これは本来、不名誉なことだ。

 決闘に寄る正否は、ともすれば非のある方が、勝ってしまう事がある。

 

 明らかに非のある方が勝利を収めてしまえば、納得することもなく、泥沼化する事は多い。

 

 この国は十五年程前から共和制に移行し、それ以降、法治国家へと舵を切った。

 

 古い習慣を捨て去るべき、という風潮もあり、人間至上主義は推奨されない。

 

 教師が止めたかったのは、その風潮を払拭する切っ掛けになり兼ねないから、という部分もあっただろう。

 

 だが今回は、明らかにケレイが悪い。

 気付けば周囲の人集りは倍に増え、現在は二十人近くまで膨れている。

 

 事の顛末は伝搬して、ケレイに侮蔑の視線を向けている者も少なくなかった。

 まだ子どもとは言え、今からあれでは先が思い遣られる……。

 

 そう言った台詞まで聞こえて来るかの様だ。

 

 だが、ケレイには言葉が届いていないのか、それとも聞く気がないのか、こちらに明らかな敵意を向けて更に言った。

 

「ヘン! 力のある方が正しい、強い方がエライんだ! お前ら、お父様に言い付けてやるからな!」

 

「これはまた、頭の痛い台詞が飛び出して来たな……」

 

「つよいからエラいなんて……、リルはヤ……。ナナもヤだって」

 

「うん、リルが正しい感性を持っていて、私も嬉しい」

 

 そう言って、私はリルの頭を撫でつつ、教師が差し出す手を振り払うケレイを見た。

 

 父の呼び名からして、実際にこの街において一角の地位を持っているのだろう。

 貴族かそれに準じる権力を持ち、財力もそれなりで、誇れる親に違いない。

 

「だが、今の発言はいただけない。あれは自ら、より強い相手にはへりくだる言葉だ。奴隷根性の染み付いた台詞だな」

 

「お、おま、おまぇ……ッ! オレのことを、奴隷と言ったな!」

 

「だって……、より強い者には従うべきなんだろう? お前は自分が強者のつもりかもしれないが、お前より強い相手にはどうするんだ?」

 

「それは……、それは……!」

 

「強い者が正しく従う理念は、自ら奴隷と言っているに等しい行為だ。最底辺ではないのかもしれないが、上等な奴隷という枠組みからは外れられない」

 

 ケレイは顔を真っ赤にして、こめかみに血管を浮き上がらせた。

 

 その手を強く握って震わせたかと思うと、道端に落ちていた石を拾って投げ付けてきた。

 

「わっ……!」

 

 リルが小さく叫び声を上げ身構えた。

 しかし、力みが強すぎたせいか、石は足元に落ちて後ろへ転がって行く。

 

 避けるまもなく、私が嘆息して見せると、更に石を投げてきた。

 決闘するという話が挙がっていたのに、先制攻撃の上、投石とは……。

 

 礼儀がなっていない、などという以前の話だった。

 周囲からもブーイングが飛び、口汚い野次が飛ぶ。

 

「卑怯者!」

 

「決闘の意味も分からんのか!」

 

 子どものやる事、子どものケンカの延長線上――。

 その程度に思われていたのは確かだが、周囲には獣人が多くいるのだ。

 

 ケレイは完全に悪役で、だから多くの罵詈雑言を浴びせられた。

 そうなれば、流石のケレイも形勢が悪いと察する。

 

 手に石を握り込んだものの、更に投げ付けようとはしなかった。

 悔しげに顔を歪め、憎々しく睨み付けては声を上げる。

 

「いいさ、やってやるよ! 目にもの見せてやる!」

 

「虫の良い発言だが……。投石なんかに頼る坊やに、決闘なんか出来るのか」

 

「吠え面かくなよ! オレはな……!」

 

 そう言い掛けて、途中で止めた。

 

 どうやら何らかの武術を習っていて、それを自慢しようとしたのだろうが、流石にそれを晒す愚を犯さなかった。

 

 リルが不安そうに見上げて来て、私は大丈夫、と太鼓判を押した。

 

「でも、いつもつかってる、けんもないし……」

 

「お母さんが教えているのは剣術だけど、それは格闘技にも応用できるものだからね。問題ない」

 

「そう……、だったの?」

 

「そうとも。武器を弾かれて落としたり、破損する場合は往々にしてある。その時、戦えません、では話にならないからね」

 

 剣術に限った話ではなく、多くの武術には型がある。

 その型は長い時間を掛けて、少しずつ洗練されて今の形へと昇華したものだ。

 

「そして、そこには必ず、その様な型になった理由……合理がある」

 

「ごーり……。まえに、お母さんいってた」

 

「全ての動き、全ての型が素手に通ずる、という意味でもないけれど……。特に三の型は、素手に応用の利く型だ。それを意識してやってごらん」

 

「う、うんっ……!」

 

