滑り出しからケチの付いたリルの学校生活だったが、そうしたトラブルは最初だけで、次からは快適に過ごせる様になった。
というのも、結局ケレイは謝罪の日を最後に、学校を辞めたからだ。
自宅に教師を呼ぶ事にしたのか、それとも違う学舎に移ったのか、そこまでは分からない。
ただ、リルは自分のせいかもしれないと、責任を感じていた。
学校終わりに迎えた所でそう報告されて、私は両肩に手を置いて諭す。
「もう、何度も言った事だろう? リルが悪い事をしたんじゃないんだ」
「でも……。もっとなんか……、うまくやれば、なかよくできたんじゃないかな……」
「リルがわるく思うひつよう、あるもんか!」
リルと一緒に学舎から出た、モンティが語気も強く主張する。
「さいしょにケンカうって来たの、アイツからじゃんか。もしさ、もしリルが学校きてなくて、そんでイジメのあいてがミーナだったら……。そしたら、もっとずっと長く、ヒドイこと続いてたぜ」
「そうかもね……」
モンティとミーナは大体セットで一緒にいる。
だから今日も、モンティの憤りを横で聞いては悲しげに翼を畳んだ。
飛翼族のミーナには背中に、白鳥を思わせる小さな翼が生えていて、感情と共に動きを見せる。
獣人は感情の機微がそうした部分に現れやすく、だから震える様な動きを見せていた。
「あたしなら、きっとずっと言われっぱなしだったとおもう。がっこう行くの、きっとキライになったんじゃないかな……」
「ケレイは人間だからさ、獣人で、しかも女が勉強するの、ナマイキって思うヤツだったんだ。リルが悪く思うひつようなんかないぜ!」
「どうして、じゅーじんで、おんなだったら、ナマイキなの?」
リルの素朴な疑問に、悪意は全くない。
単に無知から来るものだったが、二人は気不味そうにするだけで、返答しなかった。
不思議そうに首を傾げ、それから私へと顔を向けてくる。
その視線に応えて、私は当たり障りのない内容で説明した。
「まずね、人間は……自分達が偉いものだと思ってる。そして、男性は女性より偉いともね。偉いが二つ重なって、だから何を言っても良い、と勘違いしてしまうんだな」
「でも、どうして? どうして偉いの?」
「最初に訂正しておくと、実際に偉いということはない。勘違いだ。国によってその扱いが違うから、絶対的な見方じゃないけど、でも間違いなく、この国では平等だよ」
「でも……、じゃあ、どうして?」
「考え方が古いのさ。実際に十数年前までは、平等とは言えなかったからね」
不平等が蔓延し、差別が横行していた歴史的事実がある。
共和国と名を変えても、実際の所はそんなものだ。
獣人はその多くの権利を認められず、政治に参与する事さえ出来なかった。
それが変わったのは、偏に政治形態の変革があったからだ。
「リルにはまだ分からないだろうけど、共和国というのはね、王様が居ない国の事を言うんだ。でもね、この街から北上して何日も行くと、そこには王都がある。“王”の都だ。……おかしいだろう?」
「そういや、そうだな。何でだろ?」
リルは疑問を疑問と感じていなかったが、モンティにはそうした常識があるようで、不思議そうに立てた親指を顎に押し付けていた。
「今の政治は議会制だ。つまり、市民の代表を選出して、それらが合議して国の方針を決める。その議員の半分は、獣人から選ばれると今では決められているんだな」
「へぇ〜……、しらんかった。そうなんだ」
「つまり、獣人を敵に回すとね、政治が回らない事を意味する。何より、そうした議員制に変革されたのは、獣人の不満から暴動が起こったからだ」
「なんか……父ちゃんがそんなこと言ってたような……」
「ママもかんしゃしなさい、って言ってた。今がよくなったのも、みんながガンバったからだって」
私は大いに頷いて、説明を続ける。
「そう、自分達の権利を勝ち取る為に、とても頑張ったんだよ。ミーナやモンティのお父さん達世代が実際に、声を上げて運動を起こしたんだ。当時の王宮に詰め掛けた獣人市民は五千人を超えていたし、王都を闊歩する人数は三万人を超えたとされる」
「へぇ~っ! すごい数ってのは分かるけど、ゼンゼンそうぞう付かないや!」
モンティの感想に、リルとミーナも、うんうんと頷く。
この街もそこそこに裕福で、そこそこに広いが、その人口は六千人から七千人程度だ。
スラムの住人は含まれないし、人頭税を取るお陰で家族の誤魔化しもあるだろう。
だから正確なことは言えないが、想像させるにはこう説明するだけで十分だ。
