「すげぇや、リル!」
「ほんとだよ、リルちゃん! カッコよかった!」
モンティとミーナが駆け寄り、口々にリルを褒めそやした。
まさに興奮の坩堝といった感じで、リルの様子など目に入っていない。
肝心のリルは既に心あらずで、周囲の歓声や友達の感動など、全く気にしていなかった。
ただ、小さく握った拳を見つめて、悲しげに目を伏せている。
だが、モンティはそんな事に気付かず、心のままに内から湧き出るものを口にした。
「オレ、カンドーしちまったよ! ダメだと思った時には、もうリルのが一発、キマってたもんな!」
「あたし、目をつぶっちゃってたの。見てられなくて……! だから、まわりの人の声で、ようやくリルちゃんが無事だ、って分かったのよ」
「ケレイがたったの一発だもんな! いい気味さ。いつもイバっててさ、すぐに手を上げるヤな奴だったんだぜ。何かちょっと気に入らないと、すぐアイツがイジメるんだ」
「ほんとうなら、リルちゃんのこと、かばってあげないといけなかったのに……。お父さんにも、すごく注意されてて……。だから、ごめんなさい」
ケレイの傍若無人さを見れば、普段からどういう態度だったか、ある程度は見えてくる。
そして、普段から学舎に寄付をするなどして、その金の使い方を心得ている父親がいるのだ。
睨まれると、何をされるか分からない――。
同じ学舎に通うとなれば、自分の子どもによくよく言い聞かせるのは、むしろ当然の予防策だったろう。
リルはそこまで考えている訳ではなかったろうが、ミーナの声にふるふると小さく首を振った。
その、余りにも元気のない姿に、それまで浮かれていたミーナ達も、流石におかしいと気付いたようだ。
「……リルちゃん、どうしたの?」
「実は殴られてたのか? 大丈夫か、ちょっと休むか?」
「たいへん……!」
二人が介抱しようと両方から抱き竦める。
しかし、リルはこれにも首を振って、二人から離れると私の方にやって来た。
周囲には、まだ歓声を浴びさせる野次馬達がいるし、ケレイが蹲りつつ、憎々しく睨み付けて来る姿も見える。
ここまで綺麗に決着が付いているのに、再戦を挑んで来るとも思えないが、いずれにせよ落ち着いて話せる状況ではない。
「ここは騒がしい。休憩するにしろ、そうでないにしろ……少し場所を移そう」
「んぅ……」
リルは消極的に頷いて、私に手を引かれるまま歩き出した。
人垣を割って道を歩けば、背後からの声援も収まっていく。
野次馬も三々五々に散って行き、後に残されたのは蹲ったケレイと、それを介抱する教師だけだ。
しばらく歩くと、午前中ラーシュと少し会話した、あの果汁売りの所に行き着いた。
丁度ベンチもある事だし、休憩するに不足はない。
私を除く人数分を注文し、出来上がるまで腰を落ち着ける事にした。
その間も、やはりリルは元気がなかった。
握った拳を時折、物憂げな視線を向けるだけだ。
三つのマグに果汁が満たされ、商品が出来上がると代金を支払う。
三人の前にそれを突き出すと、それぞれから歓声めいた声が上がった。
「わぁ〜、いいんですかっ?」
「やりぃ、いただきっ!」
ミーナとモンティは嬉しそうに受け取り、喉を鳴らして美味しそうに飲む。
リルはというと、ノロノロと受け取り、ちびりちびりと啄む様に飲み始めた。
「うんめぇ〜!」
「ね、おいしいね。ね、リルちゃん」
二人は子供らしく素直に果汁を楽しんだが、リルの暗雲は未だ晴れない。
私はリルの前に膝を付き、視線を合わせながら尋ねた。
「……そろそろ、何を思ったか、訊いても良いか?」
「んぅ……、お母さん……」
「リルが何を思ったか……感じたか、お母さんには何となく分かる。でも、リルの口から聞かせて欲しい」
「実は殴られてたんだろ? 痛いのガマンしてるんだよな?」
「もぉ〜、モンティうるさいっ! そんなんじゃないの、リルちゃん見てれば分かるでしょっ!」
いつにも増して、ミーナの剣幕は鋭い。
友を思う故の苛烈さで、モンティも分が悪いと感じて、果汁を味わう方に集中する事にしたようだ。
リルはマグを傍らに置いて、改めて自分の掌を見つめながら言う。
「リルね、はじめて、なにかをなぐったの……」
「……そうだな」
勿論、アロガとじゃれ合って、殴るような叩くような……そうしたぶつかり合いはあった。
だが、本当の意味で拳を握り、打撃を見舞った事などなかった筈だ。
木剣を握り、振り回していた時も、また同様だ。
アロガは
今回の決闘が、本当の意味で、本気の攻撃を叩き込んだ瞬間だろう。