 これは実戦ではないが、練習でもない。

 他人と戦った事のないリルが、緊張するのは当然だ。

 

 しかし、ケレイの方には余裕が透けて見えていて、もしかするとこういう事は、初めてではないのかもしれない。

 

 あるいは何処かに師事していて、同門の弟子と打ち合う機会が多いとか、そういう理由がありそうだ。

 もしそうなら、三歳も年下のリルなど相手にならない、と考えていても不思議ではない。

 

 この位の年代の一年は、非常に大きい。

 体格差もあり、名誉の為とはいえ、挑むには大き過ぎる格差だ。

 

 だが、体格の差と言うなら、リルが普段打ち合うのは私かアロガしかおらず、どちらもリルより大分大きい。

 

 そこから考えると、リルにとってはむしろ、相手が小さく見えているだろう。

 私はリルの肩に手を置いて、耳元に口を寄せる。

 

「最初が肝心だ。ガツンと行きなさい、ガツンと」

 

「う、うんっ……! ガツンと……、ガツンと……!」

 

 リルは繰り返し同じ単語を繰り返し、ぶつぶつと呟いている。

 相手が前に出たのを切っ掛けに、私もごく軽く肩を押した。

 

 もう止め様がないと教師も理解しており、周囲が囃し立てているのも相まって、完全に諦めた様子だ。

 

 しかし、決闘ならば立会人が必要で、だから教師は逃げ出せないジレンマに苦しんでいる。

 

 リルとケレイが道の中央、手を伸ばせば届く位置で立ち止まる。

 上から見下ろす格好のケレイが、憤りを隠しもせず言った。

 

「今から謝るなら許してやる。オレの靴をなめて、許してくださいって言え」

 

「いわないっ! これはめーよの、たたかいだもん! お母さん、とってもおこってた。リルもおこらないと、いけないんだって!」

 

「へっ……! ガキが……!」

 

 ケレイが握った拳を、胸元辺りまで上げて構える。

 なるほど確かに、あの動きを見ると、何かしらの武術を嗜んでいるのは確かな様だ。

 

 力こそ正義、正しい者こそが正しいという言は、自分の実力も含んでの事だったに違いない。

 

 しかしそこで、ケレイの拳が不自然に膨らんでいる事に気付いた。

 先ほど投石しようとして握り込んだ石……。

 

 あれを握り込んで隠しているのだ。

 指摘しようと一瞬考え……、しかし止めた。

 

 どうせ後悔する事になるのは、ケレイの方だ。

 そう思いつつ、立会人の必要を思い付いた。

 

 立会人はあくまで試合を見届ける者であって、審判ではない。

 

 誰か二人と関係ない者がやるべきなのだが、都合よく居ないのなら、周囲の野次馬から選抜するしかなかった。

 

 自分がやりたい、と言い出した一人に頷き、合図を出させる。

 腕を振り上げ、自らも一歩、二歩と後ろに下がり、改めて腕を振り下ろす。

 

「はじめ!」

 

 その掛け声と同時に、ケレイの拳――石を握った拳が突き出される。

 リルもまた、掛け声と同時に型を取り、そして教えた通りに腰を落として一歩踏み出す。

 

「――ガツン!」

 

 リルの、いっそ間の抜けた掛け声と、突き出した拳が、ケレイのみぞおちに突き刺さったのは、それと同時だった。

 

 リルはケレイの拳を、首を傾ける動きだけで躱し、そのままの勢いで殴り込んだのだ。

 ――そして、勝負はその一発で終わった。

 

「お、お、ぐ……ぐぇ」

 

 リルの小さな拳は、ケレイの鳩尾(みぞおち)をしっかり捉えていて、身体が『く』の字に曲がっている。

 

 ケレイはたたらを踏んで後退り、遂には倒れて吐瀉した。

 その手に握っていた石が転がり落ち、周囲から更なるヤジが飛ぶ。

 

「なんて、ふてェ野郎だ!」

 

「どこまで卑怯なんだ!」

 

「恥の意味も知らんガキが!」

 

 教師が慌てて近寄り、背中を撫でたりして介抱するため、傍で膝を付いた。

 しかし、それを心配する声など一つもない。

 

 全くの皆無だ。

 しかし、野次もそこそこに、リルの勝利が間違いないものと悟ると、周囲からは爆発的な歓声が上がった。

 

「よくやったぞ、嬢ちゃん!」

 

「小さな体で、良くやったね!」

 

「スッキリしたぜ、俺ァ!」

 

 小さな身体の小さな女の子が、体格も全く違う人間の男の子を打ち負かしたのだ。

 

 指笛や褒め称える声が響き渡り、リルは困惑している。

 しかし、何より困惑しているのは、自分自身に対してだった。

 

 打ち込んだ拳を見つめ、勝利に喜ぶ顔を全く見せない。

 私は歓声の中を切って進み、リルを優しく抱き留めた。

 

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