混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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学び舎騒動 その5

「リルね……。やりすぎだって、いわれるかとおもった。ヒドイことしちゃいけませんって、お母さんにおこられるかもって……」

 

「あぁいうのは、いい気味って言うんだぜ。リルを悪く言うヤツなんか、いるもんか」

 

 またも横からモンティが口を出し、そしてミーナが咎める視線を送る。

 モンティの言は下町らしい気風に溢れていたが、繊細なリルとは相容れない。

 

 それを強く感じ取っていたのがミーナで、だから最初からリルの味方だった。

 

「リルちゃんは、ほかのみんなとちがうの! ボーリョクなんて、キライにきまってるんだから。ねっ、リルちゃん!」

 

「んぅ……、あんまり……かんがえたコトなかったけど……」

 

 リルからすると、私から言われる事はして当然、みたいなところがあった。

 必要か不必要か、好きか嫌いか……。

 

 それとは関係なく、やれと言われたら、やるべきだと考える。

 

 そこにリルの感情は関係なく、そして幸い……リルは身体を動かすのが好きだったから、苦はあっても続けてこられた。

 

 鍛えた先に何があるかなど――まして、誰かを殴るのに使うなど、思考の外だったに違いない。

 

 実際に使う機会に出会い、そこでようやく鍛えた意味と、現状の結果を知った。

 

 リルにとっては畑を耕す事と同様で、それ以上の意味などなかったのだ。

 

 考えもしなかったギャップを今更突きつけられ、戸惑っているというのが実際のところだろう。

 

「いつもどおりに、やっただけなのに……。いつもなら、お母さんがうけとめたり……、リルの方が転んじゃったりするのに……。それがなんか……、こわい」

 

「それで良いんだよ」

 

 リルが両手で包む様にしてマグを持つその手を、私は包みながら真っ直ぐに見つめる。

 

「力を恐れるのは良いことだ。感情に任せて、力を振るう事こそ恐れなさい。そうすれば、きっとその力がいずれ、自分を悪しき方向へと向かわせる。でもその逆だと、いつか誇りとなる」

 

「……うん」

 

「だよな! ケレイのヤツ見れば、ホントそのとおりって思うもん。アイツのさ、気に入らないから殴るってのはさ、ハジだよ、ハジ!」

 

 何度ミーナから嗜められても、モンティはその都度忘れて口を挟んだ。

 

 子どもらしく自分の感情が優先で、言いたい事は言わなければ気が済まないタチなのだろう。

 

 だが、今の発言は実際に正鵠を得ていた。

 

 理屈はともかく、感覚で事の正否を理解していて、そこには子どもの言葉ながら説得力がある。

 

「不条理と不平等を見抜ける様になりなさい。その為には学がいる。でも、見抜いただけでは足りない。跳ね除ける為には力がいる。……お母さんがきっと、それを与えてみせるから」

 

「はいっ!」

 

 元気よく返事したリルの顔に、もう迷いは見られなかった。

 私はリルの顔を、挟むように手を添えて抱き締める。

 

 そうしていること数秒、隣から羨む声が流れて来た。

 

「いいなぁ、リルの母ちゃん。優しくてさ、ちゃあんと理由言ってくれてさ。ウチなんて、いいからやんなさい! 口ごたえするんじゃありません、って……これだもん」

 

「そうなの?」

 

 リルが顔を上げたので、私もリルから手を離す。

 そうして左右に顔を向けると、両者から何度となく頷きが返った。

 

「ウチはモンティの所ほどじゃないけど、でも、おべんきょのりゆうは、似たようなものかな。知っておくと、ベンリだからって。いつか役立つからって」

 

「それも間違いではないよ。勉強というのは、役立ったと感じることの方が、実は少ない」

 

「そうなんですか……っ!」

 

 ミーナから食い気味に問われて、私はしっかりと頷く。

 

「勉強は……数字の計算、文字の読み書きまでは生活に役立つものだよ。それは間違いない。でもね、それより先に進むと、途端に靄掛かるように、使途不明になる」

 

「それでもやっぱり、おべんきょ、したほうがいいんですか?」

 

「勉強している最中は、気付けないものだから。でも、靄の中に手を伸ばし、得たものを積み重ねていくと、いずれそれらを見下ろす程の高みにいると気付く。周りが見えないどころか、遥か遠くまで見渡せる様になっている」

 

 ミーナに限らず、リルは勿論としてモンティまでもが、私の語りに魅せられ目を輝かせていた。

 

 私は子どもたちから、三つの視線を受け取りながら続ける。

 

「……『知』とは積み重ねることで、意味を見出すんだよ。今はまだ、最初の土台を作っている最中だ。相変わらず靄が周りにある中で、何も見えずに困惑するのは当然だ。でももし……、その靄を少しでも晴らしたいと思うのなら、本を読んでみなさい。きっと、見える景色が違ってくる筈だから」

 

「ごほん……」

 