そして、リルはそれを悔いている様だった。
「いたいね……」
「リルちゃん、お手々、いためたの?」
ミーナが心配して覗き込んだが、リルは首を横に振った。
「そうじゃなくて……、なんかむねのおくが……キュッてしたの。わるいコトしたみたいに……」
「それはリルが優しいからだ。殴った事、そしてその結果……相手を打倒した事。それを悪く感じてしまっているんだ」
「でもよ、リルはワルくないよな。あっちがワルいんじゃん」
「いーから! モンティは、だまってて!」
ミーナの迫力に押されて、モンティは決まりが悪そうに口を噤んだ。
そうして少しの間、雑踏の中で沈黙が続く。
私は辛抱強く、リルの言葉を待ち続け……。
そうすると、また少しずつ、ぽつりぽつりとリルは語り始めた。
「すごく、ゆっくりにみえたの。なぐられたけど……、てかげんされてるなって……。ホンキじゃないんだなって、おもったの。だからね、リルもゆっくりなぐったんだよ。でもね、でも……」
リルは感極まって、瞳に涙が溜まっていった。
「すごく、いたそうにしてた。リルのね、てがね、おなかにめりこんで……。やわらかくて……、すごくいたがって……。かわいそうって、ごめんなさいっておもったの……」
遂にぐずぐずと鼻を鳴らし、瞳から涙が零れる。
「リルもじぶんが、あんなふうになったらヤだもん……。だからね、とってもワルいことしたんだって、そう思ってね……」
私はリルの鼻にハンカチを充てがってやる。
すぐにブビビィ、と威勢よく鼻を噛み、幾分スッキリした顔のリルを撫でた。
「リルは優しいから、殴ることより、殴られる方の気持ちになってしまうんだね。そういう優しさは、勿論大事だ……とても大事だ。でも、相手を思い遣る気持ちと、同情を混同してはいけないよ」
「どうじょー……。どう、ちがうの?」
「相手に降り掛かった災難に寄り添う気持ち、それが同情。そして思い遣りは、相手の立場になって、助けてあげたいと思う心だ。でもね、リル。リルは最初に、まず考えを改めないといけないよ。――悪人に対し、寄り添う必要はないんだ」
「そうなのかな……」
しょんぼりとしたリルに、私は手を取って一直線に見つめる。
「あのケレイは子どもだし、悪人という程ではないかもしれない。でもね、子どもであれば、安易に相手を侮辱しても良い、という訳でもないんだ。自らの誤りを正し、謝罪する機会も与えた。リルは悪い事をしたら、すぐにごめんなさい出来るだろう?」
「うん、できる」
「でも、ケレイはしなかった。謝っていたら、それで素直に終わっていた話だった。ケレイは自ら、その機会を投げ捨てたんだ」
「うん……」
「これがもし大人が言った事だったらね、謝るだけでは済まなかった。本人だけではなく、家族までに類が及ぶ、大変な騒ぎになる所だったんだよ」
そうなの、とでも言うように、リルの視線が自分の左右に座る、ミーナとモンティの間を行き来する。
そして、その視線に対し、当然と言わんばかりの首肯が返って来た。
「あんなヤツ、なぐられて当然さ。学舎で言うならともかく……いや、それだって本当はダメだけど……。母ちゃんがいる前で言ったら、そんなのこっぴどく怒られるにキマってるさ!」
「そうだよ、獣人をね、ドレーって言うのは、ほんとうにワルいことなんだよ。あたしはそんな勇気ないけど……。でも、もしあったら、ゼッタイとっちめると思うもん」
「悪人にも種類がある。子どもの悪戯程度なら、ここまで大事になったりしない。でもね、あそこまで大事になって、決闘紛いの事にまで発展した理由が、確かにあったんだ」
私は二人の意見に追随し、それからリルの目をまっすぐに見つめて言う。
「リルは優しい故に、殴ること自体を、申し訳なく思ったかもしれない。でもね、リルは正しい事をしたんだ。それだけは覚えておきなさい」
「うん……!」
「お母さんは、こういう時、リルが自分の名誉を守れる為、困難を排除できるように、戦い方を教えた。ただ乱暴に振り回したなら、お母さんもきっと怒る。でも、正しい事に使われたなら、お母さんは嬉しく思うだろう」
「いまも……そう? うれしくおもう?」
「思うよ。それどころか、誇らしく思う。勝つだけでなく、倒した相手を思い遣れるリルを、誇らしく思うよ」
そう言うと、リルはようやく笑みを見せた。
ホッと息を吐いて、身体を弛緩させる。
緊張が解けて喉の渇きを自覚したのか、傍らのマグを手に取り、一気に喉奥へと流し込んだ。