「この街の人、全員を引き連れて、それでようやく王宮に集った人数と同じくらいさ。それだけの住人が、この国中からやって来たんだ」
「すげぇ……!」
実際に想像付かなくとも、そのスケール大きさだけは分かる。
モンティは感動を顕にしていたが、他二人はぽかんと口を開けるだけだ。
「時の王は獣人達の声を聞き、その思いに強く打たれ、自ら王室を廃すると決め、王位を退いた。今の議会制度を作り、自らは離宮さえ手放して、郊外の屋敷に移ったという……。市民は王の度量を褒め称え、親しみを込めて『かつて王の住まう都』……“王都”と、今もそう呼んでいる」
「すげえなぁ……。なんかカンドーしちゃったよ、オレ。学校のべんきょうも、こんぐらい面白かったら、もっとマジメに聞くんだけどなぁ」
「モンティはどうせ、そうじゃなくてもフマジメでしょ!」
ミーナに指摘され、モンティは照れた様に笑った。
リルも指差して笑い、私も微笑んでその光景を見守る。
――実際に、王が獣人の声を聞く度量があったなど、嘘だ。
引きずり降ろされた、という方が正しい。
だが、事は既に大きく膨れ上がり、制御できる段階を越えていた。
獣人の怒りは凄まじく、迫害と差別で、飢餓と貧困の極地にあった。
生まれたばかりの赤子に、母親は栄養失調から母乳が出せず、かといってミルクを買うお金すらない。
ただ衰弱し、死んでいく子を見ているしかなかった悲しみはどれ程だろうか。
獣人を受け入れる、人と平等と謳いながら、重税を課せていたのが現実だ。
その怒りが爆発した結果が、今の形に変更させた。
この暴動を鎮圧に動けば、ことはもっと大きくなっていただろう。
だが、良いのか悪いのか、王は臆病だった。
実際に獣人は、人より力が強い種も多い。
強硬手段を取って、反撃されたらどうなるか……。
王宮警護は千人程しかおらず、警備隊は王都中で非難の声を上げる獣人達の対応で忙しかった。
圧倒的に手が足りず、何かの弾みで抗議運動から暴動に変われば、一体どうなるか分からない。
既に都市機能は麻痺し、一日でも速い解決が望まれた。
その結果が、責任を取り、退位を表明することだった。
王政権力の一極集中が消えたこと、獣人が権利を勝ち取り政治に参画できるようになったこと。
これで国内は一気に平定へと傾く動きが活発になり、そして今がある。
とはいえ、たった十数年前の出来事、と言ってしまえばそれまでだ。
意識の変革が起こったばかりであり、人間上位主義を掲げていた者が、すぐにその旗を下ろせる訳でもない。
それでも、声高に口にすべきでない、という常識は既に十分、出来上がっていた。
私がリルにケレイと決闘するよう言った時、『この街の人間の為にも』と言ったのは、この為だ。
人間の思い上がった増長は、第二の暴動を引き起こす切っ掛けになるかもしれなかった。
それを獣人のリルが仕置した、という形で収まれば、他に飛び火する事もなくなる。
「この国は、大陸においても珍しい人獣平等主義を掲げた。それは素晴らしいことだし、結果として国が豊かになりつつある。ケレイが口にしたのは、国の在り方そのものにケチを付けたも同然だ。リルが気に病む以上に、実は酷い事を言っていたんだよ」
「なんかなぁ〜……。もっとさいしょから、仲良くできんかったのかなぁ〜」
「いまは、なかよしなのにね。なんか、ヘンなかんじ……」
モンティとミーナから、残念そうな息が漏れる。
元よりこの東大陸は、かつてはエルフが支配する土地だった。
獣人だけではなく、人間までもが支配され、隷属する立場だった。
しかしエルフは、その中にあって、明らかに獣人を差別した。
その影響が未だ色濃く残されていて、獣人を同じ大陸に住む人種として、同列に見做さない国は多い。
隣の公国は、特にその傾向が顕著だ。
かつては人間も隷属する立場だったのを消し去り、支配者になることで書き換えようとでも思っているのだろうか。
――どうであれ、下らないことだ。
長々となってしまった話を切り上げ、私は帰宅を促す。
「長話をして悪かったね。お腹が減ったろう? 早く帰るといい」
「リルちゃんとママは?」
「さて、どうしたものかな……?」
リルに悪戯っぽく目を向けると、それまでの暗い気持ちを吹き飛ばす様に顔を上げた。
「おうちまでガマンできない! なんか、たべよっ!」
「……仕方ないか。じゃあ、そうしよう」
私がリルの手を取ると、嬉しそうに抱き着く。
そうしていざ、歩き出そうとした時、学舎から一人の影が近付いてきた。