「本かぁ……、オレよむのキライなんだよなぁ……」

 

 活版印刷が普及して既に多くの時間が流れたが、本は依然として高価だ。

 それ以前は同量の金と同じ価値があるとも、金より高価とも言われた。

 

 大量生産により値段は下がったが、未だに高価なのには変わりない。

 食よりも高いものを子どもが読めるのは、それこそ学舎内にあるものだけだろう。

 

 生活の中で馴染みがない、という意味でも、敬遠してしまうのはむしろ当然と言えた。

 

「リルは、がんばってよむよ! いろいろ……いろいろ、しりたいもん。ただしいことに、つかえるように!」

 

「うん、偉いぞ。リルは他にも学びが多いから、本だけとはいかないけど……。でも、頑張りなさい」

 

「うんっ!」

 

 意気込んで頷く横で、ミーナとモンティそれぞれから、質問が投げ掛けられる。

 

「リルちゃんって、いつもおべんきょ、リルちゃんのママにおそわってるの?」

 

「ケレイをたおした、アレも? 実は、どこかのお金持ちなのか?」

 

 二人から同時に質問されて、リルは困った顔で、あわあわと首を振った。

 

 しかし、私から応援の笑みを受け取り、気持ちを落ち着かせてから、まずミーナの質問から答えた。

 

「うんとね、リルはいっつも、お母さんから教わってるよ。たまにナナのときもあるけど」

 

「じゃあ、おうちにせんせー、よんでるんだ。すごいね!」

 

「ううん、ナナはね、せんせーじゃないよ。おともだちだよ」

 

「え、でも……?」

 

 困ってしまったミーナと交代で、モンティが鼻息荒く近付く。

 

「どうなんだよ、リル。実は家に、すごいタツジンとか呼んでるのか?」

 

「ううん、おしえてくれるの、お母さんだもん。リルがぶつかりにいっても、だいたいリルのほうが、ころがっちゃうんだ」

 

「そうなの? でも、ナナとかって人を呼べるんだろ? 金もちじゃねぇのか?」

 

「わかんない。でも、はたけがあって、あと……」

 

 そこまで言って、リルは不意に口を閉じた。

 恐らく、ナナの方から、それ以上詳しく話すな、と釘を刺されたのだろう。

 

 畑の事はともかく、水薬を作ったりしている事まで、知られると拙い。

 子どもの言うことだとしても、噂はどういう形で広まるか分からないものだ。

 

 口を噤んだリルに、モンティは不思議そうな顔をしたものの、勝手に自分で納得して、腕を組みながらうんうんと頷いた。

 

「そうか、リルんトコは農家かぁ……。でも、ママがすごいんだな。そういうの、めったにないぜ?」

 

「うん、お母さんはすごいの!」

 

 リルは自分が褒められたのと同じくらい喜び、両手を握って上下に振る。

 

「お母さんが、なんでもおしえてくれるんだ!」

 

「いいよなぁ、オレも教えてほしいよ。……しかも、リルんチには本もあるんだろ? べんきょうも教えてもらえて……。せんせーみたいに母ちゃん頭イイのに、なんで学校きてんだ?」

 

 リルは一瞬、考え込んでから、にこやかに言った。

 

「おともだちがほしかったから」

 

「そんな理由で?」

 

「――そんな理由が案外、大事なものなのさ」

 

 私が口を挟んで、ミーナは不思議そうな顔をする。

 

「どうして? 学校じゃなくても、だいじょぶそうだけど……」

 

「いいや、その大事さだけは、母親から与えてやれないものだよ。それにね、皆と一緒に、ある程度の決まりの中で生活する事は、街で暮らすには大事な事だ。周りに畑しかない所では、そうしたものは身に付かないからね」

 

「あたしは、そっちのくらしの方がいいなぁ。のんびりしてて、じゆうそうだもん」

 

 私は笑って、それまで膝立ちしていた体勢から立ち上がる。

 

「隣の芝生は青く見える、と言ってね。他人の所の方が、より良く見えてしまうものさ。実際に暮らしてみると、街の生活の方が便利だと思うことだろう」

 

 ただし、私達の暮らしを、敢えて普通の農村部と誤解させているので、我が家の暮らしを見たら、やはり羨むに違いない。

 

 下手な貴族すら真似できない水準なのは、ここで言わないのが華だろう。

 ともかく――、と私は背筋を伸ばして息を吐いた。

 

「そろそろ、帰ろうか。近くまで送るよ。リルを心配してくれたお礼にね」

 

 そう言うと、リルはまだ少し残っていた果汁を一気に飲み干す。

 他二人は既に飲み終えていたので、空になっていたマグを受け取った。

 

 そうして、リルの分も受け取って店主にマグを返すと、リルの手を取って歩き出すタイミングで、空いているもう一方の手をミーナが握る。

 

 おや、と首を向けると、はにかむ笑顔が返って来た。

 私もまた笑みを返してその手を握ると、帰り道を歩き始めた。

 